きょう8月28日は54年前、人種差別の撤廃を掲げキング牧師らがワシントン大行進をした日である。
そのアメリカで今、人種差別団体とこれに反対する団体との衝突事件をめぐって「どっちもどっち」と差別団体の肩をもったトランプ大統領の発言が問題となっている。
アメリカの衝突事件の発端は、南北戦争の南軍のリー将軍の銅像を撤去させようとしたところから発生したと云われている。ご存知の通り南北戦争は黒人奴隷制度の存続を巡って起こった内戦である。(と私は教えられてきたが)1860年に大統領に当選したリンカーンは奴隷制度の存続に反対し、綿花栽培を多くの黒人奴隷に支えられてきた南部諸州が合衆国から離脱し内戦が勃発した。
その南軍の象徴的な将軍がリー将軍であり、彼の銅像を顕彰することは奴隷制度を認め、人種差別を認めることになるという理由で撤去が求められたと私は理解している。
内戦は1865年、北軍の勝利で終息したがしかし黒人差別はその後も続いた。1870年に形式上黒人に参政権が与えられたが州法によって扱いが違い、正式に参政権が認められたのはなんと1965年(昭和40年)の事である。
この間のアメリカでの黒人差別は多くの映像で残されているし、1963年のワシントン大行進(全米各地から20万人が参加した)の映像はオールディズCDのテレビ通販のCMになって繰り返し放送されている。それほどつい最近の、身近に起こったことなのである。
小池都知事が関東大震災時の朝鮮人虐殺を追悼する式典への追悼文を今年は送らないという。去年は前例に倣って送った追悼文を、あの石原元都知事でさえ送ってきた追悼文をである。人間は都合の悪い事は、忘れたい、無かった事にしたい、と思うものらしい。
「『都慰霊協会の追悼行事があるから皆慰霊しているではないか』というらしいが、天災事変の被災者と故なく虐殺された人々を『皆』で括るのは論理のすり替えである」という長谷やんのブログの指摘もある。
「過ちを繰り返してはならない。」安易な結論のようになったが8月28日という特別な日に改めて思う。
自分の生まれる前の出来事は、遠い遠い教科書的出来事のように感じます。
返信削除現在、戦後生まれの政治家が安易に軍拡を進めるのに、戦争を知っている世代からは、いわゆる保守の立場の方々からも痛烈な批判があるのはそういうことだと思います。
アメリカの公民権運動も若い方々には歴史書の一ページなのかもしれません。
そんな折、ひげ親父さんが、ワシントン大行進の暦をキーワードに記事を書き、トランプや小池知事のヘイト容認の姿勢を取り上げられたのは意味深いと感じました。若い人にも読んでほしい。