堺の奇祭「鯨まつり」が57年ぶりに復活!との新聞報道があった。私の愛読書(と、いっても図書館での)の「大阪春秋」に以前記載されていたのを思い出し、コピーを探した。
堺には昔、3大奇祭というのがあって、三韓まつり、石津やっさほっさいまつり、と、この鯨祭りである。堺の出島の祭りで、起源は鎌倉時代に遡るらしいが祭りそのものは不定期で一番最近が昭和29年8月1日に行われたということだ。
堺と鯨の関係は、古代はともかく、堺の沖に鯨が現れた事はなく、昭和44年に石津の漁師が尼崎沖でホッキョク鯨を捕獲し、石津浜に陸揚げし見物に供したが、腐敗が進み、悪臭がしたということだ。これは新聞にも載っている。
鯨は、太地町の職人を呼んで解体し、全身骨格は今も太地町の鯨博物館にあるそうだ。
堺出身の与謝野晶子もこの歌を残している。
ちぬの海 いさな寄るなる をちかたは
ひねもす霞む 海恋しけれ
このニュース、テレビで「鯨が住吉っさんにお参りした」と報じられていました。出島は私の中学校区のため、妻に「この祭憶えてる?」と尋ねられましたが、57年前のこと、出島から住吉さんへ行くなら必ず我が家の近くを通ったはずですが憶えておりません。昭和32年ごろから始まった「南蛮行列」の鯨は憶えているのですが、このときの鯨の記憶とごちゃ混ぜになっているかもしれません。同級生に網元の子もいましたが、堺の祭の代表は布団太鼓でした。
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