2010年11月27日土曜日

 北野天満宮の骨董市に行ったついでに混雑覚悟で嵐山へ。25日の天満宮の骨董市は21日の東寺の弘法市より安くて面白いものがあります。
 東寺の骨董は「本格的な」という感じで値段も高いものが多く、素人には手が出ません。
 ということで当日は、HEMMIのミニ計算尺、ルーペ付きの実用的なものです。(昔、高校の計算尺の授業で泣かされました。)竹製で狂いがなく日本が世界に誇る製品です。もう一点は、波を切って進む潜水艦の形をした文鎮です。文鎮という事から日本製か中国製、もし中国製だったら珍しいものかもしれません。
 境内の茶店で「長五郎餅」とお茶でひと息。境内の銀杏でしょうか、お堂の屋根を見事に黄色に染め上げていました。
 平日といえど紅葉の嵐山、メインストリートは人の波です。でも一歩、中に入れば人波もちらほら、大型バスの駐車場横は人も少なく見事な夕映えの紅葉が見れます。帰り道の中ほどに、桜の時期、楽しみにしている「枝垂れ」の 大木があるのですが何処にも見当たりません。料亭の駐車場なのですが良く見ると大きな切株が、もしや!ちょうど出てきた板前さんらしき人に尋ねると「以前から中に空洞ができたりして弱っていたんやが今年の暑さで息絶えたんです」との事。猛暑の影響がここにも、救いは切株の横にか細い若木が一本植わっていました。


2010年11月23日火曜日

 19日、退職者の会の「歴史探訪ハイク」に参加。当日のガイドは郷土史家の「がもう健」さん、蒲生さんは現職の府会議員さんでもある。今回のテーマは「史跡の謎を解く旅」天下茶屋跡の紹鴎の森~万代池~住吉大社~熊野街道沿いの史跡を巡る。
 天下茶屋跡では詫び茶の創設者、武野紹鴎とその子、宗瓦と信長、秀吉にまつわる話を面白く聞いた。紹鴎は私財をなげうって名物茶器を集めたが子の宗瓦の代になって、ぼんぼん育ちに付け込まれ、信長、秀吉に「名物」を取り上げられ、追放されてしまいます。信長は「名物狩り」と云われるほど収集に熱心であり、秀吉は大名たちを手懐けるため多くの茶器を与えたといいます。
詫び、さびの代名詞のような「利休」も、この辺をよく心得え秀吉に取り入り天下の大茶人となったわけで政治の目利きでもあったというのが「がもう」さんの見解でした。

 コースは住吉大社を目指し南下、途中、阪堺線と南海高野線を何回も横断します。最近、阪堺電車の堺市内走行存続の方向が決まったようで嬉しいニュースです。私は堺に10年勤務していた関係上、よく利用したのですが当時の100系という木造内装の電車が今も走っています。
  がもうさんは住吉大社は不思議な神社だと云う。「別格官幣大社」という評価をもらいながら、権威を押し付ける雰囲気はなく、昔から「すみよっさん」と友達呼び名である。ちょうど今、天王寺の市立美術館で特別展「住吉さん」をやっていて先日覗いてみたが比較的年配の人たちが美術展というより住吉神の出開帳を見るような感じで見物しているのが面白い。まさに「これぞ、すみよしパワー」である。写真は末社の「大歳社」のおもかる石である。石が持ちあがれば願い事が叶うと云われている。これも「すみよしパワー」であろうか。

2010年11月18日木曜日

  紅葉狩りに万博公園に、日本庭園の中の茶室「汎庵」が梅の季節と紅葉の季節に特別公開されます。専属の庭師がおられて日頃の手入れを丹精されているようで「今年も綺麗に染まりました」と満足げでした。
 平日とはいえシーズン最中、見物客は途切れることなくありますが京都の名所とは違いのんびりとした風情があります。ガイドに引率された団体客が少ないせいかもしれません。
 テーブル席の茶席でお抹茶と季節のお菓子を頂きました。少し風があり、係りの人が「障子戸を閉めましょうか」と言ってくれましたがお客さん全員が「景色がもったいない」と開けたまま紅葉を堪能していました。
 私も民博内のレストランでランチ麦酒を飲んだ後だったので顔の火照りを覚ますのに丁度よい風でした。
 
 日本庭園を出る頃、突然の曇り空に、急ぐ目の前に太陽の塔が、ここで突然の質問タイム、太陽の塔には三つの顔があるのを知ってましたか?一番てっぺんにあるのが「未来の顔」万博の時、ここにオッチャンが籠城して有名になりました。正面にあるのが「現在の顔」そして、写真に小さく写っているのが「過去の顔」なんだそうで岡本太郎氏の制作意図はわかりませんが黒い不気味な顔は今でも謎めいています。

2010年11月13日土曜日

 今年の柿は、いつもお米を頼んでいる嫁はんの知り合いから頂きました。去年は保存に失敗し大半を捨ててしまいましたので今年は気合を入れて皮をむき、紐に吊るして「柿すだれ」を演出しましたが、昨日から「黄砂」が飛んできているらしくベランダから大阪市内は霞んで見えません。この後、あわてて室内に入れました。
 尖閣諸島問題以来、何かと良い印象のない中国からの迷惑な訪問客ですが、ビデオに撮って流失させても罪には問われませんでしょうか?
 尚、出来た干し柿は上下のヘタを切り落とし、開いて種と柔らかすぎる実を取り帯状にし、砂糖で煮た柚子の皮を千切りにしたものを巻き込んで和菓子風雲龍にします。又、取り除いたヘタと実は正月のお節、柿膾に使います。

2010年11月4日木曜日

 伊丹の柿衛文庫で、3日から「鬼貫のすべて」を開催中という事で初日に行きました。「鬼貫」は、伊丹風俳諧の基礎を築いた人物ではあるが歳をかさねる毎に俳句を上手くつくる技を嫌い、話し言葉や会話を使い、毎日の普通の気持ちを素直に詠みました。武家の出という事もあり、いわゆる俳諧師、先生にはならず、弟子も少なかったこともあり、没後はあまり評価されませんでしたが、蕪村らが「東の芭蕉、西の鬼貫」と称賛し、再び光をあてました。
 「行水のすて所なき虫のこえ」や「冬はまた夏がましじゃといひにけり」など、まさに日常の会話、動作から生まれた親しみやすい俳句は現代にもすんなりと受け入れられる句です。
 会場の柿衛文庫も、3日は「関西文化の日」と「開館記念日」が重なり、入場無料で、かなり賑わっていました。庭の柿の木にもたくさんの実がなり、熟した柿とお抹茶を頂き甘露、甘露。