2012年12月31日月曜日

来年に懸ける!

師走選挙で忙しかった今年もあと2日で暮れようとしている。「大阪三六五日事典」に面白い事が書いてある。

【空前の棄権・昭和4年12月30日】この選挙の投票率はなんと18%だった。こんな背景があったらしい。これより前の総選挙で大阪第4区から出て当選した某代議士が選挙違反で有罪となり、当然次点の者が繰り上げとなる処、死亡欠員が出ていたために二人目の繰り上げはきかない。仕方なく再選挙となってしまった。投票日が暮れのギリギリ30日、更に拍子の悪い事に不景気風の真っ只中と悪条件が重なり「選挙どころやおまへん」と驚きの投票率となってしまったと云う事らしい。
 そして今回の総選挙の投票率が戦後最低の59,32%であった。選挙前には、東日本大震災後の復興をどうするか、原発再稼働問題、そして消費税の増税について国民の信を問うと解散した挙句の選挙だったはず。しかし選挙期間中の自民党のフレーズは「ニッポンを取り戻す」だった。
 そして自民党の圧勝!選挙中、あれだけ「政権の枠組み」と「議席予想」に血道をあげ誘導報道をしてきた大手マスメディアの責任は大きい。何も支持した政党が後退したから言っているのではない。そもそも自民党は今回の総選挙で割の得票で割の議席を得た。言わずと知れた小選挙区制のおかげである。この小選挙区制成立に手を貸したのが大手新聞社であった事は周知の事実(第8次選挙制度審議会メンバーだったが自らは報道しないだけ)である。
 原発再稼働反対!消費税増税反対!全沖縄米軍基地撤去!等々多くの国民の民意を葬り、その上に膨大な「死票の山」を築き上げ、成立した「自公」内閣に未来はないと思う、いや国民がそれを許さないだろう。来年に懸けたい!皆さんよいお年を。

2012年12月29日土曜日

イヨッ、「成駒屋」!

 東京の歌舞伎役者(今は俳優と呼ぶが)十八代目中村勘三郎が57歳という若さで亡くなり、お別れの会が盛大に行われたとテレビのワイドショーが報じていた。画面では、ご遺族が遺骨を胸に思い出の浅草を訪れると、「三社の神輿」が出迎えた。江戸っ子というのは、粋(関東ではイキ、関西では″すい″と呼ぶ)な事をするもんだ。私は勘三郎の舞台を直に観たことはないがニューヨーク公園や平成中村座など歌舞伎の人気を大いに高めた人である。これから、という時にあの世に旅立った。父である十七世勘三郎から引き継いだ「俊寛」はぜひ観たかったが。
 歌舞伎と云えば私の先輩の息子さんが中村雁治郎(現・坂田藤十郎)門下の弟子になられ、、毎年夏の国立文楽劇場での公演を何回か観に行った事がある。若手の勉強会という事もあって、気楽に観賞できる良い会であった。その関西(上方)歌舞伎も文楽と同様、長らく低迷を続けてきた。私見ながら「松竹」という会社の経営姿勢に問題があった様に思うが、それは別にして上方歌舞伎は江戸歌舞伎の「荒事」に対し「和事」という柔らかな所作事が特徴の芸である。その代表が一連の近松の「心中物」ではないだろうか。中でも、初代・雁治郎の「心中天の網島」の「紙治」-紙屋治兵衛は当たり役であったらしい。
その芸は、二代目、そして当代、藤十郎に引き継がれていく。写真の「紙治」は初代か二代目かは分からないがいわゆるブロマイドとして売られていたものだろう。人気の高さがわかる。
 その関西歌舞伎も戦後、低迷を続け、有望な役者は関東に移り、二代目雁治郎も息子の扇雀とともに上方歌舞伎を去り、映画やテレビに活躍の場を見つけた。旅役者を描いた「浮草」や「鍵」などの谷崎文学作品にはなくてはならない俳優となった。晩年、東京歌舞伎に加わり、上方歌舞伎の和事芸を魅せて人間国宝にもなったが遂に上方には帰ってこなかった。同様に大映のスターとなった市川雷蔵も関西歌舞伎から映画界に転進した一人である。映画での活躍に松竹は大いに慌てたと云うが脇役役者の子としか見なかった会社の俳優育成の拙さがもたらした結果だった。市川雷蔵についてはもっと書きたい事があるのだがまた別の機会に。
 さて、上方芸能の代表である文楽と歌舞伎であるが、文楽は「誰かさん」に貶されようが、東京公演はあるものの、何といっても関西、浪花の文化である。国立文楽劇場を拠点に頑張って復活の兆しも見え始めている。しかし、上方歌舞伎は残念ながら大阪の地での一本興行は難しいようだ。その原因は、大阪に歌舞伎専門の劇場が無い事ではないかと私は思う。関東での歌舞伎の今日の隆盛の一因は「歌舞伎座」という専用劇場があってのものではないだろうか。大阪にも昔、「新歌舞伎座」という名の劇場はあった。こけら落とし公演だけは歌舞伎を公演したが、経営者側は歌舞伎専用とは考えていなかったようで、その後は、杉良太郎座長公演など歌舞伎以外での公演のみとなり遂には閉館となってしまった。辛うじて「大阪松竹座」が年数回の歌舞伎公演を行っているが、、、。身近な例として、「天満天神繁盛亭」の成功がある。上方落語四天王の奮闘で今日の復活を遂げた上方落語界だが、これまで、所謂「落語専門の定席」が無かった。繁盛亭の成功で復活なった上方落語の定着が見られるという。歌舞伎の場合、その舞台装置や関係者数など、そう簡単に劇場が見つかる訳ではないだろうが、坂田藤十郎、片岡仁左衛門という名優が健在な内に、再びの隆盛を願うものである。
 
  「頬かむりの中に日本一の顔」
    初代・中村雁治郎の「紙治」を評して大阪の川柳作家・岸本水府が詠んだ句である。

2012年12月10日月曜日

冬の星座

冬の大三角
 今朝のラジオで「冬の星座」を聞いた。小学生の頃、この歌の歌詞はとても難解で、といっても姉からの口移しで覚えたのだが、何回(ダジャレです)聞いても理解不能で「ものみないこえる」なんて訳が分からないまま、姉のリクエストに応えよく歌った事を覚えている。その他にも「くすしきひかり」や「むきゅうをゆびさす」など、意味不明の歌詞が連なっていたが何故かしらこのメロディーが好きでよく歌った。特に2番の歌詞にある「オリオン舞い立ちスバルはさざめく」などは子供にも何となく理解できた。今なら谷村新司の「昴」に匹敵する歌詞だと思う。
 そんな「冬の星座」だが、中学生の終わり頃、兄の影響で「C&W](カントリーウェスタンソング)が好きになり、ドーナツ盤(レコードの一種です)で聞いた曲に「モリーダーリン」という曲があり、そのメロディーが「冬の星座」そのものだったので驚いた。原曲は題名通り、モリーという女性に「僕以外の男を愛さないでくれ」と切々と歌う「ラブソング」である。小学生が直立不動で歌う歌ではないように思うが、それ以来、私の「C&W」好きは今も続いている。
 先日も堺の老舗甘納豆屋に言った時の事。和菓子屋さんには似合わない「C&W」が流れている。店の女性に訊くと「私、大好きなんです。嫁いできて最初は遠慮してたんですが、最近は(厚かましくなって)店に立っている間はずーっと流しています」と、すっかり話が弾んだ。「C&W」の話になるときりがないので、「冬の星座」に戻す。この難解な歌詞も現代の文明の利器、インターネットで探せば解説付きで出てくる。訳詞者は堀内敬三氏、この人はのど飴で有名な「浅田飴」の創業者の子息だそうです。アメリカ留学の際、音楽と出合い、さまざまな楽譜を持ち帰り、すぐれた訳詞を手がけた。有名なドボルザークの「新世界」の第2楽章「遠き山に日は落ちて」も氏の訳詞、というよりも見事な作詞と言える作品です。「今日のわざをなし終えて」や「いざや楽しきまどいせん」などのくだりは、キャンプファイヤーの定番で、いまでもスラスラと出てくる。
 ここ数日、見事に冴えた冬空が広がっている。今月12日ごろには「ふたご座流星群」が見れるらしい。そして16日には、我々の「ひとつ星」が光り輝きますように。
「モリーダーリン」を歌ったエディーアーノルド

2012年12月7日金曜日

AKB48総選挙と総選挙


  全く興味がないので「AKB48」なるアイドルグループの事は知らないが「AKB48選抜総選挙」なるシステムを考え出した人は凄い人だと思う。この選抜総選挙というシステム、実は100人近いアイドルたちの中からCDシングルに参加する選抜メンバーをファンによる投票で決定する仕組みで、テレビなどのメディアを利用し、投票をイベントとして、プロデュースし、多くの若者を動員する。アイドルの数だけ、ファンも生まれる(1位当選者は10万票を超える)という仕組みは、若者の掌握の仕方としては巧みである。 
 さて、こちらは本家の総選挙である。アイドル並みに何百という訳にはいかないが、それでも浮動票(ファン)を当て込んで沢山の新党が乱立した。先日、ある集会で大学教授が「単一民族国家の日本でこれだけの数の政党が乱立するのはおかしい」と述べられた。
 日本が単一民族国家(正確な)であるかについてはさておき、多民族国家に生じる宗教的対立や人種対立が殆どない、事は確かである。その日本で何を当て込んだか、かくも新党が乱立することは確かにおかしいように思う。そして、新党乱立をあたかも第3極の様に過剰報道するマスメディア(かって2大政党を持ち上げておきながら)もおかしい。
 私にはAKB48の顔を見分けることは出来ないが、選挙権(AKB風に云えば投票権)を得て40数年を経た私の眼には乱立新党の違いは見分けがつかない。「脱原発」の達成年限の違い位しかない様に思う。結局は、古い自民党型政治の枠の中の新党乱立ということではないのか。
 そんな中で、たった「ひとつ」その枠に入らない政党がある。その政党を指して哲学者の鶴見俊輔氏は「北極星のような存在だ」と言った。戦中、戦後、一貫して戦争反対を貫き通した政党、そのぶれない姿勢を、天空の一点を守る北極星になぞらえたと云う事であろう。北極星の異名は「ひとつ星」もっと、もっと、光り輝いて欲しい。