2012年6月1日金曜日

身近な珍百景

 近所のコープの外壁のフェンスに奇妙な物があると気付いたのは周辺の樹木が何本か伐採されてからである。さらに、その正体が樹の一部である事が分かったのは、その下に切株があったからである。樹が存在していた時は何とも思わず、その存在が失せて、初めて気がつくという事、伐採されて視界が良くなったといえば、それまでだが。
 
 さて、その正体だが、切株の上のフェンスに見事に食い込んでいる樹の一部なのだが、その喰いつきぶりの見事さに驚いて、写真を撮った。
 よく、街路樹などが植えられる際、添え木というか、支柱で支えるのだが、支柱と樹木を結ぶロープやワイヤーが、そのまま放置されてしまい、樹木が成長するにつれ、樹肌に食い込み傷つけることがあるらしい。

しかし、どう見てもこの樹は、自らの意思でフェンス(金網)を自らの体内(と表現したくなるほど)に取り込み成長を続けてきたかの様だ。
 樹木の成長の摂理はよく知らないが、伐採され、この樹の歴史は終わったかのように思うが、しかしフェンスに喰いついたこの樹の分身が、かえってその存在感と歴史を主張しているように思う。

2012年5月20日日曜日

 最近、スーパームーン(月の楕円軌道の関係で通常より大きな月が見える)とか、太陽のスーパーフレアとか天文の話題が多く、明日21日には「金環日食」が見れるとマスコミも騒いでいる。この日食については、いわゆる「日食ハンター」と呼ばれる人々がおり、世界の何処までも追いかけるという。
 嫁はんのお友達の元理科の先生は、南紀勝浦に出かけるそうだが大方、旅行業者やそれに関連する有象無象がビジネスチャンスと動いているのであろう。それにしても月食ではそんなに騒がないのに何故、太陽の変事をそんなに有難がるのか、と思わないでもない。そこで月に味方する訳ではないが旧暦の話を少し。旧暦は月の満ち欠けを基に、一月の長さを決めている。月の満ち欠けのひと巡りは29,53日が基本。これを数式で表すと、
29,53×12カ月=約354日。新暦である太陽暦の365日よりも11日短い。毎年11日、この足らずを調節するために約3年に1回、閏月を入れて調節する。それが今年、2012年には「閏3月」が入り、1年13ヵ月になっている。
 詳しく云うと新暦の4月20日が旧暦3月30日で4月21日が閏3月1日になる。今日5月20日は閏3月30日で明日5月21日が旧暦4月1日となる。
 閏については私はまだ勉強中で長くなるのでサワリだけを紹介したが、全ては季節(農耕作業の基準)を暦に合わせるための手段であった、という点から考えれば農耕に必要なのは太陽の恵み、であったはず、太陽暦の方が適しているとも云えるが、ややこしい話は別にして、多くの国民が農作業から離れてしまった現代においては、さほど必要無いのかもしれない。
 日食網膜症などという恐ろしい障りのある太陽よりも、晩春の朧の月をグラス片手に眺めてみては如何か。

2012年5月5日土曜日

 年寄りの昔がたりと聞き流してほしい。その昔、メーデーのデモの後は、ナンバのキリン会館のビアガーデン、総評解散後は、西梅田のニュートーキョーのビアホール(解散場所の関係である)で打ち上げ、というのが定番だった。昼間からジョッキで乾杯!という事が当たり前の世の中だった。メーデーの準備に何日もかけ、デコレーション作りに徹夜もした。それだけに終了後は打ち上げの意味もあり大いに盛り上がったものだった。
 なにも参加者だけがそうだった訳でなく、その日の夕方のテレビはメーデーの様子がトップニュースだった。
今はどうか?メーデー全体の様子はよく知らないが、我が昔の職域でいえば、参加者も現役組の若者は少なく(今は年休を取って参加という事情もあり)我ら退職者が主役になっている様である。
 方や世界はどうか?経済危機の欧州や、怒れる99%のニューヨーク市民も参加してメーデー発祥の国のメンツを保っている。
 今の日本がそうではないとは言わないが、すくなくとも、開催日をずらしたりしているようではMAY DAYの名に値しないことは間違いないと思う。
 いずれは昔のクリスマスのドンチャン騒ぎのような季節の風物詩になり下がってしまうのではと、年寄り四人が、小ぢんまりしたビアスタンドで乾杯した。

2012年4月22日日曜日

白鷺は舞い残った

 元の職場の退職者会で国宝姫路城の大修理見学と酒蔵見学をしてきた。
 週間天気予報では間違いなく雨模様、という事で お城見学も、短時間の設定にし、酒蔵でゆっくりと昼食を、とプランを練っていたが、当日は汗ばむほどの天気となった。
 天守閣は解体修理の為の大屋根にすっぽり覆われ、「白鷺城」といわれた優美な姿は見られない。そこで姫路市は、大屋根の隣に天守閣全体の屋根瓦の葺き替えから白壁の塗り替え工事までを見られるエレベーター付きの施設を作った。名付けて「天空の白鷺」。
なかなかのアイデアとネーミングだと思う。


 ガイドさんを頼んで見学したが、興味深い話も聞けた。太平洋戦争時、姫路は軍事基地(城内に陸軍の部隊も)や、軍需産業の拠点でもあり、B-29の大空襲に見舞われたが、お城は奇跡的に焼失を免れた。
 今回の参加者の一人が「京都と同じ様に米軍が意図的に空襲目標にしなかったのでは」と聞いたところガイドさんは、「戦後長らくその点が論じられてきた。そこで姫路市がアメリカに調査員を派遣して当時、空襲に参加した爆撃機乗務員を探し出し、実情を聞いた」という。
 彼らは「軍の指令上、目標から外せ、という事は無かった。(お城があったと思われる辺りは)きらきらと光る湖があった」と証言したという事だった。
 当時、姫路は空襲目標であり、特に白壁が美しい、お城は空襲目標にされる事は必至であると考えられていた。そこで、軍部なのか、市当局なのかは分からないが、墨で真っ黒に染めた網を幾重にもお城に被せ、爆撃目標からそらす工夫をしたという。
 姫路の空襲は夜間に行われ、黒く染められた網のおかげでキラキラと光る内濠のみが爆撃機からは見え、湖と勘違いした、という乗務員の証言と一致する。
 空襲の翌日、一面の焼け野原の中に立つ「白鷺城」の姿に市民は涙したという事だった。

2012年4月10日火曜日

悲しき櫻

 桜見物にピッタリの花曇り、明日は雨、との予報に急遽、万博の「桜まつり」へ。
 この時期、いつも心にかかるのは万博公園に入る前に通過する旧エキスポランドの桜たちの事。今年も、門は固く閉ざされたままである。昨年末にやっと跡地の再利用計画が承認された。大手ディベロッパーが教育・文化の複合アミューズメントパークを作るらしい。
 となると今の朽ち果てた施設は取り壊され、(既にジェットコースター等は撤去済み)この桜たちも伐採されるのだろうか。
 かってのエキスポランドの頃も、ジェットコースターなどの乗り物もあったが、小さい子供を遊ばせるのに恰好の広場があり金欠、時間欠の親父たちには好評の園地だった。
 昨年末、決定した跡地利用は「教育エンターテインメント」施設になるそうだ。一時期はUSJに対抗して、パラマウント映画の娯楽施設という案もあったそうだが、今回のプランは、職業体験やものづくり、スポーツ、料理などを英語で楽しみながら学ぶ体験型エンターテインメントになるらしい。
 なにやら、かっての某省の「私のしごと館」の様な気もするが、派手にカネを使わせる施設にはならないようだ、が、この桜たちだけは何としても残してやりたい。

             「晴ゆくや 日ごろ心の 花曇り」 萱野三平 辞世の句

2012年3月30日金曜日

特にネタがないので例によって「大阪365日事典」から 。
 今日3月29日(昭和13年)日本職業野球連盟は、新球団「南海軍」の加入を承認した。関西では阪神、阪急に次いで3番目の球団誕生となった。
 私のプロ野球観戦(ナイター)が「南海」対「大毎」の試合でナンバの大阪球場に知り合いのお兄ちゃんに連れて行ってもらった。
 今でこそ、関西はタイガース一色に染まっているようだが、その頃の大阪の子供にとって身近なチームは「トラ」よりも「タカ」だったように思う。鶴岡一人という広島県出身の監督によって大阪、というよりナニワの人情球団として絶大
 
な人気を誇った。しかし、野村監督退任(解雇)後、最下位が指定席になり、1988年スーパーダイエーに身売りされた。
 ホームである大阪球場はその後、住宅展示場や駐車場などになり、現在の「なんばパークス」という複合娯楽施設になっている。館内には「南海ホークス」メモリアルギャラリーがあり、往時の名選手、杉浦、景山、広瀬、門田等のユニホーム姿が並んでいる。
 しかし、不思議な事に、野村選手・監督の記録は並んでいない。これは当時、鶴岡監督との確執、球団との確執などがあった事の影響などと言われる。                                          上の写真は当時の球場のピッチャーズマウンドのあつた場所に記念プレートを埋め込んだもので唯一大阪球場の跡である事を物語っている。

 右の写真は私のお気に入りの場所。「パークスガーデン」である。なんばパークスの屋外の最上階から二階までを本格的なガーデンにしている。
 人工でありながら、あまりそれを感じさせないのは、専属の人たちがこまめに手入れしているからだろう。都会の中にいる事を忘れさせてくれる。

2012年3月26日月曜日

  先日の土曜日、3月24日が旧暦の「3月3日の節句」だった。今年は、この後、閏3月もあるので新暦の3月3日から4月23日までのロングバージョンという事になるのだろうか?
 我が家には、いきそびれる娘もいないので、このままずーっと飾っておくことにした。
 手前の写真は母が生前、妹(私たちの叔母)と叉兵衛櫻を見に行った時の写真である。
 母の葬儀の時、従兄弟が持って来てくれたもので以来、私の部屋に飾っている。その叔母が1月末に亡くなり、先日満中陰の法事があったので出かけた。
 叔母の家は大和の「壺阪山」にあり、子供の頃に母に連れられて行き、また結婚直後に挨拶に行った事もあるのだが、30年もたっており、一緒に行った兄たちに案内してもらわなければ分からない始末だった。
 
 駅を降り、ちょっと驚いたのは叔母の家までの道の両側の家々が「雛飾り」をしていた事。高取町が6年前から「町家の雛めぐり」というイベントを開催しているとの事だった。
 実は法事の当日、3月3日の雛まつりは終わっているが旧暦の雛の節句にはまだ日もあるというので、嫁はんが描いた写真の色紙をお供えとして持って行ったのだが、町ぐるみの雛祭りと合っていたとは、旧暦が取り持つ出会いに不思議な気がした。
 叔母も生前は雛飾りを楽しみにしていたという事なので、いい供養になったのではないかと思っている。