2010年12月31日金曜日

大阪キタに大型書店が開店したので早速出かけた。昔から洋書で有名な「マルゼン」と「ジュンク堂」が、タッグを組んだ日本最大規模の書店だ。その車内広告が面白い。(長いので一部略す)
 大阪で一番ということは日本で一番ちゃうん?
 (そやそや昔から文化は大阪や)
 紙の本が一番や!
 (電子本、ゞと騒ぐんじゃないぜ)
 ヒマつぶしが一番出来るのは本屋です。
 (たまには買ってください。)
と、掛け合い漫才風につくられた、この長い宣伝文が地下鉄車両の扉の上の細長い場所に書いてある。(見つけた私も偉い!)この中で気にいったのが
 昔から文化はおおさかや!と 紙の本が一番や! の件です。両店の心意気やあっぱれ!
 ところで、先日旧友から「電子書籍(メディアタブレットと云うらしい)を買おうと思ってるんやけど」と相談を受けた。友の曰く、読みたい本を買いに行くといっても田舎からでは電車賃もバカにならん、家にいて一冊(この場合1台か)あれば便利かな、ということらしい。なるほど文庫本より高い交通費をかけずとも居ながらにして読めるとあれば、これも一手かな、と思ってしまい、紙をとるか?電子をとるか?返事が出来ずに困っている。

2010年12月27日月曜日

  今回、弘法市で買ったものは、はじめ水滴かと思って手にとってみたが穴がなく、ムクの陶器で割と目方もある。店主が「それはスンコロクといってタイの陶器です」と云う。面白い名前と可愛い形(タテヨコ4㎝ほど)なので2個あったものを2,000円で買い求めた。
 調べて見るとタイ国で14世紀以降に焼かれた陶器で名勝地スコータイ県のサワンカローク地方で焼かれた陶器とある。日本には慶長年間南蛮貿易で渡来し、茶人が茶器として用いられた。面白い名前は「サワンカローク」の音読みだといわれているが「宋胡録」と表記されている。その形は小さく蓋が付いているところから日本では香合などに用いられ、今も茶人や愛好家の間では垂涎の的になっているらしい。(ただしこの点は日本でスンコロクを造っている方の話なので控えめに見た方が)今回の物は、親鳥の背中に子が乗っているというもので、香合でもないしはたして本物なのかどうかは判らない。いずれにしても本物ならば、この値段では手に入らないものであることは確かなようだ。酉年ではないが正月の床飾りの脇に置くつもりで気にいっている。

2010年12月21日火曜日

  前から欲しいと思っていた「富士山グラス」メーカーは関東なのだが大阪ヒルトンプラザにショップがあるというので出かけて一つ買ってきた。
 若い店員さん『ビールを注ぐと雪を冠った富士山に、赤ワインを注いでいただきますと赤富士に、』とTVで聴いたコマーシャルと同じ様に説明してくれる、しかし、そのあとの一言が「お値段も富士山と同じに3,776円にしています」と洒落たつもりでにっこり笑ってご説明、私は思わず「8合目ぐらいでもエーねんけどな~」と突っ込んだ。
 彼女はキョトンとした顔をしていたが、このシャレは大阪人には通じまへん、「そもそも富士山は高いもんに決まってます。その高いもんに物の値段をゴロ合わせるやなんて!」と、まぁ~大阪流の商売のコツを云うてもしゃーないかと桐の箱に入れてもらい大事に持って帰りました。そして夕食に飲んだビールがうまかったのはいつもの発泡酒でなかっただけではないような?
 

2010年12月19日日曜日

 今年の猛烈な暑さ、日差しを幾分和らげてくれた我が家のグリーンカーテンは、ゴーヤと琉球朝顔。ゴーヤは品種が違うのか申し訳程度に20センチ足らずの物が三つほど、でも味はしっかりゴーヤしてました。琉球朝顔は、葉っぱの多さと、きれいな花を楽しみに今年初めて採用しましたが地植えではなくプランターの所為か期待したほどのカーテンにはなりませんでした。
 落ち葉の季節になり階下のお家に迷惑をかけてはと取り除きにかかりましたがネットに絡みついた枝というか蔓を引き剥がすのに半日かかりました。でも、除いた蔓は柔らかく強靭です。嫁はんが「リースに使えそう」と言うので提供しました。息子も働きに出て年金暮らしの夫婦にはクリスマスも関係ありませんが、廃物利用にかこつけて、渋茶の似合うクリスマスにしようかと思っています。

2010年12月13日月曜日

  元の職場の「退職者の会」の総会があり、たった2日間留守にしていた間に「干し柿」が劇的に変化し、とても硬くなった。比較的柔らかなものを選んでいつもの和菓子風雲龍に仕立てた。中に柚子の皮の甘く煮たものを挟んで味のアクセントにしています。数がそろわないので急遽、追加10個を干している。
 硬くなりすぎた残りの干し柿、嫁はんは柿膾に、私は細かく刻んでラム酒に漬けて見た。これが大ヒット!和茶にも、紅茶にも、よく合う、ケーキの中に入れてもイケそうです。
 総会は湯河原であったのですが2日目に東京に移動し、厚生労働省に要請行動をしてきました。お昼過ぎに散会し、メトロに乗る前に日比谷公園を散策し、名残の紅葉を見てきました。まだ、色も葉付きもしっかりと残っていました。やはり今年の紅葉は豊作(と言うんでしょうか)でしたね。

2010年11月27日土曜日

 北野天満宮の骨董市に行ったついでに混雑覚悟で嵐山へ。25日の天満宮の骨董市は21日の東寺の弘法市より安くて面白いものがあります。
 東寺の骨董は「本格的な」という感じで値段も高いものが多く、素人には手が出ません。
 ということで当日は、HEMMIのミニ計算尺、ルーペ付きの実用的なものです。(昔、高校の計算尺の授業で泣かされました。)竹製で狂いがなく日本が世界に誇る製品です。もう一点は、波を切って進む潜水艦の形をした文鎮です。文鎮という事から日本製か中国製、もし中国製だったら珍しいものかもしれません。
 境内の茶店で「長五郎餅」とお茶でひと息。境内の銀杏でしょうか、お堂の屋根を見事に黄色に染め上げていました。
 平日といえど紅葉の嵐山、メインストリートは人の波です。でも一歩、中に入れば人波もちらほら、大型バスの駐車場横は人も少なく見事な夕映えの紅葉が見れます。帰り道の中ほどに、桜の時期、楽しみにしている「枝垂れ」の 大木があるのですが何処にも見当たりません。料亭の駐車場なのですが良く見ると大きな切株が、もしや!ちょうど出てきた板前さんらしき人に尋ねると「以前から中に空洞ができたりして弱っていたんやが今年の暑さで息絶えたんです」との事。猛暑の影響がここにも、救いは切株の横にか細い若木が一本植わっていました。


2010年11月23日火曜日

 19日、退職者の会の「歴史探訪ハイク」に参加。当日のガイドは郷土史家の「がもう健」さん、蒲生さんは現職の府会議員さんでもある。今回のテーマは「史跡の謎を解く旅」天下茶屋跡の紹鴎の森~万代池~住吉大社~熊野街道沿いの史跡を巡る。
 天下茶屋跡では詫び茶の創設者、武野紹鴎とその子、宗瓦と信長、秀吉にまつわる話を面白く聞いた。紹鴎は私財をなげうって名物茶器を集めたが子の宗瓦の代になって、ぼんぼん育ちに付け込まれ、信長、秀吉に「名物」を取り上げられ、追放されてしまいます。信長は「名物狩り」と云われるほど収集に熱心であり、秀吉は大名たちを手懐けるため多くの茶器を与えたといいます。
詫び、さびの代名詞のような「利休」も、この辺をよく心得え秀吉に取り入り天下の大茶人となったわけで政治の目利きでもあったというのが「がもう」さんの見解でした。

 コースは住吉大社を目指し南下、途中、阪堺線と南海高野線を何回も横断します。最近、阪堺電車の堺市内走行存続の方向が決まったようで嬉しいニュースです。私は堺に10年勤務していた関係上、よく利用したのですが当時の100系という木造内装の電車が今も走っています。
  がもうさんは住吉大社は不思議な神社だと云う。「別格官幣大社」という評価をもらいながら、権威を押し付ける雰囲気はなく、昔から「すみよっさん」と友達呼び名である。ちょうど今、天王寺の市立美術館で特別展「住吉さん」をやっていて先日覗いてみたが比較的年配の人たちが美術展というより住吉神の出開帳を見るような感じで見物しているのが面白い。まさに「これぞ、すみよしパワー」である。写真は末社の「大歳社」のおもかる石である。石が持ちあがれば願い事が叶うと云われている。これも「すみよしパワー」であろうか。

2010年11月18日木曜日

  紅葉狩りに万博公園に、日本庭園の中の茶室「汎庵」が梅の季節と紅葉の季節に特別公開されます。専属の庭師がおられて日頃の手入れを丹精されているようで「今年も綺麗に染まりました」と満足げでした。
 平日とはいえシーズン最中、見物客は途切れることなくありますが京都の名所とは違いのんびりとした風情があります。ガイドに引率された団体客が少ないせいかもしれません。
 テーブル席の茶席でお抹茶と季節のお菓子を頂きました。少し風があり、係りの人が「障子戸を閉めましょうか」と言ってくれましたがお客さん全員が「景色がもったいない」と開けたまま紅葉を堪能していました。
 私も民博内のレストランでランチ麦酒を飲んだ後だったので顔の火照りを覚ますのに丁度よい風でした。
 
 日本庭園を出る頃、突然の曇り空に、急ぐ目の前に太陽の塔が、ここで突然の質問タイム、太陽の塔には三つの顔があるのを知ってましたか?一番てっぺんにあるのが「未来の顔」万博の時、ここにオッチャンが籠城して有名になりました。正面にあるのが「現在の顔」そして、写真に小さく写っているのが「過去の顔」なんだそうで岡本太郎氏の制作意図はわかりませんが黒い不気味な顔は今でも謎めいています。

2010年11月13日土曜日

 今年の柿は、いつもお米を頼んでいる嫁はんの知り合いから頂きました。去年は保存に失敗し大半を捨ててしまいましたので今年は気合を入れて皮をむき、紐に吊るして「柿すだれ」を演出しましたが、昨日から「黄砂」が飛んできているらしくベランダから大阪市内は霞んで見えません。この後、あわてて室内に入れました。
 尖閣諸島問題以来、何かと良い印象のない中国からの迷惑な訪問客ですが、ビデオに撮って流失させても罪には問われませんでしょうか?
 尚、出来た干し柿は上下のヘタを切り落とし、開いて種と柔らかすぎる実を取り帯状にし、砂糖で煮た柚子の皮を千切りにしたものを巻き込んで和菓子風雲龍にします。又、取り除いたヘタと実は正月のお節、柿膾に使います。

2010年11月4日木曜日

 伊丹の柿衛文庫で、3日から「鬼貫のすべて」を開催中という事で初日に行きました。「鬼貫」は、伊丹風俳諧の基礎を築いた人物ではあるが歳をかさねる毎に俳句を上手くつくる技を嫌い、話し言葉や会話を使い、毎日の普通の気持ちを素直に詠みました。武家の出という事もあり、いわゆる俳諧師、先生にはならず、弟子も少なかったこともあり、没後はあまり評価されませんでしたが、蕪村らが「東の芭蕉、西の鬼貫」と称賛し、再び光をあてました。
 「行水のすて所なき虫のこえ」や「冬はまた夏がましじゃといひにけり」など、まさに日常の会話、動作から生まれた親しみやすい俳句は現代にもすんなりと受け入れられる句です。
 会場の柿衛文庫も、3日は「関西文化の日」と「開館記念日」が重なり、入場無料で、かなり賑わっていました。庭の柿の木にもたくさんの実がなり、熟した柿とお抹茶を頂き甘露、甘露。

2010年10月30日土曜日

ビジネス街の癒しスポット

 御堂筋の本町寄りに南御堂会館があります。その南側の石垣に可愛い石像が、地蔵さんだとか、謎の石仏とか言われていますが会館の人もその由来は分からないという事です。ただし、この石垣の由来ははっきりしていて、大坂夏の陣、冬の陣で落城した大坂城の石垣を後年、徳川幕府から寄進を受け、御堂建立の際に石垣に使ったという事です。この石像が大坂城の当時からあったものなのか、はたまた、御堂の石垣を造営する際、石工が遊び心ではめ込んだものか、よくわかりません。 
 石垣のあちこちには焼け焦げた跡があります。大坂城落城の際のものか、はたまた昭和20年3月の大阪大空襲によるものか知る由もありませんが幾歳月、ビジネス街の片隅に、人知れず座り続ける石像に心が「ほっこり」とする癒しのスポットです。     

                                

2010年10月25日月曜日

箕面の栗は美味しい

「茹で栗」や「栗ご飯」だけでは芸がないので「栗蒸し羊羹」を作りました。といっても家の電気炊飯器で簡単にできるというレシピで実際作ってみましたが思いのほか、上手く出来ました。
 嫁さんは「ひろば」に載っていた「かるかん」を作りましたが味は私の勝ちでした。しかし、二切れも食べるとどっしりとお腹に、さっそく明日はプールです。
 ちなみに、お皿は「小鹿田」焼です。日田の皿山に行ったときに買ったものですが柳宗悦の民芸運動の代表のように言われ、一時、ブームになりましたが、今も11軒の職人さんの手で守り継がれているため流通ルートにはのりません。
 大阪の万博公園内の「大阪民芸館」の売店でときどき見かけ、その都度買い足していますが素朴で飽きないものです。

2010年10月16日土曜日

 箕面のお猿の話のついでに箕面の自然についてもう一咄、滝道の箕面川にオオサンショウウオが棲んでいるという話を聞き、運よくカメラに収めたのが去年の9月、その後、偶然箕面市の観光部署の方とお話しする機会があり、オオサンショウウオの話をすると、二~三ヶ所棲みかを確認しているが、ただし、元々この箕面川には棲んではおらず、昭和40年ごろから目撃情報が寄せられたという。その発祥は定かではないが、市の方の話で「最近、滝壷や、渓流の趣のある川の中に丸々と肥えた錦鯉が泳いでおり、イメージダウンで困っている」とかで「誰かが(オオサンショウウオを)放流した可能性もあるという事で「自然の何たるかを弁えない人がいるものだ」と嘆いておられた。野性のお猿さんを観光の目玉にしようと餌付けをし、挙句、高い代償を払って自然に帰す人間、お猿さん以上に不思議な生き物ですなー。

2010年10月15日金曜日

箕面の秋

 今年も栗を買いに箕面の滝道のなじみの店へ、おばさんの話では「少し
出遅れだが、味はイイヨ」とのこと、11月には干し柿用の柿も出回るし、また、最近は「ゆず」も名物にしようと「ゆるキャラ」も登場、名前が「滝の道ゆずる」と柚子滝道を譲りあう、をかけてのネーミングらしい。
 箕面の滝のもう一つの名物のお猿さんは、市と環境保護員さんの努力により、山に帰って生活しているらしく、かっての暴力猿の話も聞かない。やはり自然のままに、がヨロシイようで。

2010年10月9日土曜日

友達に触発されて開設しました。「うす口問答」のうす口とは”色は薄いが中味はしっかり”の淡口醤油の淡口のことで、昨今、コテコテの関西-どこかの知事さんや吉本の笑い、と見られがちだが本当の関西、上方の文化を再発見していきたいと思います。