2016年12月30日金曜日

来年もよろしく!

  前回、予告していた「木津川計の一人語り劇場」だが奥が深く、なかなか書けないでいる処に長谷やんのブログyamashirodayoriで沖縄で今起こっていることについて鋭い指摘があった。
 「安倍政権の姿勢には対米従属だけでなく、沖縄の人々に対する差別意識がある」、「それの批判をしないというのは間接的ではあるが加害行為に手を貸していることになる」。
 「原発問題しかり、いじめ問題しかり、見て見ぬふりこそ現代日本の病巣ではないだろうか。「見て見ぬふり」!どうすれば法律以前に倫理がある社会ができるのだろうか。」というものであった。
 そして今朝の毎日新聞の投書欄に、安倍首相の憲法改悪への姿勢を見て、「ただ腹が立つというだけでなく、考えを文章にまとめ、投稿も始めた。選挙の投票だけが自分の責任だと思い、欠かしてこなかったが、もうそれだけではいけない世の中になっていると思う。~しっかり勉強して、自分にできることをしていきたい」という内容だった。
 実は今回、私が書きたい木津川さんの「一人語り劇場」は日本の戦争映画の名作「私は貝になりたい」である。木津川さんはこの映画の核心部分について清水豊松という小さな町の散髪屋の主人公が戦争裁判の不条理、不合理を嘆き、恨みながらC級戦犯として絞首刑に処せられるのであるが豊松は嘆き悲しむ中で自分は上官の命令に従ったまでで、戦争犯罪について何ら関係していない、と恨みを残し、ついには一切の関わりあいのない深い海の底の貝になりたいと遺書に書くのである。
 そして木津川さんはこの映画の核心として「そこには「不作為の作為」が存在していたのでは」と語る。(語りの中で木津川さんのこの結論部分に至るまでには反ナチの闘いを描いた映画「ロベレ将軍」との対比など、もっと深く長い考察があるのだがそこのところはいづれ書きたいと思う)
 偶然にも同じ思考に触れ大いに考えさせられた年の瀬である。

   今年の年末のご挨拶はこれにて(腰痛が悪化しそうな気配で)
   よいお年を!
           聖観音立像がお守りします。


2016年12月23日金曜日

国会質問と語りの名手登場!

   先週の土曜日、大阪革新懇主催の「太平洋戦争開戦76年目今あらためて『平和』を考える府民のつどい」という少々長い標題の集会が開かれた。
 カジノ法案の国会質問で話題を呼んだ「大門みきし議員」と「一人語り劇場」で人気を博す木津川計さんという出演者であるから会場はパイプ椅子が並ぶほどの盛況だった。
 大門さんの国会報告と木津川さんの一人語り劇場は、戦争の悲惨さを見事に描いた「私は貝になりたい」だった。
 お二人とも聞き応え、感動満載だったので先ず大門さんの国会報告から紹介する。
 国会は17日まで再延長されたものの、カジノ法案の強行採決とこれに反発した野党が共同提案した安倍内閣不信任案を否決し15日未明で事実上閉会した。
 大門さんは、そもそも何故安倍政権が臨時国会でTPP、年金カット、カジノの三大悪法を強行したのか、というところから入り、その最終目的は「憲法改悪」に行きつく。安倍首相の祖父、岸信介の果たせなかった野望である「憲法改定」にある。自公内閣と補完勢力である日本維新の会の暴走政治を倒すには野党共闘しかない。
 と結ばれたのだがそこは国会質問の名手、大門さんであるから例えばTPP承認問題についても「これはアメリカの大企業が日本市場を狙ってのこと、農業問題だけでなく、医療、社会保障制度に大きな悪影響を及ぼす、介護サービスの内容なども様変わりすることになります、と指摘した上で、大門さんのお身内の要介護者の生前のエピソードも話され「どうも私が見舞いに行くと私をお医者さんだと間違っているらしく、有難うと頭を下げるので、私もハイハイと言って、脈をとってあげましたが」とサラリとおっしゃった。
 またカジノ法案で大門さんと清水議員が持統天皇が賭博禁止令を出したことに触れた国会質問の話では、憲法改悪に力を貸してほしい補完勢力である日本維新の会が大阪でカジノと万博を実現させたいと云っている、そこで維新に恩を売っておこうとの狙いもある。
 そして、「実はこの話は、」と切り出されたのでひょっとして長谷やんのあのツッコミの話が出るのかと思ったが「この話は、持統天皇の前、天武天皇のときから始まる話で、双六遊びに元があって、双六のサイコロ部分だけを使った賭け事になり、天皇周辺の貴族の間に蔓延していった。そこで持統天皇(天武天皇の妻)の世になって、あの時のギャンブル依存症のような状態を苦々しく思っていたので、このサイコロ賭博を禁止にしたのである。
 それから、安倍首相はカジノを含むIR(統合型リゾート整備法案)で経済活性化と言っているが江戸時代末頃にも町中で賭博が流行り、商売に身が入らず、経済が停滞するようなことになった。だから明治維新の後、新政府がまず最初にやった事が「賭博禁止」の施行だった。賭博で経済活性などあり得ないと明快に断じられた。
 タイトルの長い集会にしては、たった30分の国会報告だったが的確、明快そしてユーモアを交えた話は聞き応え十分で胸にストンと落ちた。
 木津川さんの一人語り劇場は次の機会に。



2016年12月14日水曜日

レンタ猫カフェ

 10日のブログで、毎年の年賀状に使っている干支の大阪張り子が手に入らなくなって困った、という事を書いた。
 今年97歳の義父に、最近つくらなくなった年賀状つくりをけしかけ、漸くその気になってもらった処だったからである。
 その義父の日常生活で最近変化があった。嫁はんがいつも行くお絵描きグループの一人が猫を飼っておられて「一度おじいちゃんの相手をさせてみたら」と1泊2日で貸して(こういう場合どう言ったらいいのか分からないが我が家ではレンタ猫と呼んでいる)いただいた。
 これが大ヒットで嫁はんに言わせると「あの父が、、」と、まさに猫なで声で可愛がっているという。なにより近頃は「寝て起きて」の繰り返しのような生活に変化が出て本人も喜んでいるそうだ。
 そして、なんと何と、週2回通っているデイサービスで絵手紙を書いていて「来年の干支の鶏の絵を描いた」と見せてくれた。以前に俳画を少しやっていたが、「まだ上手く描けてないから」と本人は渋ったがこちらはまさに渡りに船、とばかりに借りて来てスキャンし年賀状用に加工した。
 公開は年明けのお楽しみに。
 それにしても、超高齢者の余力と猫の癒し力に救われた歳末である。

               上の写真は大阪梅田の猫カフェの写真です。

2016年12月12日月曜日

歳を重ねる年の暮れ

    今日、大阪市内で用事を済ませての帰り道、地下鉄梅田駅から電車に乗ったのだが、夕方のラッシュ前にも拘らず生憎と座席は埋まっていた。
    特に疲れていた訳でもないので新大阪駅で降りそうな出張帰りのサラリーマン風の男性の前に立った。するとその隣の青年がスッと立ち「どうぞ」と言ってくれた。「えっ」と一瞬思ったものの素直に「ありがとう」と礼を言って座った。
 譲ってくれた青年はドア付近に立ち次の駅でも降りなかったから降りるついでに席を譲ってくれた訳ではないことが判り、心の中でもう一度「ありがとう」と言った。
 実はこの夏の初めごろから電車の中で席を譲られることが2~3回あった。以前ブログにも書いたが人生初めての「席譲られ体験」は、初海外旅行の台湾でのことであった。今よりもまだ少し白髪の頭髪も残っていたし、アゴ髭も白かった所為かもしれないと思っていた。
 しかし最近は頭髪の退行も進み、おしゃれアイテムと称し、常時キャップを被っており白いあご髭だけの外見だけではお年寄りとは判断できないはず、と思っていた。
 となると私の目つきが余程「座りたそ~」だったのか、余程疲れているように見えたのか、などと思いながら暖かい車内でウトウトして気が付くとその青年はもう居なかった。もう一度心の中で「ありがとう」と言った。
 こんな事を経験しながら歳を取っていくのだろう。

    席譲られ マフラー外し 素直に着く

2016年12月10日土曜日

歳末かかりの「どうしたもんじゃろ~」

困った事になった。
 といっても天地がひっくり返る、というような「大事」ではないのだが、毎年の年賀状に使っている干支の張り子が手に入らなくなったのである。毎年お願いしている大阪張り子の造り手の方が「干支の張り子にまで手が回らなくなった」と断りの電話だった。
 もともと大阪の神農さんの張り子の寅を作っておられ、そちらが本業ということなのかも知れないが兎に角、今年は「手がまわらず、すんまへん」という事に相成ってしまった。
困った事になった。
 今年は、97歳の義父に「久しぶりに年賀状を書いたら」とけしかけ、やっとその気になってもらったところである。さあどうしたものか、と骨董市で買った「宋胡録」の鶏の置物と相談している。

 *宋胡録(スンコロク):タイのスコータイ県サワンカローク周辺で
   焼かれた陶器。桃山から江戸時代に日本では香合など茶器
   として茶人、通人に好まれた。