大阪万博内の民博(国立民族学博物館)で「石見大元神楽」の1日限りの公演があったので観に行った。
神楽の盛んな島根県の邑智郡から那賀郡にかけての山間部に残されているのが「石見大元神楽」と呼ばれるそうだ。公演するのは「市山神友会(いちやまじんゆうかい)」という神楽団で、昭和54年に国の重要無形文化財に指定されている。
一般的に知られる「石見神楽」の原型といわれるものでリアルな大蛇や花火を使い、テンポの速い八調子で舞う最近の石見神楽に比べ、いくぶんスローテンポの六調子で舞われる。私は八調子にしろ六調子にしろこの神楽のリズムが好きなのである。何か、古代から日本人の体に刻み込まれたリズムであるように感じる。大太鼓、小太鼓、手拍子(小さなシンバル)そして笛により演奏され、聞く者を陶酔させる。
当日は、4っの演目が上演されたが二つ目の「御座」と呼ばれる演目は、舞手の演者が両手に持った「ござ」を前後に振り、これを跳びあがって何十回も飛び越えるのである。とんだ回数により、作柄の吉凶を占うという意味もあり、当日は舞手が連続して28回も跳んだ。
続く演目「鍾馗」は素戔嗚尊(スサノオノミコト)が唐に渡って鍾馗大神と名乗り、皇帝を悩ます悪鬼を倒すがその怨念、眷属(けんぞく)が日本に攻め込み人々を悩ますため、素戔嗚が宝剣と茅の輪をもってこれを退治するという内容だ。
この悪鬼は、伝染病や赤痢などの病気とされ、これを法力で平癒させるための道具が「茅の輪」で、今も神社で「茅の輪くぐり」という形で伝えられている。
最後の演目が「五龍王」というもので、舞ではなく、口上が主体の演目で5人の王子が争う中へ、これを鎮めるために「文撰博士」が兄弟仲良く国を治めるよう説得する話で、この説得するための口上が大変長く、ドラマでいうところの長台詞でこれが見どころ、聞きどころとなり、実力を備えた演者が此れに当たる。
その国の治め方(領土分配)に曰く、1年=360日の内、東西南北を領する4人の王子にそれぞれ72日を与え、中央の王子(黄龍王)には、四季の土用(五行に由来する、一年の四立-立春、立夏、立秋、立冬の直前の18日間)を合わせた72日を与える、これにより世界が四等分(90日づつ)から五等分(72日づつ)になり、世界が上手く治まることが出来たという話である。
興味深いのは、4人の王子、青龍王(東・春)、赤龍王(南・夏)、白龍王(西・秋)、黒龍王(北・冬)、そして争いの元となる5人目の王子、黄龍王(中央・土用)と陰陽五行説に当てはめられていることである。他にも、王の12人の子供を十二支の神に任じたりと昔の暦にまつわる様々な例えが出てきて興味深かった。
最後は出演者一同に盛んな拍手と「御座」で28回も跳んだ演者にご祝儀が出て楽しい笑いに包まれて幕となった。
尚、この企画は「総合研究大学院大学文化研究科」の学術交流フォーラム関連事業の一環として公演されたものである。
選挙最終盤に入って各党も必死のたたかいを展開している、と報道各社は報じている。
自民党がそんな報道姿勢に圧力をかけている。在京テレビキー局に「街の声は公正・中立に報道せよ」と文書を送ったという。
テレビ出演した安倍首相が、アベノミクスを批判する街頭インタビューを見せられ「偏っている、おかしいじゃないですか!」と声を荒げた事があり、その後各局に文書が送付されたという経過である。
極端に偏向した番組内容や特定の政党を攻撃するような内容に対しては抗議したりすることは当然だと思う。しかし、今回の内容は、街の声を流したもので、放送が伝える街の人の声に謙虚に耳を傾けるべきで、それが公党の党首の姿勢ではないだろうか。
10日夕方、京都市内で日本共産党の不破さんが久々に街頭演説に立った。聞きに行きたかったが寒さにめげてインターネット中継で見た。御年84歳、原稿も見ず、革新の先頭を走ってきた京都の歴史を語り、暴走安倍内閣にストップをかけるため「日本の夜明けは京都から」と熱烈に語られた。
不破さんは又、安倍首相の「戦後レジュームからの脱却」とは祖父にあたる岸信介元首相の東京裁判での戦犯歴を消し去ることにある、と強烈に批判された。
自民党の圧力に委縮せず、テレビ局には頑張ってもらいたいがインターネット放送では生でこんな声を聞くことも見る事もできる。残る数日、大いに利用し、カクサンしていこう。
今年も作りました。干し柿のお菓子です。今年は、包み紙を自作しました。
「昔は良かった」と言えば、また年寄りの繰言かい、と云われそうだが、昔は本当に気骨のある知事さんがいたものだ。それに比べて近頃の地方 自治体の市長や知事さんの質は本当に悪い。
12月5日、米軍普天間飛行場の辺野古への移設計画をめぐり、仲井真知事は工法の一部を変更したいという沖縄防衛局からの申請を承認した。
え!沖縄の知事は「翁長さん」になったんと違うんかい!と思ったら仲井真知事の任期は9日まで、最後の最後でまたもや沖縄県民を裏切った。まったく往生際の悪い人だ。
もう一人、民意を聞かない知事がいた。九州電力・川内原発の再稼働を承認した伊藤鹿児島県知事である。これは3日の「毎日」の「記者の目」に載った鹿児島支局・津島記者の=「民意不在の知事『同意』-「否定的意見を『差し引く』愚挙」=という見出しで以下記事を写す。
「原発に理解の薄いところで結論を出すと錯綜するだけだ。」再稼働への同意を表明した11月7日の記者会見で知事はこう言い放った。市の一部が川内原発から30キロの範囲に入る姶良市の市議会が7月、知事が「県と薩摩川内市だけで足りる」とした地元同意の対象範囲を広げるよう求める意見書と、再稼働反対や廃炉を求める意見書を可決したことに対する感想だ。」
この知事は再稼働ありきでさまざまに策動をし、その一方で同意範囲拡大を求める住民の声は黙殺し続けた。さらに黙殺だけにとどまらず、住民説明会参加者に対するアンケートの結果を都合のよいように解釈、というより勝手に捻じ曲げ、「理解を得られた」と主張した。
その手口は、原子力規制庁の担当者が、新規制基準に適合した理由を解説する為だけで、再稼働への賛否は問わなかったにもかかわらず、アンケートの回答内容の中で12項目すべてが理解できなかったと答えた人が2割近くいた事を挙げ、「こういう人は最初から理解するつもりがなく、もともと原発反対という意志の固まりだ。それを差し引けばもう少しいい数字になると思う」と語ったということだ。
記者はこういった知事の強引な手法に「同意手続きに民意が介在していなかったのは明らかだ」と指摘している。
昔、なんて言い方をしなければならないほど、過去のことではないのだが、京都の蜷川さん、大阪の黒田さん、東京の美濃部さん、と民主的な地方自治をすすめた人たちがいた。
「革新の大義に生きん身の構え私心なければゆらぐことなし」は黒田知事の名言だ。もって肝に銘ずべし。
先日テレビを見ていたら「全日本おばちゃん党」の谷口さんというおばちゃんが出ていた。
番組では、この度の総選挙に大義はあるか、争点は何か?という内容で出演者がそれぞれコメントをしていたが谷口さんは、「おばちゃんらは今争点を選べって言われたら『特定秘密保護法』と『集団的自衛権』と『原子力政策』が気になるねん」と言った。
ムム、大阪のおばちゃんらしからぬ発言(失礼!マスコミが作り出す大阪のおばちゃんのイメージが強すぎて)と思い番組終了後、ネットで調べたら、以下のような事がわかった。
出演していた谷口さんは、大阪国際大学准教授で、講師を務める阪大では「日本国憲法」の講義を担当する法学者とある。全日本おばちゃん党結党の趣旨は、国会に代表されるような「オッサン社会」に愛とダジャレでツッコミをいれる事を目的とするらしい。
少しふざけた趣旨のようにも感じられたが、しかし、おばちゃん党の政策というか、方針として掲げる「はっさく」(これもどうやら船中八策にかけてある)が素晴らしい!
大阪のおばちゃんをなめたらあかんで!舐めるのはアメちゃんだけにしとき!である。
今度の選挙、安倍ちゃんは「アベノミクス」の道しかない、進むことを止め、3年前の民主党政治に戻るのか?と国民を脅し、その他の争点を隠し続けている。おばちゃん党の言うとおり、「税金はあるところから取ってや!」「うちの子もよその子も戦争には出さん!」「核のごみはいらん!」まさしく共産党の政策と一致するのではないか、おばちゃん党からは立候補がない、ここは共産党に投票するしかないのではないだろうか。
先日、中国北京で開催されたAPECでの習近平主席のオバマ大統領への過剰とも思える歓待ぶりが日本の安倍首相との目も合わさない握手場面との対比で大きく報道された。
米中会談は長時間に及び、その中で習主席は「太平洋には、中国とアメリカという二つの大国の発展を受け入れる十分な広さがある」と発言したと伝えられた。その発言の意味を「太平洋を二つに分け、西を中国、東をアメリカが支配する」という意味だとする論評があった。もし、そういう意味だとするなら、近頃の中国の海洋進出、尖閣問題、南沙諸島問題などの動きと併せ、何か不気味な、嫌な感じがした。
そんな気分の時に沖縄知事選挙の結果が出た。大きな争点であった辺野古の新基地建設を巡って、「沖縄県民の新基地NO!の結論が出た」と新知事は宣言し、対して政府は、「新基地建設の認可は出ており、過去の話、粛々と工事は進める」と言っている。世界一危険な普天間基地をなくすために辺野古に新基地をつくる計画は18年前に持ち上がり、反対する住民の座り込み行動は今も続いている。
知事選挙の結果が出た夜、友のブログは「沖縄からの手紙」というタイトルで「政府と米軍(米国)を相手に前知事が認可した辺野古の埋め立てを阻止することが相当困難なことは県民の誰もが解っていた、(にもかかわらず振興策という名の)札束攻勢にも屈せずNO!の決断をした。今回の結果は、沖縄の良心であり、沖縄の勇気の勝利だと私は思う」と言っている。
沖縄は、大日本帝国の無謀な戦争の果てに米軍の銃剣とブルドーザーの下に土地を奪われ、長く支配された。それは本土復帰後もほとんど不変だ。さらに、米軍兵士による少女暴行事件や数多くの犯罪にも遭ってきた。私が抱いた中国の覇権主義の影に対する漠然とした不安ではなく、現実問題として多くの実害を被ってきたのである。
翁長新知事は、「沖縄の基地負担の現実を本土の皆も真剣に考えてほしい」と訴えた。だから本土でも負担すべきだ、と考えるのか、それとも、だからこそ沖縄だけでなく日本から米軍基地を無くすべきだと考えるのか、「沖縄からの手紙」に対する返事の書き方は、ここに決定的な違いが出てくるのだと思う。
翁長新知事は「この問題は日本の民主主義にかかわる問題だ」とも言っている。返事は12月の総選挙で出そうと思う。
最近、かなりの思いきりがないと朝からの外出が苦手になってきたが、来週も又、いろいろと用事があるので、今日は思い切って正倉院展に出掛けた。勿論、あの人に逢うためである。 会場に着いたのが12時少し前、丁度入場制限中であったが、それでも列に並んで、15分ほどで中に入れた。
前のブログでも触れたが、中学の教科書に載っていた「鳥毛立女」が今、目の前にある国宝「鳥毛立女屏風」そのものであったかどうかは確信が持てない。もっと彩色があったように思うのだが、紅指す頬と、くっきりした眉毛以外は殆ど線描画のようである。それと今回、四扇面の出展で立ち姿は1面のみ、他は樹の株に腰かけており、記憶に残った「樹下美人像」といささか違い拍子抜けした感じである。それでもそのふくよかな姿はやはり魅力的である。
それと今回、その美しい色形で魅了されたのが「鳥獣花背方鏡」(海獣葡萄鏡)であった。「日曜美術館」で紹介されていたがこの鏡の復元に何処かの大学教授が30年近く挑戦しているがそのシャープな線彫が再現できないでいる、という鏡だ。この写真はネットから取ったモノだが実物は、白銅製で、いま鋳あがったように白くきれいな色をしていた。
約1時間、見学して会場を後にし次の目的の
エビフライ探しに公園内を歩いた。長谷やんから是非探すようにと、言われていたのである。前回はなかなか見つからなかったが今日は意外と簡単に見つけることが出来た。それも、登大路のすぐそばの松の木の下であった。意外と小さいもので一番下のモノが色合いがエビフライに近く、左のモノが尻尾がそれらしい。
最後に帰り道きれいな紅葉を見つけ、写真を撮っていると、一人の女性が下を向いて何かを探しているので「エビフライですか?」と声をかけると、「??」という顔で「紅葉の落ち葉を探してます」と言って去っていった。変なおっさんが,変な事を言って来たな、思われたのかもしれない。長谷やん、エビフライ同好会の輪はそんなに広がってまへんで。
今年の正倉院展の目玉は「鳥毛立女屏風」であろう、少なくとも私にとっては。というのも今をさかのぼる事、50数年前、私たちの中学校に新任の先生が来た。Y先生は歳の頃なら20代後半、頬がふっくらと赤く、眉毛が色濃く太く、少しおちょぼ口の女先生だった。
当然、あだ名がつくのだが、パターンとしては、名前からくるモノ、風貌からくるモノ、兄や先輩から引き継いだモノ、等があるのが普通である。
授業中、竹刀を持って歩き、間違うと頭を「コッン」とやられた数学のF田先生は、その苗字の後ろをとって「ダ―」であり、年配の英語の先生は、名前が「カネ」で「カネばば」(スミマセン、先輩からの引継ぎです)、理科の先生は、苗字が「青木」で丸い眼鏡をかけた風貌が大村崑ちゃんに似ていたことと、授業で習ったサツマイモを伝えた「青木昆陽」先生とのダブルネーミングで「崑」ちゃん、そしてその新任の女先生は「鳥毛立ち」だった。
丁度、その頃の社会か、国語の教科書に載っていた「鳥毛立女屏風」(当時私たちは『鳥毛立樹下美人像』と習っていたように記憶しているが)の写真があまりにもそっくりだったからである。
クラス全員、誰一人異議なく「鳥毛立ち」に決定し、そのネーミングに感動すら覚えたものだった。
今朝の「日曜美術館」で「正倉院展」が取り上げられるので私はTVの前に古い中学校の卒業アルバムを用意し、「この人が鳥毛立ちゃ!」と嫁はんに見せたところ、「雰囲気あるなー」と賛同してくれた。中学生の時のあのネーミングの確かさと感動を50数年ぶりに確かめた。勿論、会期中に逢いに行くつもりである。