2011年12月31日土曜日

 子供の「ケンカ」と言えば他愛のないもの、どっちが先に悪口を言ったとか、おやつを横取りしたとかでケンカになり、最後は飴玉一つで仲直り、というのが相場であった。
 先日の橋下新市長の市議会での施政方針演説、かなりの部分を割いて、大阪市役所の労働組合攻撃に異常な執念を見せた。
 キッカケはこういう事らしい、現職の知事として大阪市役所に足を踏み入れた時、(どういうシチュエーションだったか不明?)市役所内では、政治活動につながるから一言も発言するな、と言われた。しかるに、この市役所内部では、労働組合が堂々と政治活動をしている、(どうも市長選挙の際の平松支援のハガキ作戦を労働組合がやっていた、という事を指しているようだ)。
 「選挙で選ばれた知事が政治的発言が許されないのだから、職員組合が政治活動をするという事は許されないのは当然だ。」という事らしい。
 やはり、子供の「ケンカ」だと思う。施政方針演説でわざわざ言うことだろうか?。本当にこの市長の政治家としての資質は、いや、大人としての資質はどうなっているのかと思う。
 まあ、この辺までは、子供のけんかと見ておく事もできるが、見逃せないのが演説の最後にわざわざ付け加えた次の点だ。
 「大阪市役所の組合の体質というものが、今の全国の公務員の組合の体質の象徴だと思っています。」
 「ギリシャの破たんは公務員、組合をのさばらしておいたから。」
 「日本全国の公務員の組合を改めていく、その事にしか日本の再生の道はないという風に思っています。」 
 私は大阪市役所の職員組合がどういう組合であるか、詳しくは知らない。しかし、全ての公務員の組合を「国を滅ぼすのは公務員であり、組合だ」と決めつけるいう暴論を許すわけにはいかない、と強く思う。なによりも、色々あったこの年の瀬に、わざわざ虚構の対立を作りだし、人の心を傷つけるような人に、大阪市のシンボル「澪つくし」の役割は果たせまへん。

2011年12月27日火曜日

 以前、ブログに書いた近所の府立高校、統合され、解体工事を大急ぎでやっつけ、現在、造成工事中である。再来年の春には大マンション群が建つ予定だ。
 写真は、その工事現場のフェンスに設置されている騒音計測器だ。義務付けられているのかどうかは、よく知らない。まあ、近隣対策の一つだろうとは思うが、面白いのは、これが設置されているフェンスが通学路なのである。
 もう、お判りだろう、近辺の幼稚園児、小学生、果ては中学生までが通りすがりに大声を上げていく。幼稚園児などは可愛いもので、「わぁ~」とか「えぃ」とか計測器に向かって叫び、数字が上がるのを満足そうに見て過ぎていく。
 小学校高学年ぐらいになると、2~3人で大声コンテストよろしく、数字の高さを競い合っている。
 設置されて5カ月ほどになり、さすがに、コンテストはしなくなったが、向かいのマンションの住人たちは、迷惑だっただろうと思うと、申し訳ないがちょっと面白かった。

2011年12月25日日曜日

 今年は一念発起して、池波正太郎さんに習い、3年連用日記を付けている。特に印象深かった事があれば、記載するが、主には、その日の夕食の献立をつけている。
 これが結構、記憶力のいる仕事で、2~3日付けずにいると、嫁はんに聞かないと埒が明かないが、なんとか1年続けられた。
 楽しみは、来年からである、献立に困ったら、去年の分を見ればいい訳である。
 それとは関係ないが、今日25日は「終い天神」。京都の北野天満宮に行き、「長五郎餅」の茶店で熱いお茶とお餅を食べて、骨董探しに、で、去年の事を思い出したら、やはり、21日の四天王寺の「終い弘法」に出かけ、25日は北野に来ていた。人間、65年、あんまり変わらん生活をしているものだと感心する。
 北野からの帰り道、以前買って、その手軽さに感動した「絵手紙」用、紙のパレットを買いに「鈴木松風堂」へ。400円という手軽さに、思わず8個も買ってしまった。
 今年お世話になった人に使ってもらおうと思う。

2011年12月23日金曜日

青磁・白磁の魅力

 嫁はんに誘われて京都上賀茂の「高麗美術館」へ、この美術館は、在日1世の鄭氏が京都で実業家として財をなし、望郷の想いとともに、高麗青磁・白磁などの名品を在日2世、3世の人たちに、祖先の暮らしと文化を目で見てもらうために創設されたという事だ。
 朝鮮の青磁・白磁の名品は、大阪・中之島の「東洋陶磁美術館」の安宅コレクションが有名だが、一介の実業家が、何の知識もなく、ただただ、遙かな故郷への望郷の思いだけでコレクションを収集し、そのすべての寄贈を受けて開設された貴重な美術館である。
 氏は、司馬遼太郎の「街道をゆく」の取材にも同行し、日本にある朝鮮文化の発掘に協力したという。

 館を出る際、受付の横のテーブルに、一輪ざしがあり、見た事のない草木が挿してある。受付の女性に尋ねると「家から持ってきて挿しました。みつまた(三椏)です。」と言う。
 和紙の原料の一つである、三椏とはこんな姿、(正に三又である)をしているのか、と見入っていると、「時節外れですが花が咲きそうです」とも言って、にこやかに笑っている。

  高麗美術館では、入場者が二人連れの場合、一冊の美麗な図録が頂ける。
  「友達と二人で行くと貰い難い」と嫁はんは、のたまう。な~る、そういう事か。

2011年12月21日水曜日

 毎月21日の四天王寺門前での宣伝行動の帰り道、立ち寄る「たこ焼き」屋さんがある。普段は夜からの営業の様であるが、お大師さんの日は、昼間もやっている。店に入ると、店主は、決まって「今から焼きますので10分から15分かかりますが、いいですか」と丁寧に聞いてくる、こっちは、宣伝も終わり、特に用事も無いので「あぁ、いいよ」と答える。
 焼きあがるまでの時間、必ずと言っていいほど、2~3組の客が入ってくる。店主が、同じように、時間がかかることを告げると、大抵の客は「え~っ、ほな、焼きあがった頃に来るわ」と言う。と、店主は「うちは、注文を受けてから焼きますので、つくり置きはしまへんので」と答える。これで大抵の客は、帰ってしまう。
 いつもの事だが、お大師さんにお参りに来る客だから、そんなに忙しい用事があるようにも思われない、店に入り、ゆっくり待っても、15分ほどで、とびきり美味しい、アツアツのたこ焼きが食べれるのにと、いつも思いつつ、冷たいビールと「たこ焼き」を食べて帰る。 『ごっつとーさん』
 【写真は西成区、玉出の「会津屋」のたこ焼き、これも美味しおす。】

2011年12月18日日曜日

 暑さには弱いが寒さには強いと自認していた。酷暑から逃れる術は、冷房しかないが、冬の寒さは、重ね着で防げると関電の節電の呼びかけをせせら笑っていたのだが、歳の所為か昨日は胴震いが来て、昼間からエアコンを入れてしまった。あー情けない。
 以前、ブログに書いた、「大阪365日事典」の12月18日付けに面白い事が書いてあった。『ぬくもり屋大繁盛』(昭和20年)終戦後初めて迎えた冬、大阪駅付近をねぐらにする連中が寒さをしのぐため何処からか木切れを集めて焚火をしだした。人が寄ってくるのでタダで当たらす手はないと、料金を徴収しだした。これが大当たりして、1時間5円、一晩中なら10円、などと相場まで決めたという。
 こんな珍商売、大阪ならではというところか。人は、焚火のゆらぐ火に遠い原始の記憶がよみがえるのか、何故かひきつけられる。
 子供の頃、家の風呂は薪で湧かしていた。木の切り株に腰を落とし、煙草を吸いながら風呂を涌かしていた父親の横顔を想い出した。

2011年12月8日木曜日

根来塗

 先月の四天王寺弘法市で買った「根来塗り」の「椿皿」である。何故椿皿と云うかは、横から見ると「椿の花に似ている」からとか。根来塗りは、紀州、根来寺の僧侶が生活什器を作り、使用していたもので、紀州漆器の一つとして作られてきたが、プラスチック製品の大量生産で徐々に衰退していったと云われる。
 近年、「根来塗」のブームもあり、紀州漆器全体が、伝統工芸として
育成されているという事だ。根来塗りは、生活什器と云う事もあり、芸術品ではなく、強度を出すため、下地に黒漆を塗り、その上に朱漆を塗ったもの、使っていく内に下地の黒漆が出て、この使い古し感が茶人に好まれたそうである。
 三枚あったが、一番状態のよさそうな物を求めた。「江戸はあると思います」【この”ある”という表現は、江戸時代のもの、という意味である。】と言う誠実そうな店主の言葉に、4千円を出すと、「気持ちです」と云って100円をオマケしてくれた。
 四天王寺の帰り道に「河藤」という古い和菓子屋があり、「割氷」というお菓子がある。寒天で出来ているが、見た目はカチわり氷のようで堅そうであるが噛むとゼリーのように柔らかい。夏になったら皿の上に水を垂らし、誰かを驚かせてみよう。

2011年12月3日土曜日

手近に錦秋

 今朝起きぬけに窓から眺めると、箕面の山並みが見事な錦の綾波に染まっている。山肌に迫る白いマンション群が興ざめだが、遠景ながら、人ごみに揉まれる事もなく、充分に秋色を楽しめるのだから有難い事だ。

今年の紅葉は、色づく前に散ってしまう、との事の様だが、手近な錦秋をもうひとつ。

昨年頂いたアンズの実をジャムにして、大きな種をベランダのプランターに埋めておいたら芽が出た事は以前書いた。その芽が若木になり、今、一人前に紅葉している。若木の新鮮な紅葉(表現は少しおかしいが)もまたいいものだ。