2014年1月29日水曜日

わが青春のフォークソング

 少々子供っぽいタイトルだが、まさに私の青春の大きな部分を占めたのがフォークソングだった。その昔、兄の影響でトランジスターラジオから流れるアメリカンポップスに期末テストの勉強も手につかず、親に判らぬようにイヤホーン、(当時ヘッドホーンなんていう物は無かった)を耳に、電リク(ラジオの電話リクエスト)のベストテンを書き綴っていた。そんな時代を少し過ぎたころ、アメリカンフォークソングというジャンルで「花はどこへ行った」という歌が流行った。 私が聴いたのはキングストン・トリオやPPM(ピーター・ポール&マリー)など当時モダンフォークと云われたジャンルの人たちの洗練された歌声だった。そしてこの歌がピートシーガーというおじさんが作った歌だという事を知った。 そのピートシーガーが亡くなった。1919年生まれ95歳、老衰でと新聞は報じている。私がこの歌を聴いた、というより下手なギターをかき鳴らし歌ったのは1970年代、労働組合の青年部の頃で、それまでこの歌がいわゆる反戦歌であることを知らなかった。その彼が、若い頃、アメリカ共産党の党員であり、そのことで1950年代初頭のアメリカ下院での「赤狩り」と云われた反共攻撃にさらされた事、下院委員会での証言拒否で有罪判決を受けた事なども今回初めて知った。当時、マッカーシー旋風と云われた反共攻撃が行われ、ハリウッドを中心に著名な脚本家や俳優が数多くハリウッドから追放(映画「ジョニーは戦場に行った」で有名なダルトン・トランボ監督など)され、彼もまたそのブラックリストに挙げられた一人だったが
その後も、アメリカ公民権運動のシンボルソングとなった「We shall overcome」などを作り続け、晩年も環境運動などを続けたという。(Wikipedia)
偉大なる先駆者に黙祷。

2014年1月26日日曜日

親の情け

いろいろと用事が重なって、延び延びにしていた文楽初春公演を観に行ってきた。演目は第1部(午前)が 初春らしく「二人禿」で幕開き。本目は第1部が「源平布引滝(げんぺいぬのびきのたき)」と「傾城恋飛脚(けいせいこいびきゃく)」、2部が「近頃河原の達引(ちかごろかわらのたてびき)」と「檀浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)」である。「檀浦・・」の阿古屋(平景清の愛人で絶世の美女)の艶姿を見たかったが夕方からの予定もあったので「恋飛脚」の梅川(大坂新町槌屋の遊女)の美しさを選んだ。お馴染み、近松の名作「冥途の飛脚」の人形浄瑠璃版であるが主人公の梅川と忠兵衛の黒縮緬の衣装と相まって文楽人形最高の美しさだと思っている。
 あらかたの筋は知っておられるかもしれないが、今回の「新口村の段」は飛脚問屋の主人の身でありながら、馴染の遊女、梅川の身請けの為に公金を使い込んでしまい、実父の在所、新口村に逃れていく。親戚の家に潜んでいると外を父親の孫右衛門が通りかかり、道端で転んで足を怪我する。それを見た梅川が思わず駆け寄り嫁の身を隠し介抱するのだが、これが倅の嫁かと察した孫右衛門が、身内から罪人を出した身の不幸を嘆きつつ、しかし罪人なれど一目会いたい心の内を明かす。
 『どうぞ親の目にかからぬところで縄掛かってくれ、よ。エゝ現在血を
分けた子に早う死ねと教へるも、浮世の義理か是非もなや。なぜ前方に内証でかうヘした傾城にかうした訳で金が要ると、便宜でもしをつたら久離切っても親ぢゃもの。隠居の田地を売り立てても首縄は掛けまいに。・・・エゝ憎いやつぢゃと思えども、可愛うござる』と泣き沈み分けたる、血筋ぞ哀れなる。(床本より)」と豊竹嶋大夫が切々と語る。まさに浪花の情感溢れる名場面だ。
 当日は千穐楽の前日の土曜日とあって、ほぼ満席であったが、あと1日の満席の観客数を入れても大阪市の補助金満額支給は難しそうだ。親子の情につまされ、浪花の伝統芸能に酔った後に、お金の心配をするのは何とも「ざん無い」話ではないか。市長さん、あんさんには、孫右衛門さんほどの情けもないのか。

2014年1月12日日曜日

一日里帰り

 二日前に知って急きょ、伊丹空港に出かけた。全日空(ANA)のジャンボ機が1日だけ、伊丹空港に帰ってくるという-題して《2014年1月12日ボーイング747伊丹空港飛来》。今年3月末の退役(JALはすでに全機退役)を前に、地元住民を乗せて遊覧飛行するという事になり(この事もまったく知らなかったが)今朝早く羽田から伊丹入りしていたのだ。大変な混雑が見込まれると予想したので2時過ぎのフライトだが早めに出かけた。11時過ぎに展望デッキに着くと既にこれだけの人が。待つこと1時間強、午後12時過ぎ、空港南の端の全日空の格納庫から懐かしい機体が牽引車に引かれ皆の前をゆっくりと移動していく。
 空港周辺の騒音対策としてジャンボのような大型機が伊丹から消えておよそ7年、誕生当時は頭でっかちの不細工な機体と思っていたが久しぶりに見ると妙に愛嬌のある機体に思えてくる。
この後、人数は3倍に!
 私の飛行機初体験は、日航のダグラスDC-8というジェット旅客機(伊丹-札幌)だった。「空の貴婦人」と呼ばれたその機体は、スマートでかっこよかった。しかし最新のジェット旅客機に比べて、ものすごい爆音と、黒い排気ガスを残して飛び立つ姿は、とても「貴婦人」とは言えなかったが今もファン倶楽部があり、何機かはチャーター専用機として飛んでいるらしい。そんなジェット旅客機も時代の変遷とともに「燃費と経費の効率化」第一になり、デザイン重視から効率重視、安全第一から利益重視の結果、コックピット内の乗員の内、機関士を減らしコンピューターに、そして、ウソのような割安料金で格安航空会社が乱立した。

  ここ十数年、日航ジャンボ機事故のような大事故は起こっていないが、格安航空などは、どこかで無理をしているのではないかと心配している。現に、会社再建のためと云って大量解雇されたJALの組合員は、整備点検の不安を訴えている。何百人という人命を預かる航空会社は何よりも安全を第一に考えてほしいと思う。話はそれたが、かってのジェット旅客機は人間、パイロットが操縦した。今はそのほとんどをコンピューターが制御する。映画「紅の豚」の“ポルコ„のような操縦士に男のロマンを感じる。
間近に見るとやはりデカい

2014年1月7日火曜日

白馬に願い、むべなるかな

美空ひばりの歌に「あの丘越えて」という歌があり、その歌詞の1番の中に「馬の背中に眼をさまし イヤッホーイヤッホー」というのがある。
 今日、京都・上賀茂神社の「青馬の節会」(正式には「白馬奏覧神事(はくばそうらんじんじ)」というらしい)に参拝した。年の初めに白馬(青馬)をみると一年の邪気が払われるという「青馬の節会(宮中の儀式)」を神事化したものらしい。神馬は、本殿の周囲を3周し、その後を参拝客がぞろぞろと付いていく。係の神官が馬の後ろに付かないように注意するのだが参拝客は増えるばかり。しかし、この神馬は非常におとなしく、神殿の前では神官に習ってお辞儀までした。私もしっかりと白馬(青馬)を眼に焼き付け一年の無事を祈った。ところで白馬をなぜ青馬と呼ぶのか?諸説いろいろあるようだが私的には昔から馬の名前は「あお」で、犬は「ポチ」、猫は「たま」やろうという感覚で思っている。その証拠に「まんが日本昔話」に出てくる馬の話で常田富士男さんは、あのやさしい声で「アオや」と呼んでいた。そして子供のころに聞いた冒頭の美空ひばりの歌である。
 「山の牧場の 夕暮れに
  雁が飛んでる ただ一羽
  私もひとり ただひとり
  馬の背中に 眼をさまし
  イヤッホーイヤッホー」(作詞-菊田一夫)と唄う。
 この歌詞の「馬の背中に」の馬のところをひばりは「あお」の背中に、と唄っているのである。お疑いの方はyoutubeで聴いてください、間違いありません。(そんなに力を入れるほどの事でもないか)まあ、馬の毛並みが青いか、白いかに関係なく、庶民の暮らしに結び付いた馬を「あお」と呼んだのかもしれない。その程度の事と理解しておきたい。
 神事を見終え、境内で「七草粥」をいただき、神社横の漬物屋さんで「すぐき」を買って出ると、向かいの社家の一軒の庭先に赤い実をつけた木が植わっていて、小さな札に「郁子(むべ)」と書いてある。眺めていると家の人が「これが『むべなるかな』の郁子ですよ」と教えてくれた。
白い神馬を見て、赤い郁子の実を見たのであるから、今年は良いことがあるのではと思いたい。

2014年1月3日金曜日

本年もよろしくお願いします。

大阪張り子   峯 嘉武 作
あけましておめでとうございます。

 今年の正月三が日は穏やかな天気に恵まれ、わが家の新年恒例行事も無事済んだ。元日は近所のお不動さんに初参り、2日は実家の新年会、例によって兄弟、子供、従妹が24人も集まった。そして今日は、93歳で一人暮らしの義父の家におよばれ、お盆以来の孫との再会が何よりのお年玉であり、かつ元気の素になると言っている。7日には上賀茂神社の「青馬の節会」を参拝し一年の無事と諸々のお願い事をするつもりである。
       今年もよろしくお願いいたします。