2017年3月16日木曜日

言行に恥ずるなかりしか



 連日の森友学園事件の報道の中で問題の本質から離れたワイドショー的な取り上げ方が多いように思う。
 理事長夫妻の不可解な言動や、その周りにつながる政治家や役人たちの鼻白む答弁などを面白おかしく取り上げたりもしている。しかし、問題の本質として忘れてはならないのは、「国有地が不透明な経過の中で払い下げられたこと」そして「私立とはいえ、教育勅語などを用いた偏向教育があったこと」ではないだろうか。
 『教育勅語がなぜ悪い!どこが悪い!』と理事長は云ったが何故、教育勅語が廃止されたかについては長谷やんのブログに詳しい。
 いずれにしろ、理事長夫妻を「トカゲの尻尾きり」で幕引きすることは絶対避けなければならない。安倍首相にまつわる「加計学園」への便宜供与の問題も出てきており引き続く徹底した調査、追求が必要だと思う。
 さて余談というか、教育勅語で思い出した事がある。
 私の中学生時代に、授業の際、竹刀をもって教室を歩き回り、問題の回答を指名され答えられない時や間違った時に「ニコっ」と笑って持っている竹刀で頭を「コッ」とやる教師がおられた。
 決して痛くはなく、体罰という認識もなかった。その教師がよく我々に云った言葉がある。『努力に憾みなかりしか』『言行に恥ずるなかりしか』と、当時私はこれは「軍人勅語」だと教えられていたように記憶しているが正式には「五省」と云い、海軍兵学校で用いられていた五つの訓戒であるそうだ。
 その教師がこの「五省」を用いて生徒に帝国海軍の軍人精神を注入しようとしていたとは思っていなかったし、高校受験の結果発表を大雨の中にもかかわらず、雨合羽姿で単車に乗り、いち早く各家庭に知らせに来てくれる「熱心な先生や」と親たちの評判もよかった。
 私自身も社会人になっても時々「努力に憾みなかりしか」という言葉を仕事や日々の生活の中で自分の身の処し方に照らし合わせてみる事が多々あったし、今でもそうだ。
 教師と生徒の関係や、教育をめぐる情勢も大きく変わってきている。しかし私の中学時代のこの教師が「五省」を唱える時、「お前は本当に勉強したんか?頑張ったんか?」という意味で云っていたのだと思う。
 今度のように、幼稚園児に教育勅語を暗唱させるというのとは本質的には違っていたと思うし、この問題に関わっている人たちは、「言行に恥ずることなかりしか」と自問自答しなければならぬと思う。そんな事を思い出させる事件だ。

2017年3月12日日曜日

想いを伝える


 今日は大いに迷ったが「なくせ!原発 再稼働はんたい!」-3・11おおさか大集会-をあきらめて「森友学園緊急報告集会」に出掛けた。
 日本中の耳目を集める大問題の地元である豊中市での集会ということでかなりの人数が集まるかもしれないと思ったがそんなに宣伝もしていないので「2時開会」の少し前に行けばいいだろうと思い出掛けた。
 新装なった市の会館の中に入ると何やら大勢の人が集まっており、スタッフの腕章を付けた女性が必死に説明している。取り囲んでいる人たちは口々に、「どないなってるんや?」「遠いところから来たのに殺生や」と言っている。
 話を聞いていると主催者も予想外の参加者で1時前ごろから人が集まりだし、急きょ整理券(新装なったホールの為市側の規制が強まりこのホールには200人以上入れてはいかん!という事になり)を出し早々と人数に達してしまったらしい。
 何とかならんのかと粘ったが結局あきらめた。今からでは「おおさか大集会」にも中途半端だしと、こちらも諦めた。
 なんとも締まらない一日になってしまったと思いながら帰り道に立ち寄った大阪空港で思いもかけず空港内のアナウンスが「皆様も黙とうをお願いします」と呼びかけ、ほとんどの人が立ち止まり黙とうをしていた。
 私も黙とうをしながら6年前のあの日の事を思った。家に帰って6年前のブログの記事を見てみると、やはり当時群馬で働いていた息子の心配と、阪神淡路大震災の時の事が思い出され眠れない日が続いていたことが書いてある。
 当日のテレビ画面に映る津波の圧倒的な破壊力のすさまじさに絶望しかけたが本当の恐怖はその後に起こった東京電力福島原発のメルトダウンと核爆発(政府発表は水蒸気爆発と云っているが)である。日々広まっていく放射能に汚染された空気が天気予報の雨雲のように関東周辺に広がっていくテレビの画面を見ながら暗澹たる気持ちになったことを覚えている。
 ひと月がたち、三月が過ぎて原発事故の本当の原因さえも把握できない、いや、しようとしない状況に憤慨し私は新聞に「被ばく犠牲者をもう出したくない」と投書をした。ビキニ環礁でのアメリカの水爆実験の犠牲となった第五福竜丸の久保山さんの死を悼み、「三たび原爆を許すな」と誓ったはずの日本が、その誓いを図らずも破り、福島原発事故により放射能の死の灰を世界に拡散しようとしていることを怒りをもって訴えた。
 それから3か月後の事だった。当時の民主党の党首選挙で候補者の多くが「原子力技術の蓄積が現実的」「短絡的な脱原発というイメージの一人歩きは危険」などと公約するのを見て、「脱原発への決意もう忘れたのか」-喉元過ぎれば熱さを忘れる-と再び投書した。-菅直人前首相は脱原発を世界に表明した。その決意は被災者に対する誓いでもあったはずだ、しかし、これら候補者の言い様は、まるで原発事故が終息したかのようである、まだ喉元も過ぎていない。熱さを感じなくなって苦痛を忘れてしまい、被災者の事を忘れていいのかと-
 あれから6年、毎年の「1・17」と「311」には「決して忘れない!」の誓いを立てている。しかし、今の安倍内閣の原発再稼働推進の政治姿勢や民進党に名前が替わっても原発村の電力労連に支配されて腰のふらついたエネルギー政策しか持てない姿を見ていると二度の投書に込めたあの時の熱い思いは冷めていることを正直に白状しなければならない。
 しかし、それではいけないのだろうと思う。立ち止まって黙とうをし、忘れませんと誓うだけでは。

 
 
 長谷やんのブログに励まされ、日付の変わった深夜に記す。
 
上の写真の「風の電話」について
  2011311日の東日本大震災の際に、自宅から見える浪板海岸を襲った津波を目にしたSさんが、助かった被災者が、亡くなって会えなくなった被災者と想いを風に乗せて伝えられるようにと敷地を整備し、祈りの像や海岸に向かうベンチを置き「メモリアルガーデン」を併設した上で開放した。
 電話ボックス内には風の電話とノートが1冊置かれ、来訪者が電話で亡き人に思いを伝えたり、ノートに気持ちを記載したりできる。
「風の電話は心で話します 静かに目を閉じ 耳を澄ましてください 風の音が又は浪の音が 或いは小鳥のさえずりが聞こえたなら あなたの想いを伝えて下さい」電話機の横にはそう記されている。
 
 
 

2017年3月6日月曜日

薄味にも一工夫

 今年も姉から八尾の「葉ゴボウ」が届いた。
 ここ半月の間に友達からは「もう食べたで」とかの情報があったし、2~3日前には待ち切れずに近所のスーパーで高知産の「若ごぼう」を買ってしまい食べたばかりである。
 ではあるがやはり八尾産の葉ゴボウは味が違うし、茎を切ると糸を引くほど新鮮、というか地物の良さがあるように思う。
 今年は炊き込みご飯はいつも通りに炊いたが、うす揚げとの煮物は炊く前にサッと少量の油で炒めた。鮮やかな緑が一段と増して褪めにくくなった。健康上、油分控え目にしているがこれ位はいいだろう。