2014年4月28日月曜日

「のだ藤」復活

  世の中、GWに突入と騒いでいるが基本、年中サンデーの私には関係ないと無視している、いるが、1~2の行事には毎年出かけている。その一つが「老松古美術祭」である。
 春と秋の年2回開催され楽しみに出かけている。今年で38回目とか、昔は「老松骨董祭り」と云っていたと思うが古くからの古美術街がこの季だけは冷やかしの観光客も入り賑わう。大阪高等裁判所の裏手にあり、目の肥えた司法関係者や数寄者たち(これは私の独断)が通う、京都の新門前町のようなホンモノを扱う古美術街である。であるから普段は、ホンモノ、ニセモノ入り混じりの四天王寺の骨董市のような雰囲気は全くない静かな街である。
 そんな古美術街が「品」は保ちながら少し骨董市の雰囲気を出して年2回、私たちに良い品を提供してくれる。とは云え、そうそう手の届くようなモノはない。河井寛次郎や富本憲吉、そしてペルシャの古いガラスなどが通常の値段よりも安く(と思う。)並べられているが「勉強のため」「見るだけ」である。それでも楽しい。
 そんな店の1軒で「骨董市」の雰囲気で並べられていた中から見つけたのが写真の「香合」である。店の人は「志野」だと言ったが「馬の目」の模様が可愛いのと格安だったので購入した。
 老松町の狭い道の両側に並んだ店を次々覗いても1時間足らずで済んでしまい、帰る事にして、今日出かける前に事前に調べておいたもう一つの目的「野田の藤」を見に行くことにした。
 京阪電車中之島線の終点「中之島」駅からすぐの処の「下福島公園」から阪神「野田」駅前までぶらぶら歩いて見物した。ピークは過ぎたという事だったがガイドチラシを手にした見物客が結構歩いていた。「野田の藤」の歴史は古く、私の愛読書、雑誌「上方」にも当時の賑わいぶりが載っている。チラシによると昭和46年ごろに「のだ藤」復活の話が起こり、56年ごろから「区民の花」として根付き始めたらしい。今は区をあげて苗を育て、普及に努めている。
街中に設置した「地名板」はキレイな「藤色」だった。



2014年4月20日日曜日

名人の引退

昨日(4月18日)は、さながら文楽-竹本住大夫デーであった。朝刊のテレビ欄-NHK「関西熱視線」で「文楽の鬼・引退公演」を放送するとあった。当日、私はその住大夫さんの引退公演である文楽劇場の四月公演「菅原伝授手習鑑」・通し狂言を観に行くことになっていたので予約録画をして出かけた。そして夜10時過ぎに帰宅し「毎日」の夕刊を見ると、「極めた芸道、集大成-文楽の竹本住大夫さん 来月引退」という特集記事が載っていた。実物を観ぃ、テレビで見ぃ、新聞で読み、だから昨日は一日、住大夫デーであった。
 新聞の記事はそこそこであったが、テレビの放映内容は、橋下市長の文楽攻撃の矢面に立って奮闘された住大夫さんが脳梗塞に倒れ、懸命のリハビリの末の復活公演、そして今回の引退公演に至る軌跡をドキュメントしたもので見応えがあった。そして、国立文楽劇場での引退公演で間近に見、聴く生の姿、正直言ってリハビリの結果がどの程度のものか、住大夫さんの持ち味であると云われる「艶と情」がどの程度回復されているのかは分からない、しかし分からないものの目を閉じて聴いていると、覚悟の引退公演、文楽の故郷・大阪での最期の「語り」という想いが心に伝わってくるように思えた。文楽にはまって1年余。何をわかった様な事を、と思われるかも知れないが、「知らん者の強み、怖さ」というものはある、それは、公演に満足し、家に帰って録画したNHKの番組を見て「あーそういう気持ちで語ったはったんやなー」と納得した事があった。
 住大夫さんは番組の中で「やっぱり情でんな、情を伝えるのが大夫の使命であって、きりがありまへん。僕も死んでからもまだ稽古に行かなあきまへんやろな」と仰り、引退会見の場でも「浄瑠璃ってええもんでっせ、文楽てよう出来てまっせ、こんな結構なもの、やらせてもらうのは、ほんまにありがたく、商売冥利に尽きまんな」としみじみ語っておられた。89歳、稽古に打ち込み、引退して尚、さらに高みを目指す心意気、ほんまにすごいお人である。
 最後に、私も初めての経験だったが、昨日の公演で住大夫さんが出てくると、「待ってました!たっぷり!」との声が、見事な間の掛け声だった。

2014年4月16日水曜日

護ろう9条と良心を

  嫁はんが旅行に行くので超早めの朝食を相伴している時、手にした「毎日」の記事に釘づけになった。”消える「平和憲法号」-「意見広告だ」批判受け”という見出しで「土佐電気鉄道(高知市)は、5月3日の憲法記念日に合わせて毎年走らせてきた路面電車「平和憲法号」「憲法9条号」の運行を今年から中止することを決めた。市民団体の負担で車体に「守ろう9条・25条を!!」などのメッセージが描かれ、護憲を訴えてきたが、乗客から抗議を受けて中止を決めた、という記事である。護憲を願う市民団体が2006年から高知市などで5月3日を中心に約4か月間の期間、運行してきた。費用は街頭募金やカンパで賄っているという。ところが、「昨年5月に乗客らから『憲法を守ろう』という広告は意見広告ではないか」との抗議が電話やメールで数件ずつ寄せられ、社内で対応を協議した結果「意見広告は内規で禁じている、『平和憲法号』なども世論が変われば意見広告と取られることもあり、政治的な問題になってしまったので中止する」と市民団体に通知をしたという事である。
 土佐電鉄の内部で、どんな議論がなされたのは分からないが、しかし、「守ろう9条・25条を」を意見広告だと認めてしまえば、たとえばいま問題になっている「ヘイトスピーチ」を車体にラッピングしてくれなどと、乗客らから云われたら断れないのでは、と云う位の議論(?)は、なされたのかもしれない。
 意見広告とは「個人や団体・企業などが政治問題や社会問題などについて、自らの意見や主張を表明する目的で作成した広告である」という事のようであるが、「憲法を守ろう」というのは、いろいろある意見の一つではない! 尊い幾百万の命に代えて手にした、日本国民が守るべき「意見」である。ちょこっと解釈を替えたぐらいで替えてはならない「宝物の意見」なのだと思う。
ちなみに、大阪モノレールでは、意見広告ではないが、関西馴染の企業の派手なラッピング電車が走っている。真っ赤な車体にデッカイ餃子のラッピングは強烈なインパクトで、避けようもなく食欲中枢を刺激しながら目の前を走っている。意見広告以上の効果絶大である。

2014年4月8日火曜日

淡口は甘口に非ず!

 「毎日」の7日付夕刊で”興味深いと”いうか「やっぱり!」という特集記事があった。「消えた辛口コメント」-テレビ番組改編”政治家との力関係が変化している”-という見出しで、春の番組改編で各局の報道・討論番組のコメンテーターの顔ぶれが代わったことを取り上げている。トップバッターは、作詞家で作家でもある「なかにし礼」さん、ワイドショーのコメンテーターを降板したという。彼は「日本国憲法は世界に誇る芸術作品」と称賛し、安倍内閣の解釈改憲を真っ向から批判していた。他にも原発再稼働を批判する元経産省官僚の古賀茂明さんも3月末で降板した。さらに、経済アナリストの森永卓郎さんも「討論、時事番組の仕事を干されている」と打ち明けている。彼も「沖縄の海兵隊は殴り込み部隊で占領部隊、日本を守ることはない!」と番組で言ったことで「極論だ」とクギをさされ、このコメントはカットされて放送されなかった。この後出演した元NHK記者の池上彰さんの解説を聞き「どこからも批判されない内容で天才だな!と思った」と森永さんは打ち明けている。
 1980年代から90年代にかけてのテレビ黄金期は、報道番組が世論と政治を動かす時代であった、とも言われていた。しかし、「世の中の景気が悪くなって政治に対するいわゆる『批判』に国民が関心を示す余裕がなくなってきている」とジャーナリストの田原総一朗さんは分析、この分析には賛同しかねるが、テレビの世論操作性に注目し、これを政治的に利用しようとしてきた安倍晋三内閣の企みは明白であろう。その証拠は下の資料で一目瞭然(赤旗調べ)ではないだろうか。記事は最後に「おとなしい「薄口」のテレビに魅力は果たしてあるのだろうか」と結んでいる。辛口-薄口の対義語使用は間違いだと思うが、「usukuchimonndou-淡口問答」主としては、マスコミの及び腰は大いに歯がゆい。