2011年8月4日木曜日

  河瀬監督の「はねずの月」の「はねず」にひっかかって終い、書棚の「色々な色」を引っ張り出したり、ついには、東大阪の市民美術センターで開催中の「日本の色 千年の彩展」にまで出かけた。この展覧会は京都の染匠、吉岡幸雄氏が菊池寛賞を受賞した記念に本格的な作品展を、という企画で開催されたものです。
 残念ながら期待した「朱華(はねず)色」の衣装はなかったが源氏物語に題材をとり、平安貴族の女房たちが着ていたであろう単衣や袿(うちぎ)-単衣の上に着る衣などが展示されています。
 圧巻なのはその色です。明治の半ば、化学染料が輸入され、日本古来の植物染料による染物は衰退していくのですが、吉岡氏は、化学染料を一切使わずに平安の色目を再現されているという事です。
                 
 十二単に象徴されるように、薄い絹物を重ねて着る衣装はその一枚一枚の色目の襲(かさね)でもあります。襲の色遣いは春夏秋冬季節ごとに使う色目に約束があり、多彩です。
 会場で一番目を引いたのは、光源氏が最も愛した「紫の上」の衣装です。「紫の上は、葡萄(えび)染めにやあらむ、色濃き小袿、薄蘇芳の細長に、御髪のたまれるほど、こちたくゆるるかに」と源氏物語にかかれていますが(「色々な色」から)紫がかった、控えめでありながら、着た女性を引き立てる色遣い、当時、光源氏ほどのプレイボーイともなると、毎年の正月用に付き合っている女性に布を贈るのだそうで今も昔もマメな者がモテルのでしょう。
  さて、はねず色ですが、吉岡氏制作の色見本には「紅花×支子(くちなし)」で色素を汲みだす、とありました。左の写真はニワウメで、はねず、はニワウメの古名だとあります。私の感じでは紅花系の赤よりもこの花の色に近いように思いました。
 オマケです。会場入り口には黒い布を何本も上からアーチ状に垂らしてあります。説明書きにはこの黒色は「憲法黒」と云って江戸時代の剣法家「吉岡憲法」が創った色だそうです。吉岡憲法というのは宮本武蔵との決闘で名高い、吉岡一門の当主で、吉岡家はもともと京都で染物を業としており、武蔵に敗れて後、道場を廃し、本業に戻ったという事で、吉岡氏はその五代目に当たるのだそうです。こういうオマケの話がついてくるのも楽しいものです。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 

2 件のコメント:

  1.  いろんな色彩のこと、参考になりました。
     連想ですが、個人の家で「洗い張り」をしているのも見かけなくなりました。
     そも、張り板や伸子(しんし)も我が子供たちは知らないのではないでしょうか。
     ひげ親父さん 染色を趣味にされるのもよろしいのでは・・

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  2.  ありましたね、張り板を滑り台にして遊んだものです、解いた着物を洗い、糊付けして張り板に貼り付け天日干しにしていました。べりっと剥がすのが楽しかったように記憶しています。竹ひごの先に針が付いたやつ、伸子というのですか、反物になった布の下に等間隔に打って、これも乾かす為のものでしたよね、竹ひごのカーブとピーンと張った布の下に出来る日陰を飽きずに眺めていたような気がします。

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