住民投票が終わって6日経つ。この間、友人の多くが電話やメールなどで、「辛勝だったけどヨカッタ!」と云ってくれたし、長谷やんや和道おっさんは、詳細な分析をされている。それに比べ私は、やっと感想めいた事を書く余裕が出てきたところ、というのは言い訳で、実は投票日の17日から旅行に行っていたのである。昔の職場の全国研修仲間たちで「けやき会」という旅行会をつくっていて、今回も1年前から日程は決まっていて、17日も活動している人たちには申し訳ない気持ちを残しつつ出かけた。
2泊3日の旅行の話は何れ書くとして、旅先で固唾を呑んでみていた投票結果は「あ~よかった。これで大阪の将来について、大阪府民である我々も一緒になってゆっくりと考えることが出来る」という感想が正直なところであった。「都構想」が橋下・維新勢力の強引な手法で住民投票にまで持ち込まれた時から、大阪市民は「都構想」の中身ではなく、橋下市長の人気投票という、いわば「思考停止」状態にさせられていたと思う。それを全国的な応援も受け、「本当に大阪市をなくしていいのか、もっとゆっくり、真剣に考えさせてくれないか」との思いで大阪市民が出した結論だった。ところがこの結論を僅差で負けた悔しさなのか、「釈然としない」「年寄りの意見が若者を抑え込んだ」かのような意見や批判をする人たちがいる。1票でも勝ちは勝ち、と強引に住民投票を持ち込んだのはそっちではなかったのか、情けない限りである。
そんな「住民投票」一色の報道記事の中で私はもう一つの重要な出来事の記事を追っていた。住民投票と同じ17日に沖縄で開催された「米軍普天間飛行場の名護市辺野古への県内移設阻止」県民大会の模様である。
旅行から帰った18日付けの「毎日」には「辺野古阻止、3万5千人」の見出しがあった。翁長知事は「土地を奪っておきながら普天間が世界一危険だから(代替地を)沖縄が負担せよ、という事が許されるのか。政治の堕落だ」と政府を批判した。また、移設反対運動を支える「辺野古基金」が2億円を突破し、その7割が本土からで、「オール沖縄の闘いは、オールジャパンの闘いに変化している」との報告もあったという。
それからもう一つ、私の目を引き付けた記事があった。この県民大会の共同代表の「中山きく」さんの挨拶である。中山さんは「白梅学徒隊」の生き残りのお一人で、以前「けやき会」で沖縄を旅行した時、多くの県民や兵士が亡くなった沖縄戦の爪跡を巡るツアーのガイドをしてくださった方である。(2011年2月「沖縄旅行記」に書いた。)「辺野古移設反対の民意を無視して、政府は新基地建設をごり押しするが、これでも民主主義国ですか!」と訴える86歳の気迫に感動した。
自らが強引に決めた「住民投票」というスタイル・ルールに、敗れたからと云って文句をつける、そして、オール沖縄・オールジャパンの「辺野古移設反対」という断固たる民意を無視し続ける政府に道理がないことは明白である。
さらば橋下、さらば安倍、の民意は下された。
「ここ一か月半ほどは記憶が飛んでいる」と妻が言うほど義母の入院・24時間看護に振り回されていたのが、住民投票と重なって退院となったので、私も辛勝にホッとして頭が休憩状態に入っていますが、投票後のマスコミの状況を見ていると、まだまだ橋下氏に未練たっぷりで、引退後はコメンテーターとしてさらに嘘をまき散らすのではないかと思うと休憩はしておられないように思います。ほんとうに「さらば」と言うのには一仕事も二仕事もありそうです。
返信削除いわゆる大阪都構想と住民投票、それを許さないという取り組み、薄氷の結果、これを事後検証せずに11月(知事の任期満了)を観客として迎えてよいのでしょうか。
返信削除ひげ親父さんの続報を期待しています。
usukuchimonndouが、もう更新されていないか!と思って開ける度に辛坊治郎氏の顔が出てくるのでうんざりしております。意図とは反対に辛坊氏の売名に手を貸している感があります。
返信削除弁証法の有名な定義のひとつに「量質転化の法則」がありますが、立派なブログも数が少ないと力にはならないと私は考えております。初心忘するるべからず。
ブログの更新を期待しています。