久しぶりに「堺まつり」へ、38回目、という事は昭和48年からやっていたという事?記憶にないなー。
今、堺市が面白い、橋下維新の「大阪都構想」の中で意地を見せている。昔の「堺県」の意地を発揮したれ!である。
で、堺まつりのクライマックスがふとん太鼓のパレードである。
10台の太鼓台が房を揺らしながら大小路通りを担がれていく。 写真の太鼓は「西湊」の太鼓で布団の下の小屋根が特徴の「堺型」の布団太鼓である。
百舌鳥八幡の布団太鼓のような派手さはないが、伝統を守ったしっかりした太鼓だった。10台の中には担ぎ手がか細い若者が中心の太鼓もあり、スタート直後から大きく蛇行し、見物客もどよめく太鼓台もあり、時代の流れを感じる。
パレードから離れ、懐かしい山之口商店街の筋へ、菅原神社、開口神社、浪花亭も繁盛していた。肉桂餅の「八百源」も「元祖小嶋屋」も健在だった。お土産は、唯一、開店していた「丸市」の斗々屋饅頭(ミニサイズ)を買って帰った。
がんばれ!堺。
堺県のことですが、堺県に吸収されていた奈良県にとっては屈辱的な時代で、堺も奈良も好きな私としては微妙な感情が湧いてきます。
返信削除昭和40年代に長崎でふとん太鼓のイラストを見たときには「ふとん太鼓のルーツは長崎だったのか」と感じましたが、実は、堺から各地に広がったものだったのですね。(長崎には堺の商人や船乗り達の町があった)
長崎の布団太鼓は多分「おくんち」の時の「コッコデショ」の事でしょう。コッコデショ!掛け声とともに太鼓台を放り上げ、落ちてくるところをもろ手で受け止め。支える、という見事なものです。youtubeで見れます。
返信削除大阪の太鼓台は、大阪型、淡路型、堺型、貝塚型の4タイプがあります。昔は漁師に頼んで淡路島まで太鼓台を買いに行ったそうです。
「担ぎ手に時代の流れ」とありますが、堺市内のふとん太鼓は基本的には「穴子屋」とか「材木屋」という同業組織で支えられていた。だから、私たちの青少年時代つまり高度成長・産業構造の大転換の時代がふとん太鼓存亡の危機だった。それを「青年団」や「保存会」に代えてよく維持してきたと思う。ペンより重いものを持ったことのない青年たちが2,5㌧の太鼓を担ぐ。ふらついても仕方がない。
返信削除何度かコメントをしようとしていますがうまくいきません。
返信削除コメントのテストのようで申し訳ありませんがかんべんしてください。
めげずにお願いします。
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