2017年10月21日土曜日


浜さんの提言

 今朝の毎日新聞のオピニオン欄に浜矩子氏の素晴らしい発言が載ったので長谷やんの例に倣い、一部転載して皆さんに聞いてほしいと思う。


 浜氏は今度の総選挙の焦点を「綱引きである」とし、「民主主義対国粋主義、市民対権力、光対闇、」の勢力の綱引きに例えておられる。

 その勢力の一方を「光チーム」、もう片方を「闇の軍団」とし、綱引きの勝負の勘所を「森を見て木を見ないことにある」とし「部分に目を奪われて、全体を忘れるのはまずい。」と選挙戦で闇の軍団が打ち出して来る個々の公約や施策に惑わされないように注意を促している。

 そしてここからが浜氏の洞察力、ものの確かな見方が示されている部分だ。

 我らを騙す者を偽預言者とし、「真の預言者とはどこがどう違うか。違いは二つある。第一に、偽預言者たちは、人々が聞きたいことばかり言う。第二に、人々に敵を指し示す。偽預言者は、人々が聞いて心地よくなり、気分が高揚することを言う。『強い日本を取り戻す』とか、『アメリカン・ファースト』の類いがそれである。安易に『希望』を振りかざしたり、『国難突破』を叫んで危機感をあおり立てたりする行動も、またしかりだ」と喝破されている。

 それに対して「真の預言者は、決して耳に心地よい事ばかりは言わない。むしろ、不都合な真実を人々に語りかけようとする。だから、真の預言者はしばしば人々から疎まれる。荒れ野で叫ぶ声。それが真の預言者の声である。」と云う。

 耳に心地よい事ばかりを並び立てる闇の偽預言者の誘いに乗ってはならない。しかし「それはなかなか骨の折れる仕事だ。油断大敵。おさぼり厳禁。常に覚醒した意識を持つ」ことが大事でそれが求められるがこれがなかなかの「難題」だと指摘する。

 そして最後に、この難題を解決する方法、道筋として聖書の一節をもってヒント、いや確信を述べている。

 「ヨハネの福音書の『初めに言(ことば)があった。・・・言は神であった。・・・言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった』と、そして、かっての聖書は文語約しかなく、そこには『光闇に照ると雖(いえど)も闇之を暁(さと)らざりき』とあり、この『闇之を暁らざりき』が実にいい、」と云う。「『さとる』の『暁』は『あかつき』の『暁』だ。夜明けである。闇に暁は察知できない。暁には、闇の暗さが察知できる。闇にはそこにある暁が見えない。暁には、闇の深さが見極められる。この違いが勝敗を分ける。それは間違いない事だ」と結んでいる。

 私はクリスチャンではないのでこの最後の福音書の例えが今ひとつピンとこないが、前半の「闇の軍団」が垂れ流す耳に心地いい事や気分が高揚するような事ばかり云う連中が自公民や、希望だったり、維新の会のことをいっているのだと、肯くことばかりだった。
 
 そして「誰がやっても同じ」とか「私一人が、、、」という「おさぼり」がいかに危険であるかという事をわかりやすく教えてもらったと思う。

  #比例は共産党

1 件のコメント:

  1.  浜矩子氏は確かクリスチャンだったと思いますが、聖書を引用しての解説はよくわかります。
     で、私はアジア文化圏の人間なので孔子の言葉で返歌とします。つまり、巧言令色鮮し仁。

     今般の選挙は嘘つきと良識の対決です。その良識の現状を思想家の内田樹氏は「共産党の痩せ我慢に投票した」と述べています。
     良識ある自称保守の方々が少なからず共産党に投票を呼び掛けているのが今般の特徴です。
     この先にこそ未来が開けると信じています。#比例は共産党

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