昨日、金澤翔子さんの書展を見に行った。大河ドラマ「平清盛」の題字などで有名になった書道家である。と同時に彼女はダウン症という障害を持っている。
会場入り口に彼女のプロフィールが彼女の母親の金澤泰子さんのことばと共に紹介されており、また作品ごとに泰子さんのコメントがあり、なぜ彼女が書道家になったのかも紹介されている。
障害を持った子を産んでしまった母親の苦悩、世間と隔離して子育てをし、それがために母娘二人で濃密な時間を過ごしたこと。泰子さんが書道家であった事から5歳の娘に筆を握らせ、来る日も来る日も書道と向き合った事、小学4年生になった時に普通学級への進級を拒否され、絶望的な気分になり、その事がまた新たな書へ向き合うことになっていった事、(この時に有名な涙の般若心経が生まれた)、父親の突然の死と、兎に角、下世話に言えば波乱万丈の道を辿ってきたことが作品と共に紹介されている。しかし、その作品と彼女自身の思いは前に向かっているように感じた。
会場では国連が毎年3月21日を「世界ダウン症の日」に制定し、その記念会議に日本代表として参加した彼女がスピーチをする様子がビデオで映し出されているが「お母さまを愛しています。30になったら一人住まいをします」と力強く宣言されていた。
会場には有名な「共に生きる」(東北の被災地を訪れ揮毫した)や京都建仁寺の「風神雷神図」を見て書いた「風神雷神」等大作が並んでいたが私は一枚の小さな作品「雨」に心を奪われた。空に流れる雲から雨粒が降りてくる様をやさしい筆致で書いている。
母泰子さんの「ダウン症ゆえの魂の純度からくるのでしょうか、いまさらながら書はテクニックなどではなく魂のありようだと思い至っています」という言葉も素直に肯けた。
健常者の中にも才能を花開かせた方もおられると同時に普通の方もおられるように、ダウン症の方の中にも才能を花開かせられた方もいるので、そういう意味ではみんな一緒のように思います。ダウン症を過大に悲観もせず、その感受性をダウン症に結び付けて過大に評価もしないのがいいのかなと思っています。
返信削除過日、和道おっさんから「人生に意味のない出来事など何一つとしてない。意味のある出来事としてとらえることができるかどうかが、その人の人生を左右する」とのメールをいただきました。「艱難汝を玉にす」かどうかでしょうか。
この一年、ブログusukuchimonndouを読ませていただきました。楽しかったです。どうかよいお年を!