2019年3月29日金曜日

がんばれ!小さな本屋さん


 
毎日新聞313日の朝刊、「特集ワイド」で「ヘイト本『慣例』が後押し」という興味深い記事が載った。私の興味を引いた理由は二つある。

一つは近頃書店の目立つ場所にうず高く積まれた保守系雑誌(こういうジャンルで呼ばれているらしい)の存在である。派手な色使いとどぎつい表現で嫌韓、嫌中の言葉が散りばめられこの種の本は「ヘイト本」というらしいが「いったい誰が買うのだろうか?本当に売れているのだろうか?」と思って眺めていた。

記事の内容はこうしたヘイト本が小さな書店にまで並ぶ背景を明かしている。大阪市内の小さな書店にある日、取次店から2年も前に発行された保守系月刊誌が届いた。店主は注文もしていない本が届いた事に驚き、こうした注文もしない本が配本される仕組みについて実態を明かし、小さな書店が置かれている現状をフェイスブックに投稿した。

その仕組みというのは、出版界は書籍を発行する出版社、取次店、書店が三位一体をなしている。だが実態は、中小書店の力関係が三者の中では特に弱く、取次店と書店の間では「見計らい」という慣例、習慣があり、取次店が勝手に在庫(本)を押し付けてくるという、こうした仕組みを通して注文もしないヘイト本やニーズが見込めない古い本が来ることがあるということだ。
いらない本でも取次店からは即代金を請求され支払わなければならず、返本すれば代金は戻るが2か月後になるという仕組みにも問題があると指摘している。

こうした本は、沖縄・尖閣諸島の国有化(2012年)頃から全国の書店で目立つようになったという事だが、こうした本を書き、出版し、書店で売ることは表現の自由ではあるのだろうが民族差別を煽る表現は果たして許されるものなのだろうか。
そして私が大いに疑問に思っているのは、こうした本が公立の図書館に並んでいるという事実だ。どういう本を購入し、並べるかはそれぞれの図書館の基準というものがあるのだろうが、どこかからの圧力がかかってはしないかと思うのは考え過ぎだろうか?
 
 もう一つの興味がこの「見計らい」という慣習をフェイスブックに投稿し問題提起した書店主の二村さんという女性である。大阪市内にある小さな書店「隆祥館書店」という名前に見覚えがある。
昔、私が勤務していた法円坂の庁舎に出入りされていた本屋のおっちゃんの店である。
 記事によれば先代店主の二村義明さんは既に亡くなられておられて今は投稿の主である娘さんが跡を継いでおられるということだ。

  がんばれ!小さな本屋さん。

2019年3月10日日曜日

奇跡の復活ならず!


奇跡の復活はならなかった。

正月以降の平穏な病状から6月6日の百歳の誕生日もあり得ると思っていたのだが。

先週の月曜日に主治医から肺炎の症状が進んでおり予断を許さない状態だ、と告げられて覚悟はしていたが毎日見舞いに行って帰ってくる嫁はんの報告では「酸素マスクをつけ呼吸も荒いが時々目を開け問いかけに頷いたりしている」という事で、もしや奇跡の復活もあるのではと期待もしていた。
 しかし、意識があるうえ、熱もあり、荒い呼吸の義父を見ているとこれ以上の頑張りを求めるのは忍びず「ガンバレ!」とは云えなかった。

2年前の6月6日の私のブログ「見守り(ゆるやか介護)の日々」に書いた様に、私が「98歳になって思うことは何ですか?」とホワイトボードで訊ねると「長生きするのも現状で十分」と書いていた事を思い出し、大正、昭和、平成を生きた義父に「ありがとう、立派な人生でしたね!」言ってあげたい。

 これまで年賀状に使わせてもらった絵手紙だがデイサービスのファイルの中から写真の絵手紙が見つかった。最期は言葉も交わせなかったが「ありがとう」の笑顔の絵文字がエンディング・メッセージだと思いたい。