2014年4月20日日曜日

名人の引退

昨日(4月18日)は、さながら文楽-竹本住大夫デーであった。朝刊のテレビ欄-NHK「関西熱視線」で「文楽の鬼・引退公演」を放送するとあった。当日、私はその住大夫さんの引退公演である文楽劇場の四月公演「菅原伝授手習鑑」・通し狂言を観に行くことになっていたので予約録画をして出かけた。そして夜10時過ぎに帰宅し「毎日」の夕刊を見ると、「極めた芸道、集大成-文楽の竹本住大夫さん 来月引退」という特集記事が載っていた。実物を観ぃ、テレビで見ぃ、新聞で読み、だから昨日は一日、住大夫デーであった。
 新聞の記事はそこそこであったが、テレビの放映内容は、橋下市長の文楽攻撃の矢面に立って奮闘された住大夫さんが脳梗塞に倒れ、懸命のリハビリの末の復活公演、そして今回の引退公演に至る軌跡をドキュメントしたもので見応えがあった。そして、国立文楽劇場での引退公演で間近に見、聴く生の姿、正直言ってリハビリの結果がどの程度のものか、住大夫さんの持ち味であると云われる「艶と情」がどの程度回復されているのかは分からない、しかし分からないものの目を閉じて聴いていると、覚悟の引退公演、文楽の故郷・大阪での最期の「語り」という想いが心に伝わってくるように思えた。文楽にはまって1年余。何をわかった様な事を、と思われるかも知れないが、「知らん者の強み、怖さ」というものはある、それは、公演に満足し、家に帰って録画したNHKの番組を見て「あーそういう気持ちで語ったはったんやなー」と納得した事があった。
 住大夫さんは番組の中で「やっぱり情でんな、情を伝えるのが大夫の使命であって、きりがありまへん。僕も死んでからもまだ稽古に行かなあきまへんやろな」と仰り、引退会見の場でも「浄瑠璃ってええもんでっせ、文楽てよう出来てまっせ、こんな結構なもの、やらせてもらうのは、ほんまにありがたく、商売冥利に尽きまんな」としみじみ語っておられた。89歳、稽古に打ち込み、引退して尚、さらに高みを目指す心意気、ほんまにすごいお人である。
 最後に、私も初めての経験だったが、昨日の公演で住大夫さんが出てくると、「待ってました!たっぷり!」との声が、見事な間の掛け声だった。

2014年4月16日水曜日

護ろう9条と良心を

  嫁はんが旅行に行くので超早めの朝食を相伴している時、手にした「毎日」の記事に釘づけになった。”消える「平和憲法号」-「意見広告だ」批判受け”という見出しで「土佐電気鉄道(高知市)は、5月3日の憲法記念日に合わせて毎年走らせてきた路面電車「平和憲法号」「憲法9条号」の運行を今年から中止することを決めた。市民団体の負担で車体に「守ろう9条・25条を!!」などのメッセージが描かれ、護憲を訴えてきたが、乗客から抗議を受けて中止を決めた、という記事である。護憲を願う市民団体が2006年から高知市などで5月3日を中心に約4か月間の期間、運行してきた。費用は街頭募金やカンパで賄っているという。ところが、「昨年5月に乗客らから『憲法を守ろう』という広告は意見広告ではないか」との抗議が電話やメールで数件ずつ寄せられ、社内で対応を協議した結果「意見広告は内規で禁じている、『平和憲法号』なども世論が変われば意見広告と取られることもあり、政治的な問題になってしまったので中止する」と市民団体に通知をしたという事である。
 土佐電鉄の内部で、どんな議論がなされたのは分からないが、しかし、「守ろう9条・25条を」を意見広告だと認めてしまえば、たとえばいま問題になっている「ヘイトスピーチ」を車体にラッピングしてくれなどと、乗客らから云われたら断れないのでは、と云う位の議論(?)は、なされたのかもしれない。
 意見広告とは「個人や団体・企業などが政治問題や社会問題などについて、自らの意見や主張を表明する目的で作成した広告である」という事のようであるが、「憲法を守ろう」というのは、いろいろある意見の一つではない! 尊い幾百万の命に代えて手にした、日本国民が守るべき「意見」である。ちょこっと解釈を替えたぐらいで替えてはならない「宝物の意見」なのだと思う。
ちなみに、大阪モノレールでは、意見広告ではないが、関西馴染の企業の派手なラッピング電車が走っている。真っ赤な車体にデッカイ餃子のラッピングは強烈なインパクトで、避けようもなく食欲中枢を刺激しながら目の前を走っている。意見広告以上の効果絶大である。

2014年4月8日火曜日

淡口は甘口に非ず!

 「毎日」の7日付夕刊で”興味深いと”いうか「やっぱり!」という特集記事があった。「消えた辛口コメント」-テレビ番組改編”政治家との力関係が変化している”-という見出しで、春の番組改編で各局の報道・討論番組のコメンテーターの顔ぶれが代わったことを取り上げている。トップバッターは、作詞家で作家でもある「なかにし礼」さん、ワイドショーのコメンテーターを降板したという。彼は「日本国憲法は世界に誇る芸術作品」と称賛し、安倍内閣の解釈改憲を真っ向から批判していた。他にも原発再稼働を批判する元経産省官僚の古賀茂明さんも3月末で降板した。さらに、経済アナリストの森永卓郎さんも「討論、時事番組の仕事を干されている」と打ち明けている。彼も「沖縄の海兵隊は殴り込み部隊で占領部隊、日本を守ることはない!」と番組で言ったことで「極論だ」とクギをさされ、このコメントはカットされて放送されなかった。この後出演した元NHK記者の池上彰さんの解説を聞き「どこからも批判されない内容で天才だな!と思った」と森永さんは打ち明けている。
 1980年代から90年代にかけてのテレビ黄金期は、報道番組が世論と政治を動かす時代であった、とも言われていた。しかし、「世の中の景気が悪くなって政治に対するいわゆる『批判』に国民が関心を示す余裕がなくなってきている」とジャーナリストの田原総一朗さんは分析、この分析には賛同しかねるが、テレビの世論操作性に注目し、これを政治的に利用しようとしてきた安倍晋三内閣の企みは明白であろう。その証拠は下の資料で一目瞭然(赤旗調べ)ではないだろうか。記事は最後に「おとなしい「薄口」のテレビに魅力は果たしてあるのだろうか」と結んでいる。辛口-薄口の対義語使用は間違いだと思うが、「usukuchimonndou-淡口問答」主としては、マスコミの及び腰は大いに歯がゆい。

2014年3月1日土曜日

古代史のロマンに触れる

発掘された襟のついた甲冑
大阪市長の辞任に伴う大義なき「出直し」選挙に付き合う気はないが、大阪都構想の化けの皮を剥ぐべく、提起された宣伝行動を昨日までに済ませ、今日は近所の阪大待兼山キャンパスで「河内政権への道」と題する三人の考古学者のお話を聞きに行った。「古市・百舌鳥古墳群」が築かれた「倭の五王」の時代には、「河内政権」が存在したのではないか?謎に満ちた日本古代史に迫る、という趣向、なんて言ったら叱られるかも知れないが、卑弥呼や邪馬台国畿内説などとも絡んで、250名定員のキャンパスホールには立ち見も出るほどの熱気であった。「河内政権」というテーマに迫る講演内容は①「野中古墳(藤井寺市)の発掘調査と出土品」②「野中古墳の武器と古墳時代の軍隊」そして③「古市・百舌鳥古墳群と世界の王陵」という講演である。②の内容は、阪大構内の博物館で同時開催されている「野中古墳と『倭の五王』の時代」として、野中古墳から出土した大量の剣や刀、矢じり、そして鉄製甲冑 から当時、河内の国にはこれらを使う軍隊組織が存在していたのではないか、という内容であった。そして私が興味をひかれたのが③の阪大福永教授の講演であった。古墳時代なぜ、巨大な古墳が造られたのか。世界各地にみられる有力者の墳墓は、せいぜい50から70メートル規模、中国でも地下の墳墓は大きいが地上部の構築物は大きくてもせいぜい100㍍程度であった。これを覆したのが大和の巨大な古墳の出現である。これの意味するところは、「競い合いの墳墓」の構築から「統治のための墳墓」として造られたのでは、という内容だった。当時、多くの地方豪族のまとめ役として互選で選ばれたのが「卑弥呼」であり、その力は盤石ではなく、いわゆる「共立王」であった。そのため、当時の中国「魏」に使いを送り、大王から臣下の印として「印」と100枚の銅鏡を貰い、これを地方豪族に分け与るたことにより集権の道具とし力を強め、「共立王」から「親魏倭王」と成っていった。

阪大のある待兼山は「マチカネワニ」で有名
卑弥呼の死後、後継者は権力の維持のため、これまでの銅鐸や銅鏡のような物でなく、大きな墳墓をつくり、これを「権力・統治の象徴」として秩序の維持に使ったのではないか。大和政権は350年続いた古墳時代の中で、墳墓の大きさで地方豪族の抑えとしてきたが、しかし、「魏」の滅亡後、大和政権はこの危機をうまく乗り切れず、大和政権に代わる新しい力が河内に誕生し、古墳の舞台も大和から河内に移り、墳墓による統治機構の成立という事になっていく。これが「河内政権」への道、という結論になるのだが、考古学、古代史に素養のない私がまとめた教授の講演内容だから、間違いだらけかもしれない。長谷やんや、わこたんのご主人から御注釈を頂けたら幸いである。最後に、福永教授が言った「箸墓古墳のような巨大墳墓は宮内庁の管轄でおいそれとは調査も研究も出来ないが野中古墳のような中規模の古墳や「墳」を持たない墓などは比較的発掘や研究がしやすく、今回の野中古墳の甲冑などの素晴らしい発掘に出会え研究が進むことも多い」という話は興味深いものであった。



2014年2月14日金曜日

チョウゲンボウ、その後

今朝の雪で白くなった
わが家のベランダに来た「チョウゲンボウ」のその後の報告である。結論から言うとあれ以来、姿を見せていない。雀は相変わらず、食事に訪れている。今度の出来事について、写真も添えて、「日本野鳥の会・大阪支部」に報告と相談をし、今日、その返事を頂いた。概略は次の通り。
「ベランダにチョウゲンボウが来るとはうらやましい、と皆が申しております。」、「お尋ねの雀への餌やりですが 雀も数が減ってきており、また冬場、餌が少ない時期限定であればいいと思います。」(会には糞の問題で困っている等の相談もあるらしい)、「(私が人工的な環境、雀の餌やり、をしていることついて)チョウゲンボウは大阪府下では増加傾向にあるようで目撃情報も増えています。
マンションがタカ類の好む『崖』の様です。
チョウゲンボウが人工的な自然に対応したのではないでしょうか」という好意的な返事で何となく安心した。今日14日は「バレンタインデー」、菓子業界の策謀や、とかヒネた見方もあるが、友チョコであれ、義理チョコであれ、貰えるものは貰っておこうというのがオヤジの魂胆、呉れる方も貰う方も下心などあろうはずもなく、淡い期待など今日の雪のように、す~っと溶け去っております。どんどん頂戴!

野鳥の会写真より

2014年2月9日日曜日

昔のグルメ本

念願のお菓子を食べた。京都・村上開新堂の「好事福盧」(こうじぶくろ)である。少し大きめの紀州みかんの中身をくりぬき、それを絞ってジュースにし、ゼラチンを混ぜて、くりぬいたみかんの皮に戻し固めたものである。
  好事福盧の事を知ったのは池波正太郎氏の食べ物エッセイの名著「食卓の情景」を読んで、である。今から30年程前に「鬼平犯科帳」にはまり、作者の池波さんがエッセイの名手、特に食べ物に関する著書が沢山ある事を知り、片っ端から読んだ。その最初に読んだのが「食卓の情景」で、その中に「好事福盧」の事が出てくる。
 新国劇の演出をしていた池波氏が京都で舞台稽古をした折、これを買ってホテルのベランダに箱ごと出しておき、稽古を済ませてホテルに帰り、暖房の効いた部屋でひんやり冷えた「好事福盧」を食べる情景が見事に描かれている。
 これを読んで、長年いつかは食べたいと思いつつ、季節のもの(紀州みかんが出回る)であり、予約制だと書いてあることもあってなかなか口にすることが出来なかった。それが、昨日、京都の高麗美術館に出かけた嫁はんが「土産やで」と二つ買ってきてくれた。
 昨日は昔、仕事でいろいろお世話になった方の告別式で当時の仕事仲間が四人集まった。7~8年ぶりの人もいて、「久しぶりだから」と軽く一杯のつもりが昔話に花が咲き、かなり酔って帰りの電車は駅を2回ほど乗り過ごし、9時前に帰った。という訳で、まさにドンピシャの「好事福盧」だったわけである。ミカンジュースにキュラソーを入れ、と本には書いてあったが砂糖などを入れない、誠にあっさりとした、思い描いていた味と一致したものであった。
  実際に食べに行くかは別にして、このような食べ物、今でいえば「グルメ本」を読むのは楽しい。そんなグルメ本のはしり、というか元祖のような本がある。
 一昨年亡くなった大阪を代表する作家・藤本義一氏が書いた「大阪たべあるき地図」である。昭和54年5月発行とあるが、私が夢中になって読み、実際に食べに出かけたりしたのは昭和60年ごろだったと思う。この本の中にも「グルメ」などという言葉は一切出てこない。出てくるのは「食い倒れの街・大阪」であり、ホルモンや、オムライスなど大阪発祥と云われる食べ物や、「淡口・濃口」醤油にまつわる話が満載である。
 勿論、食べ歩きであるから、大阪キタ・ミナミを中心に504軒の名店が網羅されている。友達に連れて行ってもらった「正弁丹吾亭」や今も時々食べに行く「吉野寿司」などの名店から安く、おいしく飲める店などが満載である。しかし、大阪の街の変貌も激しく、このうち何軒が今も商売を続けているかは分からない。いつか、訪ね歩いてみたい気もする。

2014年2月2日日曜日

わが家の「ダーウィンがやって来た!」

ピンボケだが横顔にチョウゲンボウの特徴が
ついに撮りました。まさしく「チョウゲンボウ」です。少し、興奮気味だが、顛末を報告する。
 我が家の朝のベランダは、雀の餌をねだる声で賑やか、朝食のパンの耳を細かくしてあげているからだ。かれこれ4~5年になるだろうか、いつも十数羽がやって来る。わが家のマンションのベランダは南に面しており、向かいのマンションとは駐車場を挟んで切り立った崖のように囲まれている。
 正月明け頃からだっただろうか、その囲まれた空間を鋭い翼をした鳥が何回か、飛び回るのを目撃していた。一度は我が家のベランダの雀を狙ってか、ベランダのフェンスに急接近する姿を目撃した。鳩でもない、トンビでもない、明らかに猛禽類の雰囲気がして興奮した。それからは、いつも近くにカメラを置いておく様にしていた。それが昨日、嫁はんの「大きな鳥がいてる!」という声でベランダを覗くとまさに、何回か見かけた鳥がベランダのフェンスにとまっている。直感で「チョウゲンボウ」だと思った。震える手でカメラを取り出し、写そうとする直前、飛び去った。そして今日、四時過ぎ、カーテン越しに黒い影がバサッという感じでベランダのひさしから落ちてきた。これは、と思いすぐカーテンの隙間から覗くといた!横顔しか見えないが、眼の下から胸元にかけて黒い線が見える。間違いない、「チョウゲンボウ」だ。そして何とかカメラに収めることが出来たのがこの一枚。2枚目を取ろうとしたが飛び去って行った。
 興奮が冷めて、冷静に考えると、やっぱりこの場所を狩場にしているようだ。現にこの後すぐ、ベランダのプランターの陰でコソコソと音がするので覗いてみると雀が1羽飛び出していった。隠れていたのだ。む~こうなると悩む。我が家に食事しにくる可愛い雀が餌になる可能性は大である。しかし、ひょっとして、泉大津のホテルのベランダに営巣し、子育てをしている「ハヤブサ」のようになってくれないか、という期待もある。で、今は、雀に餌をやるべきかどうか悩んでいる。