2012年1月31日火曜日

2012年1月29日日曜日

蔵入り-完成

 出来上がりました。今宮戎神社の「蔵入り」です。動画をアップしようとしたのですが思うようにいきません。研究の余地あり、いずれ又お目にかけます。
 さて、製作余話ですが、コロコロと転がる俵は、まず木型を削り、水に溶かしたボンドを木型に塗り、その上にティシュペーパーを二枚に剝がし何重にも重ね、乾かし半分に切って、まゆ玉のようなものを作りました。
 中に入れる重りは、釣りに使うガン玉の大き目の物を使いました。切り分けた俵を張り合わせ、俵に見えるように色を塗り模様を付けました。
 実際に動かしてみると、俵の動きがなんとも可笑しく、多分実物も同様の動きをするのではないか、と思いますが蔵の中に出たり入ったり、実物もかくや、という動きでした。

2012年1月27日金曜日

浪花おもちゃ再現

嫁はんからもらったクリスマスプレゼント、現代風「立版古」(たてばんこ)で作った、北斎の「神奈川沖浪裏」です。
立版古は江戸時代から明治期に作られ、流行った立体的おもちゃ絵です。欧米の「シャドーボックス」のようなものです。
少し厚手のケント紙に浮世絵が印刷してあり、箱の中に組み立てていきます。
砕け散る波頭を上手く切り取ると立体感が増してボックスの中で栄えます。
これが昔の立版古です。昔の浪花おもちゃを再現している「まねき屋」という若い人が復活した「宝船」の立版古です。                                                   
 以前にも書きましたが「浪花おもちゃ」は神農さんの張り子の虎に代表される大阪が生んだ文化、というより、一大産業だった時期がありました。
 御堂筋沿いに多くの張り子職人が住んでいて、縁日の張り子の面や各神社の縁起物などを作っていました。
 昭和の初め頃にはほとんど廃業してしまい今、柏原で峰さんという職人さんが張り子を作り続けておられます。
 去年、デパートで展示販売されている時に話す機会があり、八尾の隣町という事もあり、話が弾んでいろいろお聞きしました。

 「まねきや」さんには、いつも「浪花おもちゃ」の復元を頼んでいるのですがなかなか実現しません。
 で、今自分で復元制作しているのが下の「蔵入り」という縁起物のおもちゃです。蔵の中に金の俵がコロコロと出入りする仕掛け物で、多分俵の中に重りが入っていて、割った竹の筋をコロンコロンと転がっていく仕掛けだと思います。
 蔵はわりと簡単に出来たのですが「俵」を作るのが難しく、試行錯誤していますが近日公開の予定です。

2012年1月17日火曜日

忘れない努力

 今朝は6時前に起きようと思って目覚ましもセットして寝たのだが、やはり寝過した。忘れてはいないのだが。年々、あの時刻に起きることが出来なくなってきている。
 あの日、当時住んでいた団地のベランダから神戸方面を見ると黒い煙が何本もたっており、夕方になってもその煙が消えることはなかった。
 今回の東日本大震災では、大津波による死者が圧倒的に多く、関東大震災では死者のほとんどは火災によるものだったといわれている。阪神淡路大震災では、倒壊家屋の下敷きによる犠牲者が多かったといわれており、時代の流れの様なものもの感じられる。
 豊中は大阪の中では唯一死者が出ており、被害も大きかった。水道、ガスの復旧は2,3日かかったように記憶している。水洗便所の水に、お風呂の残り湯を使って助かったことからその後、我が家では前日の残り湯は捨てずに翌日までおいておく習慣になった。
 そんなことを思い出しながら、急に思い立って神戸に行った。この日に合わせて神戸に行くのは2回目だが、震災直後に神戸の職場見舞いに行った時は、阪急を途中で降りて、倒壊して屋根だけの家並みの中を徒歩で向かった。
 3周年の集会には神戸の仲間と参加したが、今日訪れた「東遊園地」には今日、初めて行った。会場には多くの報道陣が詰めかけており、参拝者や訪れる人たちを取材していた。初めて見る「1・17希望の灯り」のモニュメントには、
  震災が奪ったもの、命 仕事 団欒 街並み 思い出  とあり、
  震災が残してくれたもの、 やさしさ 思いやり  仲間  とあった。
この希望の灯りは、陸前高田にも分灯され、復興への励ましの灯となっている。

2012年1月13日金曜日

前期高齢者、飛行す!

 少年の頃の夢だったパイロット!いつも行く万博公園の東の広場では、紙飛行機を飛ばすグループがおられる。昨年、様子を見に行ったら、たちまち、お誘いを受けて、立派な飛行機を頂くやら、色々とご指導を受けた。
 で、早速、紙飛行機を東急ハンズやらで探してみたが、この「ホワイトウイング」という紙飛行機はなかった。ネットで探しているうちに、「阪神百貨店」で売っている事を見つけ、早速買いに行き、コツコツ作って今日、初フライトにこぎつけた。
 今日は風が強く、飛行(非行ではありませんぞ)グループも少なかったが、一緒に飛ばさせていただいた。皆さん手造りのケース(格納庫というらしい)に10機以上持ってこられている。私は、最初に貰った1機と自前の3機で飛行開始、風を背に、斜め45度でゴムの力で飛ばすのだが結構これが難しい。
 競技会などでは60秒が優勝ラインで一般的には20秒飛べばナイスフライトになる。
 左の写真は、機体を飛ばし、すぐにカメラを構えるのだが5~6秒で着地するので写ったのは、たった1枚だけ。
 本日のフライト、頂いた機体は流石によく飛んで最長約10秒、自前の機体は聞かないでおくんなさい。次回に期す。

2012年1月10日火曜日

初春の雲龍

 去年に続き、布施の「戎っさん」に出かけた。目的は、浪花の玩具を復刻販売している「まねきや」さんの出店を覗く事と、駅前の「ももや」というお菓子屋の巨大な生菓子を買う事、昼前に出かけたが、あいにく、「ももや」は12日まで連休(この稼ぎ時に?)、「まねきや」は出ていたものの、万円近い値段に手が出なかった。
浪花伝統玩具の復活を目指す若い職人の心意気に期待していたのだが、どうも違う方向に向きかけているようだ。「おもちゃやで、」と心の中で叫びながら後にした。

 せっかく出掛けたのだからと、近鉄で「石切」さんへ向かった。子供の頃、父親に連れられて、お参りした覚えはあるのだが、半世紀も前の事になるのだろうか、正式には「石切劔箭(つるぎや)神社」、昔から「でんぼの神さん」「石切さん」と親しみを込めて呼ばれている。
 子供の頃にお参りした時は、ここに神馬がいて、その後、中央競馬会で活躍した「イシキリツルギヤ」という白馬がいた。確か2年か3年の約束で出走し、また元の神馬に戻ったという事だった。
 山門の上には神社の象徴の「劔」が天を指して突き立っていた。
 半世紀ぶりに見る神社や、参道に列なるお店も昔懐かしい昭和の匂いのする店ばかり、そんな中、やたら多いのが「占い」のお店。結構流行っているようで、「占い横丁」もあった。

上の写真は、七日の夕暮れ、夕雲を見ていたら、面白い形に。手前の夕雲、龍の形に見えませんか、右向きに頭と口の周りの髭があるように見えます。

2012年1月7日土曜日

律儀な雀

 我が家にとっては毎年の事なのだが、玄関の〆飾りの初穂を雀が食べにくる。ただし、暮れの30日に飾るのだが、決まって食べにくるのは正月三が日が済んでから、今年は6日の早朝と、少し遅めの来訪だった。
 我が家では、ベランダには、モーニングトーストのパン屑や冬場はミカンを木の枝に挿し、食後のデザートに差し上げているので、いつもとは違うグループなのかは分からない。
 最近、嫁はんが友達の家で聞いてきたのは、殻付きのピーナッツを糸で繋ぎ、ブランコの様に垂らしておくと、雀が一生懸命殻をつつくので、まるでブランコに乗って遊んでるようだという話。早速やってみたが、我が家に来る雀は、甘党なのか、あまり興味は示さなかった。
 そういえば、「こぼれ梅」を皿の上に撒いておいたら、わりとお気に召したのか、かなり食べては見た様だが、酔っ払ってそのまま寝込む事はなかった。

2012年1月5日木曜日

啄木没後100年

 今年は、石川啄木没後100年という事で「毎日新聞」4日、5日の夕刊に、宗教学者の「山折哲雄」さんと歌人の「三枝昂之」さんの対談が載った。この中で、
山折さんは、「啄木は単なる近現代の歌人、詩人ではなく、「万葉集」の世界にもさかのぼるような自然観、宇宙観を持った詩人だった。
『不來方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心』という歌は、魂が身体から遊離する感覚を歌っており、挽歌を中心とした「万葉集」に見られる身心分離の人間観の根底にあるもので、その感覚は、『よし野山こずゑの花を見し日より心は身にそはずなりにき』と歌った、西行まで受け継がれるもので、これが啄木の歌とつながった。
啄木は、単なる近現代の歌人ではなく、古代以来の歴史を貫いて受け継がれてきた日本人の重要な感覚を、平易で、柔らかい自然体の歌で、表現したひとではと思います。」と述べられている。
三枝さんは、「与謝野鉄幹・晶子ら明治時代の新しい短歌は若者の歌でした。『みだれ髪』から約10年後に出た『一握の砂』は啄木自身、『従来の青年男女の間に限られたる明治新短歌の領域を拡張して、広く読者を中年の人々に求む』と広告している。
若者の歌が青春を歌うのに対して、中年の歌は仕事の苦しみ、家族のあつれき、愛情など生活全般に主題が広がる。自分を取り巻く生活環境の中で感じ、考えたことを表現する近代短歌のテーマの広がりは啄木に始まるのではないか。」と、とかく斉藤茂吉と比べ、「素人好み、感傷的」と評されるが、わずか3年の作歌活動で終わったがその功績は大きいと評価されている。
 話は変わるが、四天王寺の「古書まつり」で友人が好きであろうと、「石をもて追はるるごとく」という古書を買った。著者は「岩城之徳」表紙の絵は「中川一政」。巻頭に-啄木を偲ぶ-として「金田一京助」の序歌が寄せられている。
 今少し生けらばただに見たりけむプロレタリアの大きな動きを
 君が死んで十年たたず君をたたふプロレタリアの世となりにき
 君の世はいざこれからといふまでに漕ぎつけて体力つかひはたしき
金田一京助は終生変わらぬ親友であった。

2012年1月1日日曜日

2012年 本年もよろしくお願いします。

 今年は、明けましておめでとう、の言葉が出てこない。賀状にも賀詞は使えなかった。
 3・11以降、この日本を覆っている状況は、昨年の漢字一文字「絆」に込められた思いとは、かけ離れたものとなっているように思う。
 この元をただせば、小泉構造内閣以来、この国を支配している、新自由主義の産物である「競争社会」の出現ではないかと思う。国民全体が、がむしゃらに突き進んだ戦後の復興とは違い、個人間の格差を生みだす「競い合い」の社会へと国民を追い込み、敗れたものは「自己責任」の名のもとに、社会の底辺へと追いやられた。
 そして今また、TPP加盟問題、沖縄普天間基地問題など、何かに急かされ、誰かと足並みを揃えるために、国民や、県民の声を無視し、国民の「こころ」を踏みにじってでも、国民の望まない方向へと、足並みを揃えさせようとしているように思えて仕方がない。何をそんなに急ぐのか。
 今は、多少の遅れは気にせず、少し立ち止まって、足元を見つめ直すことが必要ではないだろうか。足並みを合わせることに、汲々とするばかりではなく、「こころ」並みを合わせることに政治の力を発揮してもらいたいと切に望んでいる。