街歩きの達人、タモリがブラブラ歩きながら知られざる町の歴史や人々の暮らしに迫るというのがコンセプトらしい。
だが内容はタモリの個人的嗜好である「高低差」とか「街道の曲がり」とかを深く追及するということになる。
こんな「高低差」というテーマがある事すら知らなかったがこの番組をきっかけに世間には「高低差学会」なる同好の氏が沢山おり、集団で街歩きをしたり、ブログ上賑やかに研究(?)発表をしたりしており、「ブラタモリ」にもよく出ている人もいるようだ。
先週の土曜日のブラタモリ、テーマは「大阪はなぜ日本一の商都に?」だった。織田信長の「大阪を掌中に!」という悲願を自分の代で実現させた豊臣秀吉がすすめた大阪の町づくりの跡をブラブラと訪ね歩くという事に。
そんな中で「どこか見たことがある風景、街並みだな~」と見ていると、何と退職者会で毎週のように利用させてもらっている事務所辺りではないか。
タモリと案内人がしている会話のテーマは町名の「境」が「通り」ではなく狭い境、というより背中合わせである事だった。その写真がこれである。
番組を見てあらためて自分で撮ったものであるがいつもこの道を歩いていたが全然気づかなかった。
番組では、秀吉は町づくりを進める際、通りを挟んで対面する家と家を同じ町内にすることによって「同じ町内どうし」いう意識を持たせたのであるという事だった。
これを現代に置き換えると、例えば町中の道路(通り)は公道で、川(というほどの規模でない堀なども)は国土交通省の所管であり住民にとっては権益外の モノである。
だが秀吉の町づくりの中では、例えば橋の架け替えや通りの改修なども一定の範囲内で町内で負担させたのではないかと思う。(これは番組の中で云ってなかったように思うが)
番組後半ではもう一つのテーマである高低差について、大阪の町が上町台地を中心に広がっていったとして町中に残る跡をブラブラ歩くことに。そして行き着いたところが天満橋近くの北大江公園であった。番組ではここが上町台地の北の果て、つまり断崖であると云っていた。
実はこの公園の下、写真の階段の下によく立ち寄る古書店があり、階段の古さと奇妙な形に興味を持っていたが此処が断崖だったとは目からウロコだった。
古書店の店主に「ブラタモリ見てたか?」と聞いたところもう少し下まで降りて来てくれたら看板も写っていたのにと残念がっていた。写真の様に途中で変に曲がった階段や古ぼけた鉄製の扉も気になるところだが機会があったら調べてみたい。
ブラタモリという番組、イグノーベル的で楽しい番組だ。
「ここ、ここ、もうすぐ古本屋が出るで!」と妻に言いながら見ていたが、東側でなく西側を映していた」。はははは、同じ思いでしたか。
返信削除道路を中心として向き合う家々を単位をするのは両側町=背割り方式で、中世以降の都市ではその方式が主流だったように思います。
返信削除それを「分かりにくい」「郵便配達しにくい」と街区方式に変えたのは比較的新しく戦後のことではないでしょうか。
京都や大阪市内の一部は、太閤下水のおかげもあり、それが残っているのだと思います。
背割り方式は街のコミュニティ上は明らかに有意義で、できるだけ残してほしいものです。