2012年9月10日月曜日

寅さん、南座に現れる

友人から券を貰ったので京都、南座に行ってきた。監督生活50周年「山田洋次の軌跡」展。午前と夕方の映画上映の合間に舞台上に「くるま屋」のセットを組んで見学できるようになっている。また、観客席横のロビーは「男はつらいよ」を中心に、山田監督の全作品の紹介とスチール写真が並んでいる。3階のロビーには映画撮影時の渥美清さんの控室を再現した特別コーナーもある。勿論、寅さんの決めスタイルのチエックのダブルのスーツと旅行鞄、雪駄も展示してある、寅さんファンには涙ものだ。
 今回の映画上映と展覧会が何故、南座で行われることになったのか?山田監督は「35ミリフィルムがこの世から姿を消そうとしています。映画の製作と上映がデジタルにとってかわるのです。」「フィルムがデジタルというきわめて効率的な媒体に代わると云うことは、例えばトーキーやカラーフィルムのような新しい表現手段の誕生とはハッキリ違って、映画産業資本の都合によってフィルムを奪われたという思いを映画人の我々は抱いてしまう」とパンフレットに述べている。続けて監督は「そんな中、ここ京都南座でぼくの全作品をフィルムで上映すると云う企画が生まれた。大劇場での35ミリフィルム上映はもしかしてこれが最後になるのでは」と述べてもいる。あくまでフィルムでの撮影にこだわる監督らしい企画ではないだろうか。そして、もう一つの疑問「何故南座なのか、」これは私の推論だが、京都は、一時期「日本のハリウッド」と呼ばれ、名だたる名作も、娯楽映画も多数生まれた土地である。企画の意図もそんなところにあったのかもしれない。 これから何回か、南座に足を運ぶつもりだ。(というのは、もう一つの映画祭、「木下恵介生誕100年祭」上映会が大阪で9月7日で終了した)さて、やはり映画はいい!テレビ映画やドラマは日常生活の場の延長線上の茶の間で見てしまうが、わざわざ映画館に足を運ぶという作業が映画そのものの価値を高めているように思う。これは、文楽でも、落語会でもそうだと思う。
 それと映画について、私は、昨今はやりのハリウッドのSFXや、眼のついていけないような派手な映画にはあまり興味がない。子供の頃、実家の隣がアイスキャンデー屋さんで、近所の映画館で売るアイスを配達していた。その配達の折に、自転車の後ろについて行き、おっちゃんの顔でタダで入れてもらえる事が出来た。いつも、という訳ではないが、声がかかると喜んでついて行った。当時、近所の映画館はもちろん封切り館ではなく、東映や大映のチャンバラ映画の3本立て、アラカン(嵐勘十郎)の鞍馬天狗の活躍にわくわくしたものだ。少しマセてきた頃に見たフランス映画の官能さ、馬が小さく見えたジョン・ウェインの西部劇、これらをもう一度見ようと思うと、どうしてもDVDになってしまう。今回のように、大劇場でもう一度見てみたいものだ。

5 件のコメント:

  1. !南座のこれには9月某日夫婦で行く予定にしています。ああ、その前にこれほどバラされてしまうとは・・・
     京都の撮影所では、テレビ時代劇のシリーズがなくなりましたが、培われた業が滅びてしまうのが心配です。マニュアルや参考書では実現できないものが伝統であり芸なのですが・・・
     今は、京都といえばサスペンスドラマのメッカ。日本一犯罪の多い都市のように思えますが、それだけテレビの露出度もお見事。こういう「したたかさ」では大阪は後塵を拝していますね。

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  2. !デジタル化という大革命が映画産業で起こっていることをこのブログで教えていただきました。
     デジタル映画を否定はしませんが、文化というモノにまで効率ばかりを追い求めてよいのでしょうか。過去の名作を映画館で見られない時代が来るのでしょうか。
     此の頃は、チョット気を抜くと知らないうちに殺伐とした社会になっていたということが、遠くなく起こりそうな気がします。

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  3. 山田監督が危惧されている点だと思います。伊映画の名作「ニュー・シネマ・パラダイス」に描かれた、フィルム映画、そして映画館の魅力をいつまでも続けてほしいものです。

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  4. 先日の「日経新聞」にフジフイルムが来年春で特殊記録用以外の35ミリフイルムの生産を止めるとの記事がありました。

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  5. !花も嵐も寅次郎を見てきました。田中裕子と沢田研二です。私が男だからかも知れませんがマドンナに限らず映画の華は女優だなあと感じています。太地喜和子、大原麗子、桃井かおり、いいですねえ。

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