2016年2月24日水曜日

みんな、書いてくれるかな?

 いま全国的に取り組まれている「戦争法廃止を求める2000万署名」個人的には身内や知人に声をかけて署名してもらっているが何せ2000万人の署名を集めるとあって一個人での取り組みでは間尺に合わん、と思いあぐねていた。
 そんな時、職場の退職者会の全国的組織の本部から署名のご協力をと要請が来た。我が会も過日の世話人会で話し合った結果、取り組むことに決まった。がこれまでこのような政治的課題での署名活動は取り組んだ事がない。「会員相互の親睦と福利厚生に資する活動を取り組む」との会則があるが会員の皆さんにどう呼びかけるか、どうご協力をお願いするかその内容で悩んでいた。
 そんな時、「赤旗・日曜版」に素晴らしい記事が載った。記事の主人公は香川県の讃岐うどん店の主、池上瑠美子さん、1980年代後半から90年代にかけて全国的に広まった「讃岐うどん」ブーム、瀬戸大橋の開通もあり、全国からうどん店巡りツアー客が押し寄せたがそんなブームのアイドル的存在でもあった「るみばーちゃん」。
 そのるみばーちゃんがうどんを食べに来た若い客に「お兄ちゃん、どっから来たの?ちょっとお願いがあるの。戦争に反対する署名してくれない?」と声をかける。「ビックリしとるか分からんが、大体みんな書いてくれよるよ」と明るい顔で署名用紙を掲げている写真が可愛い。「これや!この笑顔や!」会員一人ひとりに我々がるみばーちゃの様に頼みに行くことは出来ないがこの笑顔をお願い文書にして頼んでみようと思う。
 るみばーちゃんは、身内を戦争で亡くし、夫は広島で原爆に遭い、戦後レッドパージで国鉄を解雇されたこともあったそうだ。わが会の会員の皆さんも少なからず戦争の影響も受け、困難な時期を懸命に働き、生きてこられたはずである。
 「二度と戦争はしてはならん」、「殺し、殺されることがあってはならん」この思いは必ず通じると思う。

2016年2月3日水曜日

江戸時代の百科事典

 実家に昔からあった古文書である。表表紙はぼロボロで判別がつかない。中綴じの背に「大増字節用集」とある。
  高校時代、担任の先生が国語の教師だったので見てもらったことがある。曰く「これは節用集と云って今の時代で云えば百科事典のようなものだ。罫線の細さから云って江戸時代後期のものではないか」という御意見だった。
 我が家になぜ此れがあったのかは母に聞いても「親戚にこんな古いものが好きなおじさんが居た」と言うだけで詳しいことは判らずじまいだった。
 本書は最初の頁に目次があって次の頁から、日光山繪圖、内裏之圖(京都御所)大日本國圖、平安城京之圖(?)、御江戸之圖、大坂之繪圖と興味深い絵図が続いている。そのあとは、囲碁指南、将棋指南や諸禮之繪抄(礼儀作法)などが書いてある。
 そして元々の国語辞典にあたるのであろう「十三門部分注」の「通俗節用集類聚寶・真草兩點」には時候のこと、衣食、草木、言語などが、いろは順に書かれている。そして興味深いのは、長谷やんのブログ「伝統を踏みにじるもの」に書かれている歴代天皇の年齢の記述がある点である。本書では神功皇后を十六代と数えているので仁徳天皇は十七代となっている点を除けば年齢の記載はほぼ合っている。そして本書の歴代最後の天皇は百十九代今上皇帝として「後桃園天皇」(桃園天皇の第一皇子:在位明和7年【1770年】~安永8年【1779年】)が記載されている。
 それともう一つ、「中興武将傳略」として源頼朝から始まり、第三十一(豊臣)秀頼:秀吉二男、元和元年八月十八日(wikiでは慶長20年)自害で終わり、御當家御治世万々歳と結んでいる。
 この二つの記述の終わり方からして本書の発行時期が特定できないかと考えた。家康が幕府を開いたのが1603年で後桃園天皇の在位末1779年は、第十代徳川家治の時代になる。版元が当代の政権つまり徳川幕府に対し遠慮して秀頼自害までを記述し、その後の徳川の治世を「御當家御治世万々歳」と書いたのだろうと思う。それと本書の体裁、内容から判断するならば、節用集は室町時代から昭和初期にかけて出版された日本の用字集、国語辞典の一種とwikiにある。その国語辞典が江戸時代に入って辞典以外の付録-百科事典の部分が増えていったとある。本書では巻頭見開きの目次に「頭書目録繪入」として御公家鑑や書礼用文章、四季料理献立など実用的な辞典になっている。
 この「頭書」という表現は、江戸時代の節用集の典型である百科事典になった事を現している。また書体も室町期の楷書のみから行書・草書を二列併記する真草二行形式になっている。これも江戸時代の節用集であることを現している。 さらに明治期に入ると欧米の影響で五十音検索の国語辞典が登場し、節用集は昭和期にはいり発行されなくなったとwikiにある。本書の検索は江戸時代の「いろは」順でありこれらのことから江戸後期幕末までの発行ではないかと思う。最後に、巻末に「大坂道修町近江屋」の丸判が押してあった。もちろん調べたがそう簡単には分かりそうもない。いずれ府立図書館の上方関連部門に確かめに行こうと思っている。





2016年2月2日火曜日

奇跡か!

 朝、病院に行くため支度をしていると、ベランダの上にチョウゲンボウが止まっている。「えーっと」とわが目を疑った。それというのも、ついこの前、長谷やんのブログでご自宅の庭に来る野鳥の話題を書いていたので「うらやましいな~、しかしわが家には去年チョウゲンボウがやって来たもんな~」と思っていたからだった。
 早速カメラを用意しようと窓越しに構えたところ「さぁ―」っと飛んで行ってしまった。そういえば毎朝ベランダにやって来る雀の鳴き声が今日は聞こえてこなかった事を思い出した。いつもの鳩も今日は姿を見せない。やはり、チョウゲンボウの姿に怯えているのだろう。
 去年チョウゲンボウがわが家のベランダにやって来たのは同じころだったなーとおもい、ブログをめくると、なんと2月2日ではないか!まさか、同じ日に現れるとは、信じがたい気持ちで再度現れるのを待とうと思ったが診察の時間が迫り、やむなく外出したが、明日からが楽しみである。
 去年の例でいうと、何日かは姿を見せてくれるのではないかと期待している。
          ー写真はPCのサイトから引用ー

訂正:あまりの嬉しさに年が明けているのを忘れていました。チョウゲンボ
    ウが来たのは2014年2月ですから一昨年でした。