2014年5月27日火曜日

ワタシノスキナ「小さきモノ」

  以前、TVでも紹介され、心待ちにしていた「野口哲哉・武者分類(むしゃぶるい)」展を京都・大山崎山荘美術館に見に行った。
 野口哲哉さんは、私の好きな「小さきモノ」の具現者である。著作権の関係でブログ上の写真は「保存禁止」の措置が取られているのでその精緻な仕事ぶりは紹介できないが、彼の仕事の素晴らしい処は、単に「精緻」という事にとどまらず、図録の表紙のような「ヘッドフォンを聴く侍」のように、あり得ない現実を、さもあるように表現したり、「視力検査をする侍」のように あり得ない図、と思って目を凝らしてその板絵を見ると、絵の具のはげ具合や板そのものがまるでその時代の板を見つけて書いたような雰囲気を出している。「そんなことがある訳ないやろ」と思いつつ、作者が昔の文献、板絵を参考に作り上げたものではなかろうか?と思ってしまうのである。
 作者の野口さんは中学生の頃、偶然目にした一枚の写真それは幕末期に撮られた甲冑姿の武士の姿だったそうだが映画で見る色鮮やかな甲冑ではなく古ぼけた兜を付けた侍の姿に不思議な感覚を覚えたそうだ。
  SFにも熱中した少年時代であったとも述べている。そこに私が感じたのは、現実と仮想現実が入りまじった世界、まさに「星新一」ワールドではないか。
 そんな表現世界と類まれなる精緻な技巧で作られる身の丈、20センチ足らずの侍のフィギュア-は「有りそうで無い」「無いようで有る」SFの世界に迷いこませる作品群であった。
 おなじ頃、NHKの日曜美術館で放映した「明治の工芸-知られざる超絶技巧」も素晴らしい内容だった。明治時代、世界を驚かせた美術工芸品があった。幕末から明治維新の時代、需要の無くなった甲冑師や刀剣装飾師たちが持ち前の技術を駆使し、「自在物」と呼ばれる金物の置物や写真の牙彫(象牙の細工物)をつくり、世界に活路を見出した。今に伝わる「明珍火箸」の明珍一族もそうした職人集団だったといわれている。
 写真の筍の彫り物は安藤碌山という職人の作品で京都・清水三年坂美術館にあるそうだが何回か訪れているがまだ見たことはない。他にも見事な細工彫りの逸品を残しているがこの人も生没年不詳という事でいかにも職人らしい。筍の皮のうぶ毛やその彩色の見事さは、かの故宮博物館の「翠玉白菜」に勝るとも劣らない逸品だと思う。このような名品が明治維新後、数多く海外に流失したというが残念なことだ。
 
 

2014年5月2日金曜日

消えた屋上遊園地

  メーデーに参加しての帰り道、阪神百貨店の催し場に立ち寄り、ついでに「ホワイトウイング」(紙飛行機)を買おうと思い売り場を探したが無い。近くにいた店員さんに聞くと「無くなりました」と云う。以前は鉄道模型の売り場の横にあったのだが「売り場」ごと無くなっていた。うーむ、困った事になった。
 東急ハンズなどにごく少数売ってはいるのだが、大阪でも最大の品数があったこの売り場だったのに、、、本当に困った事になった。落胆して帰ろうとすると目の前が「屋上庭園」の入り口になっていた。で思い出したのが「大阪最後のデパート屋上遊園地が閉鎖」の新聞記事だった。遊園地の遊具は無くなったが、金魚やペット売り場は残っているのだろうとドアを開けて外に出たが見事に何もない。芝生を植えたサークルの周りに、サラリーマンやおばちゃんが弁当をひろげていた。その新聞記事が載ったのが今年の3月初めだったから、私の記憶の中にある「親子連れがゆっくり遊べる屋上遊園地」のイメージがつい最近まで残っていたことになるが、それも大阪ではついに無くなったのである。そう云えば、大阪に「USJ」とやらが出来た頃から大阪、いや京阪神の遊園地もどんどん寂れ、閉園や規模を縮小して行ったのだった。小さい子供を連れたお父さんは、いったい何処に行っているのだろう?

 友人の様に孫のため、庭に手作りのシーソーを置ける人は良いが、バカ高い入場料を払い、長時間待って心臓に悪いコースターのある遊園地、いやテーマパークに行くしかないのだろうか。かろうじて生き残って頑張っている「ひらぱー」でもかなりのお金はかかるだろう。ゆっくり回るメリーゴーラウンドやゆっくり歩くパンダの乗り物に子供を載せて、大人はベンチで休憩、などという風景は大昔の事になってしまったのだろう。「子供は喜び、大人は安心」という家族連れの遊びの基本は変わっていないと思うのだが、時代は、より高度な「遊び」「喜び」を追い求め、エンターテイメント性の高いモノを提供しようとするのだろう。それは良いのだが、そのために手頃な「遊び」と「場所」が無くなるのは寂しい。
 話は飛躍するが狭い日本に新幹線を走らせるたびにローカル線が間引きされ、廃止されていく。寂しいだけでは済まされない事だと思うのだが、日本という国はこういう間違いを平気でしてしまう、、、。
 
そんな屋上にしっかりとお稲荷さんは残っていた。何故か「ホッ」とした。