2015年12月31日木曜日

来年もよろしく

  今年も色んな事がありました。私的にも社会的にも、やはり激動の一年だったと思う。
  全国的には、やはり安保法制をめぐる国会内外のたたかいがあった。多くの国民の願うようにはならなかったが政党の枠、団体の枠、世代の枠を超えたたたかいの輪が広がり、今も続いていることに大きな希望がある。
 大阪的に言えば、都構想をめぐって住民投票でオール大阪の力が発揮され大阪市を無くすことを阻止できた。しかしW選挙では、維新政治を大阪から追い出すことが出来なかった。
  私的には、義父が夏を迎えるころ、体調を崩し、すわ老々介護に移行するのか、と身構えた。しかし、信頼する医師に巡り会え,事なきを得た。しかし九十六歳の超高齢ゆえ、これまでの一人暮らしは諦めさせ、半同居体制で見守っている。
 私も高齢者運動関係、退職者の会関係、等現役時代にも勝る忙しさをある種楽しんでいるが来年は古希となる。さて、いつまで続けられるか試す年となりそうだ。
 で、勝負の年に備え、年末ぎりぎりに貯まっていた図書カードを使い3冊の本を買った。
「日本の大和言葉を美しく話す」
「暮らしのならわし十二か月」
「誰が『橋下徹』をつくったか」
大阪張り子 申
    このブログも今年はやっと去年並みの回数になった。
    来年もよろしくお願いします。 

2015年12月30日水曜日

書に学ぶ

 昨日、金澤翔子さんの書展を見に行った。大河ドラマ「平清盛」の題字などで有名になった書道家である。と同時に彼女はダウン症という障害を持っている。
 会場入り口に彼女のプロフィールが彼女の母親の金澤泰子さんのことばと共に紹介されており、また作品ごとに泰子さんのコメントがあり、なぜ彼女が書道家になったのかも紹介されている。
 障害を持った子を産んでしまった母親の苦悩、世間と隔離して子育てをし、それがために母娘二人で濃密な時間を過ごしたこと。泰子さんが書道家であった事から5歳の娘に筆を握らせ、来る日も来る日も書道と向き合った事、小学4年生になった時に普通学級への進級を拒否され、絶望的な気分になり、その事がまた新たな書へ向き合うことになっていった事、(この時に有名な涙の般若心経が生まれた)、父親の突然の死と、兎に角、下世話に言えば波乱万丈の道を辿ってきたことが作品と共に紹介されている。しかし、その作品と彼女自身の思いは前に向かっているように感じた。
 会場では国連が毎年3月21日を「世界ダウン症の日」に制定し、その記念会議に日本代表として参加した彼女がスピーチをする様子がビデオで映し出されているが「お母さまを愛しています。30になったら一人住まいをします」と力強く宣言されていた。
 会場には有名な「共に生きる」(東北の被災地を訪れ揮毫した)や京都建仁寺の「風神雷神図」を見て書いた「風神雷神」等大作が並んでいたが私は一枚の小さな作品「雨」に心を奪われた。空に流れる雲から雨粒が降りてくる様をやさしい筆致で書いている。
 母泰子さんの「ダウン症ゆえの魂の純度からくるのでしょうか、いまさらながら書はテクニックなどではなく魂のありようだと思い至っています」という言葉も素直に肯けた。

2015年12月13日日曜日

「オール沖縄」に学ぶ

  W選挙が終わって2週間にもなるというのに未だ、「あーでもない、こーでもない」と気持ちの整理が付かないでいた。気持ちの整理とは勿論、W選挙での反維新側の完敗のことである。W選挙に向けて拙文ながらこのブログに思いを綴ってきた手前、この結果について自分なりの総括をしなければと思いながら延々と思い悩んできた。
 そんな気持ちに追い打ちをかけるようにTVでは「勝って驕らず」顔の、その実内心では「どやどや顔」の二人の動静がひっきりなしに流され、気分の悪いことこの上なしである。
 そんな時、「オール沖縄」のたたかいの報告を聞く機会があった。「基地も戦争もない平和・繁栄をめざして『オール沖縄』から『オール日本』へ」と題した講演というより報告を聞いた。
 そもそも「オール沖縄」の源流は、1995年9月に発生した米軍兵士による少女暴行事件、そしてそれから12年後の「教科書検定」問題ー沖縄戦における集団自決強制自決死を日本軍が強制したとの記述が削除修正されたーに沖縄県民が抗議の大集会(11万6千人参加、この集会の共同代表の一人が当時那覇市長だった翁長さん)を開いたことがきっかけだったことを聞いた。沖縄の基地の現状、米軍基地の形成過程など、その歴史と反対闘争の中で「オール沖縄」が形成されていったという事だった。
 報告が終わり質問タイムの最後に私は少々ぶしつけではあったが「今度の大阪のW選挙、我々はオール沖縄のたたかいに学び、オール大阪で闘ったつもりでしたが結果は完敗でした。(共闘の先輩として)どのように見ておられますか」と聞いてみた。
 答えは「反維新の結集がどのようなものであったか良く分からないのでお答えは難しいですが、オール沖縄のことで言えば、実は一番ピッタリと繋がっていたのが自民党と共産党でした。(あらゆる場面で)自民党を隠す必要もない、(当然共産党をも)という状態でした。大阪での反維新、オール大阪がどの様なものであったか分かりませんが一つ言えることは『要求で統一する』という事だろうと思います」というお答えだった。
 私は「大阪都構想」の住民投票の結果を受けて「オール大阪」でいける、勝ち負けは別としてたたかいの基本はそこにあると思っていた。自民党候補をなぜ支援するのか、という根強い反発と感情は終始付きまとってはいたが維新政治を終わらせるんだ!というアピールでいけると思っていた。しかし結果は完敗であった。
 W選挙後のマスコミ報道の中で、維新候補の勝因や反維新候補の敗因が色々書かれている。直前の自民党大阪府連会長の更迭、公明党のあいまいな態度、後で分かった事だが自民党の選対会議の当日、幹部役員が欠席しゴルフに行っていた事など、およそ「オール大阪」とは言えない状況であった事がわかってきた。しかしこれらが敗因の全てではないだろう。私は「オール大阪」の方針が間違っていたとは思わない。しかし「反維新」が本当に「オール大阪」に結集した人々が目指した共通の目標だったのか、真剣な総括がいるのではないかと思っている。そんなことを考えながら今日やっとブログを再開することが出来た。「オール沖縄」に感謝したい気持ちでいる。 

2015年11月21日土曜日

大阪の都市格を上げるためにも!

 こんな時に衝撃である。こんな時とは、大阪の未来を左右するダブル選挙の真っ只中の“こんな時„である。
 先日、新聞紙上の小さな記事で季刊「上方芸能」が終刊することが報じられ驚いた。その後、数日して定期購読している「上方芸能」の198号が届けられ、その編集前記に、木津川計発行人が終刊の経緯を書いておられる。
 「小誌の幕を降ろす理由は二つ、一つは『経費の償はざること』読者の高齢化による定期購読者の減少が痛手となりました。二つめは、発行人たる私が老いた事です。創刊時33歳でしたのに八十を数えたのです」と述べておられる。
 二つめの理由については、森西氏に次ぐ広瀬さんという優秀な編集長をはじめ優秀、多彩なスタッフもおられるであろうに、木津川氏の高齢を理由にするのは不自然ではなかろうか、と思う。やはり一つ目の理由が大きいのだろうと思う。
 それにしてもである。木津川氏は1984年(昭和59年)発行の「上方の笑い」(講談社現代新書)のあとがきで「<文化>にルビをつけるとしたら、はにかみであるー太宰治のことばである。人間だってそうだ。控え目で、慎み深く、いつも含羞をたたえている人に惹かれる。~都市も同様である。~かって京阪の地は『上方』であった。~上方から江戸へ下した輸出品には値打ちがあった。下らない、江戸の地の自家生産物には値打ちはなく、だから、くだらないという言葉が生まれた。そんな構図が逆転して、がめつい都市とみられるようになった。下司の町、と言った人もいた。~これからの大阪が、依然としてなり振り構わず走り続けるとしたら、この都市の文化は遠い昔の値打ちを取り戻すことは出来まい。」と書いておられる。今から30年も前にである。
 この間、大阪人を、大阪の文化を辱めてきた大阪人や芸能社も多くいたが、木津川氏たちが辛うじて守ってきたし、黒田さんの様な知事さんもいた。しかし今、大阪の都市格、文化は橋下・松井という最悪の壊し屋によって地に堕されつつある。
 ちょうど今、「毎日」夕刊で「選択のときー15大阪ダブル選」が連載され、その③に木津川氏のインタビューが載った。「『面白ければええ』は脱却」として、「大阪は『都市格』の低下と『都市力』の衰退という二つの困難に直面している。~江戸時代、大阪は『元禄文化』が花開いた先進都市だった。しかし、明治以降の経済発展の中で、次第に文化芸術を軽視するようになった。~都市格を上げるために文化芸術を育てよう。そのためには、若手の芸術家の海外留学や創作活動に公的な助成をするなど、10年、20年がかりで人材を育成しなければならない。~俗に『お笑い100万票』という言葉がある。お笑いタレントが選挙に出ると、それだけで票が集まることを指すが、大阪人はしばしば『面白ければええやないか』という無責任な選択をしてきた。しかし、今回は大阪を再生させ、希望のある都市にするための選挙だ。主体的に考え、自分の意見をしっかり持って、冷静な選択をしてほしい。」と答えておられる。
 ダブル選挙に対する木津川氏の切なる想いに応えるには、あと1日の奮闘が必要である。何としても「オール大阪」の力で維新政治を大阪から追い出そう!そうすれば「上方芸能」の復刊も時間はかかるかもしれないが方法はあるはずだ、そう信じている。

2015年11月17日火曜日

希望の1週間


ダブル選挙の世論調査結果がなるものが出て、維新の候補がリードしている、という見出しが踊り、「何で大阪人はわからへんねん!」と落胆し、諦めている方へ朗報です。私はこの分析と言葉に勇気をいただきました。まだ1週間もあります!
 
皆様へ;

 大阪都構想の住民投票の際、「一万票程度の差で、否決される」と、ぴたりと実際の投票結果を「神予言」しておられた、当方が尊敬する政治学者・冨田宏治教授(関西学院大学法学部)が、本日公表された、マスコミ各社の世論調査結果を受けて、次のように分析しておられます。
 
「維新は、維新支持層の9割と自民支持層の3割を固め」という世論調査に対し、「維新にはあと1週間大きな延びしろがない。しかし、反維新には大きな延びしろがある。旺盛な宣伝戦とともに地を這うような対話活動が勝敗を分ける。あと1週間、自民、公明、共産支持層を固めきれば、非維新候補は、必ず勝てる」

 この見解は、極めて正鵠を射たものであると、当方としても確信しつつ、拝読いたしました。ご賛同頂ける皆様方に置かれましては、是非、各方面にご紹介ください。
  どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
                         
                                               藤井 聡



2015年11月13日金曜日

ある共産党市会議員の夢

 大阪のダブル選挙、告示後日々情勢は変わりつつあるようだ。維新陣営は堺市長選挙での「堺はひとつ」オール堺の力に敗れた後遺症が強く残っているのか、とにかく反維新の分断に力を注いでいる。特に共産党への反共攻撃に奔走している。
 で、反維新の府知事候補の赤いスーツにも「共産党に応援してもらっているからだ」と八つ当たり的ないちゃもんをつけている。
 自らの悪政の数々に対し、様々な意見の違いは横に置き、大阪から維新政治を追い出そうと結集したのは、いわば身から出た錆のようなモノ、まず己を恥じよ、と言いたい。
 しかしながらまだまだ橋下人気は根強いし、「何で共産党が自民党を応援するの?」という声も多い。そんな時、共産党大阪市会議員団幹事長の山中智子さんのブログで面白い経験談が載っていた。
 街頭宣伝の中で熱心にビラを見ている30歳台の青年に声をかけたところ、「橋下さんが好き」というので「好きでもいいけど選挙はちょっと考えてほしい」と話した。
 聞いてみると、「本当は共産党に立てて欲しかった。自民党と政策は違うはず」と応えたという。そこで「違うところは沢山ある。でも何でもかんでも儲け主義の橋下維新と柳本さんは違う。儲からなくても市民の命・暮らしを守る地方自治体を取り戻して、(その上で市長になった柳本さんと)その自治体の運営をどうするのかのケンカをする。ちゃんと議論が出来る柳本市長に『その政策は違うでしょ!』って詰め寄る。それが私の夢」という趣旨の話をしたら「何もかも一緒にやっていくんじゃないのか(自民党の言う事を聞かなくてはならない)」と驚き、「安心した」といってくれた」という内容のブログだった。何か一つのヒントをいただいたような気持になった。また明日から頑張ろう!

2015年11月8日日曜日

One大阪よりオール大阪で!

 諸行事が続き、なかなかブログの更新が出来ない「このままではW選挙は終わってしまうがな~」という焦りが募るが気持ちと行動はかみ合わず、1日の終わりに反省の日々が続く。(この状況は15日まで続く予定。)
 で、本筋は「yamashirodayori」にお願いし、日々の行動の報告を綴ることに決意した。
 「オール大阪」のビラの日刊配付が始まったが、大阪維新のビラも入りだした。厚手でカラーのお金がかかったビラである。「めざせ!One大阪」がスローガンのようだが内容は「大阪都構想」の蒸し返しと二重行政の解消の一点張りだ。
 なによりストライプのスーツを着たテラテラ顔のオッサンの写真が、毎日のように入る「お宅のマンションを希望する方がおられます」という不動産屋のチラシとダブってしょうがない。大阪府民の足でもある大阪市営地下鉄・市バスを民営化で売り払うところは不動産屋に違いない。
 地下鉄の民営化と云えば、私は何年も前から大阪の玄関である梅田駅や市内各駅のトイレが汚いことを交通局に注文を付けてきた。一向に改善されないままきたが、ここ2~3年で見違えるほど綺麗になってきた。これはこれは、と思っていたがどうも民営化の話が出て来てからではないかと思うようになった。つまり民営化が既定路線になって払下げを受ける民鉄側が「そちらのお金で綺麗にしてからネ!」という約束が出来ていたのでは、と勘ぐっている。


2015年10月26日月曜日

ようやく咲いた

 10月初めから続いた会報やニュース3紙の発行がやっと終わって少しホッとしたところだ。
 で、気になっていたベランダの藤袴の開花状況だが長谷やんさんの予想より2週間ほど遅れて、やっと開花した。本当に地味です。この地味な花になぜ昆虫が惹きつけられるのか良く分からないが。
 そう云えば先日、私の好きなTV「科捜研の女」で通常の人間には見えない紫外線が見える『四色型色覚』の持ち主の女性が殺されるというストーリーがあった。昆虫などにはこの紫外線で見える色感覚で花の蜜の在り処を探り当てることが出来るのだそうだ。
 でもわが家の7階のマンションのプランターの藤袴には昆虫は寄り付かない。高さの限界なのだろうか?良く分からない。
 それから下の写真は、籠一杯に採れたフウセンカズラの袋で、その下の写真がショッカーによく似た種である。でも、よく見るとハート形でもあるようだ。
 今年も沢山採れたので来年用に取っておくが、どなたかいる人があったら貰ってください。
 取りあえず、開花の報告、それだけのことです。


2015年10月5日月曜日

ベランダの秋

  会報と退職者のニュースづくりに追われている間に朝夕の肌寒さが強く感じられるようになった。
 株分けして頂いた「藤袴」だが、もう開花しているのではないかと毎朝見るのだが写真の様な状態がづーっと続いている。
 これで開花なのでしょうか?かつ、これは白花でしょうか?
 今年はゴーヤの苗が手に入らず、昨年種を残しておいた「フウセンカズラ」をグリーンカーテンにした。ベランダの半分ぐらいのカーテンになってくれ、そして柔らかな薄緑の風船のような実がいくつも出来、いまセミの抜け殻のような色になったフウセンが風に揺れている。
 このフウセンの中に在る種は大粒の仁丹のようで色は真っ黒な丸~るい粒、表面にハート形の白い模様があり、「ショッカーの顔見たいや」と云って風船の袋から丁寧に取り出すのが私の晩秋の仕事だ。
 来週には箕面に「銀寄せ栗」と「酒粕」を買いに行こう。  

2015年9月28日月曜日

盆の様な月が

  昨夜が十五夜、今夜が満月で、スーパームーンだそうである。確かに昨晩、東向きの台所の窓から見事な月を見ることが出来た。
 「世界はなぜ月をめざすのか」(佐伯和人著:講談社)によれば世界は今、「月探査ブーム」を迎えているのだそうだ。2013年12月、中国は月着陸探査機「嫦蛾」(じょうが:月の異名)で世界3番目に月面着陸(無人)に成功した。といっても「月着陸はアポロが50年近くも前に成功しているし~」程度の反応で、あまりニュースにもならなかったようだ。
 しかし、世間一般の関心とは別にアメリカはじめ世界の国々が月の資源をめざし、巨額の予算を使いながら月探査をくり広げているという話だ。まだ読み始めなので詳しい話はいずれとして、取っ付きに「出たでた月が、丸~いまぁ~るい盆のような月が」という唱歌の話が出てくる。
 丸い大きな月が夜空に輝き、まるで「お盆」のようだと唱っているのだが、この本の作者は「月は球体であって太陽光によって照らされるなら真ん中が明るく縁は暗く見えるはずだ」と子供心に疑問を抱く。長じて研究者となり、月の表面に「衝効果」なるものがあることを知る。
 衝効果とは、月に差し込む光の方向と、観測する方向が近い時、極端に明るくなる現象。と難しくなるので作者は簡単な実験でこの謎を解き明かしている。ピンポン玉にペンキを塗ったものと、表面に食塩を付着させたものを用意し暗闇の中、ライトを照らしてみるとペンキを塗ったものは真ん中が明るく縁が暗く見え、一方、食塩を付着させたピンポン玉は全体が明るく「お盆」のように見えている。(本の中には実験写真もある)この食塩の役割を果たしているのが本物の月面では、岩石が砕けて出来た細かい灰色の粉だという。
 太陽と地球と月が一直線上に並んだ満月の時、つまり月を見る我々の方向と太陽の光の方向が近い位置にあり、衝効果により、より明るく見え、月の表面に一面に積もった灰色の岩石の粉の影が映りにくくなることにより縁まで明るく見えるという事らしい。私には満月が半月に比べ2倍の明るさではなく、それ以上に明るく見えるという「衝効果」の半分は分かったがピンポン玉の食塩と月の表面の細かい岩石の粉がなぜ球体の縁を明るく見えさすのかが分かりづらいが自己流に考え、乱反射によりお互いの影を消し合うのでは、と考えることにした。
 まあ~難しい話はこれくらいにして今夜も満月を見ることにしよう。昨晩、長谷やん宅は老夫婦二人の月見だったそうだが、我が家は嫁はんが義父宅に泊まっており(介護と云っても、もしもの緊急時に備え、という程度)私一人のやや寂しいお月見になる。
私の大好きなETのスーパームーン
追加
「衝効果」について要約して箇条書きにしました。
・作者は当時、日本初の月探査機「かぐや」からのデーターを活用し月の
 表面の色を解析することにより、月の鉱物の研究をしていた。
・その為に月の物質の光の反射率を測定する必要があった。
・反射率を正確に計るためには見かけの明るさではなく計る場所や光の
 入射角などを考慮し補正する必要があった。
・そして「月の表面の光散乱特性」(入射した光がどの方向へ、どれだけ
 反射するかを立体的に調べたもの)により、月の表面には「衝効果」が
 あることがわかった。
で、ブログ記事の最初の「衝効果」によって満月の時により明るく見える、という事が分かるのですが、やっぱり、月の全体、縁まで明るく見える「お盆」の様に見えるという事の説明にはなかなか行き着きません。
 私の周りの人々に意見を求めても最初に出てくる言葉は「乱反射」でした。素人の発想ではこれが「正解」という事で次のスーパームーンまでに答を見つけるよう宿題にしたいと思います。

2015年9月26日土曜日

一寸聞いていこう、がイイ!

 もはや日常生活の一部、仕事帰りに一寸聞いていこう、というような感覚で行われている梅田ヨドバシカメラ前のSEALDs関西の街頭宣伝だ。
 昨日も毎回参加している友人のお誘いのメールがあり、OB会の会議とその打ち上げ後、短時間参加した。
 まさに、帰り道のついでに一寸寄ったという感じだ。やっぱり長く続けようと思ったらこういう感じがいい!のではと身勝手に納得した。
 昨日はゲストスピーチで民主党の福山さん(国会で大演説をした)と共産党のエース辰巳コータローさんが訴えた。当日は午後に共産党の志位委員長と民主党の岡田代表が会談したこともあって、二人のスピーチ後も、「野党は共闘せよ!」のコールが続いた。最後にスピーチした若者は「19日の夜の国会を取り囲むひとたちの中で僕は希望しか湧かないんです!」と言った。またまた「なにわオールズ」のおっちゃん達を感激させてくれた。

2015年9月18日金曜日

感動の連帯パレード

 sealds関西が二日続きで街頭宣伝をやった。友人は昨日も参加したというので私は今日だけちょこっと参加した。
 梅田ヨドバシカメラ前と向かいの大阪駅2階のテラス、歩道橋はいっぱいの人、人、であった。若い人が次々に宣伝カーの上でスピーチをする。彼らの手にはスマホが、そう今の若者は鴻池委員長の様に机の下のメモに頼らない。スマホにレポしておいたスピーチを読み上げるのだ。
 これだったら暗い夜の街頭でもOKなんだと友人が教えてくれた。へ~そんな風になってるのか、と感心した。
 もう一つ感動したのが街宣の前の道路を何台もの生コンミキサー車が通過していく。関西生コン支部の組合員が運転してパレードをしてくれているのだ。車体の横には思い思いのスピーチを書いた横断幕が張り付けてある。
 この光景を見て我々高齢者は「関ナマや」とすぐわかるのだが、若者たちにはこのミキサー車の正体がわからないようだ。帰宅して見た彼らのブログには「梅田ヨドバシ前がすごいことになっている」「生コン車来た!」と驚いているがこの車についてはコメントがない。時代だろうか?この車の正体と連帯の行動を知ったら若者たちもきっと感動するだろう。
 私たち高齢者二人は勿論感動し、「これで少しは世の中変わっていくだろうな!」と述べあって帰宅した。 

2015年9月13日日曜日

白鳳仏に逢いに

  奈良国立博物館の会館120年記念特別展「白鳳-花ひらく仏教美術」を見に行った。義父から無料招待券を貰ったからだ。(読売新聞が主催者団体のひとつ) 
 新聞社が購読者へのサービスで配るこの種の招待券や優待券はなかなか侮れない、当日券は1,500円もするのだから。
 下世話な話はこれくらいにし、白鳳期の仏像の美しさは万人の認める処らしい。今回は薬師寺の国宝「月光菩薩立像」や「聖観世音菩薩立像」が展示された。
 神秘にあふれた飛鳥仏や成熟した天平彫刻とは違う若々しい金銅仏にその魅力があるらしい。確かに「聖観世音菩薩立像」には青年期の仏のような立ち姿が凛々しい。
 今回私は「月光菩薩立像」の雄大さに圧倒された。特に今回の展示ではそのライティングが見事でしばし見惚れた。そして、今回思いがけずその実物を目の当りにして嫁はん共ども大興奮したのが薬師寺東塔の水煙である。
 教科書で見たり、実際に薬師寺に足を運んでも下から遠く見上げるだけである。それが60センチ足らずの目の当りに見られるのである。それもこれも平成21年から始まった国宝「東塔」の解体修理のお蔭である。水煙は平成23年に特別公開されたがその時は見逃したので今回思いもかけず見ることが出来てラッキーであった。
 かのフェノロサが「凍れる音楽」と称賛したという「東塔」。巨大な水煙の中で舞う飛天や横笛を吹く天人の姿を目の当たりにした訳ではなかろうが、東塔を見上げながら説明を受け、彼が「凍れる音楽」と称賛した気持ちが私にも何となくわかるような気がした。

今回の展示とは別写真

2015年9月12日土曜日

切れ目なく!

 8月30日の扇町大集会に参加してくれた友人が「東京は連日のように集会を開いているのに、大阪は少ないんだね」、「もっとやらないとダメだよね」という励ましとも、催促ともいうべきメールがあって,急いで調べたら、大阪憲法会議が9月7日から11日まで連日「たそがれ市民パレード」をやっている事がわかり、二人で参加した。
 集合場所の中之島公会堂の前に着くと何人かのOBたちが集まっていた。特に声をかけていなかったのだが。
 全体の参加者数も少ないのだが、こうして自発的に、持続的に取り組むことが大事なんだろうと思う。
 「戦争法案」に賛成する読売、産経新聞などが30日の国会包囲行動に集った人数をいかに少なく見せようかと苦心していたり、「デモは否定しないが、こんな人数のデモで国家の意志が決定されるなら、サザンのコンサートで意思決定する方がよほど民主主義だ」と宣った橋下大阪市長らに対する一つの回答になるのではないだろうか。
 仮に「戦争法案」が通ろうとこのデモ、パレードの波は消えることはない。自民党の谷垣幹事長は来週中の採決が難しくなり、19日からの連休に入ってしまえば不測の事態も想定されるとし、「金曜(18日)夜には仕事帰りにデモに参加する人が多い。平日の明るい時間に採決してもらいたい」と党の会議で語ったそうだ。
 人数の多さでだけでなく、止むことの無いこの声を恐れているのは間違いなく政府と自民・公明与党だ!15日にはチラシの如くなんばで大宣伝がある。また友人を誘おうと思う。

2015年9月7日月曜日

平和が一番、鬼退治にいざ!

 昨日、尼崎市で「中山きく」さんの講演会があった。中山さんは4年前、昔の仕事仲間の旅行会で沖縄に行き、沖縄戦の戦跡めぐりをしたときに案内をして頂いた方だ。(2011年3月のブログ)講演会といっても尼崎市が取り組んでいる「公民館平和教育事業」の一環として企画されたもので手作り感いっぱいの会場だった。それでも親子連れを中心に60人くらいが参加した。
 中山さんは苛烈を極めた沖縄戦の中で「白梅学徒隊」として傷病兵の看護にあたった。看護といっても、薄暗いガマ(自然の洞窟を利用した野戦病院のようなもの)の中で満足な医薬品もなく、毎夕運ばれてくる重症の兵隊さんの看護に夢中で働いたという。そんな悲惨な体験を沖縄県退職教職員会女性部が作った「きくさんの沖縄戦」という絵本を使い、ハリのある声で1時間半話された。
 現在、86歳という高齢、杖を使ってはおられるが4年前にガイドして頂いた時より声が若々しく聞こえた。話の最後を「私は最期は手りゅう弾で自決しようと思ったが親友の声で思い止まり、今日に至った。亡くなった22名の白梅学徒隊の為にもと戦後50年たって沖縄戦の話を語り始めた。戦争は二度としてはいけない、沖縄の言葉『命どぅ宝』平和が一番です。」と締めくくられた。
 パンフレットに「戦争は突然来ないのよ。平和に逆行していると思ったら止めるよう行動しなさい」と。86歳の言葉を噛みしめ「戦争法案」を廃案にするために頑張ろうとあらためて決意させていただいた。
 帰り道JR大阪駅に着いてホームを歩いていると頭上から神楽が聞こえてくる。太鼓と笛のあの神楽の何とも言えないリズムが私の足をホーム最上階の広場に誘っていく。特設演舞場では広島の「塩瀬神楽団」が勇壮な神楽を舞っていた。異様に大きい鬼の面をつけた舞い手の華麗なステップ、鬼を退治する武者とが絡んだ圧巻の舞が20分以上も続き、太鼓、笛の演奏にも力が入る。見始めてから約40分、最後は持っていた荷物も下に降ろし、思いっきり拍手をしていた。
 良い土曜日だった。



2015年8月31日月曜日

圧巻の人波

 詳しい内容は「yamashirodayori」で既報なので簡単に報告する。「圧巻」だった。
 私も電車で会場の扇町公園に行ったのだが扇町駅は勿論、最寄りの駅から乗車した電車内には、それと思しき高齢者や、家族連れが沢山乗っていた。
 駅に着くとほとんどの乗客が降りた。久々にあせった、皆と会えるだろうか?と。 
 7月の大集会(1万2千人)をはるかに上回っている。その後のパレードや解散後の仲間たち(なにわOLDs)との打ち上げの模様は「yamashirodayori」にゆずるが、帰宅して開いたブログやツイッターには国会を取り巻く12万人の人波が映っていた。
 また、海外のメディアもBBCが逐一デモの様子を流し「日本の若者は政治に無関心で無気力だと批判されるが、彼らは目覚め、沈黙することを拒否しているようだ」と報道したという。
 ドイツの公共第1、第2テレビは、そろって30日夜のメインニュースで取り上げたとある。
 昨晩の日本のテレビはトップニュースではなかったが、今朝の朝刊はさすがに一面サイドに、60年安保の時のような見事な国会周辺のデモの様子を(これもyamashirodayoriをご覧ください。)載せていた。
 繰り返し言うが「圧巻」だった。9月末の会期末まで私も力を振り絞ってSEALDsの若者たちに応えたい!
  

2015年8月30日日曜日

みんな来てや!


 昨日からの行動も含めて全国各地で「戦争法案」廃案の集会が開かれている。今日は大阪で大集会が開かれる。大集会の熱気で雨も吹っ飛ぶかもしれない。
 昨日の神戸の集会には先輩が難病を押して参加されたそうだ。その意気に応えたいと思う。
              みんな来てや!

2015年8月17日月曜日

お盆明け?

  今年のお盆、実家でのお墓参りの集りも、仕事や体調を理由に又、子供たちは友達付き合いやクラブの用事などと忙しいらしく結局15人しか集まらなかった。(世間一般から見れば多いらしいが)
 例年なら、集まった子供たちの話題で賑やかなのだが、今年は2人しか来ず、いきおい年寄りの昔話が中心となる。
「昔馴染のあの人はどうしてる?」、
「えーあの人も死んだんか」と、あまり元気のいい話は出てこない。そらそうだろう、兄弟全員、父親が亡くなった歳を超えている。  いつもなら95歳を超えて元気に一人住まいしている嫁はんの父親の話で盛り上がるのだが今年は俄な不調を訴え、元気をなくしていることもあり、みんなを元気づけることが出来なかった。
 16日の朝には帰省していた息子も仕事に戻り、一人取り残されたような気分で夕食を摂ったが一人炊き用の土鍋で炊いたご飯はお焦げが固く、冷えた麦茶で流し込んだ。
 いかん、いかん、どうも瘋癲老人日記のようになってしまった。気分を切り替えて、8月末には大阪でも「戦争法案反対!」の大規模な集会がある。大阪OLDsを誘って参加しようと思い友にメールを送った。
                             

赤々と行くみち照らす五山かな  芳春

2015年8月9日日曜日

勇気ある行動

 今やNHKを筆頭に政府の御用報道機関になっているマスコミが多いと思う。いつも通っているプールで読む「読売新聞」の読者投稿欄には安保法制についての投稿は、ほとんど掲載がない。読者全てが法案に関心がないとは思えない。比して毎日新聞には、ほとんど毎日のように戦争法案に対する批判、反対の投書が載る。NHKにも報道の自由を守る人々がいる事も関係者を通じて事実として知ってはいるが
 そんな中、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)と云われるfacebookやLINEを利用したWebサイトが元気だ。連日国会周辺を取り囲むSealdsや個人参加の市民たちの活動を報じている。というより、SNSを通じて行動に参加しているのだ。
 一昨日、元の職場の人たちの支援に昼休みデモに参加した時、OBの皆さんに「今閃きました。これから私たちは大阪OLDsと名乗り、年金引下げ反対や、戦争法案反対のたたかいに立ち上がりましょう!」と呼びかけた。そしたら昨日の晩、ツイッターに「OLDs巣鴨から訴える」という朝日新聞の記事が紹介されていて、先を越された、という新鮮な驚きを感じた。
 そして今朝は、TVの人気モン、笑福亭鶴瓶さんがTVの対談番組で、自身がお笑いの仕事を大事にしていることもあり、本流でない政治の話は放送の場ではしてこなかったと告白。しかし憲法解釈の変更は「絶対したらアカンと思っている」と明かしたという事だ。
 対談相手の樹木希林さんが「今これは戦後70年の番組だけど、このままでは戦後80年の番組が作れなくなるかも」と話すとこれに同調し、「家族で乾杯したいがために言ってるんですよ」と自身の出演番組に引っかけて戦争法案反対の立場を表明した。
 また、6日のツイッターでは阪神タイガースのマートン選手が広島の平和祈念式典に多くの参列者の中の一人として個人参加していたというツイートもあった。
 このように、一般新聞報道には載らない、(載ったとしても遅れて載る)多くの情報が溢れている。

2015年8月1日土曜日

暑中お見舞い



暑中お見舞い申し上げます。
 本当に暑いですね、昨日、豊中市は、37℃をこえ、大阪一番の猛暑となったそうです。皆さんも、お体大切にお過ごしください。
                               2015・8・1

2015年7月20日月曜日

大阪も国会周辺も思いは同じ

 遂に大阪でも1万人を超える集会が開催された。連日、国会周辺に集まる何万人の行動報道に、「何で大阪では集まれへんのやろ」と少々不甲斐ない思いでいたが、18日の扇町公園はいつもと違っていた。
 続々と人々が集まり、17時開会時は5千人ちょっとという感じだったが五時半過ぎには「公園の入り口付近は人であふれ会場の中に入れない」というアナウンスが。
 6時きっかりに関西ではお馴染みの「小山乃理子」さんの司会でスタート、主催者団体や各政党の代表らの報告と決意表明が続き、集会終了間際に駆け付けたのが長谷川義史さん(写真の人)4チャンネルの「ちちんぷいぷい」でお馴染みの絵本作家さんだ。ちょびヒゲとあごヒゲに丸~いメガネ、カンカン帽をちょこっとかぶり、今日はウクレレ持参で「戦争いやや、安倍晋三いやや」と歌交じりで呼びかけ参加者を励ましてくれた。 
 この集会、参加者を1万人に近づけようと、私たち退職者連中も、事前に元の職場の前で宣伝行動もやった。ある種、何が何でも成功させにゃ、という気持ちが強かったが、長谷川さんの歌とコールを聞いているうちに、「何も今日一日で終わるわけではない、たたかいは始まったばかり、」という気持ちが俄然、わいてきた。そういう気持ちで周りを見渡せば、どの顔も明るい、「衆議院通過が何や、追い詰められてるのは安倍やんか」という顔に見える。人(にん)であろうか、すごいもんである。
 仲間と解散地点で打ち上げをし、家に帰って一人で(嫁はんは今日も義父宅で泊まり)ブログやらツイッターを見ていると、youtubeで17日のSEALDsの国会包囲行動が現れ、女性のコールで「戦争法案廃案!ノーパサラン、奴らを通すな」が見事なテンポで流れた。世代を超えて、何故か涙があふれた。

2015年7月13日月曜日

 6月に入って義父の体調がおかしくなって嫁はんは毎日泊りに行っている。いろいろ受診しているのだが なかなか原因が掴めないでいる。義母が亡くなって8年余りを一人暮らしで過ごしてきた。これまで何の不調も訴えて来なかったし、むしろ65歳の娘(嫁はん)の体調を心配するスーパー高齢者、96歳だっただけに今回の急変ぶりにわれわれが戸惑っている。
 そんな事もあって、我が家のベランダが無残なことになっている。例年のグリーンカーテンが設置できないでいる。義父の団地の外壁塗り替え工事があり、我が家と一緒にグリーンカーテンを造っていたのだが、今年は見送りとなった。我が家だけでもと、ゴーヤの苗を買いに行ったがすでに終わりという事だった。さらにプランターの古い土を入れ替えようと袋に詰め、処分する日を確かめようと市役所に電話すると、一般ごみでは扱えない、とつれない返事。有料の業者を紹介しましょうか、という事だったので見合わせた。
 そういえば以前、マンションの前住者が置いていったコンクリートブロックの処分に困った事があった。不法投棄が社会問題化しているが処分に困った住民が、という事もあるのではないかと思った。

  で、暫く何もないプランターを眺めるだけの日が続いたが、ある日、何もない所から草木が伸びはじめ、小さな白い花を咲かせ、濃い紫色の実らしき物が着きはじめた。以前長谷やんから貰ったフジバカマとは違うし、さっぱりわからない。我が家のベランダにはスズメ、ヒヨドリがよく来るし彼らが落した種かもしれない。
 睡蓮鉢の「姫スイレン」は今年も元気よく可憐な花を咲かせてくれており、真夏の始まりまで楽しませてくれそうだし、その頃までには義父の調子も元に戻ってくれることを願っている。



2015年7月11日土曜日

NO PASARAN!奴らを通すな

  連日の如く、国会議事堂前を埋め尽くす人の波、10日夜は、15,000人が集まったという。
 SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)がSNSなどで呼びかけ、自発的に集まった若者たちの行動である。目的は言わずと知れた安倍内閣が押し通そうとしている「戦争法案」を廃案にすることにある。最近は、新聞、テレビなどでも盛んに取り上げられ、「私も」と親子連れや仕事帰りのサラリーマンも参加し始めているという。東京のこの熱気が何故大阪にないのか?と気に病んでいたが来週の18日扇町公園で1万人の集会が呼びかけられた。一人でも多く参加し、大阪からも「戦争法案」反対の声を届けたいと思う。
 同じ18日には作家の澤地さんら114人の著名人が「アベ政治を許さない」という主権者一人ひとりの抗議の意志をいっせいに示そうと午後1時きっかりに全国で写真のポスターを掲げようと呼びかけた。このポスターの文字は俳人の金子兜太氏の揮毫だそうだ。
 安倍内閣は来週中には「戦争法案」の委員会通過を狙っている。何としても彼奴らの悪だくみを通させてはならない。
 上の写真の「NO PASARAN」は、スペインでナチスの支援を受け内乱を起こしたフランコ将軍らのファシスト台頭に対抗して掲げたスローガン「(ファシスト)奴らを通すな」のことです。30数年前に労働組合の全国大会の成功のためのカンパニアで友人が、NOPASARANとプリントしたTシャツを販売することを考えつき、おおいに広めた事を思い出した。
 そうです、安倍首相ら日本を戦争する国にしようとする者たちの悪だくみを通してはなりません。

2015年7月3日金曜日

座布団5枚!


  前回のブログの続きになるが興味深い話を聞いたので調べてみた。沖縄県における新聞-地方紙の占有率である。昨日、大阪の高齢者運動団体の総会があり、閉会挨拶の中で「百田氏が言った沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない、という2紙-沖縄タイムス・琉球新報は沖縄全県の購読紙の8割を占めている」という話を聞いたからである。
 2010年度の調査で少し古いが-地方紙比率・沖縄県が全国1位、96%を超えるという数字があった。(読売新聞広告ガイド、日本ABC教会調べ。)この2紙の県民への影響力は大きいと言えるが、その事が言いたいことの本筋ではなく、私が購読している「毎日」以外の大手紙がどう報道しているか気になって調べてみたのである。
 義父は「読売」を購読している。まず26日付けの朝刊は「首相支持若手が勉強会」と3段抜きの見出しではあるが内容は、9月の総裁選挙を前に、安倍首相の進める安全保障政策や憲法改正論議について学び、首相支持の機運を高める狙いもある。作家の百田氏が憲法改正や安全保障法制整備の必要性などに関して講演した、とあっさりとした記事を載せている。
 そして同日の夕刊では、2段抜きの見出しで「自民議員報道規制に言及」-マスコミを懲らしめる-広告収入を通じ圧力-という記事が初めて載った。
 27日になって「社説」で「看過できない『報道規制』発言」と論評したがその内容は、「自らの主張と相いれない新聞やテレビ局に広告を出させない形で圧力をかけようとしている、と受け取られても仕方あるまい」と優しい。また、安倍首相や自民党幹部の一連の発言についても「今回の事態を問題視しているのだろう」と他人事のような発言を肯定している。
 さらに百田氏の発言を利用して「辺野古移設は市街地の中心部にある普天間飛行場の固定化を避けるための実現可能な唯一の選択肢だ。「移設反対」を掲げる沖縄2紙の論調には疑問も多い」と的外れな論評である。あくまで「やや行き過ぎた」発言と捉えているのだ。
 今回の「報道規制」発言や「新聞つぶせ」発言の根底には驕れる自民党の体質があることは間違いない。百田氏はその後、自身のツイッターで「私が本当につぶれて欲しいと思っているのは、朝日新聞と毎日新聞と東京新聞です」とあけすけに呟いている。百田氏から”下司の勘繰り„と云われるかも知れないが、百田氏の発言と読売の報道姿勢と沖縄県の地方紙独占の事実との奇妙なリンクが何ともいやらしい気がしてならない。
 日刊スポーツが「安倍首相 謝罪する気は 永遠の0」と戯れている。 座布団5枚!

2015年6月27日土曜日

おごる自公は久しからず

  22日付け毎日のコラム「風知草」で-不戦国家の用心-と題して、安倍首相が今国会で「安保法制」の成立を目指していることについて、「政権が軍事国家を目指しているという断定は不当な極論である」と(野党などの過激な批判、論戦のことを指しているものと思う)書いた。同時に、安倍首相の野党の質問に正面から答えない答弁姿勢に苦言も呈しているが、「安保論戦がしばしば行き詰まり、国際情勢の急変を背景に決着を見た。」と、まるで最近の「安全保障環境が根本的に変容した」という安倍首相の言い訳を追認するような論調である。  「風知草」担当の山田孝男氏は毎日新聞政治部特別編集委員で2014年度、日本記者クラブ賞も受賞したベテランで、これまでにもユニークな政治家評論も書いている。しかし今回の「風知草」はどうも今までの論調とは違っているように思った。
 コラムの最後には、「日本は70年間、不戦を貫いた。自国防衛の用心は怠らぬにせよ、国の基本は不戦にある。そういう国だと首相に言ってもらいたい。」と結んではいるのだが。
 そんな思いでいた中、26日付けの「赤旗」に「戦争法案審議入り1ヶ月、首相会食、銀座・赤坂へ」という記事が載り、会食の相手の一覧表の中で、「24日-『朝日』『読売』『日経』などの各社編集委員、論説委員の中に『毎日』山田孝男特別編集委員の名前が挙がっていた。会食の中でどんな会話があったのかは明らかではない。が、きっと間の悪い会食ではなかったのではないか、とこれは同席していない私の感触だが。
 そんな”ザワザワ„した気分の同じ日の「毎日」が「安倍首相に近い自民党の若手議員が百田氏(あの百田氏である)を招いた勉強会で、安全保障関連法案に対する国民の理解が広がらないのはマスコミの批判の所為だ」とばかりに攻撃し、挙句には「マスコミを懲らしめるには広告収入をなくせばいい、経団連に働きかけて」との意見が出た事、また、講師の百田氏は「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない」と普天間基地移転問題で政府に批判的な地元新聞を名指しで攻撃した、と報じていた。
 百田氏は前NHK経営委員で推薦・任命したのは安倍首相である。いよいよ政権も末期症状が出てきた感がある。
 「おごる自公は久しからず」、もちろん、自壊するはずもなく、追い詰めるのは広範な国民世論である、全マスコミもその一翼になって欲しい。
 

2015年6月25日木曜日

小は大を凌ぐ!

  前のブログに書いた戦争法案に反対する「6・23府民集会」に参加してきた。開会15分前に到着したが参加人数が少なめな感じでちょっと心配した。
 が、開会の6時半になると、続々と参加者が詰めかけてきて会場の後ろの方にも列が出来てきた。今回、退職者の会として参加しようと決めてきたので会の旗を掲げた。
 労働組合や民主団体の大きな旗や幟が林立する中で長いポールの先に小さな我が会の旗がすっくと立ち、異彩を放っている。「小は大を凌ぐ!」という感じで何か誇らしかった。
 会場には懐かしい顔もたくさん見え、さながら昔の青年部の同窓会の様でもある。そして、その人々が誰に言われた訳でもなく「これは危ない」と感じ、自らの意志で参加したと言っていた。何とも頼もしく、心強かった。
 集会後、デモ行進に移ったがかなりの人が参加しており、私たちが隊列の最後尾という事もあって公園を出たのは8時前、目的地の公園に着いたのは、9時丁度だった。遅い時間だったが参加者の労をねぎらうため、いつものビアホールで乾杯したのはいうまでもない。
 それにしても、連日新聞「赤旗」で報道される国会周辺のデモや抗議活動、各地で開催されている集会などに比べ大阪の集会は熱気というか、覇気がないように感じた、それは参加者ではなく、主催者側において、というのがビールを飲みながらの感想であった。
 今朝、起きて新聞を見ると参加者は4000人を超えた、とあるが、当日参加した友人のメールでは「主催関係者の構えは1000人規模の集会だった」という話である。もしそうだったとしたら「構え」が低すぎるような感じもしたが、昔の仲間と会えた喜びと、わが会の旗の注目度の高さに少し自己満足した。   会期延長は安倍首相の自信の無さ、あせりの証拠、もっともっと広範な国民の声を集めて国会を延長したことを後悔させてやろうではないか!
追記
 大阪らしい、と感じたのがデモ行進の掛け声、民主商工会グループが「憲法9条で商売繁盛!」と、えべっさんの掛け声でやっていてさすが!と思わせた。   

2015年6月23日火曜日

異常な政治家たち

 昨夜遅く自公政権は、戦争法案成立のために国会を95日間延長することを決めた。維新を含めた5野党の反対を押し切ってのことだ。
 安倍首相はアメリカ・オバマ大統領に約束した手前、何としてもこの法案を成立させたいと、形振り構わず、という風に見えるが、しっかりと計算している風にも見える。
 大幅な会期延長で「いくら反対してもどうせ成立させてしまうのでは」との厭世気分を野党間に起こさせようという狙い、それ以上に姑息なのが、9月27日までの会期延長の中に自民党総裁選挙を入れ込んでいることだ。
 つまり、国家の大事の時に、総裁選なんかやる場合か、と無投票で再選を決めてしまおうという算段ではないか、という、ただしこれは、私の考えではなく、NHKの記者の解説である。
 戦後最大の延長幅(参議院で否決されても衆議院での再議決に必要な期間)と云い、維新の党との修正協議(単独採決を避けるため)に期待を寄せるとか、とにかく国会内の力関係だけで、この国の重要な法案を決めてしまおうという姿勢だ。そこには、国民の意見など、いや国民そのものを見ようとしない異常な政治家の姿が見える。そして、その後ろには60年安保改定を成立させた祖父の岸首相が覆い被さっているのが見える。
 ならば、これほどまでに国民の声を無視する安倍首相に目に物見せてやろうではないか。長期の会期延長は安倍首相のあせりの表れでもある。まずは本日の集会で国民の声を轟かせようではないか!

2015年6月14日日曜日

名優死す

 「ドラキュラが亡くなった」!えっ、ドラキュラって不死身ではなかったか?
 ドラキュラ役で有名な俳優「クリストファー・リー」が亡くなったというニュースだが。とにかくドラキュラといえば、彼の名と演技が思い出される。イギリスの「ハマーフイルムプロダクション」という映画会社は怪奇映画、今流に云えばホラー映画専門の制作会社だったが、そこの専属俳優?としてピーターカッシングと共に、一時代を画した名優である。
 と云っても、過去の俳優ではなく、90才をこえても現役を貫き、記憶に残る映画としては「スターウォーズ」や「ロードオブリング」で重厚な役どころを演じていて、懐かしくも、嬉しかった。
 彼のことで当時、強く印象に残っているのは写真のポスターの如く、美女に襲いかかる場面のドラキュラの赤く血走った眼を表現する為、「芥子の実」を両目に入れ、充血させて撮影に臨んだという事だ。昔の映画専門誌「スクリーン」だったか何かで読んだ覚えがあるのだが真偽のほどは知らない。しかし俳優のプロ根性というものを強烈に感じ、今なお覚えている。
 93歳没

2015年6月7日日曜日

久しぶりの堺

  昨日、「さかい利昌の杜」という施設を見学した。午前中に、きり絵の前田尋さんの3人展が堺市内であり、見に行った帰りに寄ってみた。
 今年の3月に堺市が歴史文化施設として旧市民病院の跡地に建設したものだそうで、是非見学したいと思っていた。堺に縁の「千利休」と「与謝野晶子」にまつわる展示施設という位の予備知識しかなかったがガラス張りの立派な建物と受付と案内の女性スタッフが明るく、親切な対応が好印象であった。
 玄関を入ったフロアーが堺の古地図になっていて、「調御寺」が顕本寺と同じ大きさで表示されていて、何か誇らしい気持ちになる。
1階は「利休」に関する資料展示で、自治都市「堺」の成り立ちが様々な資料で解説されている。写真のパネルの南蛮船の上に「SACAY」と表記してあるのはローマ字表記の「SAKAY」の誤りではなく、ポルトガルでは「堺」をこう表記していたとの事で、同じフロアーに展示されているヨーロッパの古地図には日本を代表する都市として「SACAY」と記されてあった。

  利休の紹介については、館内の映写コーナーで15代楽吉左エ門さんが10分足らずの画面で語っている。千家の家元が語っていないのが面白い。身内のことは語らずということか。
 2階に移ると、与謝野晶子の展示室である。生家の「駿河屋」の店先が再現されている。情熱の歌人というのが一般的な評価だが、私は、鉄幹との間に12人の子供をもうけ、甲斐性の無い鉄幹に代わり、髪振り乱して孤軍奮闘、来る仕事はすべて断らず、短歌の職人だった、という印象を持っている。
 この偉大な二人の偉人に対する展示としては、「利昌の杜」はあまりにも規模が小さすぎるような気がするが、しかし清潔な館内とスタッフの気持ち良いサービスはその分を補っている。
 施設を出てから先日、調御寺のご住職から「利休井戸がきれいに公開されているよ」と聞いていたので覗いてみると、写真の様な門まで建てて、ボランティアガイドの方が説明してくれた。
 以前退職者会で堺の街歩きをしたときも、ボランティアガイドの方が丁寧に案内してくれたが、堺市は今、「百舌鳥・古市古墳群」を世界文化遺産に、と意気込んでいるからかこの点は本当に充実している。
 帰り道、阪堺電車に乗る前に、「本家小嶋屋」の「芥子餅」を買おうとダメもとで店を覗いてみると運よく開けていた。近くに
もっとおおきな店を構えた「小嶋屋・芥子餅」があるが昔から何となくこの小さな店の芥子餅が好きで買っている。天気も良く、爽やかな風に吹かれ阪堺のちんちん電車で帰った。

2015年5月23日土曜日

オール大阪、オールジャパンの民意

 住民投票が終わって6日経つ。この間、友人の多くが電話やメールなどで、「辛勝だったけどヨカッタ!」と云ってくれたし、長谷やんや和道おっさんは、詳細な分析をされている。それに比べ私は、やっと感想めいた事を書く余裕が出てきたところ、というのは言い訳で、実は投票日の17日から旅行に行っていたのである。昔の職場の全国研修仲間たちで「けやき会」という旅行会をつくっていて、今回も1年前から日程は決まっていて、17日も活動している人たちには申し訳ない気持ちを残しつつ出かけた。
 2泊3日の旅行の話は何れ書くとして、旅先で固唾を呑んでみていた投票結果は「あ~よかった。これで大阪の将来について、大阪府民である我々も一緒になってゆっくりと考えることが出来る」という感想が正直なところであった。「都構想」が橋下・維新勢力の強引な手法で住民投票にまで持ち込まれた時から、大阪市民は「都構想」の中身ではなく、橋下市長の人気投票という、いわば「思考停止」状態にさせられていたと思う。それを全国的な応援も受け、「本当に大阪市をなくしていいのか、もっとゆっくり、真剣に考えさせてくれないか」との思いで大阪市民が出した結論だった。ところがこの結論を僅差で負けた悔しさなのか、「釈然としない」「年寄りの意見が若者を抑え込んだ」かのような意見や批判をする人たちがいる。1票でも勝ちは勝ち、と強引に住民投票を持ち込んだのはそっちではなかったのか、情けない限りである。
そんな「住民投票」一色の報道記事の中で私はもう一つの重要な出来事の記事を追っていた。住民投票と同じ17日に沖縄で開催された「米軍普天間飛行場の名護市辺野古への県内移設阻止」県民大会の模様である。
旅行から帰った18日付けの「毎日」には「辺野古阻止、3万5千人」の見出しがあった。翁長知事は「土地を奪っておきながら普天間が世界一危険だから(代替地を)沖縄が負担せよ、という事が許されるのか。政治の堕落だ」と政府を批判した。また、移設反対運動を支える「辺野古基金」が2億円を突破し、その7割が本土からで、「オール沖縄の闘いは、オールジャパンの闘いに変化している」との報告もあったという。
 それからもう一つ、私の目を引き付けた記事があった。この県民大会の共同代表の「中山きく」さんの挨拶である。中山さんは「白梅学徒隊」の生き残りのお一人で、以前「けやき会」で沖縄を旅行した時、多くの県民や兵士が亡くなった沖縄戦の爪跡を巡るツアーのガイドをしてくださった方である。(2011年2月「沖縄旅行記」に書いた。)「辺野古移設反対の民意を無視して、政府は新基地建設をごり押しするが、これでも民主主義国ですか!」と訴える86歳の気迫に感動した。
 自らが強引に決めた「住民投票」というスタイル・ルールに、敗れたからと云って文句をつける、そして、オール沖縄・オールジャパンの「辺野古移設反対」という断固たる民意を無視し続ける政府に道理がないことは明白である。
 さらば橋下、さらば安倍、の民意は下された。