前回、予告していた「木津川計の一人語り劇場」だが奥が深く、なかなか書けないでいる処に長谷やんのブログyamashirodayoriで沖縄で今起こっていることについて鋭い指摘があった。
「安倍政権の姿勢には対米従属だけでなく、沖縄の人々に対する差別意識がある」、「それの批判をしないというのは間接的ではあるが加害行為に手を貸していることになる」。
「原発問題しかり、いじめ問題しかり、見て見ぬふりこそ現代日本の病巣ではないだろうか。「見て見ぬふり」!どうすれば法律以前に倫理がある社会ができるのだろうか。」というものであった。
そして今朝の毎日新聞の投書欄に、安倍首相の憲法改悪への姿勢を見て、「ただ腹が立つというだけでなく、考えを文章にまとめ、投稿も始めた。選挙の投票だけが自分の責任だと思い、欠かしてこなかったが、もうそれだけではいけない世の中になっていると思う。~しっかり勉強して、自分にできることをしていきたい」という内容だった。
実は今回、私が書きたい木津川さんの「一人語り劇場」は日本の戦争映画の名作「私は貝になりたい」である。木津川さんはこの映画の核心部分について清水豊松という小さな町の散髪屋の主人公が戦争裁判の不条理、不合理を嘆き、恨みながらC級戦犯として絞首刑に処せられるのであるが豊松は嘆き悲しむ中で自分は上官の命令に従ったまでで、戦争犯罪について何ら関係していない、と恨みを残し、ついには一切の関わりあいのない深い海の底の貝になりたいと遺書に書くのである。
そして木津川さんはこの映画の核心として「そこには「不作為の作為」が存在していたのでは」と語る。(語りの中で木津川さんのこの結論部分に至るまでには反ナチの闘いを描いた映画「ロベレ将軍」との対比など、もっと深く長い考察があるのだがそこのところはいづれ書きたいと思う)
偶然にも同じ思考に触れ大いに考えさせられた年の瀬である。
今年の年末のご挨拶はこれにて(腰痛が悪化しそうな気配で)
よいお年を!
聖観音立像がお守りします。
2016年12月30日金曜日
2016年12月23日金曜日
国会質問と語りの名手登場!
先週の土曜日、大阪革新懇主催の「太平洋戦争開戦76年目今あらためて『平和』を考える府民のつどい」という少々長い標題の集会が開かれた。
カジノ法案の国会質問で話題を呼んだ「大門みきし議員」と「一人語り劇場」で人気を博す木津川計さんという出演者であるから会場はパイプ椅子が並ぶほどの盛況だった。
大門さんの国会報告と木津川さんの一人語り劇場は、戦争の悲惨さを見事に描いた「私は貝になりたい」だった。
お二人とも聞き応え、感動満載だったので先ず大門さんの国会報告から紹介する。
国会は17日まで再延長されたものの、カジノ法案の強行採決とこれに反発した野党が共同提案した安倍内閣不信任案を否決し15日未明で事実上閉会した。
大門さんは、そもそも何故安倍政権が臨時国会でTPP、年金カット、カジノの三大悪法を強行したのか、というところから入り、その最終目的は「憲法改悪」に行きつく。安倍首相の祖父、岸信介の果たせなかった野望である「憲法改定」にある。自公内閣と補完勢力である日本維新の会の暴走政治を倒すには野党共闘しかない。
と結ばれたのだがそこは国会質問の名手、大門さんであるから例えばTPP承認問題についても「これはアメリカの大企業が日本市場を狙ってのこと、農業問題だけでなく、医療、社会保障制度に大きな悪影響を及ぼす、介護サービスの内容なども様変わりすることになります、と指摘した上で、大門さんのお身内の要介護者の生前のエピソードも話され「どうも私が見舞いに行くと私をお医者さんだと間違っているらしく、有難うと頭を下げるので、私もハイハイと言って、脈をとってあげましたが」とサラリとおっしゃった。
またカジノ法案で大門さんと清水議員が持統天皇が賭博禁止令を出したことに触れた国会質問の話では、憲法改悪に力を貸してほしい補完勢力である日本維新の会が大阪でカジノと万博を実現させたいと云っている、そこで維新に恩を売っておこうとの狙いもある。
そして、「実はこの話は、」と切り出されたのでひょっとして長谷やんのあのツッコミの話が出るのかと思ったが「この話は、持統天皇の前、天武天皇のときから始まる話で、双六遊びに元があって、双六のサイコロ部分だけを使った賭け事になり、天皇周辺の貴族の間に蔓延していった。そこで持統天皇(天武天皇の妻)の世になって、あの時のギャンブル依存症のような状態を苦々しく思っていたので、このサイコロ賭博を禁止にしたのである。
それから、安倍首相はカジノを含むIR(統合型リゾート整備法案)で経済活性化と言っているが江戸時代末頃にも町中で賭博が流行り、商売に身が入らず、経済が停滞するようなことになった。だから明治維新の後、新政府がまず最初にやった事が「賭博禁止」の施行だった。賭博で経済活性などあり得ないと明快に断じられた。
タイトルの長い集会にしては、たった30分の国会報告だったが的確、明快そしてユーモアを交えた話は聞き応え十分で胸にストンと落ちた。
木津川さんの一人語り劇場は次の機会に。
カジノ法案の国会質問で話題を呼んだ「大門みきし議員」と「一人語り劇場」で人気を博す木津川計さんという出演者であるから会場はパイプ椅子が並ぶほどの盛況だった。
大門さんの国会報告と木津川さんの一人語り劇場は、戦争の悲惨さを見事に描いた「私は貝になりたい」だった。
お二人とも聞き応え、感動満載だったので先ず大門さんの国会報告から紹介する。
国会は17日まで再延長されたものの、カジノ法案の強行採決とこれに反発した野党が共同提案した安倍内閣不信任案を否決し15日未明で事実上閉会した。
大門さんは、そもそも何故安倍政権が臨時国会でTPP、年金カット、カジノの三大悪法を強行したのか、というところから入り、その最終目的は「憲法改悪」に行きつく。安倍首相の祖父、岸信介の果たせなかった野望である「憲法改定」にある。自公内閣と補完勢力である日本維新の会の暴走政治を倒すには野党共闘しかない。
と結ばれたのだがそこは国会質問の名手、大門さんであるから例えばTPP承認問題についても「これはアメリカの大企業が日本市場を狙ってのこと、農業問題だけでなく、医療、社会保障制度に大きな悪影響を及ぼす、介護サービスの内容なども様変わりすることになります、と指摘した上で、大門さんのお身内の要介護者の生前のエピソードも話され「どうも私が見舞いに行くと私をお医者さんだと間違っているらしく、有難うと頭を下げるので、私もハイハイと言って、脈をとってあげましたが」とサラリとおっしゃった。
またカジノ法案で大門さんと清水議員が持統天皇が賭博禁止令を出したことに触れた国会質問の話では、憲法改悪に力を貸してほしい補完勢力である日本維新の会が大阪でカジノと万博を実現させたいと云っている、そこで維新に恩を売っておこうとの狙いもある。
そして、「実はこの話は、」と切り出されたのでひょっとして長谷やんのあのツッコミの話が出るのかと思ったが「この話は、持統天皇の前、天武天皇のときから始まる話で、双六遊びに元があって、双六のサイコロ部分だけを使った賭け事になり、天皇周辺の貴族の間に蔓延していった。そこで持統天皇(天武天皇の妻)の世になって、あの時のギャンブル依存症のような状態を苦々しく思っていたので、このサイコロ賭博を禁止にしたのである。
それから、安倍首相はカジノを含むIR(統合型リゾート整備法案)で経済活性化と言っているが江戸時代末頃にも町中で賭博が流行り、商売に身が入らず、経済が停滞するようなことになった。だから明治維新の後、新政府がまず最初にやった事が「賭博禁止」の施行だった。賭博で経済活性などあり得ないと明快に断じられた。
タイトルの長い集会にしては、たった30分の国会報告だったが的確、明快そしてユーモアを交えた話は聞き応え十分で胸にストンと落ちた。
木津川さんの一人語り劇場は次の機会に。
2016年12月14日水曜日
レンタ猫カフェ
今年97歳の義父に、最近つくらなくなった年賀状つくりをけしかけ、漸くその気になってもらった処だったからである。
その義父の日常生活で最近変化があった。嫁はんがいつも行くお絵描きグループの一人が猫を飼っておられて「一度おじいちゃんの相手をさせてみたら」と1泊2日で貸して(こういう場合どう言ったらいいのか分からないが我が家ではレンタ猫と呼んでいる)いただいた。
これが大ヒットで嫁はんに言わせると「あの父が、、」と、まさに猫なで声で可愛がっているという。なにより近頃は「寝て起きて」の繰り返しのような生活に変化が出て本人も喜んでいるそうだ。
そして、なんと何と、週2回通っているデイサービスで絵手紙を書いていて「来年の干支の鶏の絵を描いた」と見せてくれた。以前に俳画を少しやっていたが、「まだ上手く描けてないから」と本人は渋ったがこちらはまさに渡りに船、とばかりに借りて来てスキャンし年賀状用に加工した。
公開は年明けのお楽しみに。
それにしても、超高齢者の余力と猫の癒し力に救われた歳末である。
上の写真は大阪梅田の猫カフェの写真です。
2016年12月12日月曜日
歳を重ねる年の暮れ
今日、大阪市内で用事を済ませての帰り道、地下鉄梅田駅から電車に乗ったのだが、夕方のラッシュ前にも拘らず生憎と座席は埋まっていた。
特に疲れていた訳でもないので新大阪駅で降りそうな出張帰りのサラリーマン風の男性の前に立った。するとその隣の青年がスッと立ち「どうぞ」と言ってくれた。「えっ」と一瞬思ったものの素直に「ありがとう」と礼を言って座った。
譲ってくれた青年はドア付近に立ち次の駅でも降りなかったから降りるついでに席を譲ってくれた訳ではないことが判り、心の中でもう一度「ありがとう」と言った。
実はこの夏の初めごろから電車の中で席を譲られることが2~3回あった。以前ブログにも書いたが人生初めての「席譲られ体験」は、初海外旅行の台湾でのことであった。今よりもまだ少し白髪の頭髪も残っていたし、アゴ髭も白かった所為かもしれないと思っていた。
しかし最近は頭髪の退行も進み、おしゃれアイテムと称し、常時キャップを被っており白いあご髭だけの外見だけではお年寄りとは判断できないはず、と思っていた。
となると私の目つきが余程「座りたそ~」だったのか、余程疲れているように見えたのか、などと思いながら暖かい車内でウトウトして気が付くとその青年はもう居なかった。もう一度心の中で「ありがとう」と言った。
こんな事を経験しながら歳を取っていくのだろう。
席譲られ マフラー外し 素直に着く
特に疲れていた訳でもないので新大阪駅で降りそうな出張帰りのサラリーマン風の男性の前に立った。するとその隣の青年がスッと立ち「どうぞ」と言ってくれた。「えっ」と一瞬思ったものの素直に「ありがとう」と礼を言って座った。
譲ってくれた青年はドア付近に立ち次の駅でも降りなかったから降りるついでに席を譲ってくれた訳ではないことが判り、心の中でもう一度「ありがとう」と言った。
実はこの夏の初めごろから電車の中で席を譲られることが2~3回あった。以前ブログにも書いたが人生初めての「席譲られ体験」は、初海外旅行の台湾でのことであった。今よりもまだ少し白髪の頭髪も残っていたし、アゴ髭も白かった所為かもしれないと思っていた。
しかし最近は頭髪の退行も進み、おしゃれアイテムと称し、常時キャップを被っており白いあご髭だけの外見だけではお年寄りとは判断できないはず、と思っていた。
となると私の目つきが余程「座りたそ~」だったのか、余程疲れているように見えたのか、などと思いながら暖かい車内でウトウトして気が付くとその青年はもう居なかった。もう一度心の中で「ありがとう」と言った。
こんな事を経験しながら歳を取っていくのだろう。
席譲られ マフラー外し 素直に着く
2016年12月10日土曜日
歳末かかりの「どうしたもんじゃろ~」
困った事になった。
といっても天地がひっくり返る、というような「大事」ではないのだが、毎年の年賀状に使っている干支の張り子が手に入らなくなったのである。毎年お願いしている大阪張り子の造り手の方が「干支の張り子にまで手が回らなくなった」と断りの電話だった。
もともと大阪の神農さんの張り子の寅を作っておられ、そちらが本業ということなのかも知れないが兎に角、今年は「手がまわらず、すんまへん」という事に相成ってしまった。
困った事になった。
今年は、97歳の義父に「久しぶりに年賀状を書いたら」とけしかけ、やっとその気になってもらったところである。さあどうしたものか、と骨董市で買った「宋胡録」の鶏の置物と相談している。
*宋胡録(スンコロク):タイのスコータイ県サワンカローク周辺で
焼かれた陶器。桃山から江戸時代に日本では香合など茶器
として茶人、通人に好まれた。
といっても天地がひっくり返る、というような「大事」ではないのだが、毎年の年賀状に使っている干支の張り子が手に入らなくなったのである。毎年お願いしている大阪張り子の造り手の方が「干支の張り子にまで手が回らなくなった」と断りの電話だった。
もともと大阪の神農さんの張り子の寅を作っておられ、そちらが本業ということなのかも知れないが兎に角、今年は「手がまわらず、すんまへん」という事に相成ってしまった。
困った事になった。
今年は、97歳の義父に「久しぶりに年賀状を書いたら」とけしかけ、やっとその気になってもらったところである。さあどうしたものか、と骨董市で買った「宋胡録」の鶏の置物と相談している。
*宋胡録(スンコロク):タイのスコータイ県サワンカローク周辺で
焼かれた陶器。桃山から江戸時代に日本では香合など茶器
として茶人、通人に好まれた。
2016年11月29日火曜日
堂々たる?姑息
例によって、こういう場合はNHKは国会中継はしない。
こういう場合とは、政府にとって都合の悪い事がある場合、である。
でも、どっこいインターネット中継は国会本会議及び各委員会の中継をしている。生で見忘れた人には録画放送もある。
25日、予想通り安倍内閣は「年金カット法案」の委員会採決を強行した。当日午前中に厚生労働委員会では参考人質疑があり、このことは偶然知った。というのは20日の日曜日、大阪市内で大阪高齢者運動連絡会主催の「大阪高齢者集会」があってその目玉の記念講演を著書「下流老人」で有名になった藤田孝典さんにお願いしていた。
当日はその藤田さんが予定時刻になっても現れず、事務局の皆もやきもきしたが集会の行程を変更し、藤田さんも遅れて駆け付け「日本・総下流化を防ぐために」をテーマに講演された。集会は藤田さんの素晴らしい講演と170名を超える参加者で盛会のうちに終了した。
集会終了後、藤田さんのfacebookを見たら、当日のことが書いてあり、「私の勘違いで開会時間に遅れてしまい関係者の皆さん、ごめんなさい」というものだった。とにかく忙しい人で11月20日までで今年270回の講演をこなしているそうだ。facebookには日本全国を飛び回っている様子が書かれており、その中で週末には国会に参考人招致がありそうだ、と書かれていた。
で25日の厚生労働委員会での強行採決の様子はインターネットの録画で見たが酷いものだった。安倍首相は民進党の議員の質問にまともに応えず「私が述べた事を全くご理解いただいていないようでは、これは何時間やったって同じじゃないですか、」「年金カット法案(と民進党が名付けていることを捉えて)というのは、まさに年金がカットされる、その為の法案であるかのような、ごとくのような印象を与える」などと語気粗くまくし立てるだけで、質問者の「今日、強行採決をするつもりか」との再三の質問の度に答弁を中断し、「私が述べていることを国民の皆さんが聞かれたら困るんですか?」などと国会中継がない事を知っているのに質問をはぐらかし、最後には「ひたすら間違った認識に基づいて相手を非難したってこれは全く生産的でない、確かにそうやって非難すれば年金に対する、我々の法案に対する不安を煽るかもしれないが、はっきり申し上げておくが、それで民進党の支持率が上がるわけではない」と的外れの支持率の事を持ちだして口撃をする始末。
最後に付け足しのように「今日採決するかどうかは、この委員会の皆さんがお決めになること」と言い残して出ていった。(強行採決の時には居なかった。)
午前中の藤田さんや全日本年金者組合大阪府本部の加納書記長らの真剣な問題提起があったにもかかわらず午後になったら日本維新の会のチョウチン持ちの質問を最後に、というかそれを合図のように強行採決をしてしまった。
国会中継のない、国民の目の届かない内に、国民の大事な年金がどんどん削減されていくのだ、こんな政府のあくどいやり方をNHKがだめなら民放が何故、国会中継しないのか!隣の国の大統領のスキャンダルなんてどうでもいいではないか!本当に腹が立つ!
2016年11月23日水曜日
小さきモノと色ガラスの器
昨日、大阪市内の「東洋陶磁美術館」で開催されている「朝鮮時代の水滴」展に行ってきた。
筆、墨、硯、紙の文房四宝と共に文人の書斎を飾るものとして愛されてきた。あくまでも実用品でありながら文人の掌で愛でられてきたものである。
今も学校の授業で書道があるのかは知らないが、当時を思い出して、果たして硯に水を入れるとき「はて、何で入れていたのか?」と思いだそうとしても出てこない。
覚えているのは墨をする時に校舎の窓際に植えられていたヒマラヤ杉の針葉を千
切ってすり潰すと墨の色が濃くなると云って一生懸命すっていたという下らない事と、先生が黒板にチョークで「永」の字を書き「永の字には書道の八つの基本が含まれている」と教えて頂いたこと位である。この先生はすごい方でチョークを立てたり寝かしたりして「永」の字を毛筆で書いた様に見事に書かれていた。子供心にも「これって凄い特殊能力や」と思ったものだった。
さてその水滴であるが、いずれも東洋陶磁美術館の所蔵品で30年ぶりの展示となるそうだ。ざっと130点ほど、大きさも形も様々な水滴が並んで見応えがあった。
私は元来「小さきモノ」が好きで手のひらにすっぽり収まりそうな水滴など何時まで観ていても見飽きないのである。先日も骨董市で写真の水滴を買った。表の薄緑色の雷文模様と側面全体に書かれた雷文模様が見事で気に入っている。底には「乾山」の窯印があるが本物かどうかはわからない。
東洋陶磁美術館では来月10日から「台北國立故宮博物院・北宋汝窯青磁水仙盆」展が始まる。初めての海外旅行で行った台北の故宮博物院で見たあの青磁の水仙盆が日本にやってくる。今から楽しみである。
昼からは、空堀商店街の端にあるギャラリー風雅で開かれている「上村隆志 最後のガラス展」にお邪魔した。上村さんとは10数年来の馴染である。東京都日野市在住のガラス作家で板ガラスを使い様々な生活器を造っている。素晴らしい色使いで今回もモネの「睡蓮」を思わせるような皿があった。
その上村さんだが今回の展覧会が最後になるという案内を貰い驚いて駆け付けた。
なんでも使用しているアメリカの板ガラスのメーカーの経営が環境に関する法律が厳しくなったために破たんし、板ガラスの入手が困難になった、という事らしい。
後で嫁はんに訊いたところ、色ガラスを製造する際、割と有害な金属や薬品を使うようで、そんな規制をクリヤーするだけの設備投資が出来なくなったという事ではないか、いう話だった。
色ガラスを使った上村作品に欠かせない材料が輸入できなくなるという事で製作を断念することになったのは非常に残念であるが、まだまだお若いし、彼のガラスworldの再開を期したい。
ガラス展は26日(土)まで開催している。場所は空堀商店街を東に抜け、左に入った「空堀桃谷公園」の上にあるが少々見つけにくいところであるので地元の人に聞いて行かれると良い。
2016年11月18日金曜日
秋、三題
長谷やんから柿をいただいた。
で食べる前に「絵手紙にでも描いてから」という条件付きだったのでまだ甘さの程はわからない。
毎年作る干し柿だが今年はマンションの大規模修繕工事でベランダが使えない。なので少数だけ作り、義父のマンションのベランダに干させてもらっている。
昨日は日曜日にある大阪高齢者集会の準備作業で天満まで出たので大川端まで歩きサクラ紅葉を写真に撮った。
私自身、例年秋のこの頃が一番忙しく、一昨日も退職者会の大人の遠足で水間寺界隈を歩いたが紅葉が無かった。だから行事の合間に身近な処で見られて、小さく「よかった」と思っている。
今年もボジョレが届いた。新聞には「今年は出来がいい」という事が載っていたが、はたしてどうだろう?
頂いた柿と一緒に飲んでみようと思っている。
で食べる前に「絵手紙にでも描いてから」という条件付きだったのでまだ甘さの程はわからない。
毎年作る干し柿だが今年はマンションの大規模修繕工事でベランダが使えない。なので少数だけ作り、義父のマンションのベランダに干させてもらっている。
昨日は日曜日にある大阪高齢者集会の準備作業で天満まで出たので大川端まで歩きサクラ紅葉を写真に撮った。
私自身、例年秋のこの頃が一番忙しく、一昨日も退職者会の大人の遠足で水間寺界隈を歩いたが紅葉が無かった。だから行事の合間に身近な処で見られて、小さく「よかった」と思っている。
今年もボジョレが届いた。新聞には「今年は出来がいい」という事が載っていたが、はたしてどうだろう?
頂いた柿と一緒に飲んでみようと思っている。
2016年11月9日水曜日
どうでもいいけど、高低差
必ず見るというほどではないが「ブラタモリ」(土曜夜NHK)は楽しい。同じNHKの「ためしてガッテン」のような生活に役立つ知識がいっぱい、というような番組ではないが見ていてつい引き込まれる番組である。
街歩きの達人、タモリがブラブラ歩きながら知られざる町の歴史や人々の暮らしに迫るというのがコンセプトらしい。
だが内容はタモリの個人的嗜好である「高低差」とか「街道の曲がり」とかを深く追及するということになる。
こんな「高低差」というテーマがある事すら知らなかったがこの番組をきっかけに世間には「高低差学会」なる同好の氏が沢山おり、集団で街歩きをしたり、ブログ上賑やかに研究(?)発表をしたりしており、「ブラタモリ」にもよく出ている人もいるようだ。
先週の土曜日のブラタモリ、テーマは「大阪はなぜ日本一の商都に?」だった。織田信長の「大阪を掌中に!」という悲願を自分の代で実現させた豊臣秀吉がすすめた大阪の町づくりの跡をブラブラと訪ね歩くという事に。
そんな中で「どこか見たことがある風景、街並みだな~」と見ていると、何と退職者会で毎週のように利用させてもらっている事務所辺りではないか。
タモリと案内人がしている会話のテーマは町名の「境」が「通り」ではなく狭い境、というより背中合わせである事だった。その写真がこれである。
番組を見てあらためて自分で撮ったものであるがいつもこの道を歩いていたが全然気づかなかった。
番組では、秀吉は町づくりを進める際、通りを挟んで対面する家と家を同じ町内にすることによって「同じ町内どうし」いう意識を持たせたのであるという事だった。
これを現代に置き換えると、例えば町中の道路(通り)は公道で、川(というほどの規模でない堀なども)は国土交通省の所管であり住民にとっては権益外の モノである。
だが秀吉の町づくりの中では、例えば橋の架け替えや通りの改修なども一定の範囲内で町内で負担させたのではないかと思う。(これは番組の中で云ってなかったように思うが)
番組後半ではもう一つのテーマである高低差について、大阪の町が上町台地を中心に広がっていったとして町中に残る跡をブラブラ歩くことに。そして行き着いたところが天満橋近くの北大江公園であった。番組ではここが上町台地の北の果て、つまり断崖であると云っていた。
実はこの公園の下、写真の階段の下によく立ち寄る古書店があり、階段の古さと奇妙な形に興味を持っていたが此処が断崖だったとは目からウロコだった。
古書店の店主に「ブラタモリ見てたか?」と聞いたところもう少し下まで降りて来てくれたら看板も写っていたのにと残念がっていた。写真の様に途中で変に曲がった階段や古ぼけた鉄製の扉も気になるところだが機会があったら調べてみたい。
ブラタモリという番組、イグノーベル的で楽しい番組だ。
街歩きの達人、タモリがブラブラ歩きながら知られざる町の歴史や人々の暮らしに迫るというのがコンセプトらしい。
だが内容はタモリの個人的嗜好である「高低差」とか「街道の曲がり」とかを深く追及するということになる。
こんな「高低差」というテーマがある事すら知らなかったがこの番組をきっかけに世間には「高低差学会」なる同好の氏が沢山おり、集団で街歩きをしたり、ブログ上賑やかに研究(?)発表をしたりしており、「ブラタモリ」にもよく出ている人もいるようだ。
先週の土曜日のブラタモリ、テーマは「大阪はなぜ日本一の商都に?」だった。織田信長の「大阪を掌中に!」という悲願を自分の代で実現させた豊臣秀吉がすすめた大阪の町づくりの跡をブラブラと訪ね歩くという事に。
そんな中で「どこか見たことがある風景、街並みだな~」と見ていると、何と退職者会で毎週のように利用させてもらっている事務所辺りではないか。
タモリと案内人がしている会話のテーマは町名の「境」が「通り」ではなく狭い境、というより背中合わせである事だった。その写真がこれである。
番組を見てあらためて自分で撮ったものであるがいつもこの道を歩いていたが全然気づかなかった。
番組では、秀吉は町づくりを進める際、通りを挟んで対面する家と家を同じ町内にすることによって「同じ町内どうし」いう意識を持たせたのであるという事だった。
これを現代に置き換えると、例えば町中の道路(通り)は公道で、川(というほどの規模でない堀なども)は国土交通省の所管であり住民にとっては権益外の モノである。
だが秀吉の町づくりの中では、例えば橋の架け替えや通りの改修なども一定の範囲内で町内で負担させたのではないかと思う。(これは番組の中で云ってなかったように思うが)
番組後半ではもう一つのテーマである高低差について、大阪の町が上町台地を中心に広がっていったとして町中に残る跡をブラブラ歩くことに。そして行き着いたところが天満橋近くの北大江公園であった。番組ではここが上町台地の北の果て、つまり断崖であると云っていた。
実はこの公園の下、写真の階段の下によく立ち寄る古書店があり、階段の古さと奇妙な形に興味を持っていたが此処が断崖だったとは目からウロコだった。
古書店の店主に「ブラタモリ見てたか?」と聞いたところもう少し下まで降りて来てくれたら看板も写っていたのにと残念がっていた。写真の様に途中で変に曲がった階段や古ぼけた鉄製の扉も気になるところだが機会があったら調べてみたい。
ブラタモリという番組、イグノーベル的で楽しい番組だ。
2016年10月17日月曜日
フォークの神様?
今年のノーベル文学賞にアメリカのシンガーソングライターの「ボブ・ディラン」が選ばれた。授賞理由は「米国の偉大な歌の伝統で、新しい詩的な表現を想像してきた」という事である。ここで云う「偉大な歌の伝統」が何であるかはよくわからない。また、ノーベル文学賞の対象が小説(家)だけなのかという論争も起こっているようだ。
ただ現時点でわかっていることは歌(手)としてではなく詩(人)としての受賞だろうという事だ。
それとディラン自身が受賞について何らコメントを出していないし、果たして授賞式に出てくるのかさえ判らないという状況である。私は出席しないと思う。
さて、ノーベル文学賞の受賞についてはこれ位にして、スノーさんから「汚らわしい写真よりディランの事を教えて」というリクエストがあったので私の知っていることを少し書いてみたいと思っている。
少し前に(2014年1月のブログで)ピートシガーが亡くなったことについて想いを書いてみた。
シガーは「フォーク(ソング)の神様」と呼ばれたのに対し、ディランは「フォークの貴公子」と呼ばれた時代があった。それほどカッコよかった。
しかし、1965年のニューポートフォークフェスティバルでそれまでのアコースティックギターとハーモニカのスタイルを捨て、エレキギターをかき鳴らして歌った。フォークロックの誕生である。
以降、彼のスタイルは変わっていない。しかしこの変貌はフォーク(プロテストソング)からの転向と見做され、フォークファンのブーイングを浴びた。
この種の出来事は日本でもかって岡林信康がプロテストソングに行き詰まりを感じ長い隠遁生活を経て歌謡曲・演歌に目覚め現在に至っている。
アメリカでも日本でも「フォークはプロテストフォークであるべき」という信奉者は存在し、この種の転向を認めようとしないのである。
ディランはその後「私はフォークの神様ではない」と答えて、シガーとは違う道を歩んでいる。
結局、どちらが正しいか、という問題ではないと思う。ディランも岡林も自らのスタイルを築き、現在も活動を続けている。それが答えのように思う。
彼は多分出席しないと思う。
2016年10月2日日曜日
褒めそやし!
気になること。
それは今朝の4chの番組でも話題になっていた臨時国会での安倍首相の所信表明演説のことだ。
その演説の際、安倍首相は「現場では夜を徹して、そして今この瞬間も海上保安庁、警察、自衛隊の諸君が任務にあたっています。」と述べ、そして「彼らに対し、今この場所から、心から敬意を表そうではありませんか」と呼びかけた。これに応えて自民党議員らが起立し拍手をした。壇上の首相も自ら拍手した。
私は国会中継を見ていた訳ではなかったがTVのニュース報道で見る限りは最初、議場前列の議員が一斉に起立し拍手した。それにつられて中段、上段の議員たちも立ち上がるという風に見えた。
議場の議員席は前列に若手議員が座り、当選回数の多い順、つまりベテラン議員ほど上段に座るという風になっているらしい。
画面では座ったまま拍手する議員、周りの様子を見てやおら立ち上がる議員もいた。だが私が気になるのはこの場面ではない。その数日後の予算委員会での場面である。これも「国会インターネット通信」で見ることが出来、録画もある。
民進党細野議員が本会議での自民党議員の一斉起立と拍手の事を質問し「総理自身も拍手している姿を見て、素直に感じた事は、この国の国会ではないんじゃないかという錯覚すら覚えた」と質問というより感想を述べた。これに対し安倍首相は気色ばんで「起立は自発的なもの」、「強制ではない」など釈明した後、さらに語気を強め「許せないと思うのは、その時、どこかの国と同じではないか、とはどこの国なんですか、これは余りにも侮辱的ではないか!」と質問の本筋(質問の本意は国会内での起立、拍手を首相が促すのはどうなのか?自民党のおごりの表れではないか、まだ開会されてもいないTPP理事会で自民党の副理事が「強行採決してでも批准する」と発言したこと等を捉えて与党のおごりがあると指摘)には答えず語気強くまくし立てた場面である。
細野議員の「この国の国会ではないんでは」という言葉の裏に中国や北朝鮮の党大会や会議で党首が拍手し、参加者全員が熱烈に拍手している場面を想起しているであろうことは間違いないだろうし、安倍首相がそれを意識して、あんな国と一緒にされるのは「侮辱」に値すると気色ばんだのだろうと思う。しかしこれはどうなんだろう。
安倍首相は同じ場面で「スタンディングオベーションはアメリカ議会ではよくある事だ、何故そこだけを取り上げて追求されるのか分からない」と言っている。
その国の政治や議会のあり方の違いを片方は自発的で、片方を独裁的なと一方的に決めつけるような安倍首相の見識そのものが侮辱的、侮蔑的な態度ではないだろうかと思う。
私このやり取りを見て、かって大阪の中学校の卒業式で「君が代」を起立斉唱しなかった教員を処分した維新の首長を思い浮かべた。
安倍首相は「自発的、強制ではない」と言いながらも野党の追及に釈明以上に気色ばむのは内心そんな気持ちがあるからだろう。
話を戻そう。スタンディングオベーションと拍手の話であるが、もともと日本には拍手(柏手【かしわで】は別物)なんて所作は無かったと言われている。平安時代、興が乗ると「やんや、やんや」と声を上げて褒めそやしたと云う。拍手は無い。しかしそれが明治時代になり、西洋人が演劇や演奏会で演者に対して拍手するのを見て、文明開化の様式として真似るようになったという説がある。
いずれにしても拍手やスタンディングオベーションは強制されてするものではない事を驕る自民は肝に銘ずべきだ。
とまあ、見たこと、感じた事をあまり脈絡なく書いてしまったのでご容赦いただきたいが、私自身の気持ちとしては、細野議員にも安倍首相にも「やんや、やんや」の褒めそやしは出来ない!以上である。
2016年10月1日土曜日
季節は秋
台風(大阪には大きな被害が無かったが)と猛暑の9月が過ぎていった。
住んでいるマンションの大規模修繕工事が10月から始まるのでぼつぼつとベランダにあるプランターなどの片づけをしている。
今日は以前の住人が置いていったコンクリートブロックと過去何回も入れ替え、残っていたプランターの土を業者に引き取ってもらった。 勿論有料で、市が仲介した民間業者だった。
そんな作業をしていてブロックを片付け始めたら体長3cmほどのヤモリの赤ちゃんが2匹飛び出てきてプランターの陰に隠れていった。驚いてブロックをあらためて見ると写真の様な卵の殻がびっしりと着いていた。
以前ブログにも書いたかもしれないが我が家のベランダにはヤモリが棲みついており、植木の水遣りをしていると時折、顔を見せてくれていた。
初めて見たのが5~6年前なので同じ固体なのか、餌はどうしているのか、など不思議に思っていたが我が家のベランダで繁殖していた事がこれでわかった。繁殖期や産卵期があるのか分からないがベランダの床の塗り替えなどこれから始まるので「どうしたもんじゃろ~」と悩んでいる。
それと去年長谷やんにいただいた藤袴が影も形もない。あれって1年草ですか?
住んでいるマンションの大規模修繕工事が10月から始まるのでぼつぼつとベランダにあるプランターなどの片づけをしている。
今日は以前の住人が置いていったコンクリートブロックと過去何回も入れ替え、残っていたプランターの土を業者に引き取ってもらった。 勿論有料で、市が仲介した民間業者だった。
そんな作業をしていてブロックを片付け始めたら体長3cmほどのヤモリの赤ちゃんが2匹飛び出てきてプランターの陰に隠れていった。驚いてブロックをあらためて見ると写真の様な卵の殻がびっしりと着いていた。
以前ブログにも書いたかもしれないが我が家のベランダにはヤモリが棲みついており、植木の水遣りをしていると時折、顔を見せてくれていた。
初めて見たのが5~6年前なので同じ固体なのか、餌はどうしているのか、など不思議に思っていたが我が家のベランダで繁殖していた事がこれでわかった。繁殖期や産卵期があるのか分からないがベランダの床の塗り替えなどこれから始まるので「どうしたもんじゃろ~」と悩んでいる。
それと去年長谷やんにいただいた藤袴が影も形もない。あれって1年草ですか?
2016年9月20日火曜日
がんばれ!毎日
毎日新聞の夕刊に「憂楽帖」というコラムがある。5~6人の記者が交代で執筆している。
内容は、社会一般の出来事を記者の感性で500字程度にまとめ書いている。4~5年前までは切り抜いていたが、毎日新聞のPCサイトで読めるようになってから切り抜きは止めた。
すると次第に読む頻度も少なくなり、題字だけを見てパスすることが多くなっていた。
でも、原発に関するものはなるべく読むようにしていたところ先日の「廃炉など原発の後始末の費用を新電力にも負担させようという政府の動き」報道の後、「原発を巡る無責任」という鋭いコラムが載った。
「~大手電力会社は事業費に利益を上乗せする*総括原価方式にあぐらをかき、廃炉費用も電気料金に上乗せして徴収してきた。漫然と原発依存を高めてきたツケの一端を転嫁し、再生可能エネルギーを邪魔することは正義に反する。」
「そもそも原発には無責任なことが多過ぎる。~福島の汚染水を『アンダーコントロール』と世界に放言した首相は、事態を認知、理解する能力を著しく欠いているか、平気でうそをついているかのいずれかだ」と手厳しい。
久しぶりにスカッとするコラムだったがスカッとしただけで済ませてはいけない、自分なりの出来ることを成す、それが記者の心意気に応えることになり、前のブログの岸井氏の訴えに応えることになるだろうと思う。
*総括原価方式
公共料金などの料金を決める際に、かかったコストや事業を運営していおくためのコストをすべて加味して適正な価格を算出するための手法です。電気料金もこの手法で計算されています。
電気はインフラとして、安定して提供するため、発電所作成、熱電燃料調達、送電線敷設、各種メンテナンス等膨大なコストを必要とします。それも電気料金の中に含んで計算されるため、民間のサービス料金等とちがい、事業者側の赤字は発生しにくい仕組みの算出方法です。
*電気事業者の利益というのが施設の資産の量にある一定の率(事
業報酬率)現在は3%、これを掛けて計算したものが利益になる
というもの。
施設を持っていれば持っているほど利益が上がるという仕組み、原発などのようにコストの高い施設(資産)を多く持っている
ほど利益があがるという仕組みになっている。
2016年9月16日金曜日
気骨・反骨の人
先日、阪大(刀根山学舎)で「報道の自由とは何か」というテーマで講演会があった。講師は岸井成格(きしいしげただ)氏、テレビでもお馴染みの方という事もあって会場の大学会館の講堂はミーハー的なおば様(失礼)も含めて立見も出る大盛況だった。
岸井さんは、「安倍政権と報道の自由」と題して約1時間15分熱弁をふるった。今年の3月末、自身がアンカーとして出演していたTBSの「NEWS23」を降板させられた経緯については裏話的な興味もあったが割と具体的に語られた。
毎日新聞の特集「この国はどこへ行こうとしているのか」や「NEWS23」での特番「変わりゆく国・安保法制」で、安保法案は憲法違反であり、‟メディアとしても”廃案に向けて声をずっと上げ続けるべきだと主張した。これら一連の報道が「偏向報道だ」として「放送法尊守を求める視聴者の会」(代表:すぎやまこういち代表・他のメンバーも安倍シンパ)という訳のわからん団体が事もあろうか、毎日新聞のライバル(?)の読売・産経の2紙にあの不気味な目玉がにらみつける意見広告を掲載し岸井氏攻撃をした。このあたりの内容はかなりマスコミでも報じられ、知るところであろうと思うが、当日改めて岸井氏の口から出た内容で我々が肝に銘ずべき点は次のことに尽きるのではないかと思う。
一つは、安倍首相がマスコミ報道、とりわけ選挙報道に対していかに関心と脅威を抱いたか、そのキッカケが「椿事件」であったこと―【1993年に起きた、全国朝日放送(愛称および現社名:テレビ朝日)による放送法違反(政治的な偏向報道)が疑われた事件で、当時テレビ朝日の取締役報道局長であった椿貞良氏は、「『ニュースステーション』に圧力をかけ続けてきた自民党守旧派は許せない(山下徳夫厚生大臣が「同番組のスポンサーの商品はボイコットすべきである」)」と発言したとされ、そのことをもって国会に証人喚問され追求された。以降、放送局の委縮、自主規制が始まりだしたといわれる。
*当時の政治状況は、1993年6月の衆議院解散(嘘つき解散)後、7月18日に第40回衆議院議員総選挙が行われ、与党自由民主党が解散前の議席数を維持したものの過半数を割り、非自民で構成される細川連立政権が誕生。自民党は結党以来初めて野党に転落した。
もう一つが高市総務相の「電波停止発言」問題で、日本国民と日本のマスコミ・ジャーナリズムに対し、外国のマスコミから「日本人は何故黙っているのか?」「マスコミは抗議だけで済ませるのか!」と強い調子で指摘したこと。
外国マスコミにしてみれば、一国の一大臣が、放送局の電波を止める、などということを口にすること自体が信じられないが、それを見過ごす(てはいないが)日本のマスコミ・ジャーナリズムに対し強い危惧を抱いたこと。
岸井氏は、「放送(法)が一国の政府や大臣によって決められるなどというものではない、憲法によって定められたものである」「高市大臣の発言は本当に驚いた、前代未聞である」と訴えた。
そして、今夏の参院選挙に際し、争点隠しが行われると同時に、マスコミ、特にテレビ局の選挙報道が極端に減ったことは重大だと指摘された。これも安倍首相がテレビの生番組に出演した際、街頭インタビューで「アベノミクスの恩恵は我々のところには回ってこない」という声ばかりが流され、安倍首相が「これはおかしい、もっと他の声もあるはずだ」と文句を言い、これが報道の現場に伝わり、例えば戦争法について「反対」が5人登場すれば「賛成」の人を5人見つけてこなければ放送できない、そんな事やってられないよ!という現場の声になっているという事実を紹介し結局、テレビ・報道の現場で「萎縮・自主規制」が行われているという現実がある事を述べられた。
そして私が一番強く感じさせられたのは、岸井氏の講演レジメ・「今日の国のあり方と政治のあり方をいっしょに考えましょう」の文中のこの一節である。
「私から現在の安倍政権を見ると、かなり異端であり、今や権力の暴走が始まっているのではないかととの危惧を抱くに至っております。~メディアとして反対、批判の論陣を張るのは当然であり、それをやらなかったら、ジャーナリズムの使命を放棄したことになる。~外国のメディアは安倍政権のみならず、こうした暴挙を許している日本のメディアにも厳しく、それは諸外国からの日本の国民への不信感にもつながりかねない様相です。~日本は鈍感すぎます」
「現在の状況は、テレビ局や新聞社だけに『頑張れ』と言っても無理な状況なのです。多くの国民の皆さんに今の状況を考えていただき、それぞれが出来る範囲で結構ですから日常生活の中で今日の状況について意見交換するとか、新聞社への投稿とか、SNSでの発信とか、やり方はいろいろでよいのですが、自分たちの社会における政治権力の監視に目を向けて下さると必ず変化が起きるだろうと考えております。それが第1歩だと考えているのです。」という言葉だ。
「いくら自民党だって、そこまではやらんだろう、周りがわいわい言っているだけ、戦争なんてするわけない!」という楽観論で「誰かに任せておればいい」という姿勢が自らの首を絞める事は過去の戦争やナチスの台頭などから学べるはずだ。それでも、判っているけどそこは共産党さんが頑張ってくれるはず、などという変な安心感で他人まかせで過ごしていたら大変なことになると思う。
岸井氏が言うように「それぞれが出来る範囲で結構ですから」という「出来ること」を自分で探し、実行していく事がとても大事だと思っている。
当日、岸井氏の講演の前に自ら「前座です」と講演された藤原節男氏の「原発報道の虚偽と真実」という話も非常に興味深かった。
この講演の内容はいつか書きたいと思うがあの3・11福島原発での原子炉爆発事故について1号基は水蒸気爆発だが3号機は核爆発だった、というショッキングな内容だった。
藤原氏は阪大原子力工学部卒業後、三菱など民間原子力技術畑を歩き、2006年~2009年の間、原子力安全機構で検査業務に従事し、その間、「泊原発3号機使用検査全検査での記録改ざん命令」に反抗し、機構の隠ぺい工作に加担できないとして公益通報(内部告発)を行った気骨の人であり、自らを「原子力のドンキホーテ」と称している。
1号機に比べ3号機は黒い煙、爆発の瞬間には赤い火柱も |
2016年9月10日土曜日
昭和のノスタルジー
万博公園の民博で「特別展・見世物大博覧会」という展覧会があったので見に行ってきた。
私たち終戦後生まれの昭和世代は「見世物」という言葉に過剰に反応するのだ。
見世物といっても親に連れられて見に行くものであるから落語に出てくる「六尺のオオイタチ」的なまがい物ではなく、サーカスと同居した立派な芸を見せるものであった。一番感心したのが立派な体格の女性が仰向けに寝転がり、差し上げた両脚の上に大きな障子を載せ、そこに狐にふんした女性が障子の桟に足をかけ、口にくわえた筆で裏文字で「恋しくば、、、」と見事に歌を書くのである。そう有名な和泉の森の葛葉伝説の歌である。
今回は、そんな一流の芸だけでなく、六尺のイタチ同様の「蜘蛛女」や「蛇女」、「電気人間」、子ども曲馬団や軽業師など多士済々の見世物を紹介していた。
今日は、万博公園と民博などの各施設が無料という事もあって大勢の人が見物していた。年配者が多い中、一見して「街頭パフォーマンス」でもやりそうなスタイリッシュな若者もおり、そういえばパフォーマンスの元はこうした大道芸から始まっているのだろうと思った。
それと見世物という言葉に潜む何か秘密めいた、猥雑な雰囲気はどこからくるのだろうか、と嫁はんと話をしていたら年配のおばさん二人連れが「子とりに盗られた子らが見世物小屋に売られて芸をやらされると親に言われた」と話していて、思わず笑った。確かに「子とり」は我々子供の日常の中によく出てくる言葉で、夕方遅くまで遊んでいると「子とりが来るで~」と脅されたものだった。
会場の中では日本各地の「高芸」とでも云えば良いのだろうか、村人が高いハシゴの上や張り渡された綱の上で危険な芸を披露する映像が流されていた。そして極め付けが「人間ポンプ」の安田里美さんの至芸を上映していた。安田さんのこの芸は、テレビなどにも出演していたから私も見たことがあるが、水と共に飲み込んだ金魚を匹数を指定して吐き出したり、同様に飲み込んだ碁石を「黒」「白」と色を指定して吐き出したりする見事な芸だった。
もう一つ、私には関心のあったのがこうした見世物芸と、差別の問題というのがあるのだが、長くなるのでいつかまた書きたいと思う。
幸運のおまけ
万博に向かう大阪モノレールでラッキーなものに出会った。写真の「ピンク色したハート形の吊り革(輪と云う人もいるが)である。初めて見たので写真にとり駅員さんに「これって珍しいの?」と聞くと「私ら駅員でもまだ見た事がないんです。お客さん、ラッキーですよ!」と言ってくれた。
駅員さんの話によると、大阪モノレール全21編成車両の内、たった1個の吊り革なんだそうだ。私は乗った瞬間すぐに気が付いたが後から乗ってきたカップルはなかなか気が付かず、よっぽど教えてあげようかと思ったが男性がやっと気づき、女性もにっこり、それまで硬かったカップルの表情が和やかになった。
帰ってからブログで調べると駅員さんが云った通り、たった1個だそうでそれも全車両の吊り革の数は約3000個、かつ取り付ける車両や位置は車両整備の係員が時々替えるそうで駅員さんにもわからないという事だった。
ご覧の皆さんにも、幸運がありますように!💛
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