2017年10月15日日曜日

なにわ人情時の鐘

 去年の11月の「どうでもいいけど、高低差」で両側町―背割り方式の町並みの事を書いたがその舞台となった中央区に釣鐘町という地名の町がある。
 退職者会がいつも利用させてもらっている事務所の近所である。この町内に写真の様な立派な釣鐘がある。名前を「時の鐘」という。
 
 パンフレットによると由来はこうである。時の将軍三代家光が上洛の折、大坂を訪れた際、各町年寄りらが歓迎の意を表したところ、大坂町中地子銀(いまの固定資産税である)を永代赦免するとのお達しがあった。家光にすれば豊臣の名残が残る大坂で町民を手なずけるための飴玉のつもりでもあったのだろうが大坂の町衆にとっては巨額の地代を免除される、それも永代にわたり、と感謝したことは言うまでもないだろう。
 この感謝の気持ちを何かの形で残し、子々孫々に伝えようと釣鐘を作ることにし、幕府に願い出て許されたとある。
 
 その後、幾多の転変の末、今は事務所の近くの釣鐘町の町中のマンションの角っこに立派な鐘つき堂と一緒にあり、保存会が清掃や時の記念日に集会をしたりして鐘を守っている。
 
 が、その鐘がいま存亡の危機にあるという。今年7月のMBS「VOICE」でも紹介され、毎日新聞にも載った。この鐘つき堂の地所を所有する不動産会社が「府の有形文化財を保存するにあたり、1企業が土地を負担(固定資産税)付きで持っておくのは好ましくない、これ以上の負担は難しい」と云って、保存会に対し土地の明け渡しを求めて提訴しているという。
 地代(固定資産税)を免除してもらったお礼に鐘を作り子々孫々に伝えてきたが現代(いま)になつて固定資産税を誰が払うかで訴えられるという皮肉なことになっている。
 
 いまこの鐘は一日3回、昔と同じように大阪の町中に時を告げている。またこの鐘は近松の有名な浄瑠璃「曽根崎心中」にも出てくる。
 
「此の世の名残、夜も名残、死に行く身をたとふれば、あだしが原の道の露。一足づゝに消えて行く。夢の夢こそあはれなれ。」
「あれ数ふれば暁の、七つの時が六つなりて残る一つが今生の。鐘の響きの聞納め。」というくだりがあり、心中する二人の心の内を鐘の音に絡めて語る名場面である。この二人が聞いた鐘が当時大坂の町中に時を告げたこの鐘だということわりが残されている。
 なにわ大坂の文化として文楽と共に時の鐘を残してほしいものである。


鐘の音を聞くお初徳兵衛

2 件のコメント:

  1. 良い記事を読ましてもらいました。有難う御座います。

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  2.  テレビでも取り上げられていましたが、「維新の府・市政の無能ぶり」が明らかだと思います。

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