2011年11月20日日曜日

今年のヌーボワイン

 今年もヌーボが届いた。というか、毎年馴染みの業者から買うのであるが、8月の暑い頃に予約の電話が入る。「生産地のいち早い情報です。今年例年になくブドウの出来が良く、いいヌーボが出来るでしょう」と電話口で馴染みのセールスのお兄さんが囁く。私は「アンタ、去年もそんなこと言ってたで」と言いつつ、「今年も頼みます」と云う事に、そんな付き合いが14~5年になる。
 ものの本によれば、元々ヌーボワインと云うモノは、生産者がその年のブドウの出来をチエックし、業者に試してもらう為のもので、仕込から出来上がる過程が通常のワインとは違う、だから基本的にはヌーボは、いくら寝かせても良いワインには成らない、年明けごろまでに飲みきってしまうのがベスト、ということのようだ。だから我が家ではいつも6本しか買わない。
 年々、高額になっていく請求書を片手に「これも祭りのようなもの、まぁ~いいか!」。
せめて27日の前祝い(いワイン)になるように、(苦しい~)。

2011年11月14日月曜日

 去年、ブログで紹介した「滝の道ゆずる」君、今年は実物と記念写真を撮る事が出来ました。サポーターの話によると、今、人気上昇中なんだとか。
 先日、某番組でゆるキャラの中味は、大体女性が多い、らしい!で、初めは「ハグ」しようと思ったが、腕を組むだけにとどめました。
 この日は、嫁はんに誘われ、ウォーキングで箕面まで。玄関を出て、箕面の滝までキッカリ90分、帰りは、30個の干し柿用の柿と、銘酒「五六八」の酒かすを二玉(板状ではない)その他諸々の買い物を背中に、で、軟弱にもタクシーで帰りました。

2011年11月11日金曜日

 かって「大阪が変われば日本が変わる」を合言葉に、大阪府民は「黒田革新府政」を誕生させた。今、その大阪が、ある一人の人物によって、独裁政治の拠点にされようとしている。
 「政治は独裁」、「教育は強制」、「文化は不用」と言ってはばからない人物とその手下どもに、この大阪を「いい様に」させてはならんと思う。
 今晩、黒田革新府政を誕生させた当時の先輩や仲間が集まった。革新府政の灯が消えて30数年、大阪の経済、文化の衰退と自らの後半生は軌を一にする。老いた体に今一度鞭を入れ、将来世代の為にがんばろうと誓い合った。
 友人がいいキャッチコピーを考えてくれた。
 「梅田行きの切符を買って、安全、安心、優しさの大阪へ」
 いいではないか!多いに広めていこう!

2011年10月31日月曜日

河内おんな がんばる!

 退職者の会、恒例の「少しハイキングとちょこっと酒蔵巡り」で、古市の里の史跡めぐりと河内ワイン蔵見学に行った。
 羽曳野の駒ヶ谷付近は昔からブドウ栽培が盛んな処で昭和初期には生産高日本一にもなったがその頃、室戸台風の直撃にあい、ブドウ棚は大被害を受けた。これを契機に農業振興策としてワインづくりを提唱し実践したのが「河内ワイン」の創始者、金銅氏だという。
 当日、ワイン蔵の案内とワインのミニセミナーを開いてくれたのがその創始者の3代目の奥さん、3代目の御主人が働き盛りで亡くなられ、その後、必死でワインを勉強し、ソムリエの資格も取られたとか、さらに凄いのが本場フランスをはじめ、世界各地のワイナリーをめぐり、日本の羽曳野の地に適したブドウ栽培の方法や、樽の材質にも工夫を凝らすなど、今やっと、認められてきたところだと、サラっとおっしゃる。
 今は息子さんが代表をつとめ、彼女は専務として支えながら、日仏交流で毎年パリで、「フランス語による落語」を披露しに行っているとか、さすが、河内おんなのがんばりを見た思いがした。
 そうそう、試飲した河内ワイン、正直言って、驚いた。今まで飲んだ、どのワインにも無い(恥ずかしいくらいのワイン歴しかないが、) 独特の香りがした。重く、どっしりとした、例えて言うなら「古武士」のような、醤油顔のワインという感じがした。(間違っているかも知れまへん、あくまで私個人の感想ですのであしからず。)

2011年10月22日土曜日

民意とは何か?

 昨日、ひょんな事から、ある集会に参加した。大阪革新懇が主催する「意見交換シリーズ」第3弾、橋下・維新の会が強行した府議会「議員定数削減」の狙いとは、が今回のテーマ。
 気軽な気持ちで参加したが会場のメンバーを見て驚いた。よく存じ上げている共産党の元国会議員や憲法学者、そして労働組合のOBや地域の活動家などなど、そんな中に、若い女性が一人参加していた。本人さん曰く、けっこう歳いってます、との事だったが講師の西弁護士の話の後、意見交換会で、なみ居るメンバーに臆せず発言していた。
 私が興味を持ったのは、この集会を知ったいきさつだった。やはりインターネットだった。西弁護士のブログサイトから調べたとの事、参加者一同「うーん」と頷くばかり、続けて「例えば皆さんは、集会に参加される時、旗を持っていかれる、でも私には旗(組織に属していない、の意か)が無いので風船を持っていく」と。またまた、「うーん」である。
 以前ブログに書いた「原発ゼロ」の集会に風船とタンバリンを持って参加し、遠巻きに見られた(気分的には)事を思い出した。
 会場の参加者は、ほぼ全員、この若い女性の倍近くの年齢だと思うが多いに感化されたようだった。
 で、肝心の講師の話、非常に分かりやすい内容だった。橋下・維新の会の錦の御旗「民意」とは?数の力で押し切った議員定数削減とは?そして、圧巻というか、ショックだったのは削減後の議席シュミレーション(写真)だ。維新の会は得票率40%でも6割の議席を占有し、公明党以下すべての政党が占有率を減らす、共産党は得票率10%でも議席は2、下手をすると議席0の可能性もあるという。
 シュミレーションとはいえ、国政選挙(1994年の政治改革・選挙制度の改悪以降の)の結果を見れば「そんな事には、」といってられないと、そんな気持ちになった集会だった。

2011年10月18日火曜日

堺まつりでテンションUP!

 久しぶりに「堺まつり」へ、38回目、という事は昭和48年からやっていたという事?記憶にないなー。
 今、堺市が面白い、橋下維新の「大阪都構想」の中で意地を見せている。昔の「堺県」の意地を発揮したれ!である。
 で、堺まつりのクライマックスがふとん太鼓のパレードである。
10台の太鼓台が房を揺らしながら大小路通りを担がれていく。  写真の太鼓は「西湊」の太鼓で布団の下の小屋根が特徴の「堺型」の布団太鼓である。
 百舌鳥八幡の布団太鼓のような派手さはないが、伝統を守ったしっかりした太鼓だった。10台の中には担ぎ手がか細い若者が中心の太鼓もあり、スタート直後から大きく蛇行し、見物客もどよめく太鼓台もあり、時代の流れを感じる。
 パレードから離れ、懐かしい山之口商店街の筋へ、菅原神社、開口神社、浪花亭も繁盛していた。肉桂餅の「八百源」も「元祖小嶋屋」も健在だった。お土産は、唯一、開店していた「丸市」の斗々屋饅頭(ミニサイズ)を買って帰った。
 がんばれ!堺。

2011年10月12日水曜日

トトロにも原発の手が

 今朝の新聞「赤旗」にスタジオジブリの名プロデューサー鈴木さんが登場。「ジブリの哲学」という本を出版した思いを語っている。
 インタビューの中で、少し前、話題になった社屋の屋上に懸けた横断幕の事を語っている。宮崎監督は「原発はプロメテウスの火だ」と語り、鈴木プロデューサーも「原発というのは完成していないシステム」と認識していたという。
 以前ブログにも書いたが「鉄腕アトム」を原発推進に利用したい電力業界の手が伸びたが手塚プロは一切、これを断ってきた、という話。
 似たような話がジブリにも、鈴木さんは一つ一つ、これらの誘いを潰してきたという。「社の方針として原発はだめだ」と貫いてきたという、いずれも、子供に夢を与える、そして、子供の頃の夢を捨てていない大人にも夢を与え続けてきた二つのプロダクションの活躍を祈りたい。