2013年7月24日水曜日

山椒は小粒で、、、

私の愛読書「幻の河内弁」に面白いことが書いてある。日本の政党状況(昭和58年発行の本です)を「うどん」に例えて、河内のおっさんが若いもん(者)に説明している、という図になっている。
うどん-自民党や、うどんなしでどんなうどんも造れんように、自民党なしで日本の国は造れん。
あぶらげ-中道政権のボスや、今のところ公明党というところか。
かまぼこ、ネギ類-各々は多党化時代に似とる。賑やかさを好む国民にしたのは財界の失権や。まあ、どんなうどん食べても、かまぼこがあるよって民社党や。ネギもあるから新自由クラブとゆうとこか。
 この段階までは、うどんの見栄えを良(よう)しているようなもんで、白いうどんのお飾りや。自民党の提灯持ちや、分かるやろ。
-これが社会党や、味のないうどんに味付ける訳や。社会党ちゅう奴は、元々可哀想な存在で自民党と伯仲勢力があって当然の党やのに、「うどんは汁によって食べられる」とゆうような発言するさかいに間違いが起きる。
七味-これが問題やねん、共産党や。若いもんは元気がええもんやから、仰山入れよるし、年寄りは刺激がきついと体に悪いとゆうて入れよらん。昔から、青年は改革を志し、中年になって大勢を理解し、老いてまだ志あるものは馬鹿、とゆうてきたもんやけど、こればっかりは、食べる人の味付け加減でどないでもなるよって難儀なこっちゃ。若いもんは承知でやりよるし、病気みたいなもんで、そのうち直る。という事で「うどん」による政治評論を終わるッ。
 あ、そやそや、忘れてた。うどん食べる人は「国民」で、国民は多党化時代の来ることを希望しとらへんで。自民党に云うといたるけど、ゼイタク身に付けさしてから、辛抱せい云うたら、このままゼイタクさせてくれる党ないやろかと思いよる。「国民は、うどんに味付けする汁は求めても、汁を飲むためにうどん求めたりせん」ちゅうこっちゃ。ほなら終わる。
 河内弁を知らない人には分かりにくいし、時代背景も変わっている。そもそも政党に対する認識も著者の個人的なものだが、共産党に求める国民の想い、というものを野次馬的に表現するなら、「山椒は小粒でピリリと辛い」的な表現を使う人は私の周りにも沢山いるし、ややもすると、政界のご意見番や、したり顔のコメンテーターにもこの類の御仁はいる。この本のように、「七味は多すぎたらアカン」と思っている人は多いのかもしれない。
 しかし、時代は激変し、期待された民主党は保守政党に先祖返りし、ならばと創られた「第3極」も結局、自民党の補完勢力であることが明らかになりつつある。どう考えても自民党に正面から対抗するのは「小粒」ながらも共産党しかないのでは、と開票速報を見ながら思った夜だった。

追記ー若い頃は「インスタントラーメン」を前に深夜まで開票速報に見入ったものだが、最近は出口 調査とやらで開票前から当確のテロップが出る始末で、白けて早々と床に就いていたが今回ばかりは、深夜1時過ぎまで見入った。勿論、ラーメンを食べるほどの胃袋はなく、冷たいお茶を飲みながらではあった。

2013年7月7日日曜日

国民平和大行進


 毎年参加している「国民平和大行進」といっても最近は、大阪から兵庫県への最終半日コースである。ところがその半日がキツクなりつつあり今年は、前日の無理がたたり、腰痛発症で断念し、出発集会だけ参加した。私より年上の仲間が府内通し行進をされているのに申し訳ないやら、情けないやら。
 そんな気持ちに被さるように昨日6日、長崎の被爆者、山口仙二さんが亡くなられた。1982年の国連軍縮特別総会に参加し、自らのケロイド写真を掲げ「ノーモアウォー・ノーモアヒバクシャ」と国際社会に訴えた。その山口さんと同じく、長崎で被爆体験をした労働組合の大先輩のF氏が「原爆、平和、わが長崎」というDVDを最近出版(どう言ったいいのか分からないので)され、退職者の会を通じて頂いた。現役時代、生で聞いた話や、これまで知らなかった当時の生々しい話が視聴出来て、あらためて原爆、核兵器のむごたらしさを実感した。
 そんな感慨に浸っているとき、明日、8日に「原発新規制基準」が施行されることになり、関電をはじめ全国で10ヶ所の原発が再稼働の申請をするらしい。福島第1原発の事故原因の真相解明や、原子炉の廃炉にいたる処理方法も定かでないこの時期に!再稼働申請するとは、
そこにあるのは、儲け第一主義の大企業の心底しか見えない。
 また、その新基準というものの中身を見て心底驚いた。
まず、過酷事故を想定してフィルターがついた ベントを設置すること。つまり、外部への放射能の拡散を抑え、原子炉内の圧を下げる装置の義務付け、そして、全電源喪失に備え、外部電源の確保、電源車の配備、津波対策、なぜ今までそういう義務付けがなかったのか?そもそも、過酷事故を想定していなかったからである。いったい何が最高水準の安全対策だったのか?まさに、安全神話である。今度の新規制基準が「新しい安全神話」にならないように厳しい目を国民は持たなければならないだろう。その審判が間近に迫っている。正しい一票を!

おまけにもならないだろうが我が家の今年のグリーンカーテン、横への伸ばしがうまくいかずスカスカである。