2019年1月19日土曜日

昔の記憶


 年明けて初めて義父の見舞いに行った。
 嫁はんが先日の見舞いの際に、テレビの旅行番組か何かで観たミャンマーのことを話したがミャンマーがビルマである事は説明できたが首都のネピドーの前の名前がヤンゴンでその前が何だったか思い出せず昨日やっとラングーンだった事を思い出し今日、話してみると意気込んでいたのだ。
 お昼前の栄養食と水分を鼻から摂っていたが眼はハッキリと開いていた。嫁はんが写真にある様に大きな字で説明していたらだんだん話が通じるようになった。と云っても嫁はんだけが聞き取れる会話なのだがその中でヤンゴンの昔の名前がラングーンだったことを説明すると「ビルマの首都や」と私にも聞き取れる応答をしたので驚いた。
 確か義父は終戦をビルマで迎えたはずで捕虜になった間も海岸で魚を採って食料にしていた、などと楽しそうに話してくれていたし、まだ元気だった頃は「ビルマにはもう一度行きたい」と話していたのでいい思い出があるのだろう。嫁はんも今日はよく喋ったな、と喜んでいた。
 見舞いの帰りに池田で途中下車し「吾妻」のささめうどんを食べた。以前ブログにも書いたが細めのうどんで薄めの餡かけ、揚げと蒲鉾、細切りの塩昆布、すり胡麻、三つ葉、そしておろし生姜がたっぷりのっていて半分も食べる頃には足の先まで温まり、頭から汗が出てくる。だから冬場でもテーブルの上には団扇が置いてあるのだ。
 温まった体を少し冷ますつもりで近くの「逸翁美術館」に寄り心もホッコリして帰宅した。


2019年1月17日木曜日

「つなぐ」脱原発!


15日の報道ステーションで中西経団連会長が「原発はどんどん再稼働するべきだ」と発言したように映し出されていたが詳しい解説はなかった。どんどん再稼働、などというチョット乱暴な言葉使いでどういう事なのか気になってネットで調べたら中西会長は今年の年頭会見で「お客様が利益を上げられない商売でベンダー(提供企業)が利益を上げるのは難しい。~全員が反対するものをエネルギー業者やベンダーが無理やりつくるということは、民主国家ではない」と脱原発ともとれる発言をしていたのだ。

それがわずか2週間たって180度反対の発言である。安倍政権の原発輸出政策が八方ふさがりの中で経団連会長の脱原発ともとれる年頭会見に慌てた官邸筋が圧力をかけて「再稼働どんどん」なる珍発言をさせたのではないかと勘繰られている。

そもそも中西会長の出身は「日立製作所」であり安倍のお友達。葛西敬之JR東海名誉会長や古森重隆富士フイルム会長らと共に「さくら会」というインナーサークルに入って、銀座で会食をするなどしてきた(wikiより)というから安倍の肝いりで会長職に就いたのであろう。

そんな会長の年頭会見が安倍の怒りを招いたことは想像に難くない。安倍政権の原発政策、国内においては再稼働を進め、国外においては原発輸出を進める、という基本方針にあって、国民の多くが再稼働反対であるにもかかわらず原発地元を補助金で抱き込み再稼働を着々と進めているが原発輸出に絡んで身内から叛逆の狼煙が上がろうとは思っも見なかったのではなかろうか。

今日17日、日立製作所は取締役会を開き英国への原発建設(いわゆる輸出)計画の凍結を決めたと報道された。

そして今日17日は24年目の117であった。10時前に着いた東遊園地は早朝からの祈念式典も終わり静かに祈りを捧げることが出来た。今年は新たに「つなぐ」がニューワードであった。
 



2019年1月10日木曜日

棚から福が

 今日は平成31年初春文楽公演に行ってきた。
 2部の「壇浦兜軍記」の阿古屋が観たかったが1部、2部を観るとなると1日仕事、最近柔らかい座席でも2時間も座っていると腰とお尻が痛くなるので1部だけにした。阿古屋は期間中の「幕見席」(目当ての一幕のみ観れる)で観に行こうと思う。
 
 初春公演1部の演目は目出度い「二人禿」と「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」とお里・沢市の「壷坂観音霊験記」の3本。
 「二人禿」は京島原の遊里に生きる少女が羽根つきや毬つきに興じる姿で初春らしい雰囲気を演じる。
 「伽羅先代萩」は主君のため幼い我が子をお毒見役で亡くしてしまうという浄瑠璃物特有の演目、私は未だにこの不条理物が苦手である。
 「壷坂観音霊験記」は観音霊験と夫婦愛を描いたお馴染みの名作である。今回初めて見たが世を儚んで沢市とお里がそれぞれ谷底に身を投げる場面、舞台では実際に人形を突き落とすのだ。瞬間なのだがまるで生きた人間が飛び降りるように見え、息をのんだ。
 
 国立文楽劇場は今年開館35年を迎えるとかで記念公演もあるようで楽しみだ。
 さて、1部が終わって帰ろうとロビーに降りるとマイクで「本日は十日戎の日でございます、今宮戎神社の福娘さん達が福笹を授けに来られますので皆さんお集まりください」と呼びかけている。
 劇場から今宮戎神社はそう遠くないので帰り道に寄ってみようかと思っていたので「こいつは春から縁起が、いや棚から福笹や」と福にあやかることにした。

*動画を追加しました。より目出度く!


2019年1月9日水曜日

初春様々

 長谷やんから「ブログに苔が生えないように更新しなさい」とお叱りがあったからではないが 元旦以降久々に更新します。
 年末から元の職場の退職者会の会報の新年号を作っていて昨日やっと完成した。
 新年号にと会員さんから素晴らしい富士山の写真をいただいた。その色彩があまりに美しいのでなんとかカラーで印刷できないかといろいろ考えていたらいつもお世話になっている組合の書記局のコピー機でカラーコピーが出来ることがわかり正月号だからと張込んでみた。
  結果は見事に写真の色調を再現できたのではないかと思っている。

 わが家の新年は親子三人、2年ぶりにそろって迎えることが出来た。昨年、一昨年は義父の入院などで揃わなかったのだが大晦日は八尾の実家から貰った蟹で鍋を囲んだ。
  息子は土産に精米21%の純米大吟醸を持ってきた。私はテレビで見た濃口尚彦研究所という変わった名前の石川県の酒蔵の純米吟醸と奈良桜井の今西酒造の「切辛(せっから)」を用意した。嫁はんは丹波の西山酒造場の「小鼓」を買って来た。
 三人三様、好みのセレクトの日本酒だが四合瓶の空き具合は写真右の息子セレクトの瓶が一番早かった。味というよりこれが一番値段が高かったという落ちではあったが、、、何にせよ、三人で無事一年を過ごせ、新年を迎えることが出来て良かった

 毎年正月二日は八尾の実家で新年会をするのだが今年は兄弟それぞれ体調や他用があり集まることが出来なかった。昨年も少人数で寂しい気もしたが甥や姪っ子もそれぞれ家庭を持ちその子も結婚したりしているのだからそれはそれで結構なことだと思っている。
 


 義父は病院のベッドで嫁はんに年賀状を見せて貰い(字を拡大して見せると)誰からの年賀状や?と呟いたらしい(嫁はんにしか判らない読唇術のようなものらしい)今年百歳を前にして小さなことだが嬉しい春になりそうだ。

2019年1月1日火曜日

共に100歳!

 


 一昨年は義父の快活な絵手紙を賀状に使わせてもらった。しかし病床で元気に(笑い)新年を迎えた義父に絵筆を握らせることは無理なので不肖の婿である私が代わりにスケッチを元に賀状をつくりました。
 
 
 大阪中之島の公会堂は北浜の風雲児と呼ばれた相場師岩本栄之助が私財を投じて完成させたもので昨年100歳を迎えた。義父も同じく今年100歳を迎えようとしている。

             本年もよろしくお願いします。