2017年1月23日月曜日

旧友再会!四匹のオッサン

 
 20数年来音信不通だった友人と再会した。きっかけは一昨年その友人の名前で検索したらFB(フェイスブック)でヒットし、開いてみると正に彼だった。
 でもそのブログ記事は4年ほど前のものでその後更新されていなかった。その後も私の「お気に入り」に入れて、時々覗いていた処、昨年の10月に彼の息子さんの友人(今度会ってわかった事だが)が彼のFBに投稿し、彼が健在だったことがわかった。
 さっそく私への連絡方法を記し、連絡を待った。そして昨年の暮れに連絡が取れ、先週土曜日に「旧友再会」となった。
 彼は高校時代の友人で当時特に仲の良かった5人で社会人になってもよく遊びまわっていた。そんな彼との連絡が突然取れなくなった。理由はわからなかった。今回再開することになって事前に時々会っていた大阪3人組の二人には「本人が言うまで詮索しない」と打ち合わせていた。
 当日、私たち大阪組3人(彼は滋賀県に住んでいる)が集合場所で待っているとボソッと彼が現れた。私たちが最初に発した言葉は「変わっとらんな~」だった。まるで20数年前の姿そのままタイムスリップして現れたようだった。
 予約しておいたGフロントOSAKAのレストランで乾杯となったが皆の聞きたい事を察したか「長い間連絡せず、すまなんだ」と彼が口火を切ってくれたのでお互い近況を語り合うことが出来た。  となると一気に昔の仲間に戻り、私が持っていった当時の写真でさらに盛り上がった。彼の語るところによると、私たちが心配した様な入り組んだ理由があった訳でもなく、定年後の再就職の関係で滋賀県に住むことになり、生来の面倒ぐさがりもあって連絡を取らなかった、というような事だった。
 仲の良かった5人組と言ったがそのうちの1人は58歳で亡くなったのだが彼に知らせようにも連絡が取れず、今回そのことを知った彼もショックだったようである。そんな事もあり、いきおい話の中心は自分の病気歴や健康問題になり、その都度「もうちょっと前向きの話をしようよ」と水を向けるのだがそこに戻ってしまう。まあそれも仕方がないかと思いグラスを傾けつつ話は2時間近く続いた。
 そんな話の中で彼の奥さんが6年前に亡くなっていたこと、闘病中は彼が家事を引き受けていたことも知って驚いた。若い頃の彼は超が付く面倒ぐさがりで有名だったからである。でも今は亡くなった奥さんの言い付け、遺言を守り、老いた猫と自活生活を送っていると言った。
 彼は今、大阪に住む息子さんの仕事の手伝い(実態は一人暮らしの父親のボケ防止、様子見の為、)毎週大阪に通うことを約束させられていると少し嬉しそうに言い、「定期的に会おうよ」と約束して帰っていった。年寄り四匹のオッサン達、そんなに先があるわけでもない、年に何回か寄り集まり杯を交わすのも悪くはないと微笑んで見送った。
      
       再会の機会を与えてくれたFBに感謝!
 


2017年1月19日木曜日

甘い期待

 
  堺の友人との用事を済ませ、阪堺電車に乗り天王寺まで帰ろうと思ったが急に和菓子が食べたくなり丸市菓子の「斗々屋茶碗」と八百源来弘堂の「肉桂餅」を買って帰った。
  両店とも堺の山之口商店街の通り筋ではあるがかなり離れていて歩くと1015分ぐらいある。お昼に食べた「ちく満」の蕎麦1斤半がまだ胃の中で熱燗と交じり合っているので腹ごなしに歩くことにした。
  丸市菓子の銘菓「斗々屋茶碗」は千利休が愛用した茶椀「斗々屋」の形を写したものである。利休が堺の魚屋の棚にあるのを見つけて茶事に使ったという説があり、写真のように「魚屋」の焼き印がある。これは小さな一口サイズだが実物は茶碗と同じサイズ(15cm位)で一人では食べきれない。
  八百源の「肉桂餅」は私の好きな和菓子の一つで粒あんを包んだ羽二重餅の柔らかさが何とも言えない口触りである。歯で噛み切るより唇で柔らかく噛み切る様に食べる方が味わい深い。早く帰って熱いお茶で食べよう。
 妙国寺停留所(私は敢えて駅とは呼ばない)からチン電に乗った。心地よい横揺れがたまらない。


八百源の肉桂餅


丸市の「魚屋」饅頭

2017年1月15日日曜日

冬場の団扇

 朝起きてカーテンを開けると、朝日の眩しさ以上のきらめきが眼に入った。
 隣のマンションの駐車場では、おじいさんと孫の雪合戦が始まっていた。薄く積もった雪を手で掻き集めた跡が微笑ましい。
 で、2枚目の写真だが団扇があって夏の写真か?と思われるかも知れないが先日行った池田の「吾妻」というおうどん屋さんの店内の様子である。嫁はんの防寒着とマフラーが冬のこの時期である証拠だ。
 冬場なのになぜ団扇が?此処の名物が「ささめうどん」である。細打ちのうどんにきざみ揚げ、きざみ塩昆布、かまぼこ、と至ってシンプルなかやくだが最大の特徴が団扇の元となるアツアツの餡かけつゆとその上にのったおろし生姜である。
 昨今流行りの激辛ラーメンのような喉を傷めるような辛さで汗をかくのではなく、身体の内からじんわりと暖かくなり、汗が出てくる。そこで冬でも団扇の登場となるのである。
 ブログなどには大阪最古のうどん屋さんとあり、以前は下の写真の店の角の軒先に風情のある緑青の浮いた吊り行灯がぶら下がっていたのだが、かなり傷んでおり、もし落ちて怪我でもさせたらと取り外してあると言っておられた。 


2017年1月13日金曜日

陽だまりの雀

  マンションの大規模修繕工事も終盤に入り、南側のべランダのフェンスも取れて雀たちも帰って来ている。
 昨日は朝日を浴びて行儀よく一列に並んで朝食のパン屑を待っていた。
    どれも同じようではあるが頭の後ろの羽毛が逆立っているのや角刈りのように角ばった格好のものもいる(この写真には写っていないが。)
 
 朝が早かったのか下の三羽はまだウトウトしているようだ。
 

2017年1月1日日曜日

     
      明けましておめでとうございます。

       本年もよろしくお願いします。

   私の義父、札ノ辻陸結 九十七歳が画きました。