中山さんは苛烈を極めた沖縄戦の中で「白梅学徒隊」として傷病兵の看護にあたった。看護といっても、薄暗いガマ(自然の洞窟を利用した野戦病院のようなもの)の中で満足な医薬品もなく、毎夕運ばれてくる重症の兵隊さんの看護に夢中で働いたという。そんな悲惨な体験を沖縄県退職教職員会女性部が作った「きくさんの沖縄戦」という絵本を使い、ハリのある声で1時間半話された。
現在、86歳という高齢、杖を使ってはおられるが4年前にガイドして頂いた時より声が若々しく聞こえた。話の最後を「私は最期は手りゅう弾で自決しようと思ったが親友の声で思い止まり、今日に至った。亡くなった22名の白梅学徒隊の為にもと戦後50年たって沖縄戦の話を語り始めた。戦争は二度としてはいけない、沖縄の言葉『命どぅ宝』平和が一番です。」と締めくくられた。
パンフレットに「戦争は突然来ないのよ。平和に逆行していると思ったら止めるよう行動しなさい」と。86歳の言葉を噛みしめ「戦争法案」を廃案にするために頑張ろうとあらためて決意させていただいた。
帰り道JR大阪駅に着いてホームを歩いていると頭上から神楽が聞こえてくる。太鼓と笛のあの神楽の何とも言えないリズムが私の足をホーム最上階の広場に誘っていく。特設演舞場では広島の「塩瀬神楽団」が勇壮な神楽を舞っていた。異様に大きい鬼の面をつけた舞い手の華麗なステップ、鬼を退治する武者とが絡んだ圧巻の舞が20分以上も続き、太鼓、笛の演奏にも力が入る。見始めてから約40分、最後は持っていた荷物も下に降ろし、思いっきり拍手をしていた。
良い土曜日だった。
何故あんな悲惨な地上戦が起こったのかと考える時、軍部や政治家トップにまぎれもなく沖縄(人)に対する差別があったと私は感じています。
返信削除敗戦前の昭和天皇の発言を『昭和天皇独白録』から見ると、沖縄や広島、長崎の国民のことよりも、「伊勢湾上陸で伊勢熱田両神宮の神器確保の見込みが立たず国体護持が難しい」というのが講和への意志と書かれています。
安倍首相の戦争法案はこういう時代の再来を目指しています。
ひげ親父さん、86歳の中山きくさんの言葉や生き方を読んで、いまちょうどOB会の会報の原稿に書いている「最晩年の生き方」の参考になるところが多いと思いました。
返信削除自分の信念に基づき、日々ためらうことなく行動し、凛として生きる。ささやかでもその中で得た体験を、孫たちのために自分の生きた証しとして記録しておく。そんな晩年を気負うことなく生きていきたいと思っています。
和道さんのコメントにも頭が下がります。
返信削除台風の爪後の大きさに震えています
返信削除異常気象の近年、被害も異常ですね!!滋賀県は、何時も大過なく過ぎるので
幸いに思います。 平和が一番!! 戦争も災害も、日々の平和を奪ってしまいます!!
帰路に神楽を楽しまれたとの事、私も以前に、小さな小屋で華麗に舞う神楽とその音色に酔いしれた事を思い出しました(亡き主人の里が広島の山里です) その山間の村の実家に明日より、法事帰省します、長寿だった義母(104歳)の1周忌です、行って来ます
一昨日、亡き父の歳をこえました。私も和道さんの決心に近づきたいと思っています。
返信削除岳美さん、お久しぶりです。「ほんまもん」の神楽を見られたのですね。大阪駅の神楽も力演でしたが、やっぱり神楽はその地元に身を置いてこそ、だと思います。しかし、あのリズムは何なんでしょうね、魂をがっしり掴んで揺さぶられるような気がします。