2013年4月26日金曜日

歴史に学ぶ

安倍内閣の妄動が止まらない。閣僚及び与野党国会議員の靖国神社参拝が強行された。それぞれの皆さんの行動は自分の信念に基づく確信的行動だろうと思うが、私が驚いたのは一部マスコミの論調である。今回の麻生大臣以下の多数の閣僚の参拝に対し韓国政府はすぐさま反応し、外相の訪日を延期した。これに対し安倍首相は「わが閣僚においては、どんな脅しにも屈しない」と強面の答弁をし、さらには「侵略の定義は国によって異なる」とも答弁した。
   
大手新聞社は押しなべて北朝鮮情勢が緊張する中で中国、韓国との関係をこれ以上悪くすることは外交上、深刻な影響をお与えると心配、警告している。ところが、産経新聞「産経抄」が驚くべきことを言っている。閣僚参拝と韓国の反応に対し、一つは、『関ヶ原の戦で敗れた島津藩がその後取り潰されなかったのはすさまじい退却戦のおかげだった、そのすさまじい戦いぶりを徳川(家康)が恐れたからだ』、もう一つは、『第二次大戦終戦間際の特攻隊の決死の戦いがあったからこそ、占領軍は日本人の「骨抜き」を図りながらも象徴天皇は残し、苛烈な占領政策を取らなかった』、と述べ、「今日の繁栄を享受している日本のリーダーが参拝するのは当然で」、さらには、「参拝によって日本人の勇敢な戦いぶりを思い起こさせ、日本を敵視する国に対する十分な抑止力となる」と言っている。つまり、外交問題は交渉ではなく、力によって相手を恐れさせ、譲歩させるべきだ、と言っているのであろう。
 
私は今回の問題で「歴史に学ぶ」ということの重要性を改めて考えさせられたが、もう一つ感じる出来事があった。というのは、つい一週間前、毎日新聞の読者投稿欄に13歳の中学生が「歴史を学び正しい判断を」という一文を投稿した。その趣旨は、歴史を学ぶことの意味を「歩いていて、石が足元にあったら突っかかり転んでしまいます。そして次に同じ場所を通る人も石に突っかかり転んでしまいます。だが、そこに石があることを知っていたら、転ぶことはなかったはずです。」「戦争が起こります。そして、同じことがまた起こります。だが、前の出来事を知っていたら、2回目はなかったかもしれません。歴史を学ぶことで、また同じことが起こらないように工夫や努力を前もってできます。」「20世紀末生まれの私たちは歴史を学び・・・私たちが社会の中心となる時に同じことを繰り返さないように良い判断をしたいと思います。」と決意を述べている。一週間後の今回の「産経抄」を読んで私は改めてこの13歳の中学生の決意に感動し、「産経抄」は首を垂れて学ぶべきだと思った。

2013年4月17日水曜日

通り抜け

 今年も大阪造幣局の「桜の通り抜け」が始まった。現役時代、職場が近いときは毎年のように見物した。昔も今もこの写真(新聞記事から)のように大勢の花見客に揉まれての見物だった。でも、桜の花は人が下から見上げて観るように咲いているとか、大勢の人の頭越しに観ても何ら障りはない。「花を見て怒る人はおらん」と云うとおり、急ぐでもなく(立ち止まらないで、と不粋なアナウンスもあるが)自分のリズムで花見を楽しむ、「通り抜け」というこのシステムを考え出した人は偉いと思う。かつ、桜の下での大宴会や、見事な一本桜の名所も結構だが、たかだか500㍍ほどの通路にたくさんの種類の桜を植え込んだのは、いかにも商都「大阪」らしい花見ではないだろうか。
 さて、最近の通り抜けで気になることが一つある。入り口付近の大川沿いに並ぶ露店の中に「桜の塩漬け」を売っていた店があったのだが、ここ数年見かけない。露天商ではなく、地域の婦人会の店だったように思うが造幣局に聞いてもわからないという。ネットで調べたら簡単に手に入ることが分かったが、「通り抜け」の道筋で買う風情が忘れられない。そこで最近は、桜の模様が入った盃で花見酒を楽しんでいる。右の盃は伊万里の「是隆窯」。旅行した時、桜の花びらがかわいいので買った。下の杯は骨董市で「まとめて何ぼ」で売っているものだが、それだけに疵の無い完品は滅多にない。一番のお気に入りだ。

2013年4月15日月曜日

13日早朝、激しい揺れで目が覚めた。同時に、どこからか分からなかったが、かなり大きな音量で「緊急・・・・強い揺れに注意してください!」と繰り返している。いつもは小さな揺れでも悲鳴を上げる嫁はんが寝室から飛び出してこない。続けさまの揺れが収まって、やっと出てきて「震源はどこやろう」と落ち着いた声で言いながらテレビを点けている。しばらくして震源は淡路島南部とのこと、どうやら南海トラフではなさそうで少し安心した。時間の経過とともに、かって経験した「阪神大震災」の揺れと比較して、嫁はんと「半分ぐらいかな~」と話す余裕が出てきた。
 それにしても阪神大震災以降、18年間の間に鳥取県西部地震、福岡沖地震では職場で長期振動の長い揺れも経験したが、ガタガタと音のする今回の揺れは18年前の記憶を呼び起こした。
 2年前の「東日本大震災」の発生時、私はミナミのデパートの展示会場にいて揺れにまったく気付かなかった。夕方になって街頭の電気店のテレビで初めて知ったからである。テレビの画像で見る大津波の惨状や、原発の事故に対する言い知れぬ恐怖は今も持続しているものの、実体験としての「阪神大震災」の強烈な揺れを今回の地震は思い起こしてくれ、改めて地震国に生まれた宿命と覚悟を再認識させてくれた。
 で、当日は、かっての職場の退職者会の町歩きが予定されている。刻々入る電鉄の運行状況をにらみながら、決行するかどうかの判断を待った。電話での問い合わせも無い。今回利用する「京阪電車」はダイヤの乱れはあるものの、運行しているらしい、ならば、集合地点で待とうと思い家を出た。参加予定のお一人からは、JRが止まっているので、と欠席の電話があったが集合場所には1分の遅れもなく参加予定者が揃った。いや、お達者である。
 ちなみに地震発生時、強い揺れに注意、と叫んでいたのは嫁はんの携帯電話であったことが判明した。いや、これもまた進化である。