2011年10月31日月曜日

河内おんな がんばる!

 退職者の会、恒例の「少しハイキングとちょこっと酒蔵巡り」で、古市の里の史跡めぐりと河内ワイン蔵見学に行った。
 羽曳野の駒ヶ谷付近は昔からブドウ栽培が盛んな処で昭和初期には生産高日本一にもなったがその頃、室戸台風の直撃にあい、ブドウ棚は大被害を受けた。これを契機に農業振興策としてワインづくりを提唱し実践したのが「河内ワイン」の創始者、金銅氏だという。
 当日、ワイン蔵の案内とワインのミニセミナーを開いてくれたのがその創始者の3代目の奥さん、3代目の御主人が働き盛りで亡くなられ、その後、必死でワインを勉強し、ソムリエの資格も取られたとか、さらに凄いのが本場フランスをはじめ、世界各地のワイナリーをめぐり、日本の羽曳野の地に適したブドウ栽培の方法や、樽の材質にも工夫を凝らすなど、今やっと、認められてきたところだと、サラっとおっしゃる。
 今は息子さんが代表をつとめ、彼女は専務として支えながら、日仏交流で毎年パリで、「フランス語による落語」を披露しに行っているとか、さすが、河内おんなのがんばりを見た思いがした。
 そうそう、試飲した河内ワイン、正直言って、驚いた。今まで飲んだ、どのワインにも無い(恥ずかしいくらいのワイン歴しかないが、) 独特の香りがした。重く、どっしりとした、例えて言うなら「古武士」のような、醤油顔のワインという感じがした。(間違っているかも知れまへん、あくまで私個人の感想ですのであしからず。)

2011年10月22日土曜日

民意とは何か?

 昨日、ひょんな事から、ある集会に参加した。大阪革新懇が主催する「意見交換シリーズ」第3弾、橋下・維新の会が強行した府議会「議員定数削減」の狙いとは、が今回のテーマ。
 気軽な気持ちで参加したが会場のメンバーを見て驚いた。よく存じ上げている共産党の元国会議員や憲法学者、そして労働組合のOBや地域の活動家などなど、そんな中に、若い女性が一人参加していた。本人さん曰く、けっこう歳いってます、との事だったが講師の西弁護士の話の後、意見交換会で、なみ居るメンバーに臆せず発言していた。
 私が興味を持ったのは、この集会を知ったいきさつだった。やはりインターネットだった。西弁護士のブログサイトから調べたとの事、参加者一同「うーん」と頷くばかり、続けて「例えば皆さんは、集会に参加される時、旗を持っていかれる、でも私には旗(組織に属していない、の意か)が無いので風船を持っていく」と。またまた、「うーん」である。
 以前ブログに書いた「原発ゼロ」の集会に風船とタンバリンを持って参加し、遠巻きに見られた(気分的には)事を思い出した。
 会場の参加者は、ほぼ全員、この若い女性の倍近くの年齢だと思うが多いに感化されたようだった。
 で、肝心の講師の話、非常に分かりやすい内容だった。橋下・維新の会の錦の御旗「民意」とは?数の力で押し切った議員定数削減とは?そして、圧巻というか、ショックだったのは削減後の議席シュミレーション(写真)だ。維新の会は得票率40%でも6割の議席を占有し、公明党以下すべての政党が占有率を減らす、共産党は得票率10%でも議席は2、下手をすると議席0の可能性もあるという。
 シュミレーションとはいえ、国政選挙(1994年の政治改革・選挙制度の改悪以降の)の結果を見れば「そんな事には、」といってられないと、そんな気持ちになった集会だった。

2011年10月18日火曜日

堺まつりでテンションUP!

 久しぶりに「堺まつり」へ、38回目、という事は昭和48年からやっていたという事?記憶にないなー。
 今、堺市が面白い、橋下維新の「大阪都構想」の中で意地を見せている。昔の「堺県」の意地を発揮したれ!である。
 で、堺まつりのクライマックスがふとん太鼓のパレードである。
10台の太鼓台が房を揺らしながら大小路通りを担がれていく。  写真の太鼓は「西湊」の太鼓で布団の下の小屋根が特徴の「堺型」の布団太鼓である。
 百舌鳥八幡の布団太鼓のような派手さはないが、伝統を守ったしっかりした太鼓だった。10台の中には担ぎ手がか細い若者が中心の太鼓もあり、スタート直後から大きく蛇行し、見物客もどよめく太鼓台もあり、時代の流れを感じる。
 パレードから離れ、懐かしい山之口商店街の筋へ、菅原神社、開口神社、浪花亭も繁盛していた。肉桂餅の「八百源」も「元祖小嶋屋」も健在だった。お土産は、唯一、開店していた「丸市」の斗々屋饅頭(ミニサイズ)を買って帰った。
 がんばれ!堺。

2011年10月12日水曜日

トトロにも原発の手が

 今朝の新聞「赤旗」にスタジオジブリの名プロデューサー鈴木さんが登場。「ジブリの哲学」という本を出版した思いを語っている。
 インタビューの中で、少し前、話題になった社屋の屋上に懸けた横断幕の事を語っている。宮崎監督は「原発はプロメテウスの火だ」と語り、鈴木プロデューサーも「原発というのは完成していないシステム」と認識していたという。
 以前ブログにも書いたが「鉄腕アトム」を原発推進に利用したい電力業界の手が伸びたが手塚プロは一切、これを断ってきた、という話。
 似たような話がジブリにも、鈴木さんは一つ一つ、これらの誘いを潰してきたという。「社の方針として原発はだめだ」と貫いてきたという、いずれも、子供に夢を与える、そして、子供の頃の夢を捨てていない大人にも夢を与え続けてきた二つのプロダクションの活躍を祈りたい。

古本まつり

 四天王寺さんの境内で毎年開かれる「大古本まつり」お目当ては、大阪もの、浪花ものである。初版本や明治の頃のモノはかなりの値段、ぐっと我慢して手頃な物を2~3冊買った。
 「浪花おもちゃ風土記」「グラフ大阪・河内編」、面白そうなのは、和多田勝(故六代目松鶴の甥)さんの「大阪三六五日事典」。大阪で起こった事件、事象を現代から浪花の時代にまで行きつ戻りつ、日暦のように書き並べてある。
 例えば、1月1日、(大正四年の)天王寺動物園が開園、とある。明治時代にも博物館の一部として動物檻があったらしいが動物園としてスタートするに際し動物たちの引っ越しが一苦労、「内本町にあった動物檻から大八車にのせ、年の瀬の松屋町筋を運んだ。」と、この調子で12月31日までをエピソードを交え、日記風に綴っていく。一気に読んでしまいそうなので、1日1ページで楽しみながら読んでいこうと思う。
 古本市を見終え、境内を出ようとすると、読経が流れ、人々が行列をしている。受付を見ると、「万灯院紙衣替え」という仏事らしい。お坊さんの笑顔と子供のキョトンとした顔が面白い。

2011年10月7日金曜日

遙かな河内

 我が家のベランダから見える景色は刻々と変化している。写真は金剛山で左は二上山の片割れである。さらに左に転ずると、信貴、生駒と見えていたのがマンションが建ち、今は生駒のアンテナの先しか見えない。
 先月、古本屋で「幻の河内弁」という本を買った。昭和58年発行、筆者は東大阪在住の人である。詳しくは知らないが、コツコツと河内弁を生きた言葉として残そうとしておられる事が良くわかって感動した。
 しっかりと記憶の中に残っている河内弁、今は使われなくなった河内弁、そんなに遠く離れて暮らしているわけではないのに、、写真の河内の山と同じぐらい、懐かしい。 

2011年10月2日日曜日

1年目の秋

 昨晩も少し開けた窓から金木犀の良い香りが部屋に流れ込んできた。朝は、百舌鳥の高鳴きが聞こえる。本格的に秋本番が、、、そういえば友に誘われてブログを開始したのが去年の秋10月だった。
 初めは、ブログって日記みたいなものだろうと思っていたが、読者やら、コメントはないが「見てるよ!」と電話があったりすると、俄然、意識して文章を考えたりしてしまう事が多々ある。どんなスタイルが良いのか、思案中だが、タイトル通り、見かけは、「ほんわか」だが、中味で、「そうそう、ほんと、々」と頷いて貰えるようなモノにしたいと願っている。
 好きな上方芸能・文化を図書館に通ってコツ、コツと綴っていきたいと思う。           好きなパスタの店・姫松の「ラ・パンキーナ」