2012年3月30日金曜日

特にネタがないので例によって「大阪365日事典」から 。
 今日3月29日(昭和13年)日本職業野球連盟は、新球団「南海軍」の加入を承認した。関西では阪神、阪急に次いで3番目の球団誕生となった。
 私のプロ野球観戦(ナイター)が「南海」対「大毎」の試合でナンバの大阪球場に知り合いのお兄ちゃんに連れて行ってもらった。
 今でこそ、関西はタイガース一色に染まっているようだが、その頃の大阪の子供にとって身近なチームは「トラ」よりも「タカ」だったように思う。鶴岡一人という広島県出身の監督によって大阪、というよりナニワの人情球団として絶大
 
な人気を誇った。しかし、野村監督退任(解雇)後、最下位が指定席になり、1988年スーパーダイエーに身売りされた。
 ホームである大阪球場はその後、住宅展示場や駐車場などになり、現在の「なんばパークス」という複合娯楽施設になっている。館内には「南海ホークス」メモリアルギャラリーがあり、往時の名選手、杉浦、景山、広瀬、門田等のユニホーム姿が並んでいる。
 しかし、不思議な事に、野村選手・監督の記録は並んでいない。これは当時、鶴岡監督との確執、球団との確執などがあった事の影響などと言われる。                                          上の写真は当時の球場のピッチャーズマウンドのあつた場所に記念プレートを埋め込んだもので唯一大阪球場の跡である事を物語っている。

 右の写真は私のお気に入りの場所。「パークスガーデン」である。なんばパークスの屋外の最上階から二階までを本格的なガーデンにしている。
 人工でありながら、あまりそれを感じさせないのは、専属の人たちがこまめに手入れしているからだろう。都会の中にいる事を忘れさせてくれる。

2012年3月26日月曜日

  先日の土曜日、3月24日が旧暦の「3月3日の節句」だった。今年は、この後、閏3月もあるので新暦の3月3日から4月23日までのロングバージョンという事になるのだろうか?
 我が家には、いきそびれる娘もいないので、このままずーっと飾っておくことにした。
 手前の写真は母が生前、妹(私たちの叔母)と叉兵衛櫻を見に行った時の写真である。
 母の葬儀の時、従兄弟が持って来てくれたもので以来、私の部屋に飾っている。その叔母が1月末に亡くなり、先日満中陰の法事があったので出かけた。
 叔母の家は大和の「壺阪山」にあり、子供の頃に母に連れられて行き、また結婚直後に挨拶に行った事もあるのだが、30年もたっており、一緒に行った兄たちに案内してもらわなければ分からない始末だった。
 
 駅を降り、ちょっと驚いたのは叔母の家までの道の両側の家々が「雛飾り」をしていた事。高取町が6年前から「町家の雛めぐり」というイベントを開催しているとの事だった。
 実は法事の当日、3月3日の雛まつりは終わっているが旧暦の雛の節句にはまだ日もあるというので、嫁はんが描いた写真の色紙をお供えとして持って行ったのだが、町ぐるみの雛祭りと合っていたとは、旧暦が取り持つ出会いに不思議な気がした。
 叔母も生前は雛飾りを楽しみにしていたという事なので、いい供養になったのではないかと思っている。

2012年3月18日日曜日

最近は大阪の春の訪れを告げる行事になった感のある、QM2(クイーンメリー2世号)の入港。世界一周豪華客船の旅は無理でも、せめて一度は見ておきたいものと出かけた。
 地下鉄大阪港駅を降りて、海遊館に向かって歩くと、何やら前方に新しいビルが出来たような風景が?QM2でした。
 とにかく、デカい! 総排水148,500トンと言っても分かりません。全長345メートル、海面からの高さ60メートルを超える、というスケール。天保山岸壁の全面をほぼ占めて着岸していた。
 お昼前時分には、早朝に着いて何処やらを見学してきた乗客たちが観光バスで続々帰還、波止場では和太鼓で歓迎のサービス。陽気な乗客も交じって小雨の中、太鼓がなり続いていた。
 世界的な経済不況、なんてどこ吹く風、かどうかは知らないが今回のクルーズにいったいどのくらいの乗客が乗船しているのか、知りたくなったが岸壁付近は一般見学者とは接触不能、警備の人に聞いても分からない様子だった。今夜遅くには長崎に向け出港するらしい。
               ボンボヤ―ジ。

  巨大さをわかりやすくするために画像を追加。
 観光バス、作業員の大きさと比較してください。

2012年3月15日木曜日

 今日15日は二月堂のお水取りの最後を飾る「だったん帽いただかせ」の日、今年こそはと思っていたが、友の忠告に従い、いつか来る日を期して、京都の百万遍・知恩寺の「てづくり市」へ、ここに通い始めてもう10年になるだろうか。ずいぶんと客も多くなって狭い境内は人でいっぱい。
 東寺の弘法市や北野天満宮の骨董市はいわゆる専門業者の市だが、ここは本当の素人、作家さんたちが実行委員会を作って、運営している。その分、個性的な作品や品物が多く、今日もイイ色目のマフラーとハンチング帽を買った。
 嫁はんは、お目当ての猫の絵ハガキ屋さんが出ていない、と言いつつ、彫刻刀を買っていた。品物の店以外にも、若い娘たちが手造りのパイや、ケーキをコーヒーと一緒に売っている。

 昼前には陽ざしも出てきたので、哲学の道を南下、平日のシーズン前という事で人影もまばら、ゆっくりと個性的な店を覗きながら、永観堂までたどり着いた。
 私は知らなかったが、ここには「みかえり阿弥陀さん」という重文があり、せっかくの機会だからと拝観することにした。お寺の案内文には「みかえり」の由来である、不思議な出来事の年月日まで記されている。
 永保2年(1082)2月15日、念佛行に励む僧、永観の前にご本尊の阿弥陀如来が立ち、行道の前を歩かれたという。あまりの事に驚き、立ち尽くす永観に阿弥陀様は左肩越しにふり返り「永観、遅し」と言われたという。
 永観はその尊い姿を後世に伝えたいと願い、この仏がつくられたという事である。
 佛像はふり返るお顔をよく見るために正面右側の間近まで近寄れるようにしてある。解説書には「みかえり」の姿に
「遅れる者を待つ姿勢、思いやり深く周りを見つめる姿勢、そして自分自身をかえりみ、人々とともに正しく前へ進む姿勢」それが阿弥陀様の想いであるとしている。
う~、大阪市の誰かに聞かせたい言葉ではあるようだ。

2012年3月4日日曜日

 今日で結婚して30年になる。特に変わったことはせず、昨日のお雛さんのばら寿司と「呉春」の燗で、ささやかに祝った。
 記念日が来ると、いつも嫁はんは式当日の事を持ち出して笑っている。というのは、職場の先輩たちが独身生活最後の記念にと、飲み会を開いてくれ、したたかに酔って、新居の宿舎に帰り、風呂釜を着けたまでは覚えているが、そのまま寝込んだのだろう。
 どんどんと激しくドアをたたく音に目が覚めた。「風呂がぼこぼこ云ってますよ!」と、近所の方の声にいっぺんに酔いが覚め、明け方まで部屋の天井一面についた露の掃除に追われた。
 そのまま一睡もせず、式場に駆け付けたがその間、親族一同と式場で待っていた嫁はんは「このまま一人で式を挙げるのか?」と焦ったという。長いようで、あっという間の30年、最初で、最後(ではなかった)失敗の数々、これからも「あんじょう」頼んます。

2012年3月1日木曜日

 今日から弥生、三月です。 嫁はんの脚予報(雨の前には膝が痛くなるらしい)では「昼から雨やで」と言っていたが、曇り空の中にも「お陽~さん」が差し込んで幾分暖かさもあり、結構な日和になった。
 今日1日から東大寺二月堂の「修二会」の本行が始まる。昨年は「今年こそ達陀帽戴かせ」に行くぞ、と決心していたのだが東日本大震災の報道に全ての衆目が奪われて、私も行く機会を失ってしまった。
 「達陀帽戴かせ」という奇妙な行事の事を知ったのは、友の話からで、満行の朝、籠りの僧が被っていた帽子を子供の頭に載せ、無病息災を願うものであるという事を聞いた。
 同時に、「だったん帽子」という言葉の響きにも、強い想いがあった。それは、中学校時代だったと思うが、音楽の先生が当時珍しかったステレオを聞かせてくれて、リカルド・サントス楽団のレコードやらを目を輝かせて(レコードを聴くのにおかしな表現だが)聴いたものだった。そんな中に「韃靼人の踊り」という曲があり、ダッタン人て、どんな人達なんだろうと、えらく興味を覚えたことがあった。
 何十年もたって、「修二会」の行事の中に「だったん」の名を聞き、漢字は違うが私はきっと関連があると思っている。
 今年で1261回目の不思議な行事、今年こそ「帽子」を「いただかせ」てもらいに行こう。