2012年11月17日土曜日

プチ、贅沢


月末に行う退職者の会「歴史探訪合同ハイキング」の下見で堺に行った。ボランティアガイドさんの作ってくれた行程は、わりと有名なコースではあるが、あらためて感じたことは、寺の多さである。有名な「妙国寺」に至る町中を歩いてみると、軒を連ねる、という感じでお寺が並んでいる。この辺も見どころになるかもしれない。
 と、ま~あ、これは当日のお楽しみにして、下見を終え、お昼は「ちく満」のあったかいお蕎麦を食べた。ご存じの事だろうが、(みんな知っていると思い込んでいる方がおかしいか)ここの蕎麦は茹でたての熱いそばを、火傷しそうなアツアツの御つゆに、ざる蕎麦の様に浸けてでいただく。関東の蕎麦好きが見たら腰を抜かすかもしれないが、昔、友に連れて行ってもらって以来、執着している。そして、この写真の突き出しである。中味は、蕎麦つゆを採った残りの鰹節とネギと山葵、これだけであるが若い頃は、これで熱燗を飲んで少し粋な大人になった様な気になったものである。昼間から、贅沢な、と言われるかもしれないが、たまには良いのでは、二千円足らずで至福の時間が味わえるのだから。
*熱い蕎麦の解説をしていて、思いついたが、これって、当世流行りの「つけ麺」の原型ではないか!確信。

2012年11月6日火曜日

耳で観る文化

 義姉から切符を貰ったので二人で「文楽」を観てきた。(11月5日)11月公演は「仮名手本忠臣蔵」の通し狂言(第1部)。      当日、朝10時半からの「大序・兜改めの段」に始まり、「六段目・勘平腹切りの段」午後4時すぎまで、の長丁場だった。昔から、テレビ・演劇界では「困った時の忠臣蔵」、と云われるほど国民的人気の外題である。映画ならばいくら長いと云っても2~3時間であるが通し狂言となると、私が見た1部と夜の2部合わせて約11時間(昼夜休憩を入れて)さすがに余程の文楽好きでないと、と思って来たが、10時の開場時間には満員の人が。以前のブログで、私が「文楽友の会」に入会しようと思った経緯を書いたが、橋下市長の「文楽」攻撃から最近の補助金支給決定まで、一連の騒動の「波及効果か?」と言われてきた盛り上がりだったが、この人気は、もしや本物、と思わせる程の入りだった。たった1日の観客層を見て判断できるモノでもないだろうが、「橋下騒動」とは無関係の新たな文楽好きが増えてきているのは間違いないのではと思う。橋下市長は補助金支給決定後も未練たらしく劇団四季の「ライオンキング」を観賞してその盛況ぶりを文楽にあてこすりしているらしいが、この話はまた何れ別の機会に譲るとして、当日は、人間国宝の鶴澤寛治、鶴澤清治(三味線)や竹本源大夫(人間国宝・当日は途中交代するハプニングがあったが)や豊竹咲太夫ら名人・上手を目の前で、間近に観られ文楽初心者の私にもその迫力が伝わった。舞台でも主役の人形遣いはもちろん、「(その他)大ぜい」と記される端役の人形遣いの人々の細かい動きも見事なものだったが、やはり文楽の魅力は「浄瑠璃」の魅力に尽きるように思う。「耳で観る」文化だと思う。浄瑠璃、三味線、そして人形、三位一体の芸術はすでに完成されている。これを守り、伝えるのが文楽技芸員の仕事。「観客動員が少ない、儲からない、」は観る我々の側の問題であり、責任だともいえる。(感動さめやらぬ中で記したので乱文なり)



右のきり絵は、故加藤義明氏の作品で我が家の宝物です。       

2012年11月2日金曜日

現場かテレビか

30日、たまたま招待券を貰ったので「正倉院展」に出かけた。友のアドバイス通り、火曜日の午後、3時半、を狙ったが、「なら町」で昼食と時間つぶしをしても3時に着いてしまった。入口付近で二重の列に並んで、それでも10分足らずで入場できた。
しかし、館内は満杯状態。お目当ての展示物の前は人の頭しか見えない。元々、正倉院展は館内が暗く見難いという定評があり、特に今年は天皇が遺愛した双六などの小さいものが多く、単眼鏡が必要なほど、ほとんどの展示物をさら~っと見て、常設の仏像館をじっくり見て帰ってきた。
二日ほどして夕方のテレビ番組で正倉院展のついでに見に行った興福寺の「阿修羅」が放映されており、そして今日(2日)は、「天平・瑠璃のかがやき」という特別番組があった。ム~、、、やはり本物を見るべきだと思うが、、、あの混雑で、じっくりと見れないのなら、TV観賞もありか、しっかり録画しておいた。

2012年10月20日土曜日

喰いつきのいいプラスター

11月に沢山の行事を控え、ブログ更新がついつい、滞る。
毎週金曜日の関電前抗議行動も何とか参加するように、気持ちを切り替えているのだが、月に1回が精いっぱい、という感じ。
 昨晩なんとか参加したが少し参加者が減ってきているような気がして、ほぼ精勤で参加している友に訊くと「先週はもう少し少なかった。でも、続けることが大事」と云っている。  
 来月11日には、東京で100万人を結集するらしい、全国でもこれに呼応して集会が持たれる。歴史的な一日になるかもしれない。
 で、この写真の友が掲げるプラスター、チェルノブイリ周辺でツバメの異常個体が現れているそうで、野鳥図鑑等から探し出してプリントアウトして作ったとの事。昨晩も早速、参加者の女性から質問、丁寧に答えていた。その次は、背の高い中年の外国人男性、盛んに指さし、連れの女性に聞いている。「チェルノブイリ・スパロー」男性は、分かったのか、分からないのか「オー」と頷いていた。
 前期高齢者の我々に、1時間半のシュプレはキツい。私は友に貰った鳴子で参加している。

2012年10月8日月曜日

11月の行事の下見で堺に行った。「堺まつり」などに何回かは来ているが、大浜辺りは本当に久しぶりだ。写真の旧堺灯台もきれいに改修されているが、六角形の白い姿はそのままだが、周辺は見事に昔の面影はない。
 昭和50年ごろ、この堺港の船着き場から臨海の埋め立て地の工場護岸にチヌ釣りに出かけたものだ。
 渡船屋のオヤジは、護岸に着くと「会社の見回りの車が来たら、頭低くしてや」と言い残し港に帰っていく。こっちはお金を払って釣りに来ているのに、「まるで、闇夜の泥棒みたいや」と文句を言ったものだ。それでも、五時に仕事が終わると、潮時を選んでよく通った。 写真の右前方の埋め立て地には当時、新日鉄や日立の工場が並び、高炉の高い煙突が林立していた。夜釣りの時は、工場のパイプ群を照らす照明や、高い煙突の先の赤い警告灯の点滅が釣れない時間の慰めのようだった。ちょっと前、「工場萌え」とかで夜の臨海工場群を写真に撮るのが流行ったが、30数年前に同じ感覚を味わっていたのかもしれない。
 堺で勤めた1970年から1980年の10年間は、まさに高度成長期から1980年の高度成長の終焉期の入り口に至る時期に重なる。新日鉄の高炉は無くなり、日立造船も去った。その後、期待され入ったシャープの太陽光パネル工場も本社の不況が影を落とす。大阪府は、広大な未利用地を工業生産地帯から、学術、環境産業地帯にと考えているようだ。
 かってNHK大河ドラマは自治都市を目指した堺を「黄金の日々」で描いた。権力に敢然と立ち向かった堺人の気概が堺にも、大阪にも、いま必要ではないだろうか。河内人として生まれ、人生の割と重要な時期を堺で過ごした(仕事中心ではあるが)私の思いである。                     



2012年9月30日日曜日

続・寅さん、南座に現れる

今日の「赤旗」の書評欄に「山田洋次と寅さんの世界」【吉村英夫著】の書評を櫻田忠衛さんが書いておられる。「私は山田洋次のファンではあるが、山田洋次の作品のすべてを肯定している訳ではない。そのスタンスで本書を読んだが、、、」として、映画「男はつらいよ」で山田監督が描こうとした世界を『家族と柴又や寅が旅する地域のコミュニティーであった』こと、『今世紀になって無縁社会がいわれ、経済的弱者が社会から切り捨てられているとき、山田(監督)が提示してきた寅さんの世界は重い』と評されている。私は、この筆者【吉村英夫】が1981年に書いた「男はつらいよの世界」を映画好きの友に勧められて読んだが、冒頭に、「一部の者が富と権力を独占しつつ多くの民衆は真に生きる喜びを享受でき
ない生活に追いやられていったのが1970年代の日本である。・・・勤労民衆を中心に地底から想像と建設の響きがほうはいとして起こってくるのもまた1970年代であった。矛盾が露呈し人々の怒号が爆発し整然と組織化されるのを恐れる者たちが、人間の心を貧しくする煮ても焼いても食えない低俗な括弧つき文化を流し込みかきたてることで、矛盾をいわば民衆内部にすり替えることに必死になっているときに、山田洋次はフ-テンの寅を創造して、人がふれあい信じあいつながりあえる事のおおらかなメッセージを勤労民衆に送り込んできた」と情熱的に書いている。

櫻田さんは、今回、著者【吉村英夫】氏が、山田監督が小津安二郎監督の「東京物語」へのオマージュとして撮った最新作「東京家族」をもって「山田洋次」論の完成が成されるのではないか、と期待しておられる。私も四半世紀を超えて「フ-テンの寅・山田洋次」の世界の解明を期待したい。ところで、前回のブログで、フィルム映画にこだわり続ける山田洋次監督の姿勢に共鳴し、フィルム映画上映館の復活を願う、とブログしたが、ここでお詫びしたいと思う。先日、大阪の書店でDVD「小津安二郎大全集」なるものを買ってしまった。「東京物語」はじめ全9作品が収めてある。店員さんに何度も確認したが、間違いなくオリジナル、9作品が入っているとの事、その値段が、なんと驚くなかれ、1,980円  なのである。盤には Made in Taiwan  とあった。山田監督、寅さん、すみません。

2012年9月10日月曜日

寅さん、南座に現れる

友人から券を貰ったので京都、南座に行ってきた。監督生活50周年「山田洋次の軌跡」展。午前と夕方の映画上映の合間に舞台上に「くるま屋」のセットを組んで見学できるようになっている。また、観客席横のロビーは「男はつらいよ」を中心に、山田監督の全作品の紹介とスチール写真が並んでいる。3階のロビーには映画撮影時の渥美清さんの控室を再現した特別コーナーもある。勿論、寅さんの決めスタイルのチエックのダブルのスーツと旅行鞄、雪駄も展示してある、寅さんファンには涙ものだ。
 今回の映画上映と展覧会が何故、南座で行われることになったのか?山田監督は「35ミリフィルムがこの世から姿を消そうとしています。映画の製作と上映がデジタルにとってかわるのです。」「フィルムがデジタルというきわめて効率的な媒体に代わると云うことは、例えばトーキーやカラーフィルムのような新しい表現手段の誕生とはハッキリ違って、映画産業資本の都合によってフィルムを奪われたという思いを映画人の我々は抱いてしまう」とパンフレットに述べている。続けて監督は「そんな中、ここ京都南座でぼくの全作品をフィルムで上映すると云う企画が生まれた。大劇場での35ミリフィルム上映はもしかしてこれが最後になるのでは」と述べてもいる。あくまでフィルムでの撮影にこだわる監督らしい企画ではないだろうか。そして、もう一つの疑問「何故南座なのか、」これは私の推論だが、京都は、一時期「日本のハリウッド」と呼ばれ、名だたる名作も、娯楽映画も多数生まれた土地である。企画の意図もそんなところにあったのかもしれない。 これから何回か、南座に足を運ぶつもりだ。(というのは、もう一つの映画祭、「木下恵介生誕100年祭」上映会が大阪で9月7日で終了した)さて、やはり映画はいい!テレビ映画やドラマは日常生活の場の延長線上の茶の間で見てしまうが、わざわざ映画館に足を運ぶという作業が映画そのものの価値を高めているように思う。これは、文楽でも、落語会でもそうだと思う。
 それと映画について、私は、昨今はやりのハリウッドのSFXや、眼のついていけないような派手な映画にはあまり興味がない。子供の頃、実家の隣がアイスキャンデー屋さんで、近所の映画館で売るアイスを配達していた。その配達の折に、自転車の後ろについて行き、おっちゃんの顔でタダで入れてもらえる事が出来た。いつも、という訳ではないが、声がかかると喜んでついて行った。当時、近所の映画館はもちろん封切り館ではなく、東映や大映のチャンバラ映画の3本立て、アラカン(嵐勘十郎)の鞍馬天狗の活躍にわくわくしたものだ。少しマセてきた頃に見たフランス映画の官能さ、馬が小さく見えたジョン・ウェインの西部劇、これらをもう一度見ようと思うと、どうしてもDVDになってしまう。今回のように、大劇場でもう一度見てみたいものだ。