2019年12月30日月曜日

今年はいろいろありました。


10月からつづいた囲碁大会や総会などの行事と機関紙、ニュース、会報の3連チャンの発行も終えた。そして3月に亡くなった義父の法的な手続きもすべて終え、やっとのんびりとした気分になれた。

29日は早めの年越しそばを北区のお初天神近くの「夕霧そば・瓢亭」でいただいた。ここのお店の名物は「夕霧そば」といって堺の「ちく満」と同じセイロで熱く蒸しあげたおそばを卵を割り入れた蕎麦つゆで食べる。

この店のしおりの表紙画は既に鬼籍に入られた切り絵作家・加藤義明さんの作品だ。久しぶりに食べる「夕霧そば」は本当に温ったまる。

帰り道、本屋に寄って「星空年間2020」を買った。付録についているDVDで来年の星空で繰り広げられる天体現象を見たり、1日の天空の星々の動きを動画で見るのが楽しみだ。

  今年も干し柿で作る我流のお菓子「くろ柿」を作った。今年は少し少なめだったので市販の干し柿(写真左側)も試しに「くろ柿」にしてみたが味は断然わが家の方が美味しかった。


 それから今年の梅酒づくりで出来た梅を少しの砂糖を入れて軟らかく煮て「シロップ梅」にしてみたがレシピ通りアルコールが飛ぶように梅の表面に沢山の穴(爪楊枝を束ねて)を開けたがしっかりしみ込んだ焼酎のアルコールはなかなか抜けきらず、大人向けの味になった。

 

最後は信楽焼きの「ぐい呑み」の話、長谷やんの記事に触発されて愛用しているぐい呑みを紹介したい。20年ほど前、信楽の里を訪ねた。窯元を訪ねるよりもと販売所を2~3軒のぞいてみた。店のおばさんに手頃な「ぐい呑み」を紹介してもらい、その中で少しぼてっとした、それでいて手にしっとりと馴染むぐい呑みを買った。

おばさんは「これは私が応援している愛子ちゃんの作品や、まだ若いけど良いもん造ってる」と言った。その後5~6年して、大阪の百貨店などで若手作品展の様な展示会で見るようになった。名前は「渡辺愛子」さんという。

本人のブログを見ると現在は伊賀に3基目の穴窯を構え、作品を制作しているということだ。

このぐい呑み、使っている間に縁が欠けてしまったので嫁はんの友人が「金継ぎ」をしているというので直してもらった。その友人が「なに、この汚い器は?」と宣ったらしいが、まあ人の好みはそれぞれだから、、、。

 

まあそんな歳末の一日、今年は兄と義父が亡くなって寂しい年越しになりそうだが年々こういう事を積み重ねていくことに慣れていかなければと思う。
今日は茅ケ崎から息子も帰ってくるそうだ。。
 

1月7日追記
 1月3日の「美の壺 心ほどけるお燗の道具」で渡辺愛子さんの盃が紹介されてました。 

       皆さんよいお年をお迎えください。
 


2019年12月6日金曜日

ひとつ星を見失うな


突然の悲報が心を乱している。アフガニスタンで活動中の中村哲医師が何者かに襲われ命を落とした。襲ったグループがテロ組織なのか、まだ判ってはいない。

私が中村医師を世界一尊敬に値する人物だと思ったのはその人道支援のあり方であった。
彼はツルハシ一本から井戸を掘り、ついには広大な水路をつくる事まで成し遂げた。そして水路を造るにあたり、現地の人々に継続と持続可能な工法を教えたという。
日本の古来からの水利工法、水に流されない土手をつくるための蛇籠(日本では竹を編んで石を詰める)を取り入れたりしたのも現地の人々の手に入る資材と人力で水路を維持管理できるようにとの思いからであった。
巨大な資本と機械で短期間に水路を造るなど(人道支援という名のもとに)は今の技術力ならば容易いかもしれないが、それでは機械ひとつ故障してもそれを直す技術者がいない、道具もない、ということで宝の持ち腐れになってしまう。そうした思いから今もこうした人道支援を続けてきたのだろう。

彼は1946年生まれ、私と同い年である。そんな彼を失ったことは絶望に近い、多くの人がそう思うだろう。今日も新聞には彼を知る多くの人々から悼む声が寄せられている。
毎日新聞には哲学者の故・鶴見俊輔氏が生前彼を「日本の希望は中村哲だけだ」と評したということが載っていた。
鶴見氏はかって日本共産党を「北極星のようだ」と讃えたことがある。結党以来、主権在民と侵略戦争反対の旗をかかげ、文字通り命をかけてたたかってきた日本共産党の一貫した態度を、動かぬ座標-「北極星」(異名をひとつ星ともいう)と見たのである。そうしたぶれない姿勢と彼のブレない支援の姿勢を重ね合わせたのかもしれない。

彼はまた、集団自衛権の行使容認を巡り、安倍首相が海外のNGOのための自衛隊の任務拡大に言及した際、「自らの主張を通すためにNGOを道具にしている、外交努力で不必要な敵を作らないことこそ内閣の責任だ」と批判している。
 
 私のように世界一尊敬する人を失い、絶望する人がいるかもしれないがジャーナリストの西谷文和氏の「これでアフガンから支援団体が去れば、貧困が増えて紛争がさらに増える。後に続く人が中村さんの遺志を継ぎ、恐れず活動することが重要だ」という言葉を信じよう。
 私にだって何か出来ることがあるはずだ。

    「ひとつ星」を見失わないように。