2017年12月28日木曜日

見守り(ゆるやか介護)の日々

 2017年の年明けは義父の明るい絵手紙の年賀状で始まって、一進一退という程の生活の変化を何回か「見守り(ゆるやか介護)の日々」で書いてきた。
 25日の早朝、嫁はんからの電話で目が覚めた。「おじいさんがトイレで倒れている!喋れるが手足が動かないみたい」と云う。救急車を呼んで病院に行くように話し、病院が決まればメールするように伝えて着替えて待った。
 救急車の中から「脳外科のある救急病院を探している」、「まだ決まらない」などメールがあって10分ほどして「やっと決まり今から向かう」という事になった。
 私も直ぐタクシーで駆け付け、と云っても20分ほどかかる豊中市の南の庄内だったが、診察医師と面談できた。
 CT画像の説明では右脳内に約4センチ大の出血があり、これが左手足の麻痺を引き起こしている、との診断だった。去年4月は頭部外傷による硬膜下出血で大事には至らなかったが今回は脳内部の出血で厄介な部分にかなりの大きさで広がっており、これ以上広がらないとしても麻痺などの後遺症は覚悟して下さいという事だった。
 現在は集中治療室なので面会が極端に制限されており、嫁はんからは断片的な様子しか伝わらない。長谷やんからはアドバイスをもらうが未だ入院3日目、医師も超高齢者という事で慎重な、というか、あまり希望観測的な話はしてくれないと嫁はんの表情も暗いが今すぐ命にかかわる事態ではないので様子を見守ることしかできないという事になっている。
 今年は去年の暮れのようにデイサービス所での絵手紙も無いので嫁はんの絵で年賀状を作った矢先の出来事で慌ただしい年の暮れになりそうだ。
 
 

2017年12月9日土曜日

「風」とともに~

 はしだのりひこさんが2日亡くなった。
 
 フォーククルセダーズのメンバーとして「帰ってきたヨッパライ」という何とも不思議な曲で一躍売れっ子になったが京都フォークの本筋を歩いた本格派のシンガーソングライターだった。
 メンバーの北山氏が本業(精神医学)に戻り、加藤和彦氏は才能故に自ら命を絶った。はしださんはその後もシューベルツやクライマックスなどのグループを結成し「風」や「花嫁」などの名曲をつくり歌い続けた。しかし次第にテレビからは遠ざかり、マスコミにも取り上げられる機会は減った。時々、妻の看病をする当時あまり聞き慣れない「主夫」という立場でマスコミに取り上げられたりしていた。
 最近は当時のメンバーの杉田二郎や仲間のコンサートに車イスで登場したりしていたが、それが20数年来のパーキンソン氏病を患っていたことを死亡記事から知った。
 私より一つ年上の72歳だった。
 久しぶりに懐かしい「風」を聞きたくてyou‐tubeを見ると、京都の環境問題で孤軍奮闘する中で共産党が一番話を聞いてくれた、と述懐しているのを見た。
 またいつも見ている共産党穀田議員のブログ「こくた恵二の活動日誌」にも通夜に出席した事、永い付き合いの想い出として「共産党の演説会での応援演説を依頼した時は『今度は、こくちゃんに小選挙区で勝ってほしい』と嬉しい返事とともに快諾をしていただきました。京都の自然と景観を愛し、各種の住民運動にも参加され、『まじめに取り組んでくれるのは日本共産党だけ』と、私たちに期待を寄せ、躍進を望んでおられました。」と書いておられた。
 通夜式で披露された穀田氏の弔電の「~『ちょっぴりさみしくて』どころか、とても『悲しくて』たまりません。天国では、唄で多くの方々を喜ばせてください――」の言葉に泣けた。



2017年11月30日木曜日

スカッと宮本節!

 
 27日の国会中継、久々にスカッとするやり取りがあった。
 共産党の宮本議員が森友学園の問題で安倍総理を追求した。財務省、会計検査院らの答弁を積み上げ「総理の夫人である安倍昭恵さんが名誉校長であるからこういう特別扱いが行われたのじゃないか、こういう奇怪なことがやられたんじゃないか、という事が国民の一番の疑念であります、いくら総理が丁寧な説明をしても国民が納得しないのは昭恵さんが語らないからなんです、違いますか。」と畳みかけた。
 安倍総理は「当時、理財局長も近畿財務局も妻が名誉校長だったことは知らなかったわけですから、そこで私の妻が名誉校長である事によって値引きされたということには全くならないわけであります。」と応え、その後一拍おいて「まあ一般常識的に申しあげましてもですね、例えば私がどこかの名誉会長になっているからと言って、それをもって国との交渉が有利になるということはほぼないのでありまして、ですから妻が名誉校長である事で近畿財務局がそういう事をするということはあり得ないわけであります。」と答えるというやり取りがあった。

 さて、ここでさらにスカッとするために私ならここでもう一発とどめをさしたいと思った場面があった。

 総理が「妻が名誉校長だったことは財務局も知らなかった=だから妻が名誉校長であるが故の値引きはなかったんだ」というロジック、そしてその後に、総理が少し笑いながら「一般常識的に申し上げても、例えば私がどこかの名誉会長である事で国との交渉が有利になるという事はほぼないのでありまして」と応えているところである。

 ここである!私なら「そうでしょう、それが世間一般の常識ですよ、しかし、現に今回、森友学園の土地売買においては世間一般常識とはかけ離れた、考えられないようなことが起こっているんですよ、だから国民は怒っているんですよ」と突っ込んでみたいと思う。
 
 だいたい人の常として、痛いところを突かれたら平静を装うために、余裕があるんだということを示すために、引き攣ったような笑みを表わすものだ、

 宮本議員、ここをあと一歩突っ込んでくれたら100点満点だったのにな~と歯ぎしりしながら、一人腕組みをしながらテレビを見ていた。


2017年11月24日金曜日

万博公園日本庭園の紅葉


 昨日は昼からの見守り介護の前に万博公園に行った。祭日という事で往きの大阪モノレールは満員、そのほとんどが万博公園駅で降りる。
 
 でもその多くはエキスポシティへ、私は目当ての日本庭園の茶室「汎庵」のある一角へ。
 
 以前見事なテーブル紅葉(立礼茶室の磨き抜かれたテーブルに庭の紅葉が映り込んだ)が見られたが今年はテーブルの位置が変わり、庭の紅葉の映り込みはなかった。
 その代わり畳の茶室の丸窓が半分開けられ、庭の紅葉が覗いていて綺麗だった。




2017年11月12日日曜日

箕面の秋


 別に我慢していた訳ではないが退職者の会の総会が無事済んだので箕面に酒粕を買いに行った。ついでに栗と干し柿用の柿もと思ったが重くなりすぎるので柿は次週にと見送った。
 
 箕面の滝道の小さな酒店にこの時期になると「五郎八」の酒粕が並ぶ。
 「菊水」で有名な新潟の菊水酒造が造る冬季限定のにごり酒「五郎八」の酒粕で、私は板状のものより写真のように団子に丸めたものが好きだ。
 これで粕汁をつくるのだが合わせる出汁とか味噌の種類などいろいろ試したけれど味の決め手は「すり鉢で丁寧に擦る事」という結論に行きついた。
 味が全然まろやかになるのだ。板状の酒粕をカレーのルーのように割り入れるのとは全然違う、と私は思っている。(世間ではみんなそうやっているよ!ということかもしれないが)お試しあれ!
 
 それからこれは天満橋の居酒屋「鳥せい」のメニューをそのままパクったのだが「酒かすラーメン」。
 インスタントラーメン(サッポロ一番塩ラーメン)を使い作る。ポイントは添付の粉末スープを3分の1ほどしか使わないこと。これもいちどお試しを。
 
 食べることばかりになったが肝心の紅葉は滝道沿いの有名な料亭の屋根の上の紅葉も少し色づき始めた位で見ごろはまだ先のようである。以前ツーショット写真を撮らせてくれた「滝ノ道ゆずる」君、6年ぶりだが元気に観光客の写真に納まっていた。
 箕面に来る外人観光客は電車利用者が多いらしく、大型観光バスは見かけなかった。その分静かでよかった。



2017年10月29日日曜日

本性現る!

 
 人間の本性というものは苦労の末に勝ち取った喜びの時よりも棚ぼた式に思いもよらず転がり込んだ時の、気の緩みの出たときに現れるもののようだ。
 突然の解散総選挙で野党第一党の民進党の混乱により、思いもかけずに多数の議席を得た自民党、その副総裁の麻生氏が総選挙で自民党が大勝したのには「北朝鮮のおかげもある」と北朝鮮のミサイル発射という「国難」を選挙に利用したともとれる発言をした。
 開票の結果、予想外の議席獲得に安倍首相以下が「謙虚に」「気を引き締めて」と一応うわべは、しおらしくしていたがこの問題発言おじさんには通じなかったようだ。
 そしてその「謙虚に」と言っていた自民党も公明党と計って111日にも開かれる特別国会の会期を8日間で終わらせることを決めたという。
 さらに自民党若手議員からは国会での質問時間について「野党に過剰な配分で(現在は与党2割、野党8割)見直すべきだ」と自民党の親分衆に願い出て親分衆も「考える」と了承したという。
 どこが「謙虚に」だ!と言いたい。

 対して共産党の小池書記局長はTVの選挙開票速報番組の中で今人気の池上さんから「共産党は、自民が公明なしで選挙ができないのと同様に、立憲民主党に対して影響力を持とうとしているのではないか?」と質問され、「僕らは損得や見返りを求めているわけではない。見返りは民主主義」と答えた。
 私はこの番組を直接見てはいないので両氏のやり取りの雰囲気はわからないが、本当の「謙虚」とはこういう事を言うのではないかと思う。

 今回の選挙で立憲民主党が55議席を得て、野党第一党になれたのは多くの選挙区で自らの候補を取り下げ野党共闘を実現させた共産党の「おかげ」だと私は思っている。でもその事を共産党は言わない、どこまでも「謙虚」なのだ。
 とは言え今回共産党は21議席を12議席に減らした。確かに後退である、でも敗北ではないと思っている。やせ我慢であるかもしれない。
 
 私は思いに反して結果が伴わずへこたれることがあった時、いつも思い起こす言葉がある。いつの日付の投稿かは忘れたが教育基本法改悪法案が強行採決された際に赤旗に投稿された読者の意見だ。

「後退してもゼロではない。」 愛知県 吉田 裕(55歳)」

 健康保険の自己負担など、社会保障や福祉が後退させられている。そんな時、かつて私たちは、保険制度をつくりあげ、患者負担一割を実現してきたことを思い起こした。いくつもの運動を組織して、安心して医者にかかれる制度を実現した。それが可能な社会をつくりだした。だからこそ、三割負担を後退だと感じる。そう感じられるのは、私たちに実績があるからだ。 昨年末には、教育基本法が改悪された。だが、戦後六十年積み上げてきた教育運動がゼロになったわけではない。改悪されたことで、大事なものが見えることもある。苦労して登った山道ならば、手元にしっかりとした地図がある。 だから私は、「後退はゼロではない」と思う。何もしないのがゼロである。
 
 私はこの切り抜きをファイルに挟んで大事にし、何かある時は取りだして読み、くじけそうな気持を奮い立たせている。
  繰り返すようだが今回の選挙結果は決して敗北ではないと思う、大勝したといわれる自民党の284議席も小選挙区制度がもたらすマジックのおかげである。この事は20年前にこの選挙制度を導入した河野洋平元衆議院議長が「重大な過ちだった」と何度も口にしている。民進党が小池新党に解党的合流をし、野党共闘を潰した時も、市民と共産党は「市民と野党の共闘」を唱え、混乱の中から「立憲民主党」を誕生させる背景の力となった。だから敗北ではなく、後退ではあるがゼロにはなっていないと思っている。
 かって黒田大阪府知事は3期目の知事選挙に敗れたとき「この世にし勝利にまさる偉大なる敗北ありとわが悔ゆることなし」と詠まれた。
 これもやせ我慢ではないと思っている。





2017年10月21日土曜日


浜さんの提言

 今朝の毎日新聞のオピニオン欄に浜矩子氏の素晴らしい発言が載ったので長谷やんの例に倣い、一部転載して皆さんに聞いてほしいと思う。


 浜氏は今度の総選挙の焦点を「綱引きである」とし、「民主主義対国粋主義、市民対権力、光対闇、」の勢力の綱引きに例えておられる。

 その勢力の一方を「光チーム」、もう片方を「闇の軍団」とし、綱引きの勝負の勘所を「森を見て木を見ないことにある」とし「部分に目を奪われて、全体を忘れるのはまずい。」と選挙戦で闇の軍団が打ち出して来る個々の公約や施策に惑わされないように注意を促している。

 そしてここからが浜氏の洞察力、ものの確かな見方が示されている部分だ。

 我らを騙す者を偽預言者とし、「真の預言者とはどこがどう違うか。違いは二つある。第一に、偽預言者たちは、人々が聞きたいことばかり言う。第二に、人々に敵を指し示す。偽預言者は、人々が聞いて心地よくなり、気分が高揚することを言う。『強い日本を取り戻す』とか、『アメリカン・ファースト』の類いがそれである。安易に『希望』を振りかざしたり、『国難突破』を叫んで危機感をあおり立てたりする行動も、またしかりだ」と喝破されている。

 それに対して「真の預言者は、決して耳に心地よい事ばかりは言わない。むしろ、不都合な真実を人々に語りかけようとする。だから、真の預言者はしばしば人々から疎まれる。荒れ野で叫ぶ声。それが真の預言者の声である。」と云う。

 耳に心地よい事ばかりを並び立てる闇の偽預言者の誘いに乗ってはならない。しかし「それはなかなか骨の折れる仕事だ。油断大敵。おさぼり厳禁。常に覚醒した意識を持つ」ことが大事でそれが求められるがこれがなかなかの「難題」だと指摘する。

 そして最後に、この難題を解決する方法、道筋として聖書の一節をもってヒント、いや確信を述べている。

 「ヨハネの福音書の『初めに言(ことば)があった。・・・言は神であった。・・・言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった』と、そして、かっての聖書は文語約しかなく、そこには『光闇に照ると雖(いえど)も闇之を暁(さと)らざりき』とあり、この『闇之を暁らざりき』が実にいい、」と云う。「『さとる』の『暁』は『あかつき』の『暁』だ。夜明けである。闇に暁は察知できない。暁には、闇の暗さが察知できる。闇にはそこにある暁が見えない。暁には、闇の深さが見極められる。この違いが勝敗を分ける。それは間違いない事だ」と結んでいる。

 私はクリスチャンではないのでこの最後の福音書の例えが今ひとつピンとこないが、前半の「闇の軍団」が垂れ流す耳に心地いい事や気分が高揚するような事ばかり云う連中が自公民や、希望だったり、維新の会のことをいっているのだと、肯くことばかりだった。
 
 そして「誰がやっても同じ」とか「私一人が、、、」という「おさぼり」がいかに危険であるかという事をわかりやすく教えてもらったと思う。

  #比例は共産党

2017年10月15日日曜日

なにわ人情時の鐘

 去年の11月の「どうでもいいけど、高低差」で両側町―背割り方式の町並みの事を書いたがその舞台となった中央区に釣鐘町という地名の町がある。
 退職者会がいつも利用させてもらっている事務所の近所である。この町内に写真の様な立派な釣鐘がある。名前を「時の鐘」という。
 
 パンフレットによると由来はこうである。時の将軍三代家光が上洛の折、大坂を訪れた際、各町年寄りらが歓迎の意を表したところ、大坂町中地子銀(いまの固定資産税である)を永代赦免するとのお達しがあった。家光にすれば豊臣の名残が残る大坂で町民を手なずけるための飴玉のつもりでもあったのだろうが大坂の町衆にとっては巨額の地代を免除される、それも永代にわたり、と感謝したことは言うまでもないだろう。
 この感謝の気持ちを何かの形で残し、子々孫々に伝えようと釣鐘を作ることにし、幕府に願い出て許されたとある。
 
 その後、幾多の転変の末、今は事務所の近くの釣鐘町の町中のマンションの角っこに立派な鐘つき堂と一緒にあり、保存会が清掃や時の記念日に集会をしたりして鐘を守っている。
 
 が、その鐘がいま存亡の危機にあるという。今年7月のMBS「VOICE」でも紹介され、毎日新聞にも載った。この鐘つき堂の地所を所有する不動産会社が「府の有形文化財を保存するにあたり、1企業が土地を負担(固定資産税)付きで持っておくのは好ましくない、これ以上の負担は難しい」と云って、保存会に対し土地の明け渡しを求めて提訴しているという。
 地代(固定資産税)を免除してもらったお礼に鐘を作り子々孫々に伝えてきたが現代(いま)になつて固定資産税を誰が払うかで訴えられるという皮肉なことになっている。
 
 いまこの鐘は一日3回、昔と同じように大阪の町中に時を告げている。またこの鐘は近松の有名な浄瑠璃「曽根崎心中」にも出てくる。
 
「此の世の名残、夜も名残、死に行く身をたとふれば、あだしが原の道の露。一足づゝに消えて行く。夢の夢こそあはれなれ。」
「あれ数ふれば暁の、七つの時が六つなりて残る一つが今生の。鐘の響きの聞納め。」というくだりがあり、心中する二人の心の内を鐘の音に絡めて語る名場面である。この二人が聞いた鐘が当時大坂の町中に時を告げたこの鐘だということわりが残されている。
 なにわ大坂の文化として文楽と共に時の鐘を残してほしいものである。


鐘の音を聞くお初徳兵衛

2017年10月14日土曜日

世界に誇る9条!


 退職者の会連絡会の一つの会の会報に次のような投稿があった。
 
「現職の組合員の皆さんへ、」と題して「憲法9条は日本人だけのものでなく世界の宝になっている。その一例として会報に連載している朝日新聞の記者伊藤千尋氏の講演内容の中の次の部分を引用している。『カナリア諸島の中の小さい島に、広島・長崎広場という名の公園があり、そこにはスペイン語で書かれた日本国憲法9条の碑が存在する』という事を紹介されていたと書いてあった。

 私はこの碑の事を全く知らなかったのでネットで検索してみた。いろいろヒットしたが「その碑は1996年に建てられた、」と赤旗の記事があった。スペインでの米軍基地撤去とNATOからの脱退を求め1980年代に大規模なデモや集会が開かれ、運動は大きな盛り上がりを見せ、その中でカナリア諸島第二の都市、テルデ市の市長は日本の憲法9条の内容に感動し、碑と広島・長崎広場の建設を議会に提案しその後、曲折を経て1996年に建設されたという事であった。
 本当に知らなかった。当時聞いたかもしれないが忘れていたのかもしれない。

 いま、安倍首相が憲法9条を改憲し92項の後に3項として自衛隊を明記しようとしている。しかしその事を選挙戦の中では一言も触れないでいる。
 もしこんな事を許したならば、本当にテルデの市民や9条の碑に対して恥ずかしくて訪問も出来ない。

 市民と野党の共闘で安倍自公内閣を退陣に追い込もう。

2017年9月22日金曜日

お彼岸の一日

 今朝、流しの水道の水が暖かく感じられた。真夏の頃の手にまとわりつくような嫌な暖かさではなく優しい暖かさである。外気の肌寒さがそう感じさせるのだろう。
 
 21日は毎月恒例の高齢者運動団体の四天王寺参道での宣伝行動がある。7、8月は暑いので参加者の体調を考えお休みにしている。
 2ヶ月ぶりの今月は、お彼岸ということもあって御参りの人も多く、署名も沢山集まり、これまでなかった事にカンパもいただいた。これも御大師様のお蔭かと喜んだ。
 1時間の行動が終わった後、以前から気になっていた一心寺の仏さまを見に行った。
 境内にある信徒会館の二階を「日想殿」と名し無料で開放されている。
 その広間の西面にステンドグラスと赤い薄絹の幕を背に阿弥陀如来さまが祀られている。明らかに「日想観」に基づく拝殿だと思うが本当の夕陽に照らされるお姿を見てみたい。
 播州小野の「浄土寺」のそれには及ばないかもしれないが。

            「お彼岸の1日」   

2017年9月1日金曜日

古い盆踊り

 yamashirodayori【折口信夫と盆踊り】に、盆踊りの事が書かれてあり、音頭取りが番傘をさし、その傘が精霊の依り代であるとの見解が示されていた。
 その事に何の異論はないがはたして河内では、と思い「上方」で調べてみた。

  雑誌「上方」は昭和の初めから20年頃まで発行されていた上方郷土誌である。
  上方であるから範囲は広くても京阪神の郷土史である。で、調べた結果、この挿絵の文章が出てきた。
  場所は淡路島由良地域の盆踊りの紹介であるが挿絵も記述された内容にもはっきりと傘をさした音頭取りが描かれている。
  曰く「音頭人は右手に傘、左手に白湯を持ちて、臼又は樽の上に立ち七七調数十句の世話物を口説き太鼓に合わせて聴衆これを囃す、」とある。

  なぜ傘をさしているかなどの説明はない。「上方」のこの号は「盆踊り」の特集号でその他、河内の八尾や堺、佐野などの盆踊りの紹介もあるが傘をさしている「盆踊り」の紹介はこれだけである。
    河内地方は「鉄砲節」に代表されるような新しい河内音頭に席巻され、古い形態の盆踊りなど、もうどこにも残っていないのではないだろうか。

  タイトルが漢字変換できませんのでここに。 「古い盆踊り」

2017年8月28日月曜日

The Great March On Washington

 
  きょう828日は54年前、人種差別の撤廃を掲げキング牧師らがワシントン大行進をした日である。
 
 そのアメリカで今、人種差別団体とこれに反対する団体との衝突事件をめぐって「どっちもどっち」と差別団体の肩をもったトランプ大統領の発言が問題となっている。

 アメリカの衝突事件の発端は、南北戦争の南軍のリー将軍の銅像を撤去させようとしたところから発生したと云われている。ご存知の通り南北戦争は黒人奴隷制度の存続を巡って起こった内戦である。(と私は教えられてきたが)1860年に大統領に当選したリンカーンは奴隷制度の存続に反対し、綿花栽培を多くの黒人奴隷に支えられてきた南部諸州が合衆国から離脱し内戦が勃発した。
 その南軍の象徴的な将軍がリー将軍であり、彼の銅像を顕彰することは奴隷制度を認め、人種差別を認めることになるという理由で撤去が求められたと私は理解している。
 
 内戦は1865年、北軍の勝利で終息したがしかし黒人差別はその後も続いた。1870年に形式上黒人に参政権が与えられたが州法によって扱いが違い、正式に参政権が認められたのはなんと1965年(昭和40年)の事である。
 
 この間のアメリカでの黒人差別は多くの映像で残されているし、1963年のワシントン大行進(全米各地から20万人が参加した)の映像はオールディズCDのテレビ通販のCMになって繰り返し放送されている。それほどつい最近の、身近に起こったことなのである。

  いまも世界でどれだけの人々が人種により、思想により、性別により、貧富の差により、差別され続けているかを私はごく一部しか知らない。知らない事の方が圧倒的に多いのだろうと思う。だからと云って口を噤んでいいのだろうかと思う。ミサイル発射に驚喜する北朝鮮の国民の姿を見て「なんと民度の低い」と見下してはいまいか。日本だって僅か70年前は大本営発表に騙され「神国日本」を信じていたのだ。 

 小池都知事が関東大震災時の朝鮮人虐殺を追悼する式典への追悼文を今年は送らないという。去年は前例に倣って送った追悼文を、あの石原元都知事でさえ送ってきた追悼文をである。人間は都合の悪い事は、忘れたい、無かった事にしたい、と思うものらしい。
 
 「『都慰霊協会の追悼行事があるから皆慰霊しているではないか』というらしいが、天災事変の被災者と故なく虐殺された人々を『皆』で括るのは論理のすり替えである」という長谷やんのブログの指摘もある。
 
 「過ちを繰り返してはならない。」安易な結論のようになったが8月28日という特別な日に改めて思う。
 
 


2017年8月16日水曜日

静かな一日を

 
  北朝鮮の核兵器・ミサイル開発をめぐる米国と北朝鮮の間の緊張が高まる中で72年目の終戦記念日を迎えた。
  テレビでは朝鮮半島通と云われるコメンテーターや芸能人があれやこれやと声高に叫び、国民の不安を煽っているようだ。
 私は正直言っていくらなんでもそんな(米朝開戦)ことを本気で考えている訳なかろうと思っていた。
 しかし、ある画面を見て俄かにその考えを変えなければいけないのではないかと思っている。
 その画面とは、北朝鮮の指導者が勲章を沢山ぶら下げた軍人たちを従え軍事施設を視察している場面であったが彼の右手にはタバコが挟まれていた。いわゆる歩行喫煙である。
 
 私は子どもが生まれたときに禁煙した。それまで2回禁煙に失敗していたが子どもの将来に対する責任から禁煙した。
 北の指導者は肥満からくる諸病に悩み、そのストレスからなかなか禁煙が実行できないという噂である。
 私は禁煙できない人間をダメな奴だというつもりはない。ただ言えるのは、私は自分の子ども一人のために禁煙した。
 北の指導者には彼を敬愛し、信奉している(と云われている)多くの国民がおり、彼等の大切な命を預かっているはずである。その指導者が禁煙すら出来ない、そんな指導者の言う事がどこまで信用できるのか、と思う。
 かたやの米大統領も北の指導者に負けじと大口を開け、脅しをかけている。そんな彼らの動静を見てこのままでは危ないぞ、とそう思うのである。
 そんな中、日本共産党の志位委員長は「米朝両国が、直接相手の意図を確かめるすべのないまま、軍事的恫喝の応酬をエスカレートさせることは、たいへんに危険である。それは、当事者たちの意図にも反して、偶発的な事態や誤算による軍事衝突につながりかねないことを、強く憂慮している。」述べ、危険なチキンレースにのめり込み、国民の命と世界の平和を危うくする動きに対して冷静な対応を呼びかけている。
 
 今日の記念式典で天皇は「過去を顧み深い反省を」と述べられた。大切な国民の命を預かっている指導者には、勇ましい、ハッタリ言葉でなく、真剣に平和を考える1日を過ごせないものかと願っている。