前回、予告していた「木津川計の一人語り劇場」だが奥が深く、なかなか書けないでいる処に長谷やんのブログyamashirodayoriで沖縄で今起こっていることについて鋭い指摘があった。
「安倍政権の姿勢には対米従属だけでなく、沖縄の人々に対する差別意識がある」、「それの批判をしないというのは間接的ではあるが加害行為に手を貸していることになる」。
「原発問題しかり、いじめ問題しかり、見て見ぬふりこそ現代日本の病巣ではないだろうか。「見て見ぬふり」!どうすれば法律以前に倫理がある社会ができるのだろうか。」というものであった。
そして今朝の毎日新聞の投書欄に、安倍首相の憲法改悪への姿勢を見て、「ただ腹が立つというだけでなく、考えを文章にまとめ、投稿も始めた。選挙の投票だけが自分の責任だと思い、欠かしてこなかったが、もうそれだけではいけない世の中になっていると思う。~しっかり勉強して、自分にできることをしていきたい」という内容だった。
実は今回、私が書きたい木津川さんの「一人語り劇場」は日本の戦争映画の名作「私は貝になりたい」である。木津川さんはこの映画の核心部分について清水豊松という小さな町の散髪屋の主人公が戦争裁判の不条理、不合理を嘆き、恨みながらC級戦犯として絞首刑に処せられるのであるが豊松は嘆き悲しむ中で自分は上官の命令に従ったまでで、戦争犯罪について何ら関係していない、と恨みを残し、ついには一切の関わりあいのない深い海の底の貝になりたいと遺書に書くのである。
そして木津川さんはこの映画の核心として「そこには「不作為の作為」が存在していたのでは」と語る。(語りの中で木津川さんのこの結論部分に至るまでには反ナチの闘いを描いた映画「ロベレ将軍」との対比など、もっと深く長い考察があるのだがそこのところはいづれ書きたいと思う)
偶然にも同じ思考に触れ大いに考えさせられた年の瀬である。
今年の年末のご挨拶はこれにて(腰痛が悪化しそうな気配で)
よいお年を!
聖観音立像がお守りします。
「不作為の作為」は言うは易いが非常に困難で難しい課題です。
返信削除しかし、そのことを大きな声でお互いに確認し合うことが必要な時代になってきているように思います。いろんな角度から今後も考えて発言していきたいと考えています。
ひげ親父さんにはこの一年ほんとうにお世話になりました。社交辞令ではありません。貴方が倒れたら大阪はどうなる!とほんとうに思っています。
健康に留意してどうか好いお年をお迎えください。
過分な言葉に感謝です。SNSの繫がりで長い事音信不通だった旧友と年明けに再会することになりましたが奥さんが亡くなられていたことが判りました。また病気の不安を抱えている友もいます。体が動ける間は何とか頑張ろうと思います。
返信削除色々な事を教えて頂きこの1年有難うございました。写真の聖観音立像はひげ親父さんの奥さんの作品ですか?後光がさしている様に思われます。300円のガチャポンとは全く違います。来年はいいことが多い年になることを願っています。
返信削除バラやん、今年1年コメント有難うございました。ずいぶんと励まされました。来年もよろしくお願いします。
返信削除ところで、私はこの前、念願のガチャポンの「阿修羅像」(彩色)を日本橋で手に入れました。値段は1200円でした。
神戸で昨年11月末に開催された木津川計の一人語りに行きました「勧進帳」「封印切」(副題江戸と大阪)でした。ロビーで販売されたDVDを買いましたが「語る落語」が売切れで注文しましたら翌々日に木津川さん本人から郵送されて来ました添え書きもあって驚きました。誠実な人柄が表れて感動しました。
返信削除木津川さんはそういうお人です。この「お人」(おひと)という言葉というか話し方も木津川さん独特のもので私の大好きな言葉です。
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