2017年12月28日木曜日

見守り(ゆるやか介護)の日々

 2017年の年明けは義父の明るい絵手紙の年賀状で始まって、一進一退という程の生活の変化を何回か「見守り(ゆるやか介護)の日々」で書いてきた。
 25日の早朝、嫁はんからの電話で目が覚めた。「おじいさんがトイレで倒れている!喋れるが手足が動かないみたい」と云う。救急車を呼んで病院に行くように話し、病院が決まればメールするように伝えて着替えて待った。
 救急車の中から「脳外科のある救急病院を探している」、「まだ決まらない」などメールがあって10分ほどして「やっと決まり今から向かう」という事になった。
 私も直ぐタクシーで駆け付け、と云っても20分ほどかかる豊中市の南の庄内だったが、診察医師と面談できた。
 CT画像の説明では右脳内に約4センチ大の出血があり、これが左手足の麻痺を引き起こしている、との診断だった。去年4月は頭部外傷による硬膜下出血で大事には至らなかったが今回は脳内部の出血で厄介な部分にかなりの大きさで広がっており、これ以上広がらないとしても麻痺などの後遺症は覚悟して下さいという事だった。
 現在は集中治療室なので面会が極端に制限されており、嫁はんからは断片的な様子しか伝わらない。長谷やんからはアドバイスをもらうが未だ入院3日目、医師も超高齢者という事で慎重な、というか、あまり希望観測的な話はしてくれないと嫁はんの表情も暗いが今すぐ命にかかわる事態ではないので様子を見守ることしかできないという事になっている。
 今年は去年の暮れのようにデイサービス所での絵手紙も無いので嫁はんの絵で年賀状を作った矢先の出来事で慌ただしい年の暮れになりそうだ。
 
 

2017年12月9日土曜日

「風」とともに~

 はしだのりひこさんが2日亡くなった。
 
 フォーククルセダーズのメンバーとして「帰ってきたヨッパライ」という何とも不思議な曲で一躍売れっ子になったが京都フォークの本筋を歩いた本格派のシンガーソングライターだった。
 メンバーの北山氏が本業(精神医学)に戻り、加藤和彦氏は才能故に自ら命を絶った。はしださんはその後もシューベルツやクライマックスなどのグループを結成し「風」や「花嫁」などの名曲をつくり歌い続けた。しかし次第にテレビからは遠ざかり、マスコミにも取り上げられる機会は減った。時々、妻の看病をする当時あまり聞き慣れない「主夫」という立場でマスコミに取り上げられたりしていた。
 最近は当時のメンバーの杉田二郎や仲間のコンサートに車イスで登場したりしていたが、それが20数年来のパーキンソン氏病を患っていたことを死亡記事から知った。
 私より一つ年上の72歳だった。
 久しぶりに懐かしい「風」を聞きたくてyou‐tubeを見ると、京都の環境問題で孤軍奮闘する中で共産党が一番話を聞いてくれた、と述懐しているのを見た。
 またいつも見ている共産党穀田議員のブログ「こくた恵二の活動日誌」にも通夜に出席した事、永い付き合いの想い出として「共産党の演説会での応援演説を依頼した時は『今度は、こくちゃんに小選挙区で勝ってほしい』と嬉しい返事とともに快諾をしていただきました。京都の自然と景観を愛し、各種の住民運動にも参加され、『まじめに取り組んでくれるのは日本共産党だけ』と、私たちに期待を寄せ、躍進を望んでおられました。」と書いておられた。
 通夜式で披露された穀田氏の弔電の「~『ちょっぴりさみしくて』どころか、とても『悲しくて』たまりません。天国では、唄で多くの方々を喜ばせてください――」の言葉に泣けた。