2013年12月31日火曜日

心を込めて一年の感謝を。

2010年10月にブログを始めて4回目の大晦日、今年もいろいろあったが何とか1年の締めくくりを迎えている。
 2011年は「東日本大震災」2012年は「師走の総選挙」そして今年2013年は安倍内閣の暴走政治が勢いを増し秘密保護法の強行採決に見られるように3年間は国政選挙もないと見込んでのやりたい放題となった。しかし、成立はしたものの、連日の国会包囲行動や、広範な国民世論の急速な高まり、大手新聞社を筆頭にテレビ等マスメディアの果敢な批判記事、報道に少なからず、希望が持てた。そして、大阪堺市長選挙で示された市民的共同のたかまりに少しのお手伝いをした者として大いに勇気をいただいた。さて来年は午年、天かける天馬とはいかないが地に脚を着け、一完歩ずつ着実に駆けたいと思う。
 さて、写真は苦悩の人々をその無限の大慈悲の心で包み救うと云われる地蔵菩薩である。と云ってもこの「童地蔵」は嫁はんの作品でそれだけの功徳はないと思うが皆さんの心が「童」のように少しでも和んでいただければ幸いである。来年は良い年でありますように。

2013年12月27日金曜日

う~む、満足、満足(池波正太郎風に)

25日、京都・北野天満宮の「終い天神」に行ってきた。今年は、21日の四天王寺さんの「終い弘法」に行けなかったので 京都まで出かけた。境内と周辺の骨董市はそこそこの賑わいで、買い物もしやすかった。
 嫁はんが「買い物前にお腹に力を入れておきたい」というので境内の「長五郎餅」で熱いお茶と餅を食べた。ここの餅は大阪の「夫婦ぜんざい」のように二つ付いてくる。昼ご飯前とはいえ小さな餅でも二つ食べるとお腹に応えるので一つは紙に包んで持ち帰ることにしている。何よりも熱い煎茶が美味しい。
 私たちの向かいの床几に座ったおばさんが「火が点いてないのかな?」と独り言を言って席を立ったので手炙り火鉢を覗くとちゃんと炭に火は点いている。暫く手をかざしているとゆんわりと温まってくる。手が温まるぐらいの時間をかけ、お茶をいただいたら良いのにな~と思いながら薄暗い店内で一服した。
 勿論、こういう気分のいい時の、あとの買物はいいものが手に入る。私は【根来風のはかま(お銚子の)を対で・500円】を、嫁はんは店主に薦められ、彫刻刀2本と砥石を買った。遅い昼ご飯は「尾張屋」という蕎麦屋で「にしん蕎麦」をぬる燗を飲みながらいただいた。少し池波正太郎の気分になった。

2013年12月8日日曜日

新たな決意を!

6日夜の国会周辺
何が秘密か?もわからないままに「秘密保護法」が成立してしまった。自民・公明のゴリ押しで採決された6日夜、「法案反対!」の人の波が国会を取り囲んだ。TVでこの光景を見て、1960年の安保闘争を思い出した。と云っても当時、私は中学生で国会周辺を埋め尽くすデモ隊を映し出すTV画面を見つめるだけだった。
 その60年安保の時の首相は岸信介、いまの安倍首相の祖父である。後に「昭和の妖怪」と呼ばれた岸首相だが、「日米安保条約改定案」審議に衆参合わせて231時間をかけた。対する孫の安倍首相は今回の「秘密保護法案」の審議には衆参合わせてたったの68時間(いずれも毎日新聞調べ)という異例の短さだった。よほど世論のたかまりが怖かったのであろう。現に、政府関係者が「マスコミが騒いでいるだけ」「さっさと通した方が静かになる」と本音を漏らしている。

60年安保のデモ隊
そのマスコミの姿勢だが、「毎日」6日付の読者投稿欄に『法案反対に身を賭す紙面を』という意見が載った。「民主主義の土台を壊す法案に反対するというだけでは、単に記事を書いて掲載したとしか受け止められない。取材活動で記者が逮捕されても我々は正義のために戦い抜くとなぜ書けないのか」と。これに対して7日付の紙面トップに社説とは別に、主筆が『ひるまず役割を果たす』として「我々はこの法律の前に立ちすくまない。委縮するようなことがあればメディアは健全な民主主義に必要な存在たり得ないと思う。報道の原点を改めて確認し、同時代の記録者としての義務と責任をひるまずに果たしていく」と力強く応えている。 60年安保闘争の時代とは様々なことが変化し、比べようもないが、マスコミを筆頭に、法曹界、言論界、学者、文化人、映画界、宗教者など幅広い分野の人々が「強行採決」の暴挙に怒りを示し、「秘密保護法」反対の声を上げている。そしてそれを多くの国民世論の高まりが支えている。本当に、たたかいは今からだ、と思う。


2013年12月5日木曜日

安倍首相はいよいよ焦ってきているようだ。前回開いた福島県での地方公聴会で、出席した7人全員が「反対」「慎重審議」という意見で賛成は一人もいなかった。なのに、翌日衆議院で強行採決をやった。そして今度は参議院でも地方公聴会の開催を強行採決で決めさいたま市で開催した。共産党以外の野党は欠席し、意見陳述者も3人しか出席しなかった。(賛成2・反対1)いずれにしてもアリバイ作りをバタバタと済ませたという印象は免れない。
 たった2回の地方公聴会、それも「8対2」で圧倒的反対意見だったのに、安倍首相は「国会の中の議論だけでなく、広く国民の皆様の意見を聞いた」としゃーしゃーと述べている。この人には宮崎監督や吉永小百合さんら260人を超す映画人のメッセージ、浅田次郎日本ペンクラブ会長ら多くの作家、ジャーナリスト等から突き付けられたペン先も、そして国民の50%を超える反対の声も聞こえないのだろうか。いや、聞こえているはずだ、そして恐れおののき、この恐怖から一刻も早く逃れたいと焦っているのだろうと思う。国会周辺では3,000人が人間の鎖で国会を包囲した。いかにゴリ押ししようと、国民の包囲から逃れることは出来ない。

2013年11月29日金曜日

干し柿秘密製造法

「秘密保護法案」が衆議院で強行採決(委員会で)され、本会議で多数決で可決された。これから参議院へと舞台は移るが、ややあきらめムードが漂い始めているとも言われているが、世論は活発だ。
 先日大阪の高齢者集会があり講演した森英樹名古屋大学名誉教授はユーモア―を交えながら今回の「秘密保護法案」は安倍首相の憲法改悪の野望に道を開くための法案であり、戦争体験高齢者世代の課題-「『憲法の値打ちの語り部』という歴史的使命が皆さんにはある。第1次安倍内閣の改憲を押し返した高齢者のパワーで今回も迎え撃つ!倍返しだ。」と締めくくられた。東京では連日、デモと集会が行われている。遅ればせながら大阪でも1日に弁護士さんらが中心に集会とパレードが行われる。私も参加し、一声、あげてこようと思う。
 で、お口直しに、今年もつくりました干し柿を使った和菓子。作り方に何の秘密もございません。干し柿を開き中にゆずの皮を巻き込んである。安倍さん食べたかったらレシピをあげます。森大臣にでも作ってもらったら。

2013年11月25日月曜日

「よう、ござりました。」べん、べん。

  先日、文楽11月公演「伊賀越道中双六」を観に行った。それから二日ほどは頭の中で「べ~ん、べ~ん、べん」と太棹三味線の音が鳴り響いていた。ものを言おうとすると、「文語調」のフレーズが頭に浮かぶ。義太夫症候群とでもいおうか、そんな症状がしばらく続いた。云うのも、平成4年以来21年ぶりの「通し狂言」で朝10時半から第1部が始まり途中25分の休憩が2回、10分の休憩が3回入るが、午後8時半過ぎまで約10時間の長丁場である。全編、聴きどころ、観どころが沢山あって、飽きないのである。よって暫くは、かかる症状が出たという次第である。
 義姉の影響と、橋下市長の文楽攻撃に反発してファンになって1年ちょっとになるが、今回初めて生の「住大夫」さんを聴いた。云わずと知れた人間国宝さんである。御歳89歳、脳梗塞を乗り越え、第1部最後の「沼津の段」-千本松原の段-を語った。「伊賀越道中双六」は、日本三大敵討ちのひとつ〝荒木又右エ門鍵屋の辻の決闘〟を題材にしたもので、その中でも屈指の名場面と云われるのが「沼津の段」である。
 歌舞伎でも幾多の名優が「平作」という老人を演じている。浮世の義理で親子と名乗れぬ二人が、平助の、いまわの際に、子故の闇も二道に、分けて命を塵芥、須弥大海にも勝ったる、真の親に初めて逢ひ、名乗りもならぬ浮世の義理、孝行の仕納めと敵(かたき)の居所を告げて、親父様~平三郎でござります。幼い時別れた平三郎、段々の不幸の罪、ご赦されて下さりませ~、(床本集から)と声を引き絞り、最後の別れを果たす。
平作(の人形)を操う桐竹勘十郎も良かった。老人の滑稽味と子を想う父親の気持ちを見事に演じて、テレビで見た故勘三郎の平作を思い出させるものがあった。橋下市長の文楽攻撃以来、その逆効果もあっての文楽人気、という側面もあるかもしれないが、上方が生み、育てた文化を守っていこうという気概のようなものを、お二人をはじめ文楽劇場全体から感じられた。
 それからこれは私の勉強足らず故の事だろうが、ひとつ気になることがある。文楽には心中事件など町人社会に起きた出来事を題材にした「世話物」と今回の敵討ちなど武士社会に起きた事件などを題材にした「時代物」があるが、いずれもよく人が殺されたり、子供が犠牲になったりする。今回のように、敵討ちの助太刀という目的のために、妻を離別し、果ては幼いわが子を手にかけてしまう。何故そこまで、と思っていたが今回「通し狂言」で観て、前後の繋がりから何とか、無理やり納得させることは出来た、がそれにしてもである。目的のためには全てを犠牲にするという行為を市民は「義理のためとは云いながら」と云いつつ受け入れ、敵討ちの為に子殺しをした侍を「あっ晴れ」と称賛したのだろうか。
 昨今の育児放棄や、虐待の果ての子殺しと変わりはないように思う。もうそろそろ、そういう事に「うん、うん」と頷ける歳には、なっていると思うのだが、得心がいっている訳ではない。

2013年11月16日土曜日

最近、気になること

 昔、「ポストの数ほど保育所を!」という運動があったが最近目につくのはポストの数以上のコンビニ店舗数の多さである。大阪市内では、交差点の角々に、通りに面しては軒を並べて、という活況である。そして、気になるというか、大いに迷惑しているのがそのコンビニの前でたむろする喫煙者の群れである。
 ポストの数ほど(いや、それ以上の)あるコンビニだから、通りを歩くと嫌でも煙と臭いが襲ってくる。一体いつからコンビニの前は喫煙場所になったのか。職場の禁煙化が定着しだし、「吸うなら施設外で」と追い出され、街に溢れだした喫煙者がコンビニの店の前の灰皿スタンドに「これ幸い」と一人、二人と集まりだしたのであろう。コンビニ側の言い分は(訊きに行った訳ではないが)「店の前を喫煙場所にしたつもりはありません」「店内での喫煙を禁止に」するため、かつ、「周辺への吸い殻のポイ捨てを防ぐ」ためということらしい。しかし、コンビニはタバコを売っている。店側の意図とは関係なく、タバコを買った客が禁煙の職場に戻る前に一服することぐらい、わかっているはずだ。「吸殻はきれいに始末していただくように灰皿も置いて気を付けています」と、優等生の答えが返ってきそうだが、問題は、大量に吐き出される煙と、体にまとわりつく臭いである。通りを歩くと数十メートルおきに、これが襲ってくる。
 これから冬に向かって中国からPM2・5がやってくる。最近の研究では、ガンをはじめいろんな病気を引き起こすらしい、タバコの煙ぐらい、という声も聞こえてきそうだが、環境と健康を害していることに変わりはない。「外だからイイじゃないの」ということにはならないのである。「コンビニさん、何とかしてよ!」と一人怒っている今日この頃である。
 ついでに面白い写真を見つけたので貼っておきます。コンビニにはこんなお客も来るらしい。アイスをかじる要人と、周りのSPの比較が面白い、本当におかしい人や。

2013年11月2日土曜日

秋の入り口は?

日本庭園内の万里庵入り口
  退職者会のニュース発行をやっと終え、あとは総会議案書の最終編集が残っているのだが、この連休中に、(と云っても毎日サンデーの我が身には何の関係もないのだが)片づければ、と思い、いつものコースを散策した。最初は、我が家の裏庭「万博公園の日本庭園」に紅葉の色づき具合を確かめに、酷暑、猛暑の後、一気に冷え込めば秋の陽に映えるのだが、あと3~4度の冷え込みが欲しい処、まずは秋の入り口を覗いた気分で庭を歩いた。万里庵の中の茶室も去年屋根を葺き替えたようでシャープな線を見せている。
 入り口付近の竹藪の中のツワブキの花に綺麗な蝶(シジミの仲間のようだが)が一羽、飛び回っていた。私が近づいてもお構いなしに飛んでいる。この時期、万博カメラマンのブログにはアサギマダラも写っているのだがそうではないようだ。(家に帰って調べたら『ツマグロヒョウモン』の♀のようです)5~6分ばかり付き合ってくれていたが小さな仲間と一緒に飛んでいった。この後、自然文化園のひょうたん池の紅葉の樹も見に行ったがまだまだのようで諦めて帰る事にした。    でもせっかく重いカメラを担いできたのでこれも私の散歩、というより定番の立ち寄り処、伊丹空港の展望デッキに「撮り飛び」に。
 昼抜きで歩き回ったので簡単なおつまみを買って行き空港ロビーの隅っこにある「空港銘酒蔵」で三口飲んで潤す。三口?というのは、ここには一杯100円の自動販売機があるのです。近畿二府四県の銘酒が30種類、自販機に小さい猪口をセットし好みの銘酒のボタンを押すと美味しいお酒が飲めます。穴場です。
 さて最後は「撮り飛び」でおま~す。(三口飲んで少々フワフワしております)3連休の土曜日とあって家族連れで大賑わい、3時過ぎの全日空のB-787が到着、横で見ていた3人連れの家族、子供が「パパが帰ってきたよー」と大はしゃぎ、3連休で単身赴任のパパが帰ってきたのだろうか、しかし、こうも3連休が続くとパパの財布も少々苦しくなるのでは、といらぬ心配をしてしまう。

あとがき―スノーさん、この写真何やらミニチュアの近接撮影のようだと思いませんか?正真正 銘、伊丹のデッキで望遠で撮りました。何の狙いもなく。


2013年11月1日金曜日

ほんまもん、とは

大阪に上野修三さんという料理人がいる。大阪料理の大御所、今は引退されているが「浪速割烹」というジャンルを作った方で、27日付の大阪民主新報で「なにわの食」について語っておられる。上野さんはなにわ料理にこだわり、一代で「浪速割烹芔川」を大阪の名店にした。とここまでは記事の受け売りである。勿論、年金暮らしの年寄りには法善寺横丁の店に行ったこともないし、その味がどんなものかも知らないが、上野さんは「東京に店を出せとか、京都や横浜に来ないかという人もいたけど、大阪を離れる気はありませんでした。」「大阪で食べてこそ大阪料理」と言い切る。また、最近の食をめぐって遺伝子操作をした食品やTPPについても「世界中金儲けしか考えてないのは問題でっせ」と苦言を呈している。
 話は横道にそれるが、ここのところ世間を騒がせている「偽装メニュー」問題である。当初「偽装ではなく誤表示だ」と言い訳をしていたが一転、「偽装と受け取られても仕方がない」と謝罪した。私は当初から「芝エビかバナベイエビか」を解釈の問題であるかのように説明している経営者たちを見ていて「あーこの人たちは現場を知らんなー」と思っていた。果たして辞任するこの社長は、合併する前の電鉄会社出身の人だった。バナベイエビが偽物という訳ではないのに表示を芝エビと書く行為自体が問題なのだ。利益追求だけで経営を考えるとこういうことになる。「畑違いのもんに現場が分かるはずがない」「餅は餅屋じゃ」と声高に言うつもりはないが、同じようなことがつい最近もあった。例の公募校長のセクハラ事件である。
 橋下市長の肝いりで民間からやる気のある人材を、と公募し校長や区長に就かせたが半数以上が問題発言やセクハラ等の不祥事を起こしている。校長という職務が橋下市長の言うような「権利に守られた教職員組合の校長ども」に勤まる職務だろうか。新米教師から子供たちと触れ合い、地域や父兄とも意見交換し、様々な経験を積んで就く要職だと思う。電鉄会社で実績を積んだから、異業種で成功したから、というだけで、それも期間限定で就くような仕事ではないはずだ。
上野さんが作る浪速料理のような「ほんまもん」が一朝一夕で、出来上がるものでないことは誰もが分かっているはずだが。

2013年10月18日金曜日

目から、いや、足底からウロコ!

嫁はんの共済組合の特典で「Mスポーツ」のウォーキングシューズが安く買える、しかも足型、足底を測定してぴったりのシューズをご提案!というサービス付きだ、というので出かけた。
 最近歩くと靴の中で足が少し遊んでいるような気がしていたし、左右に揺れているようにも感じていたから、という事もあった。
 店に着き、早速測定をしたのが、右のコンピューター図である。店員さんの御宣託は、「左右とも、特に左の赤い部分が気になります。これは、足が靴の中でしっかりホールドされていなくて、左右に広がっている、縦方向でいえば土踏まずが無くなっていく、という傾向にあります。」と診断された。「左足にいたっては本来接地している小指付近が少し浮いている状態ですね」という事だった。
 思い当たる点が多々ある。甲高、横広の足だから、と段々、楽な方へ、、サイズの少し大きい方に靴を買い替えていたことは確かだ。店員さんの言うには、少しきついかもしれませんが土踏まずのあたりを少しキツイ目に靴ひもを締めて横方向にアーチをつくる、つまり足底の真ん中を持ち上げるようにすると、外反母趾の予防にもなり、正しい姿勢にもつながるのだそうだ。
 試着した靴はまるでシンデレラの靴のように足を締め付けて足が窒息しそうだ。「キツイな~」と弱音を吐くと、「本当はそれぐらいがいいのですが、もう少し楽な方を履いて、足を作り直しましょう、そして最初に提案した靴に変えていかれたらどうですか?」と見事なアドバイス。かっての仕事柄、少しは手足の骨の役割なども理解していた者としては、扇の要のように、足でいえば、距骨、舟状骨辺りの部分をしっかりホールドすることが足指をぶらぶらさせず、横アーチを作ることになるという説明は納得のいくものだった。ここは、我流の靴購入の基準が間違っていたことを気づかせてくれた店員さんのアドバイスを信用して即、購入することにした。2~3か月後が楽しみだ。

2013年10月15日火曜日

猫と仁王さん

何やかんやと忙しいのだが毎年この古本市には出かけているので「大阪本」を探しに行った。今回は嫁はんも「仏像」関係の本を探す、というので一緒に行った。例年より少し規模が小さいような感じもしたが、嫁はんとは、それぞれ目的の本を探して別々に歩いた。
 露店でテント張りとはいえ、どの本も砂ボコリまみれで状態は良くないが、店舗と違い安いのが魅力でもある。結局私は「大阪本」にはいきあたらず、【太陽】の「京の茶室」と「書の文具」の二冊、それと、【上方芸能】の文楽特集を二冊、〆て1,200円也。 1時間の約束で、嫁はんと落合い、もう一巡りするかどうか訊いたが目的の本を手に入れたので「もうイイ」と云い、かわりに「来たついでに仁王さんを見たい」と言った。何でも今、嫁はんが習いに行ってる「仏像彫刻教室」の先生の師匠・松久朋琳師の作だそうで私も四天王寺の仁王さんの場所は知らなかった。
 仁王さんは、古本市のすぐ隣の南大門の中門におられた。まだ彩色も鮮やかに残っており、縦六段割れの腹筋もかなりのリアルさである。近くの「一心寺」の超現代的な仁王像は別として、近代仁王像の傑作に入るのではないだろうか。帰りがけに、今度は私が「猫の門」を案内した。
 愛読書(図書館での)の「上方」に載っていた「四天王寺の七不思議」のひとつ、「元朝に三聲なく眠り猫」が門の上に彫ってある「猫の門」である。全国にある左甚五郎の眠り猫の一つで元旦の朝に三聲なくのだそうだ。大みそかの夜に何処かに出かけ、元日に帰ってくるという話もあるそうだ。この猫を大阪の郷土玩具にしたのが「四天王寺猫の門」の猫で、郷土玩具の収集家「川崎巨泉」氏のデーターベースに載っている。実物は門の欄間(正しいかどうか?)に彫り込まれていて薄暗く、寝てるかどうかはわからない。鳴くというよりいびきが聞こえてきそうだ。


 


2013年10月10日木曜日

市民の橋を残せ!

先日、長谷やんがブログされた赤川鉄橋の貨物列車通過の動画がアップできました。
迫力ある情景をお楽しみください。
鉄道マニアではありませんが現場に立つと何故か興奮しました。

2013年10月2日水曜日

「たそがれ」に火をつけた

こんな時に「たそがれ」てる場合か!と叱咤激励を受けたからという訳ではないが、ブログを再開します。29日の堺市長選挙の勝利、あまりの嬉しさに、しばし「言葉も浮かばず」状態だったが、昨日、退職者の会議で、簡単に報告を行ったが、参加者からは「よくやった!」「維新に倍返しや」等々感想が述べられる中で確かな喜びになってきた。
 今度の市長選挙、必ずしも組織立った取り組みは出来なかったし、私自身も最初は「応援だ!」と思っていた。しかし、中盤になって、橋下・維新の会の常軌を逸した口撃に「これは単に大阪の一地方都市のたたかいではないぞ」「全国からも注目されている歴史的なたたかいなんだ」と自分自身に言い聞かせ始めた頃から気持ちにスイッチが入った。いわば、橋下維新が私の闘争心に火をつけた様なものである。
 それほど相手の口撃は酷かった。新聞や、テレビでは一切取り上げなかったが投稿サイトには、エゲツない口撃の数々が流されていた。街頭演説での口撃は、ヘイトスピーチと変わらない酷さで、横に立った主役の市長候補者も下を向いて霞んでしまっている。応援に来た石原共同代表もひどい演説で候補者の足を引っ張った。
 相手の敗因はハッキリしている。ウソで固めた「都構想」を見破られ、それを繕う為にさらにウソをつく。結局主人公である候補者を横において、一人相撲で試合を潰したピッチャー・橋下がいたからである。では、我々の勝因は何か?会議で感想を述べた堺在住の幹事が「大阪都構想には何が何でも堺市が必要だった、これに反対する市長を何としても替えなければ、という一点で直接乗り込み、かき回した。これを見抜いた堺市民の判断、堺を潰されてたまるか、という気持ちが様々な人たちを繋ぎ、団結させたのでは」と述べた。正解!まさに「堺はひとつ」であった。今年の「堺まつり」は、ひときわ盛り上がるだろう。

2013年9月25日水曜日

疲れた自分にご褒美

 杉本真人という作曲家をご存じだろうか、数年前、「吾亦紅」という自作曲で紅白出場を果たし、歌手としても注目を浴びたが、基本的には作曲家である。1949年生まれの64歳、いつもサングラスをかけ、少しくたびれた長渕剛を思わせるアウトロー風のオッサンである。
 これまで多くの歌手に楽曲を提供しており、玄人受けする、つまり夜更けのカラオケスナックで疲れたおじさんが好んで歌うような曲を多く作っている。
 私の好きな歌は、ちあきなおみの「紅い花」、小林旭の「水たまり」、あさみちゆきの「青春のたまり場」「黄昏シネマ」桂銀淑の「ベサメムーチョ」などなどである。作詞も手掛け、昭和の名残を引きずった詞とメロディーラインが初老のオッサンの「ココロ」をギュッと掴んで離さない。
 少し疲れたかな~と思う時は、you-tube の画像音声を聴きながら冷酒を飲む、と「紅い花」の歌詞のように、「疲れた自分が愛しくなって酒に唄う」という気分に浸り、疲れが目から融け出していく。

2013年9月23日月曜日

まぜていらん!!

子供の頃に使っていた「まぜて~」という言葉を思い出した。遊びの場で自分から言う場合に使う。相手が使う場合は「まぜたる」と言う。ビー玉や缶蹴りなど仲間たちが遊んでいるところに途中から参加したいとき、一応ことわりを入れる際に「まぜて~」と使う。言われた方は、たいがい「ええで~」と応えてくれるが、たまたまケンカしている相手がいる場合などは、「まぜたらヘン!」と拒否され、寂しく家に帰る事になるが、誰かの執り成しで「まぜて」もらえることになる。
 今日、堺の市長選挙の応援で「堺はひとつ市民のマーチ」という集会があり、友達のオジサンらと参加してきた。呼びかけには「みんなで御陵を大行進!!」とあり、集会の後、何故か仁徳陵の外周を行進することになっている。趣旨はともかく、会場には子供連れの若いお母さんやおじさん、おばさん、若い元気な若者たち、が炎天下にもかかわらず大勢集まった。集会では市長と市長の長年のお知り合い、という事で桂南光さんが挨拶をした。合い言葉は「堺はひとつ」である。
 相手候補を応援する橋下・維新の会は「大阪都構想に参加しない堺市は取り残される」と脅している。友のブログにもあったが、もともと堺は「自由と自治のまち」独立の町であった。「もの
のはじまりなんでも堺、三味や小唄もみな堺」と唄われてきた。そんな堺は埋立地に大企業を誘致し、関西経済のけん引役を果たしてきたが、大企業の身勝手な撤退により一転、苦しい台所をやりくりすることに、しかし、市のきめ細かい政策で徐々に回復し、政令指定都市にもなった。とまぁ~この辺は私の独断ではあるが、市の財政が健全化してきたことは間違いないだろう。
 そんな堺に 「まぜたる」から「堺の税収の3割をヨコセ!」と橋下・維新の会は言ってきているのである。大阪府知事は「堺市も一緒になって元気な大阪にしよう!」、「堺の仁徳陵を世界遺産にするため、イルミネーションで飾りましょう」とノタマわっているのである。誰が悲しくて、そんな大阪都に合併されなきゃいかんのか、と怒っているのである。「まぜていらん!」と多くの堺市民は思っているのである。

2013年9月15日日曜日

日本一パワーある高齢者たち!

12,13日の両日、三重の津市で開かれた「第27回日本高齢者大会」に参加してきた。「ひとりぽっちの高齢者をつくらない」をスローガンに全国から5,300人(2日間延べ)が 集まった。
 2日目の全体集会で、NHKチーフプロデューサー、板垣淑子さんが「老人漂流社会-このまちでくらしたい」と題して、記念講演をした。彼女は、今年1月の「NHKスペシャル」で、一人暮らしの老人が施設と病院を次々と移動せざるを得ない社会の現実を「老人漂流社会」と問題提起した現役プロデューサーである。取材の中で知り合った高齢者の話は会場の涙を誘い、この国の高齢者を取り巻く厳しい現実と問題点を強く問う内容であり、NHKにもこういう制作者がいるのかと思った。
 もう一つ、心に響いたのは、三つの地域からの運動報告であった。福島県の代表は、「復興の最大の妨げになっているのが政府の原発事故終息宣言だ」と発言。新たな汚染水流失問題が起きているにもかかわらず、「再稼働発言、原発の輸出問題」が出てきていることは絶対に許されないと訴えた。沖縄の代表は、「オスプレイの飛行訓練を全国に広げることが沖縄の負担軽減になるとは言えない。現にオスプレイの配備増強が強行されたことがその証拠、拡散することにしかならない」と指摘し、政府のアメリカいいなりの姿勢を糾弾した。最後の山形の代表は、「山形県では高齢者世帯に関連する事件、(老々介護の果ての心中事件や殺人事件)が全国一、という不名誉な報道もあり、県にも働き掛け、県内初の高齢者大会を開き事件根絶を取組んできた。取り組みの結果、事件は無くなってきたが、安倍政権が進める社会保障の切り捨てで、悲劇が再び増加し、全国に広がるのでは、と心配している」と訴えた。
 三つの地域の訴え、報告は安倍政権が進めている「アメリカいいなり」「財界いいなり」の政策が続く限り、日本全国どこにでも起こる、現に起こりつつある問題であることを明らかにした。来賓あいさつで共産党の佐々木衆議院議員は「日本で一番パワーのある集会、高齢者の皆さんは社会変革の先頭に立つ皆さんです」とアピールした。いま日本で一番元気のある高齢者がこの大会で経験したことを全国に持ち帰り、拡散することが何より大事で、そのことは、安倍政権が一番恐れることだと確信した。

2013年9月8日日曜日

選挙の応援テンポは?

堺の市長選挙について友人の住職と大いに語り合ってきた。当日は、もう一つの目的もあって、夕食後、住職の案内で見物しに行った。堺「開口神社」の布団太鼓の宮入である。
 何遍も言っているし、書いてきたが、やはり大阪人には布団太鼓のリズムが合っている。同じ大阪人でも泉州岸和田の「だんじり」の「そーりゃ、そーりゃ」は馴染まない、これは感性の問題だろうが。まぁ、それは人それぞれ。
 当夜は4台の太鼓台が揃って宮入りしたが、やや興奮気味の老人(私の事)がカメラを向け「法被の背中の紋を見せて」くれとか、「担ぎ棒に触わってもいいか」と無理を言ったのだが、若い人たちは快く応じてくれた。というか、本当に礼儀正しい。それと、別の写真には写っているのだが、法被姿の若い娘たちのファッションが変わってきているのに驚いた。法被と白いパッチは変わらずだが、へそ丸出しの胸当ての晒一本である。でもそんな娘たちも、いざ太鼓台の担ぎ出しになると大きな団扇で一生懸命、景気をつける。
 30分ほど見学したが宮入にはまだ少しかかるだろうという事で当夜は堪能して帰宅することにした。で、肝心の堺市長選挙の事だが、ビラを配っているときの市民の反応も悪くない。「ダブルスコア―で勝たんと」と鼻息の荒い友人もいる。ここにきて、橋下・維新は「堺はつぶしません」と大阪市長選挙や、地下鉄民営化の時と同じ嘘を言い始めている。しかし、選挙は分からない、気を緩めた方が負け、というのが鉄則。13日にはもう一度老人たちが宣伝行動に入る。「そーりゃ、そーりゃ」いや違った。でも、選挙の時は少しテンポのあるリズムの方が合っているような気がする。

2013年8月28日水曜日

監視カメラと云うべきでは

私の好きなテレビ番組に「科捜研の女」というのがある。永遠のアイドル沢口靖子が犯罪捜査に活躍するサスペンスドラマである。このドラマで活躍するのが「防犯カメラ」で,犯人の逃走経路や犯人特定のカギを握るという筋立てである。
 そんなドラマがドラマの世界だけでないことを「毎日」の記事で知った。「ホシ追う無数の目」-防犯カメラ最前線という記事だ。ある民間企業の技術者だった人が「民間の技術を捜査に生かす」という求人広告がきっかけて科捜研に転職し試行錯誤しながら防犯カメラの画像分析で成果を挙げる、という内容だった。
 実は私にも「防犯カメラ」について小さな経験がある。何年か前、いつも利用(月極でパスを持っていた)する駅の駐輪場、入り口付近で係員のオジサンが倒れているではないか、驚いて声をかけたが、いびきをかいて反応がない。明らかに脳梗塞か脳出血の症状だ。そのうち何人かの客も集まり、携帯電話で救急車の手配をしてもらい、私は他の係員をさがしたが事務所には誰もいない。中に入って電話で緊急連絡先に連絡しすぐ来てもらうよう依頼した。間もなく救急車が到着し、オジサンは病院に運ばれて行った。
 それから2~3日していつものように駐輪場から出ようとすると、事務所の中から顔なじみのオジサンが出てきて「〇〇さん、この前は有難うございました。お蔭で△△さんも症状は軽く、また現場復帰できそうです、本当に助かりました」と礼を述べた。あの時は私も他の人も救急車が走り出したのを見て、それぞれ駅に向かったハズ、名前も告げていなかったハズ、と思いつつ「え~なんで私やとわかりました?」と聞いてみた。すると顔なじみのオジサンは、「事務所の中の防犯カメラに皆さんの様子が写っていましたので、〇〇さんやとわかったんです」と答えた。「へぇーそうなんですか、軽く済んでよかったですね」と言って帰宅し、夕食時に「こんな事があってん」と話題にして、その時はそれで終わった。その後、毎日のように駐輪場の窓口を通るたびに、事務所の中に防犯カメラがあり、ずーっと監視しているのか、と思うと自分の何気ない行動も誰かに見られているという、何か「もやもや」した気持ちがおこるのを覚えた。
 「毎日」の記事は、犯人逮捕に役立っていることの半面、監視社会への懸念も提示している。ある弁護士は「犯罪者じゃないから(見られても)私には関係ない、と思考停止している」と警告を発している。私の「もやもや」した気持ちが、ここ、にあったのだと記事を読んで理解した。今も防犯カメラの設置は自治体や、街の自治会からの要望で増加しているという。「防犯カメラ」という名前からは犯罪の抑止に資するという役目があり、ここに設置してますよ、と万引き防止に役立っているうちはいいだろう。しかし「防犯」から「監視」という「眼」になった時が怖い。国民総背番号制や監視カメラの増加という制度の行きつく先は、国民の自由と、民主主義が脅かされる社会であろう。もうそろそろ、私たちも「関係ないわー」と思わずに、画一的に「防犯カメラ」という言い方はやめて、「監視カメラ」という言い方もあるという事をはっきりさせるべきではないだろうか。

2013年8月18日日曜日

終戦記念日の頃

今年は酷暑の影響で、毎年恒例の実家での、お盆の集まりは延期になった。今年は秋に父の33回忌の法事があるので、そこに集まれば、という事になった。
 兄弟、子供、従妹らで総勢20数名が集まるわけだから世話をしてくれる高齢の兄夫婦にも配慮しなければならないと思う。で、今年は私一人で墓参りに行き、そのついでに両親や祖母、兄弟の古い写真を整理してみた。
 母親の箪笥の中に残っていた古いアルバムや紙の菓子箱に無造作に入れてあった写真がかなり見つかった。そんな中の一枚がこの写真である。隣ん家のお姉ちゃんと写っているのが私。昭和25,6年ごろ、3~4歳であろうか、左手に持っているのは「ふかし芋」。何枚か同じ頃の写真があったがどの写真にも手に芋を持った私が写っている。好物という訳ではなく、お腹がすけば芋を食べていたように思う。というか、甘いものと云えばそんな物しか無かったのではないだろうか。当時、もう少し大きい子供たちは、八尾飛行場に進駐していた米兵のばら撒くチョコレートに群がったという。校長が「情けない」と泣いたという話も後になって聞いた。
 戦後の物のない時代、河内の我が家の周辺は、半農半工場地帯で祖母は木津や笠置辺りまで買い出しに行った。無事ヤミ米を手に入れた帰りの列車に警官が乗り込んできて、捕まる前に泣く泣く、ヤミ米を汽車の窓から捨てた事などよく話していた。
 写真に戻って、当時の子供は夏は「ランニングシャツに短パン」が正装で私のような小さい子供はパンツ姿で走り回っていたような気がする。また当時の夏は暑いには暑いが、夕立が降り、朝はそこそこ涼しかった。その証拠には、夏休みの宿題を「朝の涼しい内にやっときや!」が母親の決まり文句だった。
 昭和21年生まれの私に当然戦争の記憶はなく、戦後の貧しい生活の記憶も祖母等から聞く位のものだったが、たった一つ強烈に覚えているのが姉が経験した8月15日の出来事、敗戦を知った近所のおばあさんが出刃包丁を持って「残念や~死んだる!て言うて、叫んだはった、怖かった」という話だ。今年は戦後67年、同じ年を生きてきた者にとって殊のほかつらい暑さではあるが秋には「堺」で大事なたたかいがある。まだへたばる訳にはいかないと思っている。
                      残暑お見舞い申し上げます。

2013年8月2日金曜日

ネット選挙元年

私的には、未だ参院選の興奮が冷めない今日この頃だが、31日付の「毎日」が面白い調査結果を報じていた。毎日新聞と立命館大は、参院選で解禁されたインターネット選挙運動(ネット選挙)が当落に与えた影響を分析した。その結果、ネット上の運動量と得票数の間には相関は認められず、ネット選挙は大勢に影響しなかった、と言えるとした。
 確かに「ネット選挙の解禁!」と騒がれた今回の参院選だったが、宣伝不足と「なーんだ、ネットで投票出来ないじゃん!」と白けた若者も多く「影響な」、との評価が一般的のようだ。ただし、改選3議席から8議席に躍進した共産党に限ればツイッターを活用した「ネット効果」がデーターに表れたとしている。どういう事だろう?。
 今回、解禁された「ネット選挙」運動とは、候補者や支援者・団体が「ツイッター」や「ブログ」等に政策や運動の紹介が自由に出来るという事だったと私的には解釈している。発表された分析の基準の一つが候補者の「ツィート」とこれに対する利用者(今回は有権者とする)からの「リツィート」(反応の書き込み)の数である。共産党の当選者の「リツィート」数は、自民党や民主党の候補者の「リツィート」数を大きく上回ったという事である。ただし、自民や民主、諸派の候補者の中にも、「リツィート」を多く得た人もいたが落選組もいて、当落と関連付けるデーターは『共産党』を除き、得られなかったというのが結論のようだが、う~ん、どうも消化不良の結論である。これって数や、量の問題ではなく、「中身」の問題ではないのだろうか。
 長時間残業や、手当なしの時間外勤務に苦しむ非正規の若者がネットで「ブラック企業」と検索すると、これと闘う「日本共産党」がヒットし、一票を入れたという話を聞いた。そんな若者が同じ苦しみを持つ仲間に「ツィート」する、そしてそれが広がっていく、これを拡散というらしいが、他の候補者や政党には若者の悩みに応える「中身」がなく「宣伝」だけの「ネット選挙」に終わってしまったのではないだろうか。国民の願いに真面目に応える政党を選ぶことは「ネット選挙」でも可能であることを示したように思う。そんな「ネット選挙」元年だったのでは。
 しかし、次の選挙までには「共産党だけが得するようなネット選挙はヤメや!」という声が出てきそうな気もするが。

2013年7月24日水曜日

山椒は小粒で、、、

私の愛読書「幻の河内弁」に面白いことが書いてある。日本の政党状況(昭和58年発行の本です)を「うどん」に例えて、河内のおっさんが若いもん(者)に説明している、という図になっている。
うどん-自民党や、うどんなしでどんなうどんも造れんように、自民党なしで日本の国は造れん。
あぶらげ-中道政権のボスや、今のところ公明党というところか。
かまぼこ、ネギ類-各々は多党化時代に似とる。賑やかさを好む国民にしたのは財界の失権や。まあ、どんなうどん食べても、かまぼこがあるよって民社党や。ネギもあるから新自由クラブとゆうとこか。
 この段階までは、うどんの見栄えを良(よう)しているようなもんで、白いうどんのお飾りや。自民党の提灯持ちや、分かるやろ。
-これが社会党や、味のないうどんに味付ける訳や。社会党ちゅう奴は、元々可哀想な存在で自民党と伯仲勢力があって当然の党やのに、「うどんは汁によって食べられる」とゆうような発言するさかいに間違いが起きる。
七味-これが問題やねん、共産党や。若いもんは元気がええもんやから、仰山入れよるし、年寄りは刺激がきついと体に悪いとゆうて入れよらん。昔から、青年は改革を志し、中年になって大勢を理解し、老いてまだ志あるものは馬鹿、とゆうてきたもんやけど、こればっかりは、食べる人の味付け加減でどないでもなるよって難儀なこっちゃ。若いもんは承知でやりよるし、病気みたいなもんで、そのうち直る。という事で「うどん」による政治評論を終わるッ。
 あ、そやそや、忘れてた。うどん食べる人は「国民」で、国民は多党化時代の来ることを希望しとらへんで。自民党に云うといたるけど、ゼイタク身に付けさしてから、辛抱せい云うたら、このままゼイタクさせてくれる党ないやろかと思いよる。「国民は、うどんに味付けする汁は求めても、汁を飲むためにうどん求めたりせん」ちゅうこっちゃ。ほなら終わる。
 河内弁を知らない人には分かりにくいし、時代背景も変わっている。そもそも政党に対する認識も著者の個人的なものだが、共産党に求める国民の想い、というものを野次馬的に表現するなら、「山椒は小粒でピリリと辛い」的な表現を使う人は私の周りにも沢山いるし、ややもすると、政界のご意見番や、したり顔のコメンテーターにもこの類の御仁はいる。この本のように、「七味は多すぎたらアカン」と思っている人は多いのかもしれない。
 しかし、時代は激変し、期待された民主党は保守政党に先祖返りし、ならばと創られた「第3極」も結局、自民党の補完勢力であることが明らかになりつつある。どう考えても自民党に正面から対抗するのは「小粒」ながらも共産党しかないのでは、と開票速報を見ながら思った夜だった。

追記ー若い頃は「インスタントラーメン」を前に深夜まで開票速報に見入ったものだが、最近は出口 調査とやらで開票前から当確のテロップが出る始末で、白けて早々と床に就いていたが今回ばかりは、深夜1時過ぎまで見入った。勿論、ラーメンを食べるほどの胃袋はなく、冷たいお茶を飲みながらではあった。

2013年7月7日日曜日

国民平和大行進


 毎年参加している「国民平和大行進」といっても最近は、大阪から兵庫県への最終半日コースである。ところがその半日がキツクなりつつあり今年は、前日の無理がたたり、腰痛発症で断念し、出発集会だけ参加した。私より年上の仲間が府内通し行進をされているのに申し訳ないやら、情けないやら。
 そんな気持ちに被さるように昨日6日、長崎の被爆者、山口仙二さんが亡くなられた。1982年の国連軍縮特別総会に参加し、自らのケロイド写真を掲げ「ノーモアウォー・ノーモアヒバクシャ」と国際社会に訴えた。その山口さんと同じく、長崎で被爆体験をした労働組合の大先輩のF氏が「原爆、平和、わが長崎」というDVDを最近出版(どう言ったいいのか分からないので)され、退職者の会を通じて頂いた。現役時代、生で聞いた話や、これまで知らなかった当時の生々しい話が視聴出来て、あらためて原爆、核兵器のむごたらしさを実感した。
 そんな感慨に浸っているとき、明日、8日に「原発新規制基準」が施行されることになり、関電をはじめ全国で10ヶ所の原発が再稼働の申請をするらしい。福島第1原発の事故原因の真相解明や、原子炉の廃炉にいたる処理方法も定かでないこの時期に!再稼働申請するとは、
そこにあるのは、儲け第一主義の大企業の心底しか見えない。
 また、その新基準というものの中身を見て心底驚いた。
まず、過酷事故を想定してフィルターがついた ベントを設置すること。つまり、外部への放射能の拡散を抑え、原子炉内の圧を下げる装置の義務付け、そして、全電源喪失に備え、外部電源の確保、電源車の配備、津波対策、なぜ今までそういう義務付けがなかったのか?そもそも、過酷事故を想定していなかったからである。いったい何が最高水準の安全対策だったのか?まさに、安全神話である。今度の新規制基準が「新しい安全神話」にならないように厳しい目を国民は持たなければならないだろう。その審判が間近に迫っている。正しい一票を!

おまけにもならないだろうが我が家の今年のグリーンカーテン、横への伸ばしがうまくいかずスカスカである。

2013年6月8日土曜日

何ぬかしとんじゃ、われ!と敢えて言う。


わが母校志紀中が隣接している!のがお分かりでしょう
「まったくもって、突拍子もない、支離滅裂な提案だ!」と思っていた大阪府知事と大阪市長の「オスプレイ八尾空港訓練受け入れ」発言が、6日の首相への提案で、にわかに現実問題化してきた。マスコミ報道も「現実味のない」「また例のパフォーマンスか」から首相の「検討指示」を受けて、論調が変わってきた。だから、「言わんこっちゃない」のである。彼らの世論、マスコミ操作の手口は分かりきっているはずなのに。
 突如、名指しされた八尾空港は、私が生まれ育った地元にある。小学校も、中学校にいたっては、飛行場(私にとっては、空港という洒落た名前の施設ではなく、飛行場である)の金網フェンス一枚隔てた隣が校庭だった。以前ブログにも書いたが進駐軍払い下げの自衛隊プロペラ機の後ろに立って風圧に耐える遊びをしていたあの飛行場である。
 今回の大阪市長の発言は、沖縄米軍司令官に対する「風俗活用」発言での失地回復の狙いがあるように思うが、こんな見え透いた芝居は沖縄県民にも、利用された八尾市民にもはなはだ失礼な話だ。しかも大阪市長の立場では「何の権限があるんや」と突っ込まれるので、八尾が地盤の松井知事を説明役に出向かせたあたりは、二人三脚の田舎芝居である。
 ただこの田舎芝居の怖いところは、その提案を「沖縄の負担を日本全国で負担しようというのは当然だ」と、言ってのけた首相が、それを本当に防衛省に検討指示させたというところにある。実現しようがしまいが、ただの田舎芝居が、堂々、お江戸の大歌舞伎の舞台に上がってしまうところが恐ろしい。
 私は昨夜も夜中まで眠れなかった。「何の権限があってぬかしとんじゃ、われ!」地元八尾の友は、これぐらいではすまんぐらい怒っているだろう。

2013年5月30日木曜日

三度、歴史に学ぶ


 528日付け「毎日」の特集ワイドで「この国はどこへ行こうとしているのか―憲法よ」という新シリーズが始まった。参院選で自民党が憲法改正を争点にする姿勢を見せているが、国民はその必要性を感じているのだろうか?という観点で識者に憲法への思いを聞く、というシリーズ。
 第1回目は永六輔さん。50年近く前にラジオの深夜放送で憲法全文を朗読したことがあり、リスナーから「憲法の条文の意味は」とか「どんな字なのか」など多くの反響があり、私(永さん)が感じた事は、「言葉が難しい、ですから中学生が読んで理解できる文章に、耳で聞いてわかる憲法に改正すべきです。その立場で言えば私は改正反対ではありません」と。60年以上ラジオとともに歩いてきた永さんは、耳から入って理解することの大切さをまず説いた上で「官僚が書いたメモを基に答弁するような政治家が憲法改正の必要性を述べても何も伝わらない」と言う。
 この後、憲法99条について「(これは)憲法を変えてはいけないという条文です。天皇陛下といえども変えられない。それなのに国会議員が変えると言い出すのはおかしい。聖徳太子の『十七条憲法』はそもそも役人に守らせる規則でした。その精神が今の99条に残っている」と熱を帯びた口調で語る。
 自民党の改正案では憲法尊重擁護義務の対象を全国民に広げようとしている。「国民に義務を課すなんてちゃんちゃらおかしいですよ。憲法は国民を守るためのルール。それなのに99条を変えると言い出すなんて、政治家が憲法を勉強してこなかった証です」と言い切る。そして、ここからが今回、私が伝えたいことの一番重要な点である。永さん曰く「憲法は『この国をこうしたい』ということが書いてあります。政治や外交と違い、憲法は夢でいいんです」記者が「夢なんですか?」と驚くと「憲法はね、こうありたいという夢なんですよ。簡単に書き直したり、補足するものじゃない。だって夢は改正したりするものじゃないでしょう。」
 何とわかりやすく、そして、日本国憲法の精神をズバリ、言い当てているように思う。永さんの「憲法-夢論」は、戦中、戦後の混乱の中を生き、「新しい憲法はキラキラと輝いていた」と、同じく戦争を知る作家の井上ひさし、野坂昭如、俳優の小沢昭一さんらと共に平和の大切さを訴えてきた。その井上さんも小沢さんも元々ラジオで活躍した世代だという。今は亡き小沢さんは「戦争を語れるのはラジオ世代」と言っていた。今、憲法の危機を実感するとともに、この事態を招いた責任は、自分たち戦争世代にあると受け止めていると言う。「戦争の恐ろしさや愚かさを伝えるため行動してきたつもりだったが、怠慢だったかも」とも語っている。そして、今のテレビ世代はどうか、「安倍首相や橋下市長ら今の政治家は冗舌な人ばかり。言葉が滑っていて責任を感じて話していない。世の中がどう受け止めているかも想像していない人ばかりだから、憲法を大切にしない」とバッサリ。最後に「憲法9条はね、理解する、しないではなくて愛すればいいんです」「憲法改正は急ぐ必要はありませんよ」と結んだ。
「毎日」では野坂昭如さんの「七転び八起き」という連載もある。今回第155回は「憲法改正-日本の何を守る」だった。永さんとは少し論点を変えた辛口の提言だった。夏の参院選に向けて日本維新の会はほぼ自滅していく事になるだろうが本陣の自民党は性急な改憲論を一時衣の下に隠しアメリカに助けてもらいながらほんの一時の景気回復の夢を餌に参院選を乗り切ろうとしているように思う。こんな一時の夢ではなく、日本国憲法を実現する、という夢を追い続けたいと思う。

2013年5月27日月曜日

ちゃっきり娘って、だぁ~れ

  退職者の会の横のつながりで「宇治の茶摘みツアー」に行ってきた。以前、信楽の窯元見学のついでに訪れた朝宮町の茶園でも聞かされた話だが、日本茶を代表する「宇治茶」は日本国内産のお茶の葉の約2%しか生産されていない。宇治茶と名乗っているが多くは滋賀や三重県から仕入れているとの事だった。昨日見学した茶園のご主人の話でも、シーズンには毎朝、鹿児島から「宇治茶」の看板を付けた大型トラックがお茶の葉を運んで来たのだそうだ。(これって産地偽装?最近は三重、滋賀県などからのお茶は宇治茶と名乗ってよいことになったそうだが)
 見学したこの茶園も家族だけの小さな規模の茶園だった。茶摘みのシーズンはほぼ終盤だったが、我々の為に一部摘みとる場所を残して頂いていたとの事で早速、茶摘みに精を出したが、手よりも口の方が達者な高齢者ばかり、お茶のうんちく話や、ダジャレの連発で演芸場のような賑やかさ。この写真に写っているのは同じバスに乗り合わせた若い女性3人組が茶摘み娘に変身(有料です)して茶畑に現れたところです。
早速、誰かが「ちゃっきり、ちゃっきり、ちゃっきり娘が、飛びぃ~出ぁ~しぃ~た~」と茶々を入れる。分かる人には分かる往年の女性漫才トリオの出囃子ソングなのだが、娘さんたちはキョトンとしたまま、何ともお恥ずかしい。
 茶摘みを終え、持参したホカ弁を食べながら一番茶、二番茶を頂いた。ぬるま湯で入れることにより、香りだけでなく、ビタミンCが壊されず、タンニンの出を抑える、という「お茶の入れ方」は皆さんご存知ですね。帰路は茶園からの道をミニ森林浴をしながら宇治まで歩いた。道中、私は茶園で貰った蒸されただけの茶葉を噛みながら歩いたが少し疲れた体には甘い物より心地よかった。

2013年5月23日木曜日

「がっちょ」の意味は?

「がっちょ」のから揚げである。梅田・阪神の地下魚売り場できれいに松葉状に捌いて売っていたのを買って家でから揚げにした。大きさは5~6㎝、可哀想なぐらい小さい。でも、これを捌いた魚屋さんに敬意を払い501円で購入。昔、チヌ釣りに、はまっていた頃は、釣れない時の暇つぶしに筏の上からちょい投げでキスを釣る(チヌ釣り専門家からはジロリ、と睨まれたが)と外道に「がっちょ」が連れてきたものだった。堺っ子の長谷やんは夜店で「がっちょ釣り」を楽しんだとか、我々には懐かしい、魚である。
 結構大きく、頭のところに包丁を入れ、皮一枚を残し、きれいに剥ぐ方法を教えてもらったがなかなか上手くいかなかった。関東では「メゴチ」といって立派な江戸前の天ぷら種だ。「がっちょ」の語源は知らないがあまりいい呼び名ではないようだ。小さいとはいえ40匹近くあって夫婦二人で食べ残してしまった。
【耳よりニュース】阪神の地下魚売り場は時々、珍しい、我々にとっては懐かしい魚が並んでいる。今が旬の魚で「青ベラ」や「あぶらめの新子」が並んでいた。

2013年5月16日木曜日

小さな絵本

  どこで、どうして手に入れたかの記憶がない(多分フリーマーケットで買ったかも)豆本である。グリコのおまけの記念品のようなものだと思うが全12種類出たそうである。前回のブログのグリコの宣伝部長だった「岸本水府」関連で思い出し引っ張り出した。前にも書いたが川柳作家として活躍した水府は、グリコの豆広告なるものを発案し、新聞1段15行の短い広告を載せた。為に、「ケンカハオヤメ グリコハオタベ」などの名コピーを残した。案外、おまけのおもちゃもキャラメルとセットの小さなおまけの箱に入っている点など、発想は同じなのかもしれない。それともう一冊、これは正式な豆本である「くんぺいごしちごアフリカえほん」である。
この豆本を手に入れたのは、確か古本市ではなく、四天王寺さんの骨董市で見つけたものだったと思う。手に取ってパラパラと中を見て、面白そうだったので買うつもりで、いったん台に置いて、店主に値を聞こうと思ったところ、横から手がス-ッと伸びてきた。慌てて「買うんです」と再び手に取ると、そのオジサンはいかにも惜しそうに、「探していたんです」と言った。俄然「これは掘り出し物、」という気持ちがムクムクと起ち上がり、「すんません、私も気に入ったものですから」と譲らなかった。
 たしか1200円程だったと思うが家に帰って改めて「くんぺい」なる作者の事を調べてみた。名前は「東君平(ひがしくんぺい)【1940年~1986年】神戸出身で職業を転々としながらお茶の水美術学院で絵の勉強を続け、谷内六郎と出会い、彼の後押しで童話のイラストレーターとしてデビュー。その後童話作家に転じたとある。肺炎のため、46歳の若さで亡くなった。この豆本は、君平さんがアフリカ旅行をしたときに動物がすむ環境の激変に心を痛め、自費出版して収益金を難民たちに寄付したということだ。旅先での出来事を小さくまとめ、簡単な絵を描き、最後に川柳を書いている。例えば、「フンコロガシ」-ひとばんじゅう ゾウのなきごえや はないきで ねられないことがあります。・・・・じめんには おおきな あしあとがあって ひとかかえもある ふんがおちています。・・・」そして川柳が「ゾウのふん フンコロガシの おおしごと」大らかで、自然で、気持ちのいい絵本です。東君平さんの事もボチボチ調べていこうと思います。

2013年5月12日日曜日

先月のことになるが「文楽 4月公演」を観た。今回は義姉から貰った券ではなく自前で観に行った。お目当ては、近松の心中物の最高傑作と言われる「心中天の網島」である。自分で座席を選択できるので前から五列目、右端に座った。ということは、国立文楽劇場の場内配置で言うと、舞台に向かって右側には太夫と三味線が座るから、相撲で言えば、砂かぶり、太夫の唾が飛んでくる距離である。勿論、プロの太夫が唾を客に飛ばすことはないが、熱演の太夫の額の汗が間近に見え、太棹の弦の振動が見えようかという距離である。さすがに迫力があるのだが、太夫や三味線方と目が合うような気がして、少し恥ずかしい気になった。
 演目の「心中天の網島」-天満の紙屋の主人、治兵衛は、二人の子供と女房がありながら曽根崎新地の遊女小春に通い詰め、ついには心中をし果てるという物語だが、遊女を想いつめ仕事も手につかず、親戚からも愛想をつかされている亭主を何とか盛り立てようとあれこれ尽くす女房「おさん」が哀れである。現代の夫婦ならば、とっくに家から叩き出されているだろうな~と思って観ていた。話は結局、亭主を思い切らせるために遊女小春におさんが手紙を送り、身を引かせることに成功するのだが、そのことが結局、亭主と小春を追い詰めてしまう、という義理に絡んだ心中物である。
 外題の顛末はさておき、有名なのがこの写真の紙屋治兵衛の頬かむりスタイル、以前のブログにも書いたが、関西歌舞伎の初代中村雁治郎がこの紙屋治兵衛を得意とし、川柳作家・岸本水府が「頬かむりの中に日本一の顔」と読んだ。この岸本水府という川柳作家は元は「グリコ」の宣伝部長も務め、今でいうコピーライターとして腕を振るった人である。グリコのコピーとして「グリコガアルカラ オルスバン」「ケンカハオヤメ グリコハオタベ」など何とも短く、的確な名コピーを残した。ちなみに「頬かむりの、、、」の句碑が道頓堀のうどん屋さんの前にある。

2013年5月6日月曜日

メーデーに参加して

今年もメーデーに参加した。退職して9年、年金生活者は労働者ではないだろうが、年金者組合は労働組合だ、とおっしゃる方もおり、それと退職者会とのお付き合いもあって毎年参加している。そのメーデーだが連合系のメーデーが5月1日ではなくG・Wの中に組み込まれたのはいつの頃からだったろうか?8時間労働制を目指す闘いの日であったメーデー、それが日本においては、経済界からの要請で消費拡大の為に大型連休の中に放り込まれ、ついにはG・Wの前半と後半を繋ぐ休日にされようとしたが景気の冷え込みとともにしぼんでしまった。不純な動機の結末ではあるが、実はこの顛末が昨今の憲法改定策動をたくらむ動き(こちらの方の結末はまだだが)とよく似ているように私は思うのである。改憲を叫ぶ人たちの多くは、占領軍に押し付けられた憲法だから今の日本に相応しくない、改憲するべきだ、と言っている。また各種世論調査の中では「北朝鮮のミサイルや中国の尖閣問題など頻発しており不安だ」「アメリカに頼るだけでは国際社会から取り残される」など現在の社会情勢に不安を覚えての賛成のようだ。石原日本維新の会共同代表のように「9条が日本をダメにした」「今の国際社会は核を持ってない限り発言力はない」などという暴言、妄言もあるが、押し並べて「現状に合わない憲法は変えるべき」ということに尽きるように思う。
で、日本国憲法とは?ということに突き当たるが、憲法論議は別の機会にするとして、日本国憲法の精神はその前文に「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」と宣誓している。私にはこの前文が、「いかに世界の現状が危機的なもので、多くの矛盾と混乱を孕んでいようと、日本国憲法を持つ日本国民は、この精神を、この理想を放棄してはなりません」と訴えているように思う。8時間労働制を闘いとった労働者の記念すべき1日を、悲惨な戦争の犠牲となったすべての人々の生きていた証の日本国憲法を、誰かの都合で簡単に変えてはならないと思うのである。 『ならぬものは ならぬのです』

2013年4月26日金曜日

歴史に学ぶ

安倍内閣の妄動が止まらない。閣僚及び与野党国会議員の靖国神社参拝が強行された。それぞれの皆さんの行動は自分の信念に基づく確信的行動だろうと思うが、私が驚いたのは一部マスコミの論調である。今回の麻生大臣以下の多数の閣僚の参拝に対し韓国政府はすぐさま反応し、外相の訪日を延期した。これに対し安倍首相は「わが閣僚においては、どんな脅しにも屈しない」と強面の答弁をし、さらには「侵略の定義は国によって異なる」とも答弁した。
   
大手新聞社は押しなべて北朝鮮情勢が緊張する中で中国、韓国との関係をこれ以上悪くすることは外交上、深刻な影響をお与えると心配、警告している。ところが、産経新聞「産経抄」が驚くべきことを言っている。閣僚参拝と韓国の反応に対し、一つは、『関ヶ原の戦で敗れた島津藩がその後取り潰されなかったのはすさまじい退却戦のおかげだった、そのすさまじい戦いぶりを徳川(家康)が恐れたからだ』、もう一つは、『第二次大戦終戦間際の特攻隊の決死の戦いがあったからこそ、占領軍は日本人の「骨抜き」を図りながらも象徴天皇は残し、苛烈な占領政策を取らなかった』、と述べ、「今日の繁栄を享受している日本のリーダーが参拝するのは当然で」、さらには、「参拝によって日本人の勇敢な戦いぶりを思い起こさせ、日本を敵視する国に対する十分な抑止力となる」と言っている。つまり、外交問題は交渉ではなく、力によって相手を恐れさせ、譲歩させるべきだ、と言っているのであろう。
 
私は今回の問題で「歴史に学ぶ」ということの重要性を改めて考えさせられたが、もう一つ感じる出来事があった。というのは、つい一週間前、毎日新聞の読者投稿欄に13歳の中学生が「歴史を学び正しい判断を」という一文を投稿した。その趣旨は、歴史を学ぶことの意味を「歩いていて、石が足元にあったら突っかかり転んでしまいます。そして次に同じ場所を通る人も石に突っかかり転んでしまいます。だが、そこに石があることを知っていたら、転ぶことはなかったはずです。」「戦争が起こります。そして、同じことがまた起こります。だが、前の出来事を知っていたら、2回目はなかったかもしれません。歴史を学ぶことで、また同じことが起こらないように工夫や努力を前もってできます。」「20世紀末生まれの私たちは歴史を学び・・・私たちが社会の中心となる時に同じことを繰り返さないように良い判断をしたいと思います。」と決意を述べている。一週間後の今回の「産経抄」を読んで私は改めてこの13歳の中学生の決意に感動し、「産経抄」は首を垂れて学ぶべきだと思った。

2013年4月17日水曜日

通り抜け

 今年も大阪造幣局の「桜の通り抜け」が始まった。現役時代、職場が近いときは毎年のように見物した。昔も今もこの写真(新聞記事から)のように大勢の花見客に揉まれての見物だった。でも、桜の花は人が下から見上げて観るように咲いているとか、大勢の人の頭越しに観ても何ら障りはない。「花を見て怒る人はおらん」と云うとおり、急ぐでもなく(立ち止まらないで、と不粋なアナウンスもあるが)自分のリズムで花見を楽しむ、「通り抜け」というこのシステムを考え出した人は偉いと思う。かつ、桜の下での大宴会や、見事な一本桜の名所も結構だが、たかだか500㍍ほどの通路にたくさんの種類の桜を植え込んだのは、いかにも商都「大阪」らしい花見ではないだろうか。
 さて、最近の通り抜けで気になることが一つある。入り口付近の大川沿いに並ぶ露店の中に「桜の塩漬け」を売っていた店があったのだが、ここ数年見かけない。露天商ではなく、地域の婦人会の店だったように思うが造幣局に聞いてもわからないという。ネットで調べたら簡単に手に入ることが分かったが、「通り抜け」の道筋で買う風情が忘れられない。そこで最近は、桜の模様が入った盃で花見酒を楽しんでいる。右の盃は伊万里の「是隆窯」。旅行した時、桜の花びらがかわいいので買った。下の杯は骨董市で「まとめて何ぼ」で売っているものだが、それだけに疵の無い完品は滅多にない。一番のお気に入りだ。

2013年4月15日月曜日

13日早朝、激しい揺れで目が覚めた。同時に、どこからか分からなかったが、かなり大きな音量で「緊急・・・・強い揺れに注意してください!」と繰り返している。いつもは小さな揺れでも悲鳴を上げる嫁はんが寝室から飛び出してこない。続けさまの揺れが収まって、やっと出てきて「震源はどこやろう」と落ち着いた声で言いながらテレビを点けている。しばらくして震源は淡路島南部とのこと、どうやら南海トラフではなさそうで少し安心した。時間の経過とともに、かって経験した「阪神大震災」の揺れと比較して、嫁はんと「半分ぐらいかな~」と話す余裕が出てきた。
 それにしても阪神大震災以降、18年間の間に鳥取県西部地震、福岡沖地震では職場で長期振動の長い揺れも経験したが、ガタガタと音のする今回の揺れは18年前の記憶を呼び起こした。
 2年前の「東日本大震災」の発生時、私はミナミのデパートの展示会場にいて揺れにまったく気付かなかった。夕方になって街頭の電気店のテレビで初めて知ったからである。テレビの画像で見る大津波の惨状や、原発の事故に対する言い知れぬ恐怖は今も持続しているものの、実体験としての「阪神大震災」の強烈な揺れを今回の地震は思い起こしてくれ、改めて地震国に生まれた宿命と覚悟を再認識させてくれた。
 で、当日は、かっての職場の退職者会の町歩きが予定されている。刻々入る電鉄の運行状況をにらみながら、決行するかどうかの判断を待った。電話での問い合わせも無い。今回利用する「京阪電車」はダイヤの乱れはあるものの、運行しているらしい、ならば、集合地点で待とうと思い家を出た。参加予定のお一人からは、JRが止まっているので、と欠席の電話があったが集合場所には1分の遅れもなく参加予定者が揃った。いや、お達者である。
 ちなみに地震発生時、強い揺れに注意、と叫んでいたのは嫁はんの携帯電話であったことが判明した。いや、これもまた進化である。
 

2013年3月26日火曜日

山田監督のメッセージ

NHK BSの「山田洋次監督が選んだ日本の名作100本」の2年間にわたる放送が終わった。「見なければ、、、」と思いながら半分も見れなかった。先日の放映終了のラストを飾ったのは「男はつらいよ」記念すべき寅さんの第1作であった。放映終了後、山田監督をゲストに、100本の映画について語り合い最後に小野アナウンサー(ためしてガッテンの)が監督に「日本映画について今どんな風に思っておられますか」と質問した。山田監督の語った内容は実に見識のあるものだった。
 かっての松竹、日活等の大手映画会社の撮影所が無くなったという事を前提に
 「撮影所の時代があって、という話を僕はよくするんですが、(これから)新人を育成していく、次なる世代を養成していくシステムがまるでなくなっちゃった、と言えるんじゃないでしょうか。(これからの)若者たちが映画を作る、これから先、一生を映画に捧げることが出来るか、そういう条件を映画界が持っているか、そういう事を考えると非常に不安になる、(我われ)監督だけでなく、あらゆる部門の人たちがちゃんと育っていく仕掛けを作らないと、それは国の仕事だと思う。 
 かって世界一の映画を作った国ですよ、この国はね(世界の映画監督358人が小津安二郎監督の『東京物語』(1954年)をベストワンに選んだ事を指している)僕たちの後輩がもう一回、世界一の映画を作る意気込みでがんばらなきゃいけない、その為には、政府のサポートが必要、(いま)肩肘張って『強い国をつくる』というのじゃなくて、素敵な文化を生み出す国、やさしい国である事のほうがはるかに貴重なんじゃないか、これが、この国が、もう一回、回復できる唯一の道だろうと思う、10年、20年かかると思うが、だけど20年先を見越して映画を含む文化を豊かにしてほしいとしきりに思います」と、感動的な言葉で締めくくられた。どこかの市長や、首相に聞かせたい話ではないだろうか。

2013年3月20日水曜日

近況報告とお礼

2月末のブログから約1ヶ月のご無沙汰です。研修仲間の同窓会旅行から帰ってまもなく、まず、体の不調が来ました。パソコンでニュース編集をしている最中、突然、強烈なめまいが来ました。
めまいは5分ぐらいで治まりましたが、胸のむかつきと動悸が治まらず、ただ事ならん、と思い近所の総合病院に受診しました。問診の後、CTを撮り特段の異常認めず、との診断で薬をもらって帰宅しました。それ以来、普段の生活に戻っていますが、体は雲の上を歩いているような感じで何とも心もとない感じです。CTだけじゃダメ!と叱る友もいますが、周りに話すと意外にも同じような症状の方が多いのに驚いています。近々、耳鼻科に受診する予定ですが「加齢現象」と片付けられるのではと思っています。
 次に3月に入り、パソコンが壊れました。スタートボタンを押しても起動しないのです。以前修理を頼んだ業者に診てもらいましたが無理なようで、買い替えを勧められました。2008年3月に購入したNECの水冷式のデスクトップ、重量が20キロ近くあり、持ち込み修理が難しいので軽いノートパソコンに買い換えようと思いましたがデスクトップの大きな画面に慣れてしまったので結局、軽めのデスク型を買うことにしました。月末にはブログ再開できると思いますのでもう暫くお待ちください。で、このブログ更新は何でしてるか?という事ですがパソコンのない生活は当初、本を読む時間が増えたと、喜んでいましたが、ブロ友からの問い合わせや話を聞いている内、このままでは、イカンと決意し、日本橋のジャンクショップでインターネットだけは見れる、という何もインストールされていない空箱のようなノートパソコンを1万円チョットで買いました。これが結構使えるので色んなソフトを入れれば、と思ったりしますが買い替えを決めた後でしたのでデーターのバックアップ専用にと思っています。
 この間約1ヶ月、世情に憤り、涙し、感激した話は数多く、ブログのネタは溢れんばかりです。いろいろご心配かけましたがもう間もなく再スタートします。皆さん、有難うございました。

2013年2月26日火曜日

お寺参りはどうでしょう

西本願寺・唐門(ひぐらしの門)
毎年恒例の元の職場の研修仲間の旅行会で今年は、湖北の長浜、高月、彦根、そしてオプションで最終日に京都に遊んだ。いつものメンバーに加え、今年は三年ぶりの方も参加してもらえた。   1日目は京都に集合し、バスで長浜へ直行。町おこしで超有名となった「黒壁スクェアー」や商店街などを散策したが、思いがけず「海洋堂ギャラリー」があって私的には大いに楽しめた。泊まりは、旅行業者さんお勧めのこじんまりとしたホテルへ。ロビーにはバードウオッチング用にスコープが置いてあり、周辺には大口径のカメラを構えたウオッチャーがたむろするとか。雪まじりの風に吹かれて波立つ湖面に水鳥が休んでいる。         2日目は「湖北・観音の里」高月に。代表的な渡岸寺(向源寺)の国宝・十一面観音を参拝する。十年ほど前に、木の本から高月に旅行し観音さんも参拝したはずなのに、浅井・信長のたたかいの際、村人が観音さんを土中に埋め、命に代えて守ったという話にあらためて聞き入る。その後、彦根に回り、国宝「彦根城」へ。女性陣が楽しみにしていた「ひこにゃん」の本日のお出ましは残念ながら終わっていたので天守閣から庭園を巡って歩いた。途中、何の木か知らないが枝先一面に白い花が咲いている。と、見てる間に強い風が吹いて花びらが散っていき、まるで散りゆく桜の様で一同「わあ~」と歓声が上がる。しかし、間近まで近寄っていくと、それは枝先、一本一本に積もった雪であった。自然の見事な演出に再度見とれた。彦根で昼食を取った後は一路、京都へ。一泊二日で帰る方を京都駅で見送り鴨川沿いのホテルに。受付の方の話によると我々以外は全員受験の方と家族だそうで何故か受付の会話も小声になるのが可笑しかった。3日目の朝、ホテルをジャンボタクシーで出発し、鴨川を渡るとすぐ、京都大学の受験場が目に入った。昨晩の受験生の多くがここで受験するのだろう。女性陣は、昨晩風呂で会った娘さんを「あの娘、合格するといいな~だって、観光ですか?と話しかけてくれたのヨ、一人で受験しに来たのよ!」と知り合いの様に話していた。   最終日のコースは、今回の旅のもう一つの目的である、大河ドラマ「八重の桜」で有名になった会津藩の拠点となった「金戒光明寺」である。秋の紅葉で超有名であるが今回の大河で更に観光客が増えたらしい。ガイドさんの説明の合間に、「ごめんなさい、一寸説明させてください」と上品なご老人が新島八重の写った集合写真の説明を始めた。聞けば、会津若松から来られた方で「ついつい、でしゃばって済みません」と言いながら、写真に写った方々の説明をされた。ガイドさんの話によると、大河ドラマ放映と同時に福島県からの観光客も増えたそうだ。我々メンバーの中には山口県からの方もいるので「長州からも来ています」と言うと「仲ようせにゃいかんですね」と挨拶されるのが可笑しかった。その後は、ジャンボタクシーでの観光の気軽さで「行きたい所へ行きますよ」という事で壬生寺と新撰組の宿泊所となった八木邸へ。ここでも、説明の導入部分は「ここのところは先週の大河に出てきた話です」とやや便乗気味の話ではあるが妙な臨場感があって面白い。ここで今回の旅行は解散の予定であったがタクシーの運転手さんが「まだ少し時間がありますから近くの西本願寺さんへ行きましょう」と言ってくれた。幾度となく、京都には来ているが本願寺(西も、東も)には一度も来た事が無かったが、その建造物のスケールは、あまりにも大きすぎて、人間の小ささを身をもって教えるかのようである。私的には、今回の旅のハイライトであった。それにしても年々、旅の内容が「観音めぐり」とか「お寺参り」になっていくのはどうした事だろうか、来年の当番に奮起を促したい!とは、身の程知らずになりそうだ。*最初の2日間の写真を誤ってメモリーカードから消去してしまった。トホホ。

2013年2月22日金曜日

可及(火球)的速やかに!





先週、世界を騒がせた「ロシアの隕石」正確には「火球」であるが毎日新聞の「余録」に面白い話が載っていた。昔、中国では「火球」や音を発して飛来する「隕石」を「天狗」と呼んでいたという。天狗の吠える声が雷に似ていることからそう呼んだという事らしい。我が国の「日本書紀」にも「大きな星が東から西に流れ、大きな音がした」という話があるという事だ。確かに今回の火球は地球に突入する際、衝撃波とともに非常に大きな爆発音を発した。遠く離れたロシアの地で起こった今回の火球騒ぎ、多数の怪我人が出た以上、よそ事、天空のロマン等とは言っていられないと思うが、日本書紀の時代に比べ、これだけ多くの人類が火球の現実の姿を見、聞けたのも「youtube」なる文明の利器のお陰である。記録された多くの映像、データーはこれからの研究に生かされるだろう。何の研究か?それは古代、恐竜が絶滅したのは小惑星(といっても直径10㎞)が地球に衝突した事が原因と言われている。恐竜の様に人類を滅亡させないためにも必要な研究になるだろう。でもその前に、愚かな政治家どもが人類を滅亡させないようにしっかり監視しよう。