2011年5月21日土曜日

  この映画を最初に見たのは高校生の頃だったろうか、ヘップバーンの清楚な美しさに心を奪われてしまった。以来、映画館では8回は見ているだろう、テレビでの再放送を含めると20回以上は見ている。
 今は、なんとこの名作のDVDが500円で買える。いい時代になったものだ。
 で、今日のブログの趣旨は今夜のNHKBS放送の「BS歴史館」で「ハリウッド100年-ローマの休日誕生秘話」という番組。昨日の新聞で紹介があった通り、1947年アメリカに吹き荒れた「赤狩り」によってハリウッドから共産主義者や共鳴する人々を追放された。
 「ローマの休日」の脚本を書いたダルトン・トランボもその一人で彼はこの脚本を友達の名前を借りて世に出した。それと知らずこの映画を製作することにしたハリウッドは名匠「ウイリアム・ワイラー」に監督を託す。彼は、ハリウッドの赤狩りの時代、思想信条の自由を侵す、と抗議行動を起こしたリベラル派でもあった。
 番組では、ワイラー監督は、この脚本がトランボの物であると知っており、その為万一、制作の邪魔が入らないようにとハリウッドを離れ、全編をローマで撮影を行ったとしている。番組の最後に、映画公開の何十周年を記念して映画クレジットの脚本の氏名を友達の名から「脚本ダルトン・トランボ」に書き換えた事を紹介している。ハリウッドが行った、せめてもの罪滅ぼしという、ちょっといい話でした。
 映画好きの私としての、この映画そのものの見所(G・ペックの男の美学)は、また別の日に。

2011年5月14日土曜日

   久しぶりに奈良の新薬師寺へ。嫁はんが習っている「仏刻教室」で現在十二神将に挑戦中。写真では掴みにくい立ち姿のバランスを実物で、という事で私もお付き合いで。
 過去に何回も拝観しているが視力の衰えか、なんだがみづらい、堂の片隅では十二神将の色彩復元の様子が映し出されている。バサラ大将の極彩色につつまれた甲冑服の艶やかさ、怒髪天を突く、というその髪は炎のように赤い、CGの威力の凄さに驚いた。
 今回初めて知ったことは、お寺の命名と国が命名したお名前が違うという事。元々の命名も様々な謂れがあるようだが、素直にお寺の呼称に従うべきではと思う。
   新薬師寺には「おたま地蔵」というのがあるが、本日は扉が閉まっていて拝観出来ない。その代わり、という事ではないが今まで気づかなかったが地蔵を主とした石仏が集められ、土壁の前に並んでおられる。
  東大寺周辺の修学旅行の喧騒とは縁遠い、此処には皐月の風の音までが爽やかに聞こえてくる。

 新薬師寺を出てすぐのお宅の横の崩れかけた土塀の上にたくさんの緑が。この時期の緑の色は本当に優しい、盛夏の陽光を撥ねつける力強さは無いが、優しさの中に蓄える若い力を感じさせる。
 
 国を挙げて復興が叫ばれている。外国からの力強い援助の申し出もある、自衛隊も頑張っている、GWには大勢のボランティアが駆け付けた。
しかし、この力で一気呵成に、とはいかないだろう、皐月の新緑の優しさの力が必要になってくるだろうと思う、その時は何か出来ることが来るのではないかと思っている。