2017年10月29日日曜日

本性現る!

 
 人間の本性というものは苦労の末に勝ち取った喜びの時よりも棚ぼた式に思いもよらず転がり込んだ時の、気の緩みの出たときに現れるもののようだ。
 突然の解散総選挙で野党第一党の民進党の混乱により、思いもかけずに多数の議席を得た自民党、その副総裁の麻生氏が総選挙で自民党が大勝したのには「北朝鮮のおかげもある」と北朝鮮のミサイル発射という「国難」を選挙に利用したともとれる発言をした。
 開票の結果、予想外の議席獲得に安倍首相以下が「謙虚に」「気を引き締めて」と一応うわべは、しおらしくしていたがこの問題発言おじさんには通じなかったようだ。
 そしてその「謙虚に」と言っていた自民党も公明党と計って111日にも開かれる特別国会の会期を8日間で終わらせることを決めたという。
 さらに自民党若手議員からは国会での質問時間について「野党に過剰な配分で(現在は与党2割、野党8割)見直すべきだ」と自民党の親分衆に願い出て親分衆も「考える」と了承したという。
 どこが「謙虚に」だ!と言いたい。

 対して共産党の小池書記局長はTVの選挙開票速報番組の中で今人気の池上さんから「共産党は、自民が公明なしで選挙ができないのと同様に、立憲民主党に対して影響力を持とうとしているのではないか?」と質問され、「僕らは損得や見返りを求めているわけではない。見返りは民主主義」と答えた。
 私はこの番組を直接見てはいないので両氏のやり取りの雰囲気はわからないが、本当の「謙虚」とはこういう事を言うのではないかと思う。

 今回の選挙で立憲民主党が55議席を得て、野党第一党になれたのは多くの選挙区で自らの候補を取り下げ野党共闘を実現させた共産党の「おかげ」だと私は思っている。でもその事を共産党は言わない、どこまでも「謙虚」なのだ。
 とは言え今回共産党は21議席を12議席に減らした。確かに後退である、でも敗北ではないと思っている。やせ我慢であるかもしれない。
 
 私は思いに反して結果が伴わずへこたれることがあった時、いつも思い起こす言葉がある。いつの日付の投稿かは忘れたが教育基本法改悪法案が強行採決された際に赤旗に投稿された読者の意見だ。

「後退してもゼロではない。」 愛知県 吉田 裕(55歳)」

 健康保険の自己負担など、社会保障や福祉が後退させられている。そんな時、かつて私たちは、保険制度をつくりあげ、患者負担一割を実現してきたことを思い起こした。いくつもの運動を組織して、安心して医者にかかれる制度を実現した。それが可能な社会をつくりだした。だからこそ、三割負担を後退だと感じる。そう感じられるのは、私たちに実績があるからだ。 昨年末には、教育基本法が改悪された。だが、戦後六十年積み上げてきた教育運動がゼロになったわけではない。改悪されたことで、大事なものが見えることもある。苦労して登った山道ならば、手元にしっかりとした地図がある。 だから私は、「後退はゼロではない」と思う。何もしないのがゼロである。
 
 私はこの切り抜きをファイルに挟んで大事にし、何かある時は取りだして読み、くじけそうな気持を奮い立たせている。
  繰り返すようだが今回の選挙結果は決して敗北ではないと思う、大勝したといわれる自民党の284議席も小選挙区制度がもたらすマジックのおかげである。この事は20年前にこの選挙制度を導入した河野洋平元衆議院議長が「重大な過ちだった」と何度も口にしている。民進党が小池新党に解党的合流をし、野党共闘を潰した時も、市民と共産党は「市民と野党の共闘」を唱え、混乱の中から「立憲民主党」を誕生させる背景の力となった。だから敗北ではなく、後退ではあるがゼロにはなっていないと思っている。
 かって黒田大阪府知事は3期目の知事選挙に敗れたとき「この世にし勝利にまさる偉大なる敗北ありとわが悔ゆることなし」と詠まれた。
 これもやせ我慢ではないと思っている。





2017年10月21日土曜日


浜さんの提言

 今朝の毎日新聞のオピニオン欄に浜矩子氏の素晴らしい発言が載ったので長谷やんの例に倣い、一部転載して皆さんに聞いてほしいと思う。


 浜氏は今度の総選挙の焦点を「綱引きである」とし、「民主主義対国粋主義、市民対権力、光対闇、」の勢力の綱引きに例えておられる。

 その勢力の一方を「光チーム」、もう片方を「闇の軍団」とし、綱引きの勝負の勘所を「森を見て木を見ないことにある」とし「部分に目を奪われて、全体を忘れるのはまずい。」と選挙戦で闇の軍団が打ち出して来る個々の公約や施策に惑わされないように注意を促している。

 そしてここからが浜氏の洞察力、ものの確かな見方が示されている部分だ。

 我らを騙す者を偽預言者とし、「真の預言者とはどこがどう違うか。違いは二つある。第一に、偽預言者たちは、人々が聞きたいことばかり言う。第二に、人々に敵を指し示す。偽預言者は、人々が聞いて心地よくなり、気分が高揚することを言う。『強い日本を取り戻す』とか、『アメリカン・ファースト』の類いがそれである。安易に『希望』を振りかざしたり、『国難突破』を叫んで危機感をあおり立てたりする行動も、またしかりだ」と喝破されている。

 それに対して「真の預言者は、決して耳に心地よい事ばかりは言わない。むしろ、不都合な真実を人々に語りかけようとする。だから、真の預言者はしばしば人々から疎まれる。荒れ野で叫ぶ声。それが真の預言者の声である。」と云う。

 耳に心地よい事ばかりを並び立てる闇の偽預言者の誘いに乗ってはならない。しかし「それはなかなか骨の折れる仕事だ。油断大敵。おさぼり厳禁。常に覚醒した意識を持つ」ことが大事でそれが求められるがこれがなかなかの「難題」だと指摘する。

 そして最後に、この難題を解決する方法、道筋として聖書の一節をもってヒント、いや確信を述べている。

 「ヨハネの福音書の『初めに言(ことば)があった。・・・言は神であった。・・・言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった』と、そして、かっての聖書は文語約しかなく、そこには『光闇に照ると雖(いえど)も闇之を暁(さと)らざりき』とあり、この『闇之を暁らざりき』が実にいい、」と云う。「『さとる』の『暁』は『あかつき』の『暁』だ。夜明けである。闇に暁は察知できない。暁には、闇の暗さが察知できる。闇にはそこにある暁が見えない。暁には、闇の深さが見極められる。この違いが勝敗を分ける。それは間違いない事だ」と結んでいる。

 私はクリスチャンではないのでこの最後の福音書の例えが今ひとつピンとこないが、前半の「闇の軍団」が垂れ流す耳に心地いい事や気分が高揚するような事ばかり云う連中が自公民や、希望だったり、維新の会のことをいっているのだと、肯くことばかりだった。
 
 そして「誰がやっても同じ」とか「私一人が、、、」という「おさぼり」がいかに危険であるかという事をわかりやすく教えてもらったと思う。

  #比例は共産党

2017年10月15日日曜日

なにわ人情時の鐘

 去年の11月の「どうでもいいけど、高低差」で両側町―背割り方式の町並みの事を書いたがその舞台となった中央区に釣鐘町という地名の町がある。
 退職者会がいつも利用させてもらっている事務所の近所である。この町内に写真の様な立派な釣鐘がある。名前を「時の鐘」という。
 
 パンフレットによると由来はこうである。時の将軍三代家光が上洛の折、大坂を訪れた際、各町年寄りらが歓迎の意を表したところ、大坂町中地子銀(いまの固定資産税である)を永代赦免するとのお達しがあった。家光にすれば豊臣の名残が残る大坂で町民を手なずけるための飴玉のつもりでもあったのだろうが大坂の町衆にとっては巨額の地代を免除される、それも永代にわたり、と感謝したことは言うまでもないだろう。
 この感謝の気持ちを何かの形で残し、子々孫々に伝えようと釣鐘を作ることにし、幕府に願い出て許されたとある。
 
 その後、幾多の転変の末、今は事務所の近くの釣鐘町の町中のマンションの角っこに立派な鐘つき堂と一緒にあり、保存会が清掃や時の記念日に集会をしたりして鐘を守っている。
 
 が、その鐘がいま存亡の危機にあるという。今年7月のMBS「VOICE」でも紹介され、毎日新聞にも載った。この鐘つき堂の地所を所有する不動産会社が「府の有形文化財を保存するにあたり、1企業が土地を負担(固定資産税)付きで持っておくのは好ましくない、これ以上の負担は難しい」と云って、保存会に対し土地の明け渡しを求めて提訴しているという。
 地代(固定資産税)を免除してもらったお礼に鐘を作り子々孫々に伝えてきたが現代(いま)になつて固定資産税を誰が払うかで訴えられるという皮肉なことになっている。
 
 いまこの鐘は一日3回、昔と同じように大阪の町中に時を告げている。またこの鐘は近松の有名な浄瑠璃「曽根崎心中」にも出てくる。
 
「此の世の名残、夜も名残、死に行く身をたとふれば、あだしが原の道の露。一足づゝに消えて行く。夢の夢こそあはれなれ。」
「あれ数ふれば暁の、七つの時が六つなりて残る一つが今生の。鐘の響きの聞納め。」というくだりがあり、心中する二人の心の内を鐘の音に絡めて語る名場面である。この二人が聞いた鐘が当時大坂の町中に時を告げたこの鐘だということわりが残されている。
 なにわ大坂の文化として文楽と共に時の鐘を残してほしいものである。


鐘の音を聞くお初徳兵衛

2017年10月14日土曜日

世界に誇る9条!


 退職者の会連絡会の一つの会の会報に次のような投稿があった。
 
「現職の組合員の皆さんへ、」と題して「憲法9条は日本人だけのものでなく世界の宝になっている。その一例として会報に連載している朝日新聞の記者伊藤千尋氏の講演内容の中の次の部分を引用している。『カナリア諸島の中の小さい島に、広島・長崎広場という名の公園があり、そこにはスペイン語で書かれた日本国憲法9条の碑が存在する』という事を紹介されていたと書いてあった。

 私はこの碑の事を全く知らなかったのでネットで検索してみた。いろいろヒットしたが「その碑は1996年に建てられた、」と赤旗の記事があった。スペインでの米軍基地撤去とNATOからの脱退を求め1980年代に大規模なデモや集会が開かれ、運動は大きな盛り上がりを見せ、その中でカナリア諸島第二の都市、テルデ市の市長は日本の憲法9条の内容に感動し、碑と広島・長崎広場の建設を議会に提案しその後、曲折を経て1996年に建設されたという事であった。
 本当に知らなかった。当時聞いたかもしれないが忘れていたのかもしれない。

 いま、安倍首相が憲法9条を改憲し92項の後に3項として自衛隊を明記しようとしている。しかしその事を選挙戦の中では一言も触れないでいる。
 もしこんな事を許したならば、本当にテルデの市民や9条の碑に対して恥ずかしくて訪問も出来ない。

 市民と野党の共闘で安倍自公内閣を退陣に追い込もう。