2018年12月23日日曜日

ようお詣り

 
 今年もあと1週間となり一昨日は冬至、21日は今年最後の四天王寺前の宣伝行動だった。
 終い弘法のわりには人出は少し少なかったが暖かい陽ざしがあって気持ちよく行動できた。
 ビラを受け取り、署名にも応じてくれたご高齢の夫人は「ご苦労様です」と丁寧にお辞儀をして一心寺へ向かわれた。「ご協力ありがとうございました」と頭を下げ見送る。
 でも中には、「わしら国民年金で5万円しかない、あいつ等、(生活保護受給者の事である)わしらより貰とる、あんなん何とかせい!」と捲し立てて行く人もいる。
「そうですよね~少ないですよね~生活保護の方を削るより、最低保障年金制度を作らなあかんですよね、」と話そうとするのだが、そういう方に限って最後まで聞いてくれない、捲し立ててスタスタと一心寺の方へ。
 まあ、溜まる不満をぶちまける場になっているのだろうとこの方にも頭を下げ見送る。
 
 毎月の21日、弘法さんの日に年金者組合など大阪の高齢者運動団体が10年以上取り組んでいる宣伝署名活動、継続は力なり。


2018年12月1日土曜日

懐かしの「歌声喫茶」は?

 昨晩は所属している退職者会の総会で、これで年内最後の大仕事が終わった。
 これまでの総会は総会と懇親会の間に「文化行事」として沖縄の三線や狂言、南米フォルクローレなど多彩な催しを企画してきたが昨年は趣向を凝らしすぎて各会の交流懇親の時間が少ないとブーイングが出た。そこで今年は総会と懇親会のシンプルなスタイルにしようとしたのだが直前になって、文化行事のない総会はつまらん、とクレームがついた。
 1週間前という短期間で出来ることは何か、色々考えたが突然ひらめいたのが昔よく行った「歌声喫茶」、これを出前してもらえないだろうか?という都合のいい企画だった。
 退職者会の元歌声のリーダーだったKさんに紹介してもらった方に頼むと当日は予定がありダメ、という返事だったが心当たりの方がいるので聞いてみましょうという事になり、当日お二人の女性が来てくれた。
 「歌声喫茶」そのものをご存知かどうかも分からなかったが写真のとおり歌唱指導も含め大いに盛り上げていただいた。(この写真はスタート直後でまだ温まっていないが)
 時間オーバーの熱演で「アンコール!」の声までかかり、大盛会の内にお開きとなったが途中、認知症予防体操が入ったりしてかっての闘士も平均70歳を超えなにやらデイサービスセンターの歌声リハビリの感も、でもその熱演に一同感謝の拍手を送った。

2018年10月29日月曜日

幕引きは絶対許さん!その2

 今朝の「毎日」の”風知草〟(特別編集委員・山田さんのコラム)で財務局OBがテレビ朝日の「報道ステーション」の取材に応じ出演し、麻生財務相の留任を批判したことについて書かれていた。
 「私も見たが、一同の気負わぬ言葉の力強さに思わず引き込まれた。」「その迫力は、政治家はなぜ責任をとらぬーというちまたの不信を呼び覚ましたに違いない」と。
 この放送は私も見たが9月にテレビ東京の「WBS」(前回、このブログ-幕引きは許さんで取り上げた番組)で放送された内容に比べ短い枠の中に2回もCMが入り、正直言って、かなり迫力に欠けた内容だった様に思う。
 とは言え9月のテレビ東京の勇気ある報道以降、徐々にこの勇気あるOB達の行動を追報道するマスコミも出てきている。
 今回、風知草で山田さんが紹介しているOBの声、「麻生大臣がね、あんな態度でね、ずっと大臣であり続ける。自殺した職員を知っている周りの人とか、近財の職員、管財部の職員にとってみたら、本当に耐えられないと思う。」、、、このOBの声を留任した麻生財務相に対し「近畿財務局OBの怒りに耳澄ますべし。」と批判を込めて述べている。
 24日から開会した臨時国会で日本共産党は必ず森友問題の追求を再開するだろう、25日には野党合同で財務局OBへのヒアリング(非公開)も行われた。
 幕引きは絶対許さないたたかいは続いている。

2018年9月26日水曜日

幕引きは絶対許さん!

 
 昨晩、テレビ大阪(テレビ東京制作)で放送されたWBS(ワールドビジネスサテライト)のコーナー「独自取材・森友問題公文書改ざん財務局OBが決意の告白」は見ごたえがあった。
 
 番組の最初に財務本省の圧力で公文書改ざんをさせられ、苦悩の末に自死した近畿財務局職員の父親を取材した映像が流れ正義感の強い自慢の息子が何故、死ななければならなかったかと、悔しい思いを打ち明ける場面には胸が締め付けられる思いがした。
 その後、インタビューに応える財務局OB6人の方々が実名、モザイクなしで写され「国会が閉会したら皆さん関心持たなくなってくる。そうならないためにも取材に応じました」と述べられていた。
 登場したOBの何人かは顔なじみの人たちで、こもごも自死した仲間への思いや文書改ざんの真相は何かなど語っておられたがそれぞれ現場で身をもって経験したから言えること等を語られ非常に迫力があった。
 最後にOBの一人が「今後は恐らく文書改ざんはしないと思う。しかし作るときの公文書そのものがうその公文書を作ることになるでしょう」と語っていたのは意味の深い言葉だった。
 
 政府は財務省の決裁文書改ざん問題などを受けて7月に公文書の改ざんの防止策を決めた。しかし、その直後の8月には経産省で、「政治家ら省内外の人物と折衝した際に作成する公文書について『議事録のように個別の発言まで記録する必要はない』などと記載した経済産業省の内部文書を毎日新聞が入手、文書は複数の会議で使用され、出席した職員は『誰が何と言ったか分からないよう、議事録を残してはいけないと指示を受けた』と証言した。森友・加計学園の問題などを受け改正された行政文書の管理に関するガイドラインは打ち合わせの際、記録を作成するよう定めているが、骨抜きにしかねない実態が判明した。」と報じている。
 正にOBの方が言ったとおりの事が行われようとしているではないか。
 
 森友問題などなかったかのように憲法改悪に前のめりになっている安倍首相や、これっぽっちも責任を感じていない麻生財務相の顔を見ていると冷静に語れない、書けない自分が情けない。
 しかし絶対に忘れてはならない、幕引きは絶対にさせないと、固く心に誓っている。


2018年9月21日金曜日

あらためて「備えあれば患いなし」

 今朝の「毎日」に「保険支払額『阪神』超える」という小さい記事が載っていた。
 「大阪北部地震」での保険金支払額が「阪神大震災」の時の支払い額、783億円を上回る866億円だったと損保協会が発表したということだ。阪神大震災以来、地震保険の加入率が増えたという事もあるらしい。
 今回の台風21号の被害についての損害請求額はまだわからないらしいが大阪府下全域に及ぶ被害状況から「大阪北部地震」より増えることは間違いないだろう。
 幸い我が家は北部地震も台風21号も経済的な被害は殆ど無かったが停電と断水には本当に困った。
 1日目の夜から義父宅に避難していたがそれまでのあいだ、情報が全く入らなかった。その時思いだしたのが写真の二つのアイテムだ。四天王寺の骨董市で買った「ポケトラ」(昔懐かしいポケットトランジスターラジオ~確か500円ほどだった)とキャンドルデモの時、長谷やんから貰った「ミ二ランタン」だ。5cmほどのモノだがLEDで結構役立った。
 阪神大震災の後、防災グッズなど一応は備えていたがどこに置いたのかも忘れていたというお粗末。あらためて準備しようと思っている。

2018年9月17日月曜日

風評被害と云うけれど


 台風21号にやられたベランダのグリーンカーテンと鳩除けネットの片づけを終えた。連日続いた猛暑を理由に地震で崩れた本棚の本や書類の山の片付けを先延ばしにしていたが猛暑が少し収まったのを機にやっと手を付け始めた頃だったので気力のある内にと済ませた。
 
 それにしても今回の台風21号の威力は凄かった。ベランダには吹きつけるというより巻き上げるような風が窓ガラスをしなわせ、久しぶりに恐怖を感じた。「これは大丈夫だろう」と高を括って室内に仕舞わなかった蘇鉄の鉢(約78キロ)が横倒しになってぐるぐる廻っていた。
 かって我々世代が経験した「第二室戸台風」の観測数値(気圧、最大風速)のそれに匹敵するそうだ。大阪南部を中心に大阪全域で停電し、大阪湾や西宮の沿岸で3,3mという観測史上最大の高潮も記録した。開港当時から高潮の被害が心配されていた海上空港の関空は水没した。
 
 そんな中、松井知事は台風被害の広がりを他所に大阪に万博をと誘致のためヨーロッパに出掛けた。「直前のキャンセルは都市として脆弱だと思われる」ので敢えて出掛けるという風なコメントをして中部国際空港から飛んで行った。
 私などは目の前に広がる被害状況、続く停電と断水は都市の脆弱を証明しているのではなかろうかと思うのだが知事の目にはそうは映らないらしい。
 さらにこの事態を心配する平松前大阪市長や共産党の指摘を「嬉しそうに言うな!」「災害に乗じて風評被害をまき散らしている」と八つ当たりした。読売新聞が、関空活気戻らず、と報じたことに腹を立て「風評被害をまき散らす見出しに悪意を感じる。関空、活気徐々に戻るって見出しにしなさい」と見当外れというか情報操作せよともとれるツィートをした。
 
 日本全体を襲った命の危険に関わる猛暑、大阪を襲った地震と台風、安倍首相と松井知事が前のめりになっている「2020東京オリンピック」と「二度目の大阪万博」に自然が警告を与えているのだと思う。一度立ち止まって考えなおすことが必要だと思う。
 

2018年8月16日木曜日

平成の終わりに

 8月に入り、平和に関するいろんな取り組みがあり、今日の終戦記念日の全国戦没者追悼式など国家的行事も開催されている。そして今年は、マスコミの報道でそれぞれの行事、取り組みに「平成最後の」という冠が付いている。私は元号反対論者でもないし特にこだわりもない。どちらかというと、昭和生まれという事で平成には馴染めず、「昭和」という言葉にノスタルジーを感じている。そんな平成30年の終戦記念日、全国戦没者追悼式に臨んだ天皇には特に感慨深いものがあったのではないかと思う。

今朝の「毎日」朝刊の【余録】で昭和天皇の皇后から疎開していた皇太子、今の天皇にあてた手紙に「(お父さま)は日々大層ご心配遊ばしましたが 残念なことでしたが これで 日本は 永遠に救われたのです」と書いている。玉音放送の2週間後のことである。我が子への、身内故の正直な気持ちが表れている。

 また昭和天皇から皇太子への手紙もよく知られているとして「今まで戦争の実情を話さなかったのを、先生と違うことを言うことになるので控えていたと述べ、『ゆるしてくれ』と記した」とある。

皇后といい、天皇といい、軍国主義の中での親子関係から終戦により幾分開けた普通の親子関係になった様な雰囲気があったようで親しみを覚えた。

今の天皇は皇太子時代から沖縄をはじめ全国の戦争記念の場所に慰霊に訪れ、来年退位しても慰霊の行為は続けるらしい。

もうひとつ「毎日」から、14日付けの夕刊、特集ワイド「この国はどこに行こうとしているのか」で俳優の鈴木瑞穂さん(90歳)が憲法9条が掲げる非戦の理想を引き下ろし、改憲を目指す勢力への厳しい批判をしている。

鈴木さんは昨年、永年の演劇界への貢献が認められ第45回日本新劇製作者協会賞に選ばれた。その授賞式で小説「ドン・キホーテ」で知られる作家セルバンテスの言葉を引用し「夢だけを見て現実を見ないやつは度し難い。現実だけを見て夢を見ないやつはもっと度し難い。だが、救いようがないほど度し難いのは現実を夢に近づけようと努力しないやつだ」とスピーチした。

日本統治下の朝鮮半島で育ち、戦争末期に海軍兵学校に入るために日本の地を踏んだ軍国少年が敗戦で「大人の言うことなんか信用するもんか」とニヒルになった。そんな鈴木さんが伯父の勧めで京都大学に入り、ここで新憲法に出会った。
「日本は戦力を放棄する。もう二度と戦争はしないと書いてある。」と感動し、「戦地で無残に死んだ兵学校の上級生たちの遺言に思えた」と語っている。

 平成の終わりに語るべき昭和人の言葉として記憶しておきたい。


2018年7月24日火曜日

片付け報告パートⅡ

 前のブログで「ぼつぼつ片付けますわ」と言ってから3週間ほど経つが文庫本の本棚はほぼ元通りになった。
 文庫本は池波作品や藤沢周平の時代物、宮部、北原らの女性作家の時代物などが殆どで整理し捨てるものが無かったので元の棚に戻ったというわけである。
 
 そんなある日、PCで会報編集をしているとまた余震があった。震度1か2程度の揺れであまり驚かなかったがふと左手の本棚を見ると何か違うものを感じた。
 よく見ると棚の仕切り板が傾いているではないか、ホゾが外れている、左側板が湾曲している、後ろの背板が歪みの所為で釘ごと外れている、各仕切り板も本の重みで下に曲がっている、など色んな変化(傷み)が一気に眼についた。
 多分18日以来、徐々に変化していたのだろうが全く気がつかなかった。左の本棚には「上方芸能」や嫁はんの美術全集など大型で重い本が並んでいた。文庫本の整理が済んで「これ位にしといたろ」と思っていたがこれでいよいよ古本の整理の決心が固まった。
 
 連日「命の危険がある暑さ」という警告ともいえる天気予報が続いている。全国のお天気マークは真っ赤っかで見るだけでもうんざりする。
 こんな時は近くのスポーツジムのプールに逃げ込むのが一番なのだが此処も地震の影響で現在閉鎖中、あとは図書館しかないので近頃は雑誌「上方」復刻版全巻の再読に挑んでいる。
 
   焼けるようなベランダの睡蓮は今年も涼しく咲いてくれている。

2018年7月2日月曜日

ガラ携の小さな画面に


 18日の「大阪北部地震」以来、散乱した書類や本、食器類の後片付けに手を取られブログの更新が出来なかった。いや、正直に言えば「片付ける気が起こらなかった」というのが本音であった。
 朝食のテーブルに着いたところに突然の大きな揺れが食器のぶつかる音や嫁はんの悲鳴と共に襲ってきた。揺れは大きかったが避難行動をする間もなく短い時間で収まったが窓の外からは近所のマンションの緊急警報がけたたましく続いた。
 あれから2週間、最初の1週間は余震が続くので義父宅(義父は入院中であったので何事もなかった)に避難した。我が家から歩いて15,6分の同じ市内なのにほとんど影響が無かったのは阪神淡路大震災の時もそうだったがどうも違う断層の所為ではないかと思っている。
 我が家の辺りには「仏念寺山断層」というのがあって、この断層は上町断層帯の北側にあたり、位置的には豊中市北部から南へ続き、吹田市を通って大阪市内の上町断層に繋がっているそうだ。歩いて数分のところにその断層が地表に現れた「大阪層群の露頭」というのが見られる場所があり、阪神淡路のあと、その露出断層の表面がボロボロ剥がれ落ちているのを見た記憶がある。その断層は学者の反対にもかかわらず、2013年頃に宅地になり姿を消した。

  地震直後、息子からメールが入り、「家の中は散らかっているが二人とも無事」と震える手で返信した。その後も神奈川や滋賀県の友人から「大丈夫?」や「滋賀も結構揺れたけど大丈夫?」とメールが届き、そのつど震えが続く手で返信をしたが友達の優しい気づかいに胸があつくなった。(後になって八尾の実家や府内の友達からは電話(固定電話)が繋がらず随分心配をしたとの連絡があった)。
 その後も皆さんから「片付けに行くよ!」など多くのメールが届いた。私の旧いガラ携の小さな画面に多くの方たちの優しい気づかいが溢れ出ていて本当に嬉しく有難かった。
  家の中は少しずつ片付いてきている。この際に古本の整理もしようかと云う位のつもりで無理をせずゆっくりやるつもりだ。
             皆さん、本当に有難うございました。

2018年6月2日土曜日

「それでよい、それでよい、」な1日

 昨日は久しぶりに奈良へ、嫁はんが東大寺の戒壇院の四天王像を見たいというので付き合った。
 近鉄奈良駅前は修学旅行と校外学習の生徒でいっぱい、プラス外国人観光客が溢れていた。街案内のパンフも英語、中国語、韓国語など多種多様に揃えてあり臨時の通訳ブースも開設されていた。
 奈良公園の鹿に群がる観光客から離れ、戒壇院に着いたのは11時を少し回っていたがひっそりとして訪れる外国人観光客も少ない。
 嫁はんのお目当ての四天王は薄暗い堂内の多宝塔の四隅に毅然として立つておられた。写真の広目天は教科書や彫刻の手本本などにも載っているチョット強っ目のイケメンである。堂内をぐるっと廻り後ろ姿も拝む事が出来るからじっくりと眺めるとその表情以上に御姿全体から仏法を守護するという気魄が伝わってくる。
 
 戒壇院からの帰り道、途中に有名な依水園がありその入り口の横に小さな入り口の庭があった。「ここか!長谷やんのブログで有名なモリアオガエルが棲む吉城園や」と嫁はんを誘って入った。
 小さな窓口に座った女性に「産卵は始まっていますか?」と尋ねると「産卵は終わってオタマジャクシがいっぱい孵ってますよ、よく来られてるの?」と訊かれたので「いや友達の話で知っていますので」と応えたが「長谷やん知ってます?」とは云わなかった。
 オタマジャクシは見れなかったが緑の苔に覆われた庭はホッとする美しさだった。

 次の目的地の国立博物館に向かう途中、まだお昼を食べていないのでなら町の「江戸川」でランチをした。いつも食べる「奈良地野菜のランチ」は
メニューから消えていた。
 ランチビールを飲んだ所為で後の歩きがしんどくなり、博物館はまた今度、という事にして商店街をブラブラして帰る事に、最近は予定通りにしないことに何の抵抗も無くなってきたが「それでよい、それでよい。」(池波正太郎先生風に)

 下御門通りからもちいどの商店街に入ると随分と様子が変わっているのが目に付いた。京都の錦や大阪の黒門のように外国人観光客目当ての店に様変わりしている部分もあるし、若者向けの店も増えている。
 猫好きを当て込んだ便乗商法かと思ったが嫁はんの話によるとかなり以前から続いているようで「なら町」は猫まみれの6月になるそうだ。 




2018年5月30日水曜日

雨降りに遊びに来る

   今朝7時半ごろ「ケケケ」という、けたたましい声に向かいのマンションの方を見ると白黒のツートンカラーのスマートな鳥が飛び交っていて、そのマンションの屋上には3羽の少し茶色がかった鳥が歩き廻っていた。
 
 飛び交っている鳥はその鳴き声から「ケリ」とすぐ判った。ケリは近所のイオンの駐車場辺りに5月になると飛び交っているのを毎年目撃していたが我が家の「バードサンクチュアリ」(チョウゲンボウの来るわが家のマンション周辺をそう呼んでいる)に飛来したのは初めてだ。
 そして3羽の茶色がかった鳥は?写真に撮って野鳥のブログで調べてみるとこれも「ケリ」であることがわかった。すらりと伸びた黄色い脚が決め手である。

 わたしの推測では、明け方からの本降りの雨でマンションの屋上には水溜りができ2羽の親鳥が3羽の幼鳥を連れて飛んできたように思う。幼鳥たちはその水溜まりを楽しむかのように歩き回り、嘴をつけたりしていた。「ケリ」はチドリ科の鳥で水辺を好む鳥だから納得できる。
 5分ほど遊んでから2羽の親たちに促されるように3羽とも飛び去って行った。

  鳴き声を聴いてもらおうとデジカメの動画撮影もしたが途中に嫁はんの笑い声が入り公開中止にした。



2018年5月17日木曜日

ジャーナリストの気概は

 
 私のブログ、2016年9月16日「気骨・反骨の人」に岸井さんの阪大豊中キャンパスでの「報道の自由とは何か」という講演会に行った事を書いたのだが、、、その岸井さんが515日亡くなった。

 昨年末まで病身をおして4チャンネルの日曜日「サンデーモーニング」に出演し、司会者の関口さんから話題のテーマの最後の締めくくりのコメントを求められ、的確に応えているのを見るのが何とも小気味よく頼もしい感じがしたものだった。
 病床を見舞った関口さんに岸井さんは「たるんじゃったな、みんな」と声を絞り出したという。

 同じ15日、偶然とはいえ、大阪国公革新懇のニュースが届いて、その中に全国革新懇ニュースが入っていた。トップの紙面は評論家の佐高信氏のインタビュー記事であったが、その中で岸井さんとの長年の交流のエピソードを交え、ジャーナリストの資質というものを語っている。

 以下要約して引用

 岸井成格とは大学のゼミが同じでハタチからの付き合い、彼は保守本流だったが秘密保護法や戦争法を真っ向から批判し安倍の目障りとなった。ジャーナリストはケンカする覚悟を持ってもらいたいね。
 佐高さんはインタビューの最後に「新聞記者っていうのは、組織に属しても本来一匹狼であるべきですよ。でないと権力者の卑劣とたたかえないですよ。」「麻生ごときに『日本の新聞のレベルはこんなもんか』といわれたんでしょう。もうカンカンに怒って麻生批判の特別号ぐらい出さなきゃだめですよ。」と。
 さらに、最近テレビに出なかったが「朝まで生テレビ」に出たところ、視聴者から「まだ生きてたのか」と投稿があったことを明かし、「冗談じゃないですよ。少なくとも安倍を引きずり降ろさない限り死ねないね。安倍のままじゃ死ねないよ。若い人に悪いよ、それは。」と語っている。

 引用終わり

 もう一つ同じ15日の毎日新聞夕刊の「特集ワイド」で作家の辺見庸さんが「官僚らによる一連の不始末」というテーマでインタビューに応じている。
 その中で官僚による不祥事について“ウソをついても顔色一つ変わらない。恥にさいなまれることもないのはなぜなのか、ということについて「社会の方もけしからんという義憤が爆発しないんだよね。フェイク(偽)が常態化したから。」と。

 ウソを語る人間だけでなく、それを聞く社会の方も、すっかりウソと偽善に慣れっこになった、という事だ。

 また、ドイツのハンナ・アーレントの「悪の凡庸さ」を引き合いに出し、犯したことのスケールははるかに違うが「国会で証言する官僚たちの迷いのなさ、石のような無表情、鉄面皮につうじる」と官僚たちの安倍内閣にへつらう姿を批判している。
 
 昔、ロッキード事件で国会に呼ばれた大手商事会社の恰幅の良い副社長が宣誓書にサインするとき大きく手が震え、消え入るような声で「書けません」と言った姿をテレビ画面が冷酷に映し出していたのを思い出した。
 40年以上の時の経過が社会の慣れっこを生んだということなのか?

 同じ15日のテレビニュースでは高畑勲監督のお別れの会が三鷹のジブリの森美術館で営まれ、永年の友であった宮﨑駿監督が涙ながらに若い日に初めて出会った時の日のことを思い出し、
 
 「ありがとう、55年前に、、、あの雨上がりのバス停で声をかけてくれたパクさんの事を忘れない。」
 
 パクさん。僕らは精一杯、あの時を生きたんだ。膝を折らなかったパクさんの姿勢は、僕らのものだったんだ。」

                      と友を送った。

 
 
          

 

 






2018年4月29日日曜日

1年後の四匹のオッサンたち


 昨年1月の「旧友再会!四匹のオッサン」で20数年ぶりの旧友再会を報告した。その時「これからは年数回集まろうよ」と約束して別れたがなかなか果たせずにいた。
 電話では何回か連絡し合っていたのだが4人のうち一人は家業を継いでいて平日よりも土日にと、一人は昔からのギャンブラーで土日はターフに夢を追いかけて多忙、という事情もあったが今回1年ぶりに集ることが出来た。
 集合場所を去年と同じ場所にしたのだが大阪組の二人がなかなか現れず携帯を入れると違う場所で待っていたらしい。齢と共に記憶は薄れていくようだが、こんな時に携帯の有難さがよくわかる。
 会うことが決まってからどこでランチをとるか、食べログで検索したが大阪駅周辺のレストランは土日のランチは予約が効かず、3月に中学校の同級生のおばちゃんたちとランチをした店に電話を入れるとOKをしてくれた。
 「生きとったか~」で始まり「乾杯!」の後は1年前と同じく病気の話が中心の近況報告となった。
 たった1年しか経っていないのだが話は尽きない、持病の話や、TVに出てくるタレントの名前が思い出せない、等々定番のおジイ話がさく裂したが若い頃、スティーブ・マッキィーン(私たちの間ではマックイーンではなくマッキィーンと呼ぶ)に憧れてポーカーの真似事や葉巻を燻らせたりしたこと、その時のタバコの名前までがすらすらと出てくることに驚きみんな標準的なオッサン、いやオジンになっていることを確認し合った。
 あっという間に2時間半、和食膳とビールだけなのに邪魔扱いせず楽しい時間をくれた店に感謝しながら次回はいま流行りの箕面の温泉施設に行こうという事になったが、ランチと云いながら長時間居座らせてくれた店に感謝しながらこの次もこの店で、とならないところがオッサンらしい図々しさか、と笑って別れた。

2018年4月14日土曜日

平和の旗手を惜しむ

 
 アニメ映画監督の高畑勲さんが亡くなって昨日は代表作「火垂るの墓」がテレビで再放送された。 いまなお、その死を追悼する声が続いている。
 監督の最後の作品「かぐや姫の物語」のサブタイトル(キャッチコピー)は「姫の犯した罪と罰」という少し意味深なものだったが「となりの山田くん」以外の劇場公開作品は観たがやはり最高傑作は「火垂るの墓」ではなかろうか。
 自らの戦争体験をベースに平和の大切さを訴える作品である。私はこの映画を劇場で見て以来、二度と観ることが出来ないでいる。
 戦災孤児となった兄と幼い妹の死があまりにも無常であり、何の罪もない子どもが犠牲になる戦争の非情さが胸をかきむしり、最後まで観れないからだ。
 監督が亡くなっていろんなコメントが出ている中でニュースサイト「LITERA」にこんな記事があった。

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生前、高畑監督は「『火垂るの墓』では戦争を止められない」と発言していたことは、本サイトでも何度か紹介してきた。

【高畑監督】
「『火垂るの墓』は反戦映画と評されますが、反戦映画が戦争を起こさないため、止めるためのものであるなら、あの作品はそうした役には立たないのではないか」(神奈川新聞201511日付)
 一方、その高畑監督が『火垂るの墓』の次に撮ろうとしていた“まぼろしの作品”については、あまり知られていない。監督作としての次作は1991年の『おもひでぽろぽろ』になるが、実はその間、高畑監督は別の企画を進めていた。しかし、ある理由によりお蔵入りになったという。「国公労新聞」20041111日合併号のインタビューで監督自身がこう語っている。
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 以下、その国公労新聞の一部をコピーして貼り付けた。

  今年の新春インタビューは、アニメーション映画監督の高畑勲さんです。数多くの名作をつくりだしている高畑さんですが、2003年夏には、フランスのアニメーション映画「キリクと魔女」の日本での上映に力をつくしました。スタジオジブリにおじゃまして、「キリクと魔女」の魅力とともに、それにつながる平和の問題についてお話をうかがいました。
 ~中略~
○戦争で問題は解決しない  憲法9条が今こそ大切
--小泉首相はイラクに自衛隊を派兵しようとしていますが。
高畑  小泉首相はブッシュのいいなりに派兵しようとしていますが、とんでもないことです。今ほど憲法9条が大切なときはありません。自衛隊の現実と9条に矛盾があることはそうだけども、憲法はある程度、理想であるべきだと私は思います。 その理想をかかげて、その方針の中で国は動いていくんだというのと、理想もなく、ましてや戦争肯定でやっていくのではまるで違うでしょう。
 戦争でテロを撲滅するというブッシュの考え方は、これまで戦争がもたらしてきた痛苦の歴史から何も学んでいません。戦争によって問題は解決しないとする憲法9条の考え方こそ、これからますます大切になっています。自衛隊のイラク派兵や憲法改悪は、戦争とテロの悪循環の泥沼へ沈んでいくだけです。  
〇侵略戦争の加害責任をきちんとする必要がある日本
--このような状況で、戦争の悲惨さを痛切に訴える「火垂るの墓」は、なおさら多くの方に観て欲しい作品だと思います。
高畑  「火垂るの墓」をつくって16年たちましたが、さいわい毎年夏にテレビで放映され、DVDやビデオでも観ていただいています。私自身、小学4年生のときに、岡山市で空襲にあいました。家を焼かれ、家族とはぐれ、火の中を2日間逃げまどいました。
 戦争の悲惨さを体験したものとして、平和の大切さを訴える作品をつくることができたことはよかったのですが、一方で、日本のしかけた戦争が末期になってどんなに悲惨だったかだけを言っていてもいけないと思っています。じつは「おもひでぽろぽろ」をつくる前に、しかたしんさん原作の『国境』をもとにして、日本による中国への侵略戦争、加害責任を問う企画を進めていたのです。残念ながら、天安門事件の影響で企画が流れたのですが、日本が他国に対してやってきたことをきちんと見つめなければ世界の人々と本当に手をつなぐことはできないと思っています。
 ○労働組合のおかげで仲間ができ民主主義を学んだ 
-最後に私ども労働組合の仲間へのメッセージをお願いします。
高畑  私は東映動画の労働組合で副委員長をやったことがあって、宮さん(宮崎駿氏)とは仕事ではなく、労働組合で知り合いました。労働組合のおかげで多くの仲間ができ、職場集会で毎日のように議論したり、苦労して日刊の機関紙を発行する中で民主主義を学びました。みなさんも仲間をたくさんつくって行政をよくしていってください。
--長い時間ありがとうございました。(0312月1日、インタビュー収録)
               -引用終わり-
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 宮崎監督との出会いも労働組合活動を通じてのものであったし、平和と民主主義への行動も続いていて、「特定秘密保護法」に反対するデモに参加し、辺野古にも行かれていたそうだ。もう少し生きて多くを語って欲しかった人である。なお、アニメ映画監督として有名だった監督のもう一つの仕事、というか才能が音楽に造詣が深く作曲もされたという事はあまり知られていないかもしれない。
 アメリカ映画「ROSE」の主題歌「ROSE(ローズ)」の日本語訳「愛は花、君はその種子」の訳詞は監督の作品である。平原綾香の歌う「愛は花、君はその種子」は心にしみる名歌詞だ。
*『ローズ』(原題:The Rose)は、1979年製作のアメリカ映画。ヒロインのローズはジャニス・ジョプリンがモデルとなっている。
 主題歌「ローズ」は主演のベット・ミドラーが歌い、数多くの歌手がカバーし、スタンダード・ナンバーになっている。