2013年8月28日水曜日

監視カメラと云うべきでは

私の好きなテレビ番組に「科捜研の女」というのがある。永遠のアイドル沢口靖子が犯罪捜査に活躍するサスペンスドラマである。このドラマで活躍するのが「防犯カメラ」で,犯人の逃走経路や犯人特定のカギを握るという筋立てである。
 そんなドラマがドラマの世界だけでないことを「毎日」の記事で知った。「ホシ追う無数の目」-防犯カメラ最前線という記事だ。ある民間企業の技術者だった人が「民間の技術を捜査に生かす」という求人広告がきっかけて科捜研に転職し試行錯誤しながら防犯カメラの画像分析で成果を挙げる、という内容だった。
 実は私にも「防犯カメラ」について小さな経験がある。何年か前、いつも利用(月極でパスを持っていた)する駅の駐輪場、入り口付近で係員のオジサンが倒れているではないか、驚いて声をかけたが、いびきをかいて反応がない。明らかに脳梗塞か脳出血の症状だ。そのうち何人かの客も集まり、携帯電話で救急車の手配をしてもらい、私は他の係員をさがしたが事務所には誰もいない。中に入って電話で緊急連絡先に連絡しすぐ来てもらうよう依頼した。間もなく救急車が到着し、オジサンは病院に運ばれて行った。
 それから2~3日していつものように駐輪場から出ようとすると、事務所の中から顔なじみのオジサンが出てきて「〇〇さん、この前は有難うございました。お蔭で△△さんも症状は軽く、また現場復帰できそうです、本当に助かりました」と礼を述べた。あの時は私も他の人も救急車が走り出したのを見て、それぞれ駅に向かったハズ、名前も告げていなかったハズ、と思いつつ「え~なんで私やとわかりました?」と聞いてみた。すると顔なじみのオジサンは、「事務所の中の防犯カメラに皆さんの様子が写っていましたので、〇〇さんやとわかったんです」と答えた。「へぇーそうなんですか、軽く済んでよかったですね」と言って帰宅し、夕食時に「こんな事があってん」と話題にして、その時はそれで終わった。その後、毎日のように駐輪場の窓口を通るたびに、事務所の中に防犯カメラがあり、ずーっと監視しているのか、と思うと自分の何気ない行動も誰かに見られているという、何か「もやもや」した気持ちがおこるのを覚えた。
 「毎日」の記事は、犯人逮捕に役立っていることの半面、監視社会への懸念も提示している。ある弁護士は「犯罪者じゃないから(見られても)私には関係ない、と思考停止している」と警告を発している。私の「もやもや」した気持ちが、ここ、にあったのだと記事を読んで理解した。今も防犯カメラの設置は自治体や、街の自治会からの要望で増加しているという。「防犯カメラ」という名前からは犯罪の抑止に資するという役目があり、ここに設置してますよ、と万引き防止に役立っているうちはいいだろう。しかし「防犯」から「監視」という「眼」になった時が怖い。国民総背番号制や監視カメラの増加という制度の行きつく先は、国民の自由と、民主主義が脅かされる社会であろう。もうそろそろ、私たちも「関係ないわー」と思わずに、画一的に「防犯カメラ」という言い方はやめて、「監視カメラ」という言い方もあるという事をはっきりさせるべきではないだろうか。

2013年8月18日日曜日

終戦記念日の頃

今年は酷暑の影響で、毎年恒例の実家での、お盆の集まりは延期になった。今年は秋に父の33回忌の法事があるので、そこに集まれば、という事になった。
 兄弟、子供、従妹らで総勢20数名が集まるわけだから世話をしてくれる高齢の兄夫婦にも配慮しなければならないと思う。で、今年は私一人で墓参りに行き、そのついでに両親や祖母、兄弟の古い写真を整理してみた。
 母親の箪笥の中に残っていた古いアルバムや紙の菓子箱に無造作に入れてあった写真がかなり見つかった。そんな中の一枚がこの写真である。隣ん家のお姉ちゃんと写っているのが私。昭和25,6年ごろ、3~4歳であろうか、左手に持っているのは「ふかし芋」。何枚か同じ頃の写真があったがどの写真にも手に芋を持った私が写っている。好物という訳ではなく、お腹がすけば芋を食べていたように思う。というか、甘いものと云えばそんな物しか無かったのではないだろうか。当時、もう少し大きい子供たちは、八尾飛行場に進駐していた米兵のばら撒くチョコレートに群がったという。校長が「情けない」と泣いたという話も後になって聞いた。
 戦後の物のない時代、河内の我が家の周辺は、半農半工場地帯で祖母は木津や笠置辺りまで買い出しに行った。無事ヤミ米を手に入れた帰りの列車に警官が乗り込んできて、捕まる前に泣く泣く、ヤミ米を汽車の窓から捨てた事などよく話していた。
 写真に戻って、当時の子供は夏は「ランニングシャツに短パン」が正装で私のような小さい子供はパンツ姿で走り回っていたような気がする。また当時の夏は暑いには暑いが、夕立が降り、朝はそこそこ涼しかった。その証拠には、夏休みの宿題を「朝の涼しい内にやっときや!」が母親の決まり文句だった。
 昭和21年生まれの私に当然戦争の記憶はなく、戦後の貧しい生活の記憶も祖母等から聞く位のものだったが、たった一つ強烈に覚えているのが姉が経験した8月15日の出来事、敗戦を知った近所のおばあさんが出刃包丁を持って「残念や~死んだる!て言うて、叫んだはった、怖かった」という話だ。今年は戦後67年、同じ年を生きてきた者にとって殊のほかつらい暑さではあるが秋には「堺」で大事なたたかいがある。まだへたばる訳にはいかないと思っている。
                      残暑お見舞い申し上げます。

2013年8月2日金曜日

ネット選挙元年

私的には、未だ参院選の興奮が冷めない今日この頃だが、31日付の「毎日」が面白い調査結果を報じていた。毎日新聞と立命館大は、参院選で解禁されたインターネット選挙運動(ネット選挙)が当落に与えた影響を分析した。その結果、ネット上の運動量と得票数の間には相関は認められず、ネット選挙は大勢に影響しなかった、と言えるとした。
 確かに「ネット選挙の解禁!」と騒がれた今回の参院選だったが、宣伝不足と「なーんだ、ネットで投票出来ないじゃん!」と白けた若者も多く「影響な」、との評価が一般的のようだ。ただし、改選3議席から8議席に躍進した共産党に限ればツイッターを活用した「ネット効果」がデーターに表れたとしている。どういう事だろう?。
 今回、解禁された「ネット選挙」運動とは、候補者や支援者・団体が「ツイッター」や「ブログ」等に政策や運動の紹介が自由に出来るという事だったと私的には解釈している。発表された分析の基準の一つが候補者の「ツィート」とこれに対する利用者(今回は有権者とする)からの「リツィート」(反応の書き込み)の数である。共産党の当選者の「リツィート」数は、自民党や民主党の候補者の「リツィート」数を大きく上回ったという事である。ただし、自民や民主、諸派の候補者の中にも、「リツィート」を多く得た人もいたが落選組もいて、当落と関連付けるデーターは『共産党』を除き、得られなかったというのが結論のようだが、う~ん、どうも消化不良の結論である。これって数や、量の問題ではなく、「中身」の問題ではないのだろうか。
 長時間残業や、手当なしの時間外勤務に苦しむ非正規の若者がネットで「ブラック企業」と検索すると、これと闘う「日本共産党」がヒットし、一票を入れたという話を聞いた。そんな若者が同じ苦しみを持つ仲間に「ツィート」する、そしてそれが広がっていく、これを拡散というらしいが、他の候補者や政党には若者の悩みに応える「中身」がなく「宣伝」だけの「ネット選挙」に終わってしまったのではないだろうか。国民の願いに真面目に応える政党を選ぶことは「ネット選挙」でも可能であることを示したように思う。そんな「ネット選挙」元年だったのでは。
 しかし、次の選挙までには「共産党だけが得するようなネット選挙はヤメや!」という声が出てきそうな気もするが。