今年の天神祭の目玉と思った「しろ蒸し」は手に入らなかった。薫々堂の店主によれば私鉄の情報誌に写真が載ったためか、午前中に早々に売り切れました、との事、諦めて、雑踏の天神橋筋商店街を後にした。
そこで、お慰みに、昔の大坂の夕涼みをいくつか紹介します。
穴門の西瓜
難波御堂(今の南御堂)の石垣の中に窟を開け、上下左右、切り石をもって造りたれば夏日といえども暑気徹さず、清涼なり、ここで西瓜を売る店あり、穴門の西瓜として名高し。
涼み按摩
明治の頃、堺の宿院でやっていた。広場に床几を出し、名前を書いた角提灯を出し、世間話をしながら疲れをとったという。
大川納涼
天満橋下流から難波橋の間、その頃は砂洲があり、相撲や鬼ごっこが出来た。濱々の雁木には通舟(小型納涼船)が繋がれ、客待ちをしていて、まことにのんびりしたものだった。
夕涼みといえば、小学生の頃は、毎夕、道に床机や椅子を出して、隣近所が集まって、街燈の光で漫画を読んだり遊んだりしていました。それが何時頃消えたかという記憶がありませんが、きっとテレビが原因でしょう。
返信削除夕涼みといえば夜市ですが、堺の宿院町西に東光寺というお寺があり、頻繁に夜市の植木市が数丁にわたって開かれていました。この植木市が好きで、子供の小遣いで小さな草木を買っていたと、妻に話すと、小さい頃から変わっていたんやなあ!と言われました。