2011年2月28日月曜日

 沖縄旅行記 ②
  「ひめゆり部隊」は有名だが、沖縄戦では数多くの少女たちが従軍看護生として戦場に駆り出されている。白梅学徒隊もその一つで沖縄県立第二高女の四年生46名が野戦病院で負傷兵の治療や手術の手伝いに従事した。
 太平洋戦争も末期、軍部は来るべき本土決戦に備え、沖縄を時間稼ぎのための「捨て石」にした。沿岸に停泊した米軍の艦砲射撃のため、野戦病院は自然の洞窟、(ガマと呼ばれていた)に設けられ、中山さんたちは来る日も来る日もローソクの明かりの中で負傷兵の治療に従事した。
 

 中山さんたちが当時入っていたガマの中を案内してもらったが雨が降ると泥田のようになり、足を取られながら手術で切断された手足をガマの外に捨てに行くと、「狙撃されるので急いで暗いガマの中に逃げ帰らなくてはなりませんでした」と当時を思い出し語っておられた。
 ガマの底から見上げる頭上には小雨模様の沖縄の空が見え、当時の少女たちがどんな気持ちで、この同じ空を見上げていたのかと思うと胸が痛んだ。
沖縄旅行記 ①
 元の職場の研修仲間でつくっている旅行会、15周年記念という事で足をのばし沖縄に行ってきた。元々観光目的の旅行会なのだが、沖縄訪問という事でツーリスト社長に戦跡めぐりも組み込んで、と依頼したところ社長の義母が「白梅学徒隊」の生存者で語り部として活動しているので紹介しましょうかとの事、何たる偶然、、即お願いした。
 那覇空港到着後、ホテルに荷物を預け、首里城や世界遺産に登録された玉陵(タマウドゥン)石畳の道などを見学した。
 ホテルは国際通りに面しており、土曜日という事もあり観光客や若い人の姿が目立った。総会を兼ねた夕食会には、昔大阪で一緒だった仲間も駆けつけてくれた。見事な琉球料理と舞台の琉球舞踊、泡盛も出て宴会は大いに盛り上がった。
 翌日、ホテルのロビーには、バスガイド「崎原真弓」さんと、お願いした「白梅学徒隊」の「中山きく」さんが朝早くからお見え頂いて打ち合わせをして、バスで出発。
 中山さんは83歳とご高齢だが、若々しい声で今日のツアーの説明をしていただいた。ガイドの崎原さんも小柄な沖縄美人という感じだったが、実はこのお二人、すごい人だという事が旅の途中と、旅行から帰って分かることになる。

2011年2月18日金曜日

 京都で開催中の「筆墨精神」-中国書画の世界-を鑑賞。朝日新聞社創業者の一人、上野理一の収集品を親族が京都国立博物館に寄贈、その50周年を記念しての開催とある。中国文人の芸術観に依拠した系統的な収集品であるとの事。
 今回の目玉は書聖-王羲之の草書の「宋拓十七帖」というものらしいが凡人には、その凄さは判らない。もともと王羲之の真筆はこの世には存在しない。時の皇帝が王羲之の書を愛するが故に独り占めし、有名な「蘭亭序」とともに自らの墓に副葬してしまったと云われている。
 この話、最近テレビで見た京都の書店の主の話、本マニアにはタイプというかランクがあって本のために家を一軒借りてしまうような人、その上が「書痴」といわれる人で、世の中に3冊しかない本があると、それを買占め2冊は破り捨てるという話と似ているような気がした。
 台湾の故宮博物館でも有名な書には乾隆帝の篆刻が所構わず押してあり、権力者の独占欲の深さに驚かされた。
 余談、今日の「毎日」に有馬頼底さんが揮毫料5年分、2億円申告漏れを指摘されたとある。掛け軸1点5万円が業者相場らしいが5年間とはいえ、よくも書きまくったものだ。合掌、いや拍手、国税局に!

2011年2月10日木曜日

 八尾に住む姉から若牛蒡を貰った。関西の人でもあまり知らないと思う。嫁はんも初めて見たときは「フキか?」と聞いたぐらい、通常の牛蒡の部分、写真の土の付いた根の部分が極端に短い。ほとんどは緑色の茎の部分と、葉っぱを食べる。子供の頃に食べた記憶はあまりないが河内では昔から「葉ごんぼ」「や-ごんぼ」(柔らかいごんぼ)と呼んでいたと聞いた。
 私の好きな食べ方は「うす揚げと茎の炊いたん」が一番だ!淡口醤油を少したらしたダシでサッと煮る。それと「若ごんぼのかやく飯」、茎を小口切りにして煮ておき、ご飯が炊けたら混ぜていただく。
 アクが強いので十分水にさらしておくが、それでも釜の蓋をあけると何とも言えない香りがする、「春の匂い」と気のきいたコメントがレシピに書いてある。食物繊維はもちろん、コレステロールの吸収を防ぐ作用もあるとかで、味よし、香りよし、体にも良い、と三拍子そろった野菜で我が家に早春の香りを運ぶ一番乗りです。