2015年9月12日土曜日

切れ目なく!

 8月30日の扇町大集会に参加してくれた友人が「東京は連日のように集会を開いているのに、大阪は少ないんだね」、「もっとやらないとダメだよね」という励ましとも、催促ともいうべきメールがあって,急いで調べたら、大阪憲法会議が9月7日から11日まで連日「たそがれ市民パレード」をやっている事がわかり、二人で参加した。
 集合場所の中之島公会堂の前に着くと何人かのOBたちが集まっていた。特に声をかけていなかったのだが。
 全体の参加者数も少ないのだが、こうして自発的に、持続的に取り組むことが大事なんだろうと思う。
 「戦争法案」に賛成する読売、産経新聞などが30日の国会包囲行動に集った人数をいかに少なく見せようかと苦心していたり、「デモは否定しないが、こんな人数のデモで国家の意志が決定されるなら、サザンのコンサートで意思決定する方がよほど民主主義だ」と宣った橋下大阪市長らに対する一つの回答になるのではないだろうか。
 仮に「戦争法案」が通ろうとこのデモ、パレードの波は消えることはない。自民党の谷垣幹事長は来週中の採決が難しくなり、19日からの連休に入ってしまえば不測の事態も想定されるとし、「金曜(18日)夜には仕事帰りにデモに参加する人が多い。平日の明るい時間に採決してもらいたい」と党の会議で語ったそうだ。
 人数の多さでだけでなく、止むことの無いこの声を恐れているのは間違いなく政府と自民・公明与党だ!15日にはチラシの如くなんばで大宣伝がある。また友人を誘おうと思う。

4 件のコメント:

  1.  過去の平和や民主主義を求める運動を十把一絡げに「動員だった」と言ってしまうのは正しくないと思いますが、現在の運動が非常に自発的な市民運動を基本にしているのは間違いないと思います。
     そういう一人一人の自発的な行動はこの国の未来を展望させます。
     できることを 執拗に! あきらめない! ・・ことですね。

    返信削除
  2.  ひげ親父さん、連日の記事更新に驚いています。
     デモや集会の参加者の数をどう評価するか、という問題は古くて新しい問題ですが、今日の私の記事にも紹介しましたが、朝日新聞の声欄に投稿された作家の森村誠一氏の記事が参考になると思いました。行動に一歩踏み出した参加者の自主的な意思は、ただテレビを見ているだけの意思とは根本的に違うと思います。仕事や授業、家族との団欒など、多くのものを犠牲にして手弁当で参加した人が何十万人もいるという意味は計り知れません。自公政権が恐れているのは、まさにこの点であり、橋下氏が逆に無視しようとするのも、急激に膨らむ民意への恐れなのだと思います。

    返信削除
  3. 私も今日夕方、通っているプールの休憩室で森村氏の投書記事を読んでおこがましくも「大作家も私と同じ思いなんだ」と感動し、かつ「国民は自弁というハンディキャップを背負いながら戦っている」という分析、認識に流石、と感服しました。このエネルギーの持続、継続がある限り、必ず廃案に出来ると思います。

    返信削除
  4.  15日のなんば高島屋前もOLDSが大勢でした。それにしてもミナミは「ここは何処?」というほど外国人で溢れていました。英語、中国語、韓国語でスタンディングスピーチをしたら国際連帯が進むのでは??シリア人がVサインをしてくれました。私は長谷川義史さんのポスターとペンライトでアピールしました。OLDSにひとつだけ苦言ですが、無関心そうな若者に「あんたらのことやで」と上から目線でお説教するような宣伝は心に届かないと思いますよ。

    返信削除