2017年8月10日木曜日

折り鶴バッヂを着けて

 
 9日の長崎平和祈念式典後の被爆者団体と安倍首相との会談での被爆者団体代表、川野さんの訴えには驚かされた。
 通常は首相ら政府側が被爆者団体から要望を聞く場であり、冒頭セレモニーとして要望書を手渡すのだが、今回はいつもとは違う切羽詰まった思いが安倍首相にぶつけられた。
 
 「貴方はどこの国の総理ですか!私たちをあなたは見捨てるので
  すか!」と。
 
 会談後、川野さんは、「失礼な言い方だったかもしれませんがそれでも反応は出てこなかった。残念です。」とその反応のなさに驚き、唇をかみしめておられた。

 国連で「核兵器禁止条約」がついに採択された、という記念すべき年の大会であった。
 ヒロシマ、ナガサキの被爆者たちの長年の地道な運動が実り、国連で条約が締結されたその会議の場に唯一の戦争被爆国である日本の代表がいなかったのである。政府に裏切られたという思いが川野さんらに強くあっての行動、言葉であった。
 テレビで見る限り、要望書を受け取る安倍首相の顔に驚きも、戸惑いもなかったように見えた。この男には被爆者の切羽詰まったこの声、訴えにも何の感慨もないのかと思った。
 会談後の記者会見で首相は「真に『核兵器のない世界』を実現するためには、核兵器国の参加を得ることが不可欠だ。しかし、条約には核兵器国が1カ国として参加していない」とし、「核兵器国と非核兵器国の隔たりを深め、『核兵器のない世界』の実現をかえって遠ざける結果となってはならない」と主張し「条約は、我が国のアプローチと異なるものであることから、署名、批准を行う考えはない」との方針を白々と述べた。

 この事を報道したある局の女性キャスターは、中満泉国連軍縮担当上級代表とのインタビューの中で「(核兵器廃止への)我が国のアプローチと異なるから条約は批准しない、ということについてどう思うか」と質問した。
 中満さんは「被ばく者の方々はじめ市民社会の方々も言葉を尽くしていろんな所で発信されてきた、(そのことが)私の原動力というか動機にはなっていた」と前置きした上で「むしろ日本の国内でいろいろ議論して頂きたい、・・・目に見える形でこれからの核軍縮に向けた歩みを止めないでほしい」と答えた。
 
 コーナーの結びで女性キャスターは核保有国及び同調する国の中で唯一、国連会議に出席したオランダを引き合いに出し、「出席を促したのは国民の署名だった」と紹介し国民の取り組みの重要性と必要性を付言した。
 
 私も友が購入してくれた中満代表が付けているのとお揃いの折り鶴バッヂを着けて外出している。


2017年7月29日土曜日

見守り(ゆるやか介護)の日々

 義父の絵手紙を借りて「暑中お見舞い申し上げます。」

 七月もあとわずか、デイサービスから帰ってきた義父との会話。
 「今日は何してきましたか?」「ホールでコンサートがあった。」とチラシを見せてくれた。
 若い女性のバイオリンコンサートだったようで曲目には童謡のようなものもあった。「知ってた歌はありましたか?」「いや、なかったな~」と味気ない返事。
 話を変えて「来月は八月、十五日の終戦記念日がまた来ますね!」と問いかけると「終戦?そうか、もう何年になるんかな~」というので計算して「終戦から72年ですよ」と応えると「もうそんなになるか、」としばし考え込んでいた。
 「終戦のときはどこに居たんですか」というと「部隊はシンガポールやった」と云う。
 捕虜にはならなかったのか?と聞いたが敗戦国の軍隊やから捕虜の扱いではなかった、と意外な答えだった。
 恐らく武装解除されて現地に留め置かれたのだろう、その期間がどれ位で、いつ日本に送還されたのかはよくわからなかったが広島県の宇品港に着いたらしい。
 宿舎(?)には全国各地の状況、つまり帰るべき故郷の町の空襲による被害状況が赤い色で示されていた。義父の田舎、福井も所々赤い色で塗りつぶされており、「帰っても家はないかも知れんな~」と思ったという。(その後、家は無事だったようだ。)
 以前にも書いたが義父は陸軍航空隊に所属していて、作戦司令部の様な部署に所属していて実戦の場面にはあまり出くわさなかったようだ。だから内地に帰り、広島の原爆や大都市の大空襲の話を聞くにつけ内地の人の方が怖い目に遭っていたんだなーという感想だったがこれが正確な記憶に基づく戦争観だったのかどうかはよくわからない。終戦の話はそれぐらいで終わった。

 夕刊を取りに行き、テーブルの上に置くと暫し眺めていて「蓮舫、辞任てなんや?」と聞くので「民進党代表を辞めた」と言うと良く分からなかっようだが「蓮舫は台湾人やな」と云ったのには驚いた。
 普段テレビは見ないし(昔から)タレント時代の蓮舫は知らないだろうし代表に就いたのは去年だし、まさか最近の二重国籍問題を理解していたとは思えないが、時々驚かされる。

                               

2017年7月23日日曜日

小鹿田焼きの里

 九州北部の集中豪雨による被害に心が痛む。あんな巨木が根っこごと流されてくるというのはどれだけの雨が降ったのか異常気象という言葉だけでは片付けられない気がしている。
 そんな被害状況の報道の中で気になっている地区があった。大分県日田市皿山地区。
 私の好きな「小鹿田焼き」の里である。
 山奥の谷あいの地であり、ニュース等で見る河川の氾濫を見るにつけ無事では済まないのでは、と思っていたが22日の「赤旗」の記事で深刻な被害状況が判った。
 川から水を引きその水力を利用して陶土を砕く「唐臼」が何基も流失や破損したらしい。
 
 この皿山地区の小鹿田焼きを実際に見たくて15~6年前に日田観光の折に訪れた。昔から10軒の窯元が一子相伝で焼き続けてきた。
 ゴトンゴトンと時を忘れたかのような緩やかさで砕き続ける唐臼の音は小鹿田焼きの「あたたかさ」を体現しているかのようだった。
 そんな地区を襲った樹木の多くは所謂「日田美林」なのだろうか?日田に向かう列車の車窓から見た「日田美林」の緑が思いだされる。
 新聞記事には地区の人々が「人手が欲しい。ボランティアの方に早く来ていただければ」と訴えておられる。
 遠く離れた年寄りの身としては義援金に応じるぐらいしか出来ることはないが一日も早い窯の再開を願っている。

2017年7月14日金曜日

ベニスの商人的発想で!

 
 関西電力が電気料金の値下げをすると発表した。
 記者会見や公式通知では「平素は、弊社事業に対し格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。弊社はこのたび、高浜発電所3、4号機の本格運転の再開を受け、平成29年8月1日から、関西のすべてのお客さまの電気料金を、平均4.29%値下げすることといたしました。あらためまして、高浜発電所3、4号機の運転再開にあたりましては、これまで一方ならぬご理解やご支援を賜りました皆さまに、心より厚く御礼申し上げます。今回の電気料金の値下げは、2度の値上げによりご迷惑をおかけしたお客さまに、高浜発電所3、4号機の運転再開による火力燃料費等の削減分と、経営効率化の深掘りの成果等を、ご使用量が多くなる夏場に向けて、出来るだけ早くお返しすべく実施いたします。」としている。
 
 世間一般的には料金値下げを歓迎する声もあるかもしれないが私はちょっと待ってくれと言いたい。
 そもそも2年前、高浜原発の運転停止の判決を受けて関電は火力発電用燃料費の増加を理由に電気料金の値上げを行った。その時の私の実感は原発停止だからと値上げにも寛容だったと思う。
 というよりも全国の原発が止まり、未曾有の電力不足になる、国民全体が節電に励むべし、との大号令がかかっていたのだが、本当はそんなに節電をした実感はなかった。むしろ国民全体が原発なしでもやっていけるんだ、と自信を付けたと思う。
 確かに火力発電が増えたことは事実だろうが、再生可能エネルギーの開発を怠り、原発停止の仕返しの如く火力発電の増強、よって料金の値上げ、という無理やりのソロバンをはじいただけだ。

 そして2年後の今年、高浜原発2号機、3号機の再稼働を認める判決が出た途端、冒頭の声明を出し、おためごかしの料金引き下げを打ち出した。
 私は再度「ちょっと待ってくれ」と言いたい。
「3,4号機の運転再開にあたりましては、これまで方ならぬご理解やご支援を賜りました皆様に、」とし、「2度の値上げによりご迷惑をおかけしたお客様に」と勝手に理由づけしているが私は「ご理解もご支援もしていない」し、「(原発停止による)値上げによる御迷惑」を受けた覚えもない、あくまで、「原発停止で値上げもやむなし、今の生活で電力も足りている」「電気料金はこのままでいいから高浜原発の再稼働はしていらん」と思っているのだ。

 いま私は「原発再稼働しましたからとの理由での値下げには同意しないので値下げ分は返納したい、だから原発稼働分の電気は要らないのでその分だけ電気を止めて頂きたい」と訴えたいと夢想している。
 ちょっと「ベニスの商人」的発想で気に入っている。

2017年7月2日日曜日

子どもが心配


 テレビのワイドショーで連日映し出される自民党女性議員の絶叫場面を見る度、はじめは「何だこの議員は!」と怒りを覚えていたがそのうち段々と可哀想で心配になってきた。
 議員ではない。この議員の家族である。幼い子どもさんが2人いるという。家族の手で過激化する報道からは隔離されているとは思うが異変は感じているのではないだろうか。
 本人はマスコミから逃れるためか「入院中」というし、また自民党内にも暴言を浴びた秘書に問題がある、等と庇う人たちがいてそれがまたマスコミ報道を加熱化させている。
 
 私は思う、この際、早く議員辞職をして加熱化するマスコミ報道から家族、特に子どもを守るべきだと。こんな事を云うと「議員辞職して済む問題ではない」「任命した(首相にも)責任がある」という声が出るだろうし、何かマスコミが悪いように聞こえるかもしれない。
 がこの騒動(元秘書が警察に相談している段階なので)の中で悪いのは議員本人であることは間違いないが、本人を庇うと見せて内閣が受けるダメージをいかに少なくするか、と悪あがきしている官邸サイドが一番悪いと思う。
 家族、特に子どもに罪はない、マスコミもそこのところを考えて暴言テープをダラダラと放送するより、稲田大臣や下村大臣の悪行を徹底追及したらどうなんだ、と思う。

2017年6月27日火曜日

自然保護と政治(少し安易なタイトルだが)



 久しぶりに一気に一冊の本を読んだ。
 著者は「天野礼子」さん、かって「長良川河口堰反対」運動で名を馳せた女史だ。
 かって、と書いたが「長良川河口堰」がその後どうなったのかはもう一つ判然としない。
 この本では、河口堰反対運動の結果、建設省(現・国土交通省)が昭和39年以来の大改訂(公共事業コントロール法案=河川法の)を行った、という結論になっている。
 ただしそれだけの本ではなく、天野さんが運動に入っていくきっかけから、川と森との関係を見据えた世界の運動の実際を学び、アメリカ最大のダムの運用部長から「あと5年で君は日本のダムを止める」と予言され、それが現実になりつつあるとの確信を持つに至るまでの運動の詳細が書かれている。
 
 その中で明らかにされているのが運動と政党の複雑に絡み合った動きである。自民党から細川連立内閣、社会党の建設大臣、その後の亀井建設大臣、また自治労と連合などが入れ代わり立ち代わり登場し、運動が政党と行政の思惑の中で翻弄されて行く場面は詳細で醜悪だ。
 そんな政治に翻弄されながらも「自然保護」、「日本にまともな川を残したい」という彼女の願いと活動は今も続いており、本の題名のように「川が森をつくっている事実」を証明する活動を続けている。
 
 実は私は天野さんがこのような運動に関わっていく前から見知っていた。といってもテレビの中での事だが。
 若い彼女がNHKの釣り番組で和歌山の雑賀崎で紀州釣りの名人の妙技をレポートしたり、徳島の阿波釣法をレポートしているのを見ていた。
 彼女は当時珍しい女性の渓流釣り師をめざし、その中で有名な「ノータリン・クラブ」で今西錦司氏やその繫がりで文学の師である開高健氏ともめぐり合っていく。
 
 いま彼女は63歳、この本で知ったが脳に奇病を持ち、何度も死にそうな目に遭いながら今も「行動する人」として健在のようだ。
 久しぶりに爽やかな読後感の残る本だった。私も昔を思い出しチヌ竿を引っ張り出したが、しかし、もうテトラの上を歩く勇気はない。

2017年6月21日水曜日

見守り(ゆるやか介護)の日々

  今日、義父の3回目のMRI検査があり、付き添った嫁はんの話によると、「新たな出血も見られないし、良好ですよ」と診断していただいたようである。
 だが家で介護している者としては、劇的な回復の兆候はないのか、などとつい欲が出てしまう。
 尿道カテーテルも未だに本人には装着の自覚がなく、頻尿の回数も良くなったり、悪くなったりと変化はない。
 でも担当の脳外科のドクターは「尿意があるのは良いことですよ」と明るい顔で応えてくれるらしい。そういうものか、と納得している。
 
 昨日は、通っているデイ・サービスの施設であった誕生日会の様子を手作りのアルバムにしたものを貰って帰ってきた。センターでの様子が何枚もの写真で飾られており、施設のスタッフの添え書きには「英語で『My Old Kentucky Home』(懐かしきケンタッキーの我が家)を歌ってくださいました!カッコよかった。」とあった。
 誕生日会でのことなのか、写真の日付の時のことなのか分からない。もし、6月の誕生日会のことであるなら嬉しいのだが。
 
 そういえば3年程前の新年会で突如「ひとつ歌うか」と英語で「ワルチング・マチルダ」を歌いだした。私がすぐに「それワルチング・マチルダですね」と云うと、「え、知ってるか?」と驚いた顔で聞き返した。
 「戦争中の歌でな、オーストラリア兵(捕虜兵?)が歌っとった」と云い、戦後生まれの私が何故知っているのか不思議だという顔だった。
 私が映画「渚にて」で使われ当時かなり流行った歌だと答えると、「へ~そうやったんか」と意外な結びつきを喜んでくれた。
 終戦をビルマからシンガポールへの転戦で迎えた義父は「イギリス兵は紳士だった、オーストラリア兵は乱暴だった」とよく言っていた。
 

 最近の家での様子は、こちらが積極的に話しかけないと会話もない。この絵も施設で書いたもので字も絵の輪郭線もスタッフの手が入っている。
 自発的な面が少なくなっているように思われて私も内心少し落ち込んでいる。
 
 いつかまだ歌ってもらってない「マイオールドケンタッキーホーム」を聞かせてくれるだろうかと思っている。