義父の絵手紙を借りて「暑中お見舞い申し上げます。」
七月もあとわずか、デイサービスから帰ってきた義父との会話。
「今日は何してきましたか?」「ホールでコンサートがあった。」とチラシを見せてくれた。
若い女性のバイオリンコンサートだったようで曲目には童謡のようなものもあった。「知ってた歌はありましたか?」「いや、なかったな~」と味気ない返事。
話を変えて「来月は八月、十五日の終戦記念日がまた来ますね!」と問いかけると「終戦?そうか、もう何年になるんかな~」というので計算して「終戦から72年ですよ」と応えると「もうそんなになるか、」としばし考え込んでいた。
「終戦のときはどこに居たんですか」というと「部隊はシンガポールやった」と云う。
捕虜にはならなかったのか?と聞いたが敗戦国の軍隊やから捕虜の扱いではなかった、と意外な答えだった。
恐らく武装解除されて現地に留め置かれたのだろう、その期間がどれ位で、いつ日本に送還されたのかはよくわからなかったが広島県の宇品港に着いたらしい。
宿舎(?)には全国各地の状況、つまり帰るべき故郷の町の空襲による被害状況が赤い色で示されていた。義父の田舎、福井も所々赤い色で塗りつぶされており、「帰っても家はないかも知れんな~」と思ったという。(その後、家は無事だったようだ。)
以前にも書いたが義父は陸軍航空隊に所属していて、作戦司令部の様な部署に所属していて実戦の場面にはあまり出くわさなかったようだ。だから内地に帰り、広島の原爆や大都市の大空襲の話を聞くにつけ内地の人の方が怖い目に遭っていたんだなーという感想だったがこれが正確な記憶に基づく戦争観だったのかどうかはよくわからない。終戦の話はそれぐらいで終わった。
夕刊を取りに行き、テーブルの上に置くと暫し眺めていて「蓮舫、辞任てなんや?」と聞くので「民進党代表を辞めた」と言うと良く分からなかっようだが「蓮舫は台湾人やな」と云ったのには驚いた。
普段テレビは見ないし(昔から)タレント時代の蓮舫は知らないだろうし代表に就いたのは去年だし、まさか最近の二重国籍問題を理解していたとは思えないが、時々驚かされる。
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返信削除こちらからも 暑中お見舞い申し上げます。
返信削除楽しく読ませていただきました。政治の腐敗などを書いたり読んだりしているとこちらまで心がササクレだってくるような気がしますが、この日誌は暖かい空気を伝えてくれます。ただし、政治の腐敗の筆を控えることはできませんが・・・
人それぞれにはそれぞれのリアルな戦時中があったのですね。私事ですが、今はいない義父のウルップ島での兵隊生活などもっと聞いておけばよかった。後で気が付くなんとやらです。
こういうリアルな戦時中の話は遠くなく聞こうにも聞けなくなります。それを我々の世代が怠ると「日本軍はアジアの解放軍だった」的な作り話が大手を振るようになるでしょう。
また続報を期待しています。
さりげない会話に味わいの有る記事でまさしく薄口問答で読ましていただきました。
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